バッハといえば言わずと知れたクラシック音楽の作曲家です。音楽の授業では必ず取り上げられ、音楽室には必ず肖像画が飾られています。そんな彼の生き様や生活の様子などがわかる書籍を紹介します。
バッハは誰もがその名を知らないほど有名なクラシック音楽の作曲家です。様々な曲を生み出し、音楽の基礎を築きました。「音楽の父」と称されるほどの功績を残しています。クラシックと言えば聞こえはお堅いイメージですが、彼は多くの文化や音楽ジャンルを取り入れていたことで有名です。そういう意味では柔軟性の高いその時代の最先端を行っていた音楽家だと言えます。 彼は1685年にアイゼナハで生まれました。日本でいう江戸時代です。彼の家族はプロテスタントのルター派に属する音楽家一家でした。修道院に付属する学校で奨学金を受けながら学んでいます。早くに父親と母親を亡くしており、クリストフ家に引き取られて勤勉に学んでいました。
ヴァイマルの宮廷楽団に入ると、彼はヴァイオリンやオルガンなどを演奏しています。彼の音楽家としての初期の活動は破天荒なものでした。教会に女性を連れ込んでオルガンを演奏したり、教会が不適切だとしている前衛的な音楽積極的に演奏したりと、教会側はそんな行動に頭を悩ませることになります。 彼は様々なジャンルの音楽を手掛け、「G線上のアリア」や「トッカータとフーガ」などの有名曲を世に排出していきました。彼が残した楽曲は彼の名と共に現代でも受け継がれています。彼が作曲した多くの作品が音楽の礎となっており、それが「音楽の父」と称される由縁です。
1:作曲家の前にオルガンの演奏者として知られていた
当時、彼は作曲家である前に、オルガンの演奏者として知られていました。彼亡き後は、そのことは忘れ去れてしまいましたが、オルガン演奏者としても評価されていたのです。
2:ビッグダディーだった
彼は生涯に20人の子供を授かりました。しかし、その内10人は幼くして亡くなってしまいました。成長した数人の子供たちは、父と同じく音楽の世界へ進みました。
3:無類のコーヒー愛好家だった
彼は1日数十杯飲むほどのコーヒー好きでした。彼の遺品リストには、コーヒーカップとポットが含まれているそうです。
4:数字の「14」がお気に入りだった
彼の名前のアルファベットを数字に変換した際の合計が14になるためだといわれています。BACH(バッハ)はB=アルファベットの2番目 A=1 C=3 H=8 合計14となります。
5:バッハはドイツ語で小川という意味である
彼の名前はドイツ語で小川という意味。偉大な業績を残しているわりに、少し一般的で小さな領域の印象を与えます。そこで、ベートーヴェンは「彼は小川ではなく大海である」との格言をのこし、彼を評しました。
6:かなりの勤勉であった
彼はとても勤勉だったといわれています。それを表す逸話として、彼の幼少期の出来事があります。彼には年の離れた兄がおりました。兄は作詞家であり、バッハもそんな兄の姿に憧れ、音楽の世界に興味がありました。ただ、幼いバッハには楽譜などはみせてもらえませんでした。そこで彼は兄の楽譜集を盗み出し、月光の下、夜な夜な楽譜を書き写し音の世界に独学で触れていったのです。
7:生まれつき視力がよくなかった
彼は生まれつき視力が弱かったとされています。彼の従兄のうち何人かも同じ状態であったことから遺伝であろうと考えられています。晩年はほとんど見えていなかったといわれています。
8:麻酔無しで視力回復の手術に挑み失敗した
彼は晩年ライプツィヒ市で音楽監督官を務めていましたが、視力低下の影響を受け、ライプツィヒ支当局は後継者を探し始めていました。焦りを感じた彼は、藁にもすがる思いでとある医者に手術を頼みます。ところが、それはとんでもない手術でした。麻酔がないまま、目に針を刺して目の中のゴミなどを取り出すという大変荒いものでした。その3か月後に彼は失明どころか、脳卒中も引き起こしこの世を去ったのです。
9:音楽の見聞を広めるために旅をした
今とは違い、当時は旅をするのは命がけの事でした。交通手段もままならず、道中追いはぎや窃盗に合うこともしょっちゅうでした。また、各所で待ち受ける検問所も厳しく、簡単に通過できるものではありませんでした。そのような状況下でも、彼は楽器や楽譜と向き合うだけではなく、旅を通して音楽の見聞を広めようとしたのです。
10:神にささげるために曲を作り続けた
彼とよく比較されるのは、同時期に活躍していたヘンデルという作曲家です。彼はバッハ以上に名声がありました。またその死後も名をはせていました。この違いとして、ヘンデルは民衆向けを考慮した曲作りをしていたのに対し、バッハは神に捧げることを前提とした曲づくりをしていたためといわれています。
