日本が世界に誇るゲイ・エロティック・アーティスト、田亀源五郎がはじめて一般紙に連載した漫画『弟の夫』の最終巻、第4巻がとうとう発売されました。主人公・弥一のもとに弟の夫がやってきてからお別れする日までに何があったのか、つぶさに見てみましょう。
- 著者
- 田亀 源五郎
- 出版日
- 2015-05-25
2018年3月にNHK BSプレミアムで実写ドラマ化される『弟の夫』。
タイトルにあるように、同性婚やゲイ(男性同性愛者)というセクシュアリティについて取り上げた作品です。作者である田亀源五郎がゲイ当事者であることもあって、連載開始当初はその部分ばかりがセンセーショナルに取り上げられましたが、実はこの作品はそればかりを語るものではありませんでした。
差別にさらされることがない人には分かりづらい、日常に潜む差別の存在や、多くの人が考える「普通」と「普通」から外れた人が受ける扱い、多様性とそれを受け容れることの必要性、他人と違うことは間違いではないということ……そういったことが、日常がゆっくりと描かれる中に、決して説教がましくないかたちで溶け込んでいます。
愛のかたち、家族のかたち、自分とは異なるものを受容するということ、それらをやわらかく問う『弟の夫』の世界を、考察していきます。
出典:『弟の夫』4巻
主人公・折口弥一は2年ほど前に妻と離婚し、現在は自分の手だけで娘の夏菜を育てています。家族には両親と双子の弟・涼二がいましたが、両親は高校生の頃に事故で亡くなり、弟は10年前に家を出てしまって、残っているのは弥一だけです。涼二は、家を出た後カナダに渡り、そこで結婚したのちに亡くなりました。
そして、カナダから涼二の結婚相手が弥一のもとを訪れます。マイクという髭面の巨漢です。涼二はゲイ(男性同性愛者)で、同性婚が可能なカナダでマイクと結婚していたのでした。弥一の弟は何らかの理由で亡くなり、それを機に「弟の夫」が涼二の故郷にやってきたのです。
はじめて顔を合わせたとき、マイクは自分の夫と弥一があまりに似ているので思わず弥一を抱き締めてしまいます。はじめて会う異国の巨漢に突然抱きつかれては驚くのは当然ですが、弥一は内心に怒鳴りつけてしまいます。
出典:『弟の夫』1巻
「てめ…このやろ…何だ! 放せホモ!」(『弟の夫』1巻から引用)
明らさまに口には出さないまでも、マイクという人格を見ることなく「ホモ」という侮蔑する言葉で嫌悪感を吐き出してしまっています。このときの弥一にとって、マイクは弟の家族でも自分の縁者でもなく、それどころか一人の人でさえなかったのです。
弟と男性同士で結婚した外国人の大男。それは弥一から見て「得体の知れないもの」であったのでしょう。扱いに困った弥一は当初、言葉を交わすことさえままなりませんでした。しかし娘の夏菜は、自分の父に弟がいたことをはじめて知ったと同時に、男性同士での結婚が可能であるということも知りました。「そんなことできるの?!」と驚き、「日本じゃできないけどよその国ではできることもある」という弥一の説明に疑問を呈します。
「こっちでよくてあっちでダメなんて、そんなの変!」(『弟の夫』1巻から引用)
夏菜には同性婚や同性愛への偏見がありません。マイクという髭の大男が父と同じ顔をした父の弟と結婚していたと聞いても、驚きはありましたが戸惑いはなく、嫌悪感もありません。一方、弥一は自分では偏見も差別心もないつもりでいたのかもしれませんが、実は偏見の塊です。そしてこれは、弥一という作中人物でありながら現実にいる多くの日本人の姿でもあるのです。
マイクが住むカナダでは天ぷらが寿司になっているという料理があると聞いて、弥一はこのようにひとりごちます。
「男同士で結婚するなんてことが、俺にとっては寿司のテンプラみたいなもんだ。今はまだ、味も喰い方も判らない」
「やっぱり……スシのテンプラなんて、ロクでもない味がしそうな気がする」
(以上『弟の夫』1巻から引用)
このような、決して幸せとは言えない出会いからですが、父と、娘と、父の弟の夫との、不思議な同居生活がはじまりました。
夏菜はマイクを「叔父さん」としてすぐに受けいれてしまい、とてもよく懐きました。学校の友達にも話し、離婚ののち別居している母、つまり弥一の元妻である夏樹と会ったときにもマイクの話をたくさんします。学校から帰ればすぐにマイクを探すほど、マイクのことが大好きです。弥一は、マイクを嫌ったり憎んだりしている訳ではないものの、歩み寄れずにいます。それは、「よく分からない」からです。
弥一はゲイというものを、そして実は弟・涼二のことも、よく知りはしなかったのです。マイクとのふれ合いの中でそのことに気づき、自分の中にある偏見にも気づいていきます。転機の一つは、夏菜のマイクへの質問とマイクの答えでした。
「マイクとリョージさん、どっちが旦那さんでどっちが奥さんだったの?」
「奥さんいません。どっちもハズバンド」
「奥さん女の人でしょ? ダンナサン男の人でしょ? 私とリョージ、どっちも男の人でしょ?」
「だから私のハズバンドはリョージ、リョージのハズバンドは私」
(以上『弟の夫』1巻から引用)
弥一自身もマイクと涼二の夫々(男性同士で結婚したカップルをこのように呼びます)はどちらが夫でどちらが妻なのかということを、無意識のうちに考えていました。そしてこれはどちらが男役でどちらが女役なのか――つまりセックスのときの役割はどうなのか、ということを意味しています。
男女の夫婦が相手なら、他人のセックスのときの役割分担など考えもしないだろうに、マイクと涼二のことになると考えてしまったのは、結婚やカップルを「男女のものである」と信じてしまっていて、彼等をこの図式に強引に当てはめてしまっていたからだ。そのことに気づいたとき、弥一はもう一つのことにも気づくのです。
出典:『弟の夫』1巻
「俺…何も判っていなかったんだな…」(『弟の夫』1巻から引用)
「自分は何も判っていない」、これに気づくことが「理解」というものへの出発点です。ここから弥一とマイクとの距離は近づいていきます。近所の人にマイクのことを訊ねられて「弟の夫です」とは言えずに「弟の『友人』です」と答えてしまうという、自分でも納得できないことをしてしまいながらも、夏菜が一足跳びに入り込んだ「互いに寄り添える距離」まで、弥一もゆっくりと進みはじめるのです。
自分の中の差別や偏見に気づくと、周囲のそれにも気づけるようになります。同性愛者だけにとどまらず、一人親の家庭、離婚した人、タトゥーを入れた人。「常識」や「普通」の名の下に爪弾きにされてしまう存在は決して少なくありません。自分が、そして家族が、それらの当事者となる可能性は誰にもあります。弥一が夢で夏菜がガールフレンドを連れてきて同性婚をすることになる未来を見たように。
元妻の夏樹と夏菜と、マイクとともに温泉旅行に行ったときには、弥一はマイクと同じ風呂に入り、同じ部屋で眠りました。抱きつかれて口に出さないまでも「放せホモ!」と罵倒した相手と一緒に、何ら意識することなく同じ湯船に浸かるまでに、弥一の偏見は解けたのです。そして間柄や関係に明確な名がつけられなくても、弥一と、夏樹と、夏菜と、マイクは、もはや「家族」と呼び得るものとなったのでした。
その後、夏菜にマイクとの交流があることを見咎めた夏菜の担任教諭と弥一は対峙することになります。担任・横山は、夏菜が学校で同性婚の話をしていたことを望ましくないことと咎めます。「そういう話は小学生には早い」と。弥一はこれに異を感じます。その上、「お宅は余所のご家庭とは少し事情が違うから心配だ」などと言われ、憤ります。
しかしそれを抑えて、冷静に、反駁するのです。
「うちはひとり親だからといって、特に余所のご家庭と比べて心配をかけるようなことはありませんので」
「もしあの子に変わった所があっても、私はそれを、他人と違うからという理由でやめさせたくはありません」
「そして先生の仰る、うちに滞在している外国人というのは、私の弟の配偶者であの子の叔父です」
「あの子が友だちに大好きな叔父の話をするのを止める理由は私には何もありません!」
(以上『弟の夫』4巻から引用)
マイクと出会って間もない頃には言えなかった、マイクは「弟の夫(配偶者)」であるということを、堂々と言える弥一が、そこにはいました。その経験をしてはじめて、弥一はマイクが持参した「弥一が知らない」涼二の写真を見ることができるようになったのです。
マイクが持参した、マイクと結婚してともに生きた涼二は、弥一が見たこともないほどに楽しそうな、いい表情をしていました。そして見たマイクと涼二の結婚式の写真――弥一は実に自然に「素敵な式だね」と言いました。おそらくマイクが来宅した日の「男同士で結婚できるなんてのが変なんだよ!」と内心に言っていた弥一なら、決して言えなかった言葉です。明らかに、弥一は変わったのです。それはマイクのことを、涼二のことを、ゲイというセクシュアリティの存在を、以前よりも理解したということでもありましょう。
ここでマイクから告白がありました。涼二は結婚式の日に、兄と向き合ってこなかったことを悔いていて、いつかマイクと一緒に日本に行って、弥一に「これが俺の結婚相手だ」と紹介する、そのように言っていた。だから日本に来たのだと。弥一と家族になるために来たのだと。弥一は答えます。すでに家族だ、と。
日本に来た目的を果たしたマイクは、間もなく帰国のしたくをします。マイクが家を後にしようとするそのとき、弥一が呼び止めて、言うのです。
「さよならのハグ…していいかな?」(『弟の夫』4巻から引用)
玄関で、弥一はマイクと抱き合います。幾日か前に抱きつかれて内心に悪罵を投げつけたその相手と、はじめて会ったその場所で、自ら望んで抱き合ったのです。
マイクが弥一の家に来てから帰国するまでの期間は、丁度3週間です。たった3週間のうちに、弥一のものの見方捉え方は随分変わりました。誰を好きになるかは人によってさまざまで、異性を好きになる人もいれば同性を好きになる人もいます。家族のかたちもさまざまで、父と母と子がいる家庭もあれば、父と子の家庭もあり、母と子の家庭もあり、父と父と子の家庭や母と母と子の家庭もあるでしょう。さまざまな人、さまざまなかたちがあって、それが許容される多様性というものを認めることができる可能性を、弥一は手に入れたのです。
家族である夏菜にさえ伝えることがなかった「弟がいた」という事実を、弥一はマイクによってようやく受容できたのかもしれません。涼二という弟がいたこと、彼がマイクとともにカナダで生きたのだということを、マイクと過ごした日々の記憶とともに、弥一はきっと忘れないでしょう。
出典:『弟の夫』3巻
本作は、マイクが弥一のもとを訪れてから去りゆくまでの短い期間をゆったりと丁寧に描いた作品です。その短い期間にも幾人かの人々が登場します。その人たちの人となりを見てみましょう。
出典:『弟の夫』4巻
ドラマ版では佐藤隆太が演じる本作の主人公。離婚して約2年になるシングルファーザーで、両親が遺したアパートの管理をしながら娘の夏菜を育てています。高校生の頃に事故で両親を亡くし、弟の涼二も10年前に家を出てしまい、カナダへと渡りました。涼二はカナダで亡くなってしまい、現在は夏菜と親一人子一人の生活をしています。
両親を亡くして間もない頃、涼二からゲイだとカミングアウトを受けましたが、どう反応していいか判らず「ヘエ、そうなんだ」と受け流してしまい、それ以降は何となくその話題を避けて過ごしました。よく話し合うこともできないまま涼二とは離ればなれになってしまいます。
それはゲイというものについて、よく知ることも考えることもしてこなかったということであり、その産物としてゲイへの偏見が弥一の中に生まれました。それが涼二の夫であるマイクをはじめて迎えたときのぎこちない応接態度となって表れます。特に偏見などないつもりでいながら、実は偏見に満ちていたのです。
しかしマイクの態度や人柄、夏菜のマイクに対する、そしてゲイに対するものごとの捉え方や言動に触れ、自らも考えるということをするうちに、持ち続けてきた偏見を手離し、むしろゲイの側に寄り添った考え方ができるようになっていきます。こうした部分を見ると、決して頑迷ではなく、他者の意見や立場を受け容れることができる柔軟性を持ち合わせていることが分かります。
妻の夏樹とは離婚したものの、現在も関係が続いており、互いの行き来があります。夏菜を含めた三人で一緒に撮った写真を自宅に飾っているくらいですから、関係は良好です。結婚前はうまくいっていたし、いまも決して憎み合っている訳ではありません。「でも……結婚は上手くいかなかったんだ」(『弟の夫』2巻から引用)と弥一はマイクに話しています。
作中ではたびたび就寝前や入浴時に考えごとをしたりそれまで考えたことをまとめたりしています。多くのことに対して誰かと討論するよりも一人でじっくり考える方がまとまりやすいタイプなのでしょう。そういった一人の時間が必要で、夏樹とも適当な距離を置いた方がよい関係を保つことができるのかもしれません。
感情のたかぶりや悪感情を感じても直ぐには表に出すことなく、その場に当たり障りのない対応ができる、抑制が効くタイプですが、これはよくも悪くも「日本人的」です。しかし、一旦飲み込んで落ち着いて、整理してから冷静に論じることができるのは長所と言えるでしょう。
単行本第4巻第24話「肉団子鍋」で夏菜の担任教諭・横山と相対して、夏菜が学校でマイクや同性婚の話をすることをよくないと言われ、父子家庭であることで不信を呈されたときには、頭の中で横山に罵声を浴びせたものの、一旦呼吸を整えて、その後、理路整然と自らの考えを述べています。
自宅の掃除や洗濯、炊事などを毎日こなし、仕事の帳面つけをこまめにしている様子から、几帳面な性格であることが窺えます。夏菜が学校へ行く朝は夏菜の髪をとかして結うという仕事もこなします。
「カナチャンのために毎日ゴハンつくって、ソウジしてセンタクして、それ立派なお仕事でしょ?」(『弟の夫』1巻から引用)
マイクがこのように言う通り、弥一は毎日立派な仕事を立派にこなす立派なパパです。夏菜が活発に遊びまわり、たくさんのものに興味を持ち、自由な発想で発言することができる子供に育っているのは、弥一がパパ業をきちんとこなしている証しでもありましょう。
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出典:『弟の夫』4巻
ドラマ版では根本真陽が演じる弥一の娘で、小学3年生。肩より少し長い髪を左右でおさげに結った活発な少女です。弥一と二人暮らしですが、少し以前から弥一と一緒の入浴を嫌がるようになってきたそうです。
明朗快活、好奇心旺盛、素直、いい意味で常識を持っていません。世の中にある、根拠が何処にあるのか分からない常識を、まだ知る前です。だからそのようなものに囚われることもなく、新奇なものに接することができます。マイクとはじめて対面したときも人怖じももの怖じもすることなく「外国人の巨漢」で「父の弟の夫」であるマイクと接し、すぐに懐きました。
マイクと父の弟が同性同士で結婚したことについても、「日本ではできないがよその国ではできることもある」と聞いて、「変なの」と単純ながら中庸に立った感想を述べています。異性同士の結婚が普通で当然だというようなことは一切言いません。それは夏菜にとっては「常識」ではなく、異性同士の結婚があるなら未知ながら同性同士の結婚もあり得るというのが、夏菜の常識の範囲なのかもしれません。
出会ったその日からマイクを好きになり、マイクがもたらした「新しい視点」をどんどん受けいれ、吸収していきます。日本にはない同性同士の結婚をはじめとして、これまで知らされていなかった父の弟という存在も、外国人の叔父の存在も、大切な人や大好きな人にする挨拶「ハグ」も、「さようなら」ではなく「また会いましょう」という別れの挨拶「see you again」も、常識という目隠しや思い込みという遮蔽物に邪魔されることなく、夏菜はスムーズに受けいれました。
ものごとへの素直さ、思考の柔軟性は弥一に示唆を与えることもしばしばで、夏菜がいなければ、もしかしたら弥一はマイクを受けいれることができなかったかもしれません。
離婚した母・夏樹が別居していることをやはり子供らしく寂しく感じており、しかしそれを弥一には隠しています。だからと言って夏樹との同居や両親の復縁を求めて駄々をこねるようなこともなく、その点はすでに子供ではないと考えられます。まったくの子供ではないけれど、大人では決してないという微妙な年頃です。成長の過渡期であるその年頃に出会ったマイクという存在は、夏菜の成長に大きく影響したことでしょう。
出典:『弟の夫』1巻
ドラマ版では元大関の把瑠都が演じる涼二の夫でカナダ人。カナダでともに暮らしていた涼二を亡くし、彼が望んでいたことを実現するために日本にやって来ました。涼二の実家である弥一の家を訪れ、そのまま滞在することになります。弥一が涼二とあまりによく似ていたため、顔を見た途端に思わず抱きついてしまい、弥一にかなり警戒されてしまいました。
涼二に「日本オタク」とからかわれるほど日本文化が好きで、畳や布団に憧れていたと言います。日本好きの上に夫に日本人を得た影響からか、日本語を上手に喋ります。ところどころ文法に適わない部分や、まだ知らない文化や単語に戸惑う場面はありますが、日常会話はおおむね支障がありません。日本の食べものにも馴染んでいて、「牛野屋」の牛丼を気に入っています。
人当たりがよく穏やかな性格で、夏菜のような子供とも上手にコミュニケーションを取ります。来日してからは夏菜がほぼずっとくっついていましたが、それがストレスにならない程度には子供好きのようです。
大柄な上にスポーツジムでのウエイトトレーニングが習慣となっているらしく、全身の筋肉が大きく発達しています。加えて体毛が濃く髭も豊かで、ゲイ男性の間で人気がある「熊系」と呼ばれるタイプの容姿です。この系統のゲイ男性は好んでウエイトトレーニングをして筋肉を大きく育てる傾向があり、マイクもそのタイプなのかもしれません。
マイクが日本に、弥一のもとにやってきたのは、涼二との約束を果たすためでした。涼二はカミングアウトの後にできた弥一との距離を確かに感じながら、それに対して何をすることもないまま、実家を出てしまいました。マイクとの結婚式の夜、もっと兄と向き合うべきだったと悔いて、「いつか二人で日本に行って、自分の家族として兄に紹介する」と涼二は約束します。しかし、涼二は亡くなってしまいました。
だから一人で来たのだと、マイクは弥一に言いました。来日して2週間が過ぎた頃です。その頃には弥一は他人に対して堂々と「マイクは弟の夫だ」ということを言えるようになっていました。だから弥一も「もう家族だ」と答えます。約束は果たされたのです。これをもって、マイクは帰国することになります。
帰国の際、弥一との別れ際に弥一から「ハグしてもいいか」と申し出があり、それを受けいれました。娘の夏菜に言われても照れてできなかったハグを、弥一が自ら言い出したのです。マイクにとって、おそらく最もうれしいハグだったのではないでしょうか。
出典:『弟の夫』4巻
弥一の双子の弟。夏菜の叔父に当たりますが、夏菜にはなぜか存在を知らされていませんでした。10年前に実家を出てカナダへ渡り、現地でマイクと知り合って結婚したのち、亡くなってしまいました。亡くなった理由は作中では明らかにされていません。
高校生のときに両親を事故で亡くし、その後間もなくの頃に兄の弥一にゲイであることをカミングアウトしています。弥一は「ヘエ、そうなんだ」と答えたのみでその後はこの話題を避ける素振りを見せていたらしく、拒まれはしなかったけれども受けいれられもしなかったという状況だったようです。
その状況が涼二には居心地がよくなかったのか、あるいは弥一の結婚が機となったのか、10年前に兄と住んでいた家を出ました。カナダへ渡ったのも、同性婚が法律で認められている等、ゲイが多くの人に受けいれられ認められている国だったからかもしれません。
マイクと知り合ったのは出会い系アプリを通してということが、第2巻第9話「帰る」の一場面で分かります。ゲイのためのコミュニケーションアプリというものが現実世界にも何種類か存在しますから、おそらくそういうもので知り合ったかと考えられます。そういったアプリはだいたい「好みのタイプ」を設定してマッチングするという機能があるものなので、それを通してマイクと出会ったということは、涼二はもともと熊系の男性が好みのタイプだったのだと推測できます。
出典:『弟の夫』3巻
ドラマ版では中村ゆりが演じる弥一の元妻で夏菜の母親。2年前に離婚して現在は独身です。姓氏は旧姓に戻ったのか折口のままなのかは不明です。太めの眉とそれを見せるぱっつん前髪と後ろで一つに括ったロングヘアがチャームポイントの女性です。
元夫を「弥一くん」と呼び、離婚してはいますが良好な関係が続いています。時折、弥一と夏菜の家を訪れている様子が窺えます。弥一が言うには、結婚前はうまくいっていたが、結婚してからは些細なことで言い争いになって、夏菜にも心配させたことがあったようです。離婚して、改めて結婚前のように間柄となったのでしょう。この様子を見ると、愛し合う者たちに「結婚」は必ずしも必要なものではないのかもしれない、と考えることもできます。
弥一は夏菜が生まれたときに夏樹と一緒に撮った写真をずっと飾っていますが、夏樹も弥一のことを、一緒に出掛けた散歩の途中で「どっかで休憩していこうか」と誘うほどに憎からず思っています。「夫と妻」としてはうまくいかなかった二人ですが、「パートナー」としてはよい関係を築けているようです。
出典:『弟の夫』2巻
夏菜の友達のトモくん(小川知哉・後述)のお兄さんです。ゲイであることを悩み、夏菜の家に同性婚をした叔父さんが来ていると弟から聞いて、マイクを訊ねてきました。誰にも言えない苦悩があり、自分と同じゲイがいると知って頼ってきたのです。
自分でも自らのセクシュアリティについて情報を探しましたが、その中でゲイはひどく蔑まれることを知り、隠さなければならないと嘘を重ねたりしているうちにつらくなってきたのだと、一哉は告白しました。マイクと話すことで、幾らか楽になったようです。
ゲイはどこにも普遍的に存在して、しかしゲイだというだけで理由なく他者からの攻撃を受けることがあり、それゆえに孤立しがちであるという現実を体現する人物です。
出典:『弟の夫』4巻
二人とも夏菜の同級生で、よく一緒に遊ぶ友達です。夏菜からはトモくん・ユキちゃんと呼ばれています。
知哉は前述の小川一哉の弟で、いつも結姫に馬鹿にされがちです。そのたびに結姫に向かって「ブスユキ」と暴言を吐きますが、意に介されてはいないようです。容姿は一哉とよく似ています。
結姫はしっかり者のおませさんです。「愛し合う者が結婚できるのは素敵なこと」と同性婚を肯定する意見を述べますが、親は意見を異にしているようです。ときどき知哉を低く見ることがあって「バカねー」などと言ってしまい、ブス呼ばわりで反撃されていますが、こたえている様子はなさそうです。
出典:『弟の夫』3巻
弥一・涼二兄弟の高校時代の同級生で、通称「カトやん」。学生時代から姓氏と通称で呼ばれていたらしく、下の名については作中では触れられていません。学生時代に涼二から借りたものを返したいと言って、弥一の家を訪れました。
涼二を「涼くん」と呼び、本やCDを貸し借りするくらいに涼二とは仲がよかったのですが、ただの友達ではなく、実は加藤もゲイで、その分、より親密であったと考えられます。また、学生時代から涼二に片想いしていたと、弥一には内緒でマイクと会ったときに打ち明けています。
一切隠すことなく生活しているマイクとは対照的に、ゲイであることを伏せて生活しています。ゲイであることをオープンにしているマイクと会うのも弥一には内緒だし、普段の生活エリアから離れた場所でした。このような隠しごとが隠しごとを生むのが嫌でカミングアウトしたのだとマイクは言っていますが、加藤のように隠すことで何とか生き延びているゲイが日本にはたくさんいるのが実状です。
出典:『弟の夫』2巻
この物語には現実世界の幾つかの問題が取り上げられています。タトゥーに対する認識、一人親の家庭に対する思い込み、家族のあるべきとされる姿など、いずれも真摯に考えなければならない課題です。しかし、やはり物語の核となる問題は、ゲイとそうでない者との間にある溝でしょう。ゲイの側から飛び越えて向こう側へ渡ろうといくらがんばっても、向こう側にいる者からそれを拒まれてしまう溝です。
『弟の夫』はこれを、ゲイではない者・非当事者である弥一を主人公に据えて、ゲイ当事者が置かれている現状や直面している問題について、弥一の経験を通して読者にも同じ視点・同じ気づきが得られるように構成されています。
そもそも弥一は男性同士で愛し合うこと、結婚することを異常なことだと捉えていました。だからこそ第1巻第1話「黒船がやってきた!」でマイクが思わず抱きついてしまったときに、声に出さないまでも悪罵を投げかけてしまったのです。この場面だけでも、現在の日本人の多くがゲイに対して犯している過ちがたくさん含まれています。
抱きつかれた弥一が内心ながら思わず吐いた言葉は「放せ、ホモ!」でした。まず「ホモ」という言葉が蔑称であることを、おそらく弥一は知りません。知っていながらこの言葉を使ったのであれば、マイクという人物に対して初対面だというのに大変な悪感情を持っていることになります。「思わず言ってしまった」というレベルの話には収まりません。
また、マイクをそのように呼んだ弥一ですが、この発言には「ホモ(ゲイ)は自分より下等なものである」という意識が表れていると捉えることができます。そうでなければ悪感情を抱いたときにとっさに相手の呼称として使うことはないはずです。「この野郎」ではなく「このホモ」と言ってしまうところに、ゲイは「野郎」と蔑まれる「人」ですらない、という意識すら感じ取れます。
そして、ゲイに対して異常なまでの警戒心を抱いています。ゲイもそうでない人も、同じ人間です。マイクのような大柄な男性に突然抱きつかれたらびっくりしてしまうのは当たり前かもしれませんが、それ以上の動揺を弥一は見せています。ゲイのことを「望まない性的接触をしてくるもの」と捉えているかのようにも感じられます。それはもちろん大きな誤解であり弥一の思い込みであり、ゲイをよく分かっていない人にありがちな間違いです。
「知らない」ということ。よく知りもしないのに(あるいはよく知らないから)、蔑む対象として認識しているということ。ゲイと言えば常に男性に対して性的な意識を向けていると思い込んでいるということ。多くのゲイでない人たちが犯している過ち――偏見などないと言いながら無意識に抱いている偏見とその表出が、この場面には端的に表現されています。
第2巻第11話「悪い人」ではユキちゃんの母親の不審な態度に、弥一は考え込みます。
「それはとても酷いことだと思う。同性愛者だというだけで、まるで性犯罪者か何かのように子供から遠ざけるべきだと思う人がいるとしたら」
「性的なことだから子供を遠ざける? それも変だ」
「人はセックスをする。俺と夏樹…ユキちゃんのパパとママだって」
「なのに相手が同性だとそれだけで性的な存在で子供に有害?」
「それって、変だ」
(以上『弟の夫』2巻から引用)
マイクと初めて会った日から6日後に弥一が辿りついた疑問は、実際の多くの同性愛者がそうでない人たちに対して思っていることです。罪を犯した訳でも危害を加える訳でもなく、「同性愛者だというだけで」忌避しなければならないものとして扱われるということは、物語の中だけではありません。現実の中では弥一のようにこのおかしさに気づく人も稀れで、多くのゲイ当事者はそのために自らの同性愛者であるというアイデンティティを伏せなければならない境遇にあります。
同じく第2巻第13話「ホットチョコレート」には、自分がゲイであることに悩む小川一哉少年が登場します。周りの人と違うことに不安を覚え、自分と同じ人が周りから攻撃を受けている姿に怯え、攻撃されないように隠すことを覚え、今度は隠しきれずにばれてしまうことに怯えなければなりません。ばれないように嘘を重ね、それがつらくなって自分の未来に迷っても相談できる相手がありません。この一哉の苦悩は、自分がゲイであることを自覚したばかりのゲイ男性の、典型例と言っていいでしょう。
同巻第14話「ラーメン」でマイクが言っています。マイクは15歳のときに両親にカミングアウトをしました。両親はリベラルだけれど、それでもカミングアウトは不安でとても勇気が必要だった、と。
「ゲイだというだけで、学校でいじめられる子供、家を追い出される子供、そういうことあります」
「日本にもそういうことありますか?」
「え? いや、あんまり聞いたことないけど…どう…なんだろう…」
「リョージも言ってました。日本、あんまりそういう差別、聞かないと」
「そう……だったらいいね…」
(『弟の夫』2巻から引用)
ゲイ当事者の視点から、マイクは経験を話します。そして自分の例だけではなく、ゲイが受ける差別の実際を語り、弥一に日本のゲイがおかれている状況を訊ねます。「どうなんだろう」「そうだったらいいね」と頼りなく弥一は答えます。弥一は、知らないのです。日本のゲイがおかれている状況が実際にはどのようなものなのかを。だから「だったらいいね」と希望を述べるしかないのです。
宝塚大学看護学部の日高庸晴教授の調査(※)によると、性的マイノリティの65.9%が生きづらさのために自殺を考えたことがあり、うち実際に自殺を図った人は14%、学校生活でいじめを受けた経験がある人の割合は58.2%でした。弥一は、マイクが言う差別が、差別が生むこのような事実が、日本にもあるという実状を知りません。知らないことは「ない」のではない、ということを、知る必要があるでしょう。
弥一の近くに涼二以外にも一哉がいたように、ゲイは(ゲイだけではなくほかの性的マイノリティももちろん)誰の身近にも存在します。第2巻第14話のおしまいで弥一が夢にガールフレンドを連れてくる夏菜を見たように、自分の家族がそうである可能性も、今は気づいていないけれど自分がそうである可能性だってあるのです。多くの人が思ってしまっているように「自分には関係がないこと」では決してないことを、覚えておきたいところです。
第3巻第19話「焼き菓子詰め合わせ」では弥一と涼二の同級生、加藤が弥一の家を訪れます。加藤は非当事者の体で弥一と会いますが、実はゲイ当事者です。しかし、それを伏せて生活しています。弥一は彼にマイクを「涼二の夫」であると紹介しようと気を張りますが、「涼くんの…アレ…でしょ?」とぼやかされてしまい、もやもやしてしまいます。
そのこと、即ち涼二がゲイであり、男性と結婚したのだという事実に触れないという配慮。弥一はそれを感じます。しかし、思うのです。
「その話題に触れない配慮。誰への? 何のための?」
「その配慮を、マイクも涼二も喜ぶだろうか…」
(『弟の夫』3巻から引用)
触れない配慮。それは、触れてはいけない、触れるべきではないと考えているがゆえのことでしょう。なぜそのように考えるのでしょうか。ゲイであることは、明らかにすべきでないのでしょうか。隠しておかねばならないような恥ずかしいことなのでしょうか。誇れることならどんどん口に出すでしょう。その逆であることであるゆえの配慮であるなら、当事者は、マイクや涼二は、決してうれしくはないに違いありません。
弥一とは非当事者として会った加藤ですが、その翌日、第3巻第20話「ナイショ」ではゲイ当事者としてマイクと会って食事をします。弥一の家でもなく、普段の生活エリアから離れた場所を選んで、弥一には内緒で会ったのです。そのことをマイクは訝しむのですが、誰にもカミングアウトをする気はない加藤は「そんなことわざわざ…人に言うようなことだと思ってないし」と言います。
「でも…わざわざ隠すようなことなんですね」
「こういう隠しごとが隠しごとを生むこと、それが嫌でカミングアウトしたのに」
(『弟の夫』第3巻から引用)
マイクは口には出さずに、胸の中で呟きます。ゲイであることを蔑まれる場面が多々ある日本では、加藤のように考えて伏せている当事者も少なくはないようです。カミングアウトをする・しないはもちろん当人の自由なのですが、明らかにして誇ることでアイデンティティを確かなものにしたマイクから見ると、幾らか寂寞(せきばく)を感じてしまうようです。
ゲイであることで誰にも攻撃されることも蔑まれることもない場所でなら、あるいは加藤も「人に言うようなことではない」というようなことを考えずに済んだのかもしれません。どんなセクシュアリティの人もそれを誇って生きられる世界が望まれます。
第1巻の弥一とマイクが出会った場面は非当事者と当事者、第2巻のユキちゃんの母の態度に葛藤する弥一の場面では非当事者と非当事者、同巻の一哉がマイクを訪れる場面は非当事者と当事者の両方が当事者と出会います。第3巻の加藤が弥一を訪れる場面では非当事者を装った当事者と非当事者、同巻の加藤とマイクの食事の場面は当事者と当事者という構図で、ゲイというものを巡ってそれぞれの事情と想いが展開されています。このように幾つもの異なった視点を通してひとつの課題を問うことで、『弟の夫』という作品は読者に静かに問題を提起しているのです。
※参考資料:「LGBT当事者の意識調査」(2016)日高庸晴
http://www.health-issue.jp/reach_online2016_report.pdf
出典:『弟の夫』1巻
『弟の夫』の単行本には連載時にはなかったお楽しみがあります。ゲイの世界について、物語本編にプラスしてもう少し知ることができる「マイクのゲイカルチャー講座」のページは第1巻~第3巻に、全部で8回掲載されています。この単行本だけの企画についても見てみましょう。
「マイクのゲイカルチャー講座」は各回、異なったテーマが語られています。第1回~第8回の各テーマは次の通りです。
①同性婚
②ピンク・トライアングル
③レインボー・フラッグ
④その他のプライド・フラッグ
⑤カミングアウト
⑥プライド・パレード
⑦ゲイ・プライド
⑧アウティング
「同性婚」は『弟の夫』という作品の中心となる話題ですから、まず取り上げなければならないトピックでしょう。法律上、同性婚が可能な国や婚姻はできなくともパートナーシップ法で婚姻に準じた権利等が保証される国が、世界にはたくさんあるのだということが示されています。同性婚については2014年4月現在で「フィンランドのように近年中に合法化を予定している国もあり」と書かれていますが、これが掲載されている第1巻が発売されて間もなく、フィンランドでは合法化が決定しました。
これらはそれぞれセクシュアリティのシンボルのお話です。ピンク・トライアングルはゲイの迫害の歴史と権利や誇りを示すものです。複数の色が同じ場所にあって混じり合わず、かといって反発し合うこともなく調和するレインボーは多様性の象徴です。そのほか、自らのセクシュアリティを明らかにして自分が何者であるのか、アイデンティティを表明するプライド・フラッグがいろいろありますというお話もありました。プライド・フラッグは性的マイノリティの当事者でも全部覚えている人はいないのではないか、というくらい種類が実にたくさんあります。
「カミングアウト」は「アウティング」と対になるお話です。これらの言葉も、いわれなき迫害の歴史が生んだものと言えます。迫害から逃れるためにクローゼットに隠れなければならない者がいること、しかし怖れず恥じず社会に出て行くという行動に「coming out of the closet」(『カミングアウト』はこれが短縮されたもの)と名がついているということ、「カミングアウト」という言葉は決して単なる「告白」を表すものではないということが、⑤では述べられています。
カミングアウトにはアウティングの危険が伴います。ゲイやその他の性的マイノリティの当事者がなかなかカミングアウトできずにいるのは、周囲からの迫害が怖ろしいということもありますが、「この人にだけは」と思ってカミングアウトをしたのに、その人から知らない人にまで広くカミングアウトの内容が伝わってしまうのではないか、という危険性もあってのことです。
本文でマイクが述べている通り、知り得た誰かのセクシュアリティについての内容を、本人の承諾なく勝手に他者に伝えてしまうことをアウティングと言います。アウティングはときに人の生命を奪ったり一生を左右することもある行為であることを、決して忘れてはいけません。「あの人、ゲイらしいよ?」などという噂話も、御法度です。
「プライド・パレード」、「ゲイ・プライド」、どちらも「プライド」という言葉が含まれています。「ゲイカルチャー講座」を通してお読み頂くと、