初めての一般誌連載作『弟の夫』で文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞し、「知る人ぞ知る」存在から一躍有名漫画家となった田亀源五郎。今回は、これから田亀作品を読む人のためのおすすめ作品をご紹介します。
田亀源五郎は1964年生まれの、口の周りに蓄えた豊かな髭が印象的なゲイ男性です。多摩美術大学在学中からのオープンリー・ゲイ、つまりゲイであることを公言しています。
日本では漫画家として知られていますが、自身では「ゲイ・エロティック・アーティスト」を名乗り、海外ではその肩書きでつとに有名です。パリ、ニューヨーク、ベルリンなどで個展が開かれ、フランスやスペイン、イタリアなどでは単行本が翻訳出版されています。美術館や画廊の企画展に招聘(しょうへい)されることもたびたびの、グローバルに活躍する人気アーティストです。漫画だけでなくイラストも製作しますし、小説を書くこともあります。いずれもゲイを題材に取ったエロティックなものです。
日本国内ではゲイ漫画の第一人者として、知る人ぞ知る漫画家である田亀。ゲイ雑誌やゲイ漫画を読む人で田亀を知らない人など恐らくいないでしょうし、その文化に触れることがない人でも「田亀源五郎」の名と作風だけは知っている、という人も多いようです。そんな田亀は、デビューから一貫してゲイ漫画を描き続けてきました。
ゲイ漫画というジャンルは、多分にエロ要素を含みます。田亀作品のそれは、漫画らしいデフォルメがありながらも克明で真に迫る描写が特徴であり、殊(こと)にハードなSM要素をも含むことも多々あって、その画面は衝撃的なものです。また身体が大きくて筋肉質の、いわゆる「ガチムチ」体型で体毛が濃い男性をよく描きます。それらの強い印象もあって、ゲイ文化から遠い人にも一部ではよく知られていましたし、ゲイ漫画をよく読む人たちには「漫画として読んでおもしろく、かつゲイ男性が充分に『使える』漫画」を生み出す卓抜した作家として知られているのです。
多摩美術大学を卒業後、暫くはアートディレクター、グラフィックデザイナーとして働きながら、『さぶ』などのゲイ雑誌で作品を発表していましたが、次第にゲイ関係の仕事が増えてきたこと、そして性表現こそが自身の表現の中心とすべきものだと確信したことにより、ゲイ関係以外の仕事をすべて辞めます。かくして田亀のゲイ・エロティック・アーティストとしての活動が始まったのです。
そのとき既に田亀は、すぐれた作家たちを忘却の波間に消し去ってしまうことしかできない日本のゲイ産業に絶望していて、ゲイ・メディアの内部に深く関わって改革していくことが必要だと考えるようになっていました。これは、1995年のゲイ雑誌『G-men』創刊に関わるきっかけとなります。
新雑誌創刊により、セクシュアル・エンタテインメントへの偏見を打破し、その質を向上させること、そして日本のゲイ文化を性表現蔑視の風潮に乗せて消してしまわないための活動を、目標に定めました。これが更にのちの『日本のゲイ・エロティック・アートvol.1 ゲイ雑誌創生期の作家たち』及び『日本のゲイ・エロティック・アートvol.2 ゲイのファンタジーの時代的変遷』 の編纂・出版に繋がります。これは田亀が存在しなければ残されることがなかったであろう、日本のゲイ・エロティック・アートの貴重な資料であり、有用な美術書・歴史書となり得るものなのです。
そういった活動の一方で、海外のゲイ・パレードに参加したり、他国のギャラリーに招聘(しょうへい)されてイラストレーションを出品したり、また精力的に各ゲイ雑誌に漫画を発表していくなどの活動を活発に行います。『銀の華』、『外道の家』、『PRIDE』、『君よ知るや南の獄』など次々と名作が発表され、ゲイ文化における田亀の立ち位置が明確に確立されていきました。最早右に出る者がいない「ゲイ・アートの巨匠」なのです。
しかし田亀はその位置に甘んじることなく、新しい活躍の場へと踏み出します。レディースコミックに挑戦したり、2014年には一般誌へと進出し『弟の夫』を手掛けたりするのです。現代日本でのゲイとゲイでない者の関係や、社会での爪突きやしがらみ、そういったものがやさしい絵柄と表現でわかりやすく提示される『弟の夫』は、連載開始直後から大きな話題となり、2015年の文化庁メディア芸術祭でマンガ部門優秀賞を受賞。同作の第3巻のあとがきには「そろそろゴール」と書かれてしました。近い将来どのようなゴールに到達するのかが気になるところです。
それでは、未だとどまるところを知らない田亀源五郎の活躍に迫っていきましょう。
大学生の大橋は、ハッテン場でも傍若無人に振る舞い、強い精力によって相手を乱暴に扱うセックスを日々繰り返していました。しかし柴崎教授と関わったことから、大橋の日々とセックスは激変。大橋自身が気づかぬうちに囚われていた「無意味なプライド」を打ち砕き、柴崎教授は大橋の真の姿を突きつけていきます。無意味なプライドを捨て去った代わりに、大橋が得たものとは一体何なのでしょうか。
- 著者
- 田亀 源五郎
- 出版日
『PRIDE』は1997年から2000年の間、ゲイ雑誌『G-men』に連載されていた作品で、上・中・下巻の3冊が刊行されています。
田亀源五郎が描く漫画はすべてポルノグラフィとして描かれますから、当然性描写がたびたび登場しますし、ゲイ漫画ですから男性同士のセックスが描かれます。本作はその中でも、田亀が得意とするSMを主たる題材としていますので、かなりハードな描写もあるのです。ゲイ漫画やSM描写に不慣れな人が読むには、かなり衝撃的な内容ですので、相応の覚悟をしてからお読みいただきたいと思います。
先程述べた通り、本作はSMを主たる題材としています。「SM」と言うと多くの人は、鞭で叩いたり叩かれたりを思い浮かべるのかもしれませんが、実はそれがSMという訳ではありません。一方が他方の精神や身体に苦痛を与える責めを行うのがSMだと思っている人が多いのですが、それは言ってみればSMの附録的な部分であって本体ではないのです。それが本作を読むと、よくわかるようになることでしょう。
誰に対しても態度が尊大で相手を支配し、相手には決して勝手なことはさせないという自分本位なセックスを繰り返していた主人公の大橋は、柴崎教授と関係を持ってからというもの、自分が思うセックスができなくなってしまいました。葛藤はするものの、遂には他人に頭を下げるという、これまでしたことのないことをしてまで教授とのセックスを望むようになった大橋は、とうとう教授の管理下に置かれることになります。柴崎教授を「主人」として、SMの世界で言う「調教」が始まるのです。
漫画ですから、幾分実際とは異なる誇張された描写も含まれるでしょうが、それを勘案しても実に丁寧で迫力のある描写と真に迫る表現で、主人公の大橋と柴崎教授の間に築かれていく主と従との関係性が丹念に描かれていきます。繰り返されるゲイセックスやSMプレイの描写は、そのために必要な重要なファクターとなるのです。
拘束、飲尿、異物挿入、露出、鞭打ち……。あらゆるSM要素が次々と描写されますが、ここに挙げたものなどまだまだ序の口。物語が進むに連れ、その内容はどんどんハードになっていきます。それはつまり、教授と出会うまではどんな相手とでも「主」であり続けた大橋が「従」として調教を受け、成長してハードな責めを受けられるだけの者になっていくということです。数多くの「責め」を経験して、やがて大橋は「脳髄から肉体を解放」して、M奴隷としての道を歩み始めていくのです。
数々の調教の果てに大橋は「御主人様」である柴崎教授との間に、他では得られないものを獲得します。それこそがSMの本体なのです。それはいったい何であるのか。ぜひ『PRIDE』を上・中・下巻通してお読みになって確かめてください。
第二次世界大戦終戦直後、南方の島で起こった「椿中尉の事件」について調べる若い記者が、当時の生き残りである三上を訪ねるところから始まる本作。三上は話すことはないと記者を突っぱねますが、米軍のハワード少佐が存命と知って態度を変えます。南の島の捕虜収容所で、椿中尉と三上とハワード少佐の間には何があったのでしょうか。渡米してハワードと対面した三上。そしてその重い口を開くのでした……。
- 著者
- 田亀 源五郎
- 出版日
- 2007-12-25
本作は2003年から2006年の間、ゲイ雑誌『G-men』で連載されていた長編漫画です。架空の島であるG島の捕虜収容所で、戦後間もなく起きた事件の顛末が描かれています。ゲイSMの巨匠が5年をかけて完成させた傑作です。
マラリアに罹患し高熱で苦しむ三上伍長のため、収容所の長であるハワード少佐に薬を分けてほしいと交渉に出た椿中尉は、薬を分ける代わりにその身体を要求されます。戦争が終わったとは言え大切な部下だからと三上のために、ハワードからの陵辱に耐え忍ぶ椿。三上が快癒するだけの薬をその身を以て何とか得た椿ですが、ハワードが行った辱めがもとで他の米兵たちにも強姦されてしまうのです。それも一度では終わりません。
それにも耐えているうち、自隊の兵ではないものの同じ収容所に囚われた曽根崎上等兵から、自房で体調不良の者がいるので薬をもらってほしいと頼まれます。一度は断るものの、たとえ他の部隊の者でも同胞を見捨てる訳にはいかぬと、己を犠牲に薬をもらうのでした。しかし曽根崎は、椿が米兵に跪いて口舌奉仕している場面を目撃し、椿に憧れていながら(あるいは憧れていた故に)怒りに駆られ、同房の兵たちと共に椿を輪姦してしまいます。米兵の暴行も曽根崎たちの辱めも日々繰り返されて、椿の身体はぼろぼろになっていきました。
そんなとき、収容所では再びマラリアが発生。三上のときに椿がどうやって薬を得たかを知らない日本兵たちは、また薬をもらってほしいと椿に乞います。他に方法はないと再びハワードと交渉する椿。ハワードは今度も椿の要求通り薬を分けますが、引き替えに椿が自分の性奴隷になることを要求します。そして椿中尉は同胞たちのために承知するのです。
その日からハワードは椿に日ごと性の責め苦を与え、男としての誇り、軍人としての誇りを奪おうとしますが、椿はなかなか屈することがありません。しかし強靭な精神とは裏腹に、椿の身体はハワードの責めによって快楽を得るようになっていくのです。椿を責め立てるハワードの思惑はどこにあるのか、そして椿の運命は……?
以上が『君よ知るや南の獄』という物語のアウトラインです。この物語は、哀しい兵隊たちの物語です。三上の願い、ハワードの気持ち、曽根崎の想い……。そのどれもが椿に届かず叶わないまま。椿は誇りあるが故に自らを追い詰めます。男であるがために、兵隊であるがために、将校であるがために、高潔であるがために悲劇を呼び、それは戦後49年経っても消えない傷痕となって残るのです。
本作には、これでもかと言うほどセックスシーンが出てきます。総ページ数の半分以上が性的な場面であるといっていいくらいです。それはこの作品がポルノグラフィとして描かれていることを考えれば当然のことです。エロティシズムがなければポルノグラフィではありません。
しかし、エロが入っていればポルノグラフィであるかといえば、決してそうではありません。そして田亀が紡ぐポルノグラフィは、決してエロだけではないのです。幾重にも重なる男たちの想い、交合によって引き起こされる彼等の内奥の変化や、己の真実を認めることができなかったために生んでしまった悲劇、せねばならなかった後悔、そういったものが絡み合って物語は大きくうねり、胸に迫ってきます。
時代と、閉鎖された社会と、拭いきれない悔恨と……。男たちの運命に、あなたは涙するかもしれません。ゲイ・ポルノグラフィとして間違いなく漫画史に残る傑作を、ぜひ読んでみてださいね。
逆賊を討ち、義則が助け出した兄・景虎は、生きてはいるものの、両手両足の腱は断ち切られ、歯をすべて抜かれていて、自分の身の周りのことが自分ではできない状態にされていました。兄を城主として天守に戻し、世話をする義則。「鬼の景虎」と呼ばれた男が逆賊に囚われ弟に助け出されるまでの空白の3年間に、その身に刻まれたものとは――。
表題作「天守に棲む鬼」の他、流れの板前軍次の数奇な運命を描いた「軍次」とそれに続く短編が3本と、伝説を独自解釈した物語や現代劇など4本が収められたシリアスな1冊です。
- 著者
- 田亀 源五郎
- 出版日
ボーイズラブ誌に掲載された読切作品を集めた短編集『天守に棲む鬼/軍次』。ボーイズラブというと初期は少女漫画に登場するような細く繊細な容姿の少年や青年が恋愛したり絡み合ったりしていました。しかし過渡期を過ぎてボーイズラブ愛好者の主たる構成員である女性の中にも「ガチムチマッチョ」や「オヤジ」や「熊系」が登場するものを好んで読んだり描いたりする人たちが現れ、ジャンルも幅広く多様になったのです。
その流れの中で、田亀がボーイズラブ誌に作家として登場。本来はゲイ向けのポルノグラフィを「『そこまで描くか』を敢えて描く」というモットーに従って描く田亀ですが、お得意のごつい体格に濃い体毛の男くさい男たちを主要人物に描きながらも、掲載誌の傾向を考慮してストーリーも描写も幾らかソフトな作品を提供しています。
天の三日月と重なり、男の影が鬼の姿をなす演出が幻想的で美しい表題作「天守に棲む鬼」を始めとして、それぞれ異なる雰囲気で描かれた男性同士の愛と性の6つの物語が収録された本短編集。田亀の世界にもう一歩踏み込みたい人におすすめです。
本作も先に挙げた『天守に棲む鬼/軍次』と同様、ボーイズラブ誌に掲載された作品を集めた短編集です。こちらの方が幾分ライトで、コミカルな作品も多く含まれていて、更に読みやすく仕上がっています。表題通り、立派な髭を蓄えた、発達した肉体を持つ男たちが登場する読切短編が収録されていますが、うち1本だけはゲイ雑誌に掲載されたハードな内容のものなので、ゲイ漫画に不慣れな人は読むときに注意が必要です。
- 著者
- 田亀 源五郎
- 出版日
- 2009-09-12
『髭と肉体』という、いかにも田亀作品に似つかわしい表題の本作は、ボーイズラブ誌に掲載された8本とゲイ雑誌に掲載された1本の、計9本の読切短編が収録された短編集です。3位の『天守に棲む鬼/軍次』に収録された作品とは別の雑誌に掲載されたものばかりなので、もう少し軽く読めてコミカルタッチの作品も含まれています
本作に収録された作品が掲載された雑誌は、発行ごとにテーマが決められていて、作家たちはそのテーマに沿ってそれぞれ作品を創作しています。「オヤジ受け」や「ギャップ」、「制服」など、ボーイズラブに特有のユニークなテーマが1作ごとに定められています。それだけにバラエティに富んだ内容となっているのです。田亀作品初心者のみなさんにも、よりおすすめしやすい作品です。また、各作品について作者の田亀自身が書いた解説も収められているので、それぞれの作品が描かれた経緯や裏話なども知ることができ、理解が深まると同時に作品への愛着も生まれるでしょう。
日露戦争当時の中国大陸で寂しい夜を過ごす老将小此木中将は、チャーミングなおじいちゃん。老境に至って得た連れ合いの明石少佐の不在に疼く身体を自ら慰めて……という、凡百(ぼんぴゃく)のボーイズラブ作家は描かないだろう作品「長夜莫々」など個性的な9本の短編が読める本作を、ぜひお手に取ってみてくださいね。
主人公弥一は、娘の夏菜と二人暮らし。双子の弟涼二は、10年前に海外に行ったきり音信不通でしたが、亡くなったことがわかりました。涼二が行った先はカナダで、現地の男性と同性婚していたのです。涼二と結婚したマイクという巨漢が弥一の許を訪れますが、弥一は初めて会うゲイ男性を前にどうしていいかわかりません。しかし夏菜は、マイクという叔父の存在を喜び、すぐに受け容れます。かくして、3人の生活が始まっていくのです。
- 著者
- 田亀 源五郎
- 出版日
- 2015-05-25
2014年から『月刊アクション』で連載が開始した、田亀初の一般誌連載作『弟の夫』。「ゲイ・エロティック・アーティスト」を名乗り、男性同士が絡み合うハードなポルノグラフィを意識的に描いてきた田亀が一般誌で、つまりゲイエロ要素抜きに描く作品はどのようなものなのか、多くの耳目(じもく)を集めました。
主人公の弥一はノンケ、つまりヘテロセクシュアル(異性愛者)で、いまは離婚してシングルファーザー。かつては女性と結婚していて、娘の夏菜が生まれました。弟の涼二がゲイだということは知っていて、それを受け容れていたつもりでしたが、実は偏見の塊です。マイクが自宅を訪れて弥一の姿を見た途端に、亡くした夫の双子の兄である弥一が夫にあまりにそっくりなために思わずハグしてしまったときには、口に出さないまでも「放せホモ!」と嫌悪感を明らさまにしていました。
一方、弥一の娘夏菜は、突如現れた外国人の巨漢が自分の叔父であることを喜び、すぐに懐き、男性同士で結婚できる国があるのに日本ではできないことを「こっちで良くてあっちでダメなんて、そんなの変」と、実にフラットな視点で言うのです。
夏菜は小学生で、世の中の常識がまだすべて身についている年令ではありません。それはつまり、世の中が共有している偏見をまだ身につけてはいないということでもあるのでしょう。偏見や差別心は「世の中の常識」という多少偏った思想から、教育されて身についていくものなのだということが、夏菜のマイクに対する素直な態度から理解することができます。
弥一の考えと夏菜の言動との対比、そして素朴なマイクの人柄によって、弥一は少しずつ自分の偏見を改め、マイクを受け容れていきます。この弥一が見せる偏見は、実は日本人の多くが持つ典型的とも言える偏見で、弥一はもしかしたら無知が故にゲイを理解しない日本人の代表なのかもしれません。その無知や偏見が改まっていく過程は、おそらく読者のそれとシンクロしていくはずです。
ですから本作は、まだ同性愛・同性愛者を理解できていないノンケの人にこそ、読んでもらいたい作品です。弥一の立場に立ってマイクと接し、夏菜の言葉を聞いていく過程で、弥一と同様に自らの頑なな心が溶けていく経験ができるでしょう。
マイクは身体が大きくて髭を生やしていて体毛が濃いという、田亀が好んで描くタイプの男性で、本作では時々マイクの入浴シーンが出てきます。これに戸惑う読者は割合に多いようです。ノンケ男性などは嫌悪感を覚えるかもしれません。
しかしこの嫌悪感は、ノンケ(異性愛者)男性ではない人が、いわゆる「サービスカット」として出てくる女性のヌードを見たときの気持ちなのです。当たり前に享受していたものが、実は当たり前でもないのではないか……ということに気付くことができる、多少アイロニカルな、その一方でゲイ男性にとっては素直にサービスとして受け取れる場面といえます。このような、立場によって捉え方が随分変わってしまう――他の立場から見るとどうなのだろうと考えを及ばせることができる場面が、作中には散りばめられています。
ゲイ雑誌で見られる田亀作品の題材、描線、表現、ストーリー……。そういったものの「濃さ」は、随分と薄められてマイルドになっていますので、まったく田亀作品に触れたことがない人にもすぐに馴染んでもらえる作品といえるでしょう。むしろそういった人にこそ読んでもらいたい本作。ぜひ書店で手に取ってみてくださいね。
『弟の夫』については<『弟の夫』が第4巻で完結!LGBT漫画の傑作が問いかける「愛のかたち」>でより詳しく紹介しています。気になる方はぜひご覧ください。
田亀源五郎をまったくご存知なかった人も、これまで敬遠してきた人も、雑誌でよく読んでいたけれど単行本は未読という人も、どなたも記事に挙げた単行本を手に取って、その卓越した筆致、計算された構成、しっかり練り込まれたストーリー、そしてそれらが構築する鑑賞し応えがあるアーティスティックな世界をご堪能ください。