岩波文庫によって発表された本書はその生涯から、作曲方法、弟子の養成に至るまで、彼のすべてを網羅した書籍です。これまでにされてきた彼についての研究の歴史も見ることができ、入門書として最適な内容になっています。彼の人物像の研究先駆けともなりました。
- 著者
- J.N. フォルケル
- 出版日
- 1988-01-18
本書は第一人者であるヨハン・ニコラウス・フォルケルによって書かれた研究書です。その生い立ちから死後に至るまでの生涯が書かれています。また作曲家としてだけでなく、演奏家としての手腕にも着目。写真などの資料も豊富で、パラパラとページをめくるだけでも目で楽しむことができる作品です。
もうひとつ注目すべき点は、本書の著者となっているフォルケルなくして、バッハの名がいまに語り継がれることはなかったという点です。本書の原書となっているものは彼の死後50年ほどのちに書かれているのですが、当時彼は見向きもされませんでした。そこへその音楽の重要性を初めて提唱したのがフォルケル。そういった意味でも本書はバッハを知るうえで重要な役割を占めています。
本書では、聖楽という観点からバッハにクローズアップした内容になっています。プロテスタントのルター派からカトリックに至るまで聖歌音楽を作曲してきた彼の宗教観から魂に迫る1冊です。
- 著者
- 礒山 雅
- 出版日
- 2010-04-12
前衛的音楽から伝統的音楽に至るまで、様々なジャンルに挑んできたバッハ。ですがその生涯での本分は教会に仕える宮廷作曲家です。そこで彼は『主よ人の望みの喜びよ』や『マタイの受難曲』など神を通して魂に訴えかける曲を残しています。聖歌音楽かとしての一面だけに深く迫っており、彼の新しい一面に出会える書籍です。
著者の樋口隆一がバッハと出会ったのは26歳の時、ドイツに行ったときでした。東西冷戦のさなかにあって、美しいドイツの風景に著者は感動。本書にはそんな思い出に反響する姿が映しだされています。
- 著者
- 樋口 隆一
- 出版日
本書はバッハだけでなく、その前後の音楽史にまで触れています。彼の人物像に関する研究の背景にバロック音楽が流行していた時代や装飾の多い建造物が主流だった当時の風景について書かれています。青春時代を彼の音楽と過ごした著者の愛がところどころで垣間見える1冊です。
日本を代表するバッハの演奏家兼研究家である鈴木雅明が対談形式でその魅力を語った本作。これまでにその音楽を再現し続けてきた演奏家だからこそ理解できた彼の魅力にせまる1冊です。
本書は対談形式で書かれており、非常に読みやすいもの。冒頭ではバッハを愛する鈴木雅明が、彼が作曲した音楽に共通する疾走感や構成力の素晴らしさなどの魅力を余すことなく語っています。最初から全力疾走ですが、入口が大きく開かれている感じで、とても入り込みやすい出だしです。
- 著者
- ["鈴木 雅明", "加藤 浩子"]
- 出版日
- 2002-08-01
魅力を語ったあとで彼の簡単な略歴なども紹介されており、非常にわかりやすい内容。活動時期が分けられており、区切りごとのバッハ音楽の傾向まで分析されているのも興味深いですね。これらバッハの略歴を彼の曲と共に紹介する章では、作曲家として、宗教音楽家として、演奏家としてなど、色々な側面からその魅力が語られています。
バッハ音楽を再現し続けた著者だからこそ、その音楽性について知り尽くしており、時代背景や作曲の構成などの分析と解説でいっぱいです。余すところなくすべてを網羅しつつ、まったく新しいアプローチで迫る作品となっています。
本書はバッハの研究家であり演奏者として日本だけでなく世界的に高い評価を得ている鈴木雅明が初めてバッハについて書き記した1冊です。本書は彼の研究だけでなく、いかにしてその音を現代に再現するかまで書かれています。まさに彼を魂に取りこんだ鈴木雅明の自伝としても読めます。本作は辻荘一賞を受賞しました。
- 著者
- 鈴木 雅明
- 出版日
- 2004-04-01
本書には受難曲やカンタータなどを中心としたバッハ曲の解釈と解説が書かれています。それだけにとどまらず彼の残した歌詞や、彼の演奏に欠かせない古楽器の制作など、彼の音楽を現代に蘇らせる過程について事細かに書かれています。音楽のバイブルとしても価値のある1冊です。
「音楽の父」と称されたバッハは多くの時代や人々に感銘や影響を与えてきました。そんなバッハに関する研究や書籍が多数存在します。彼の魅力や歴史、音楽性に至るまですべてを知り尽くせる内容ばかりです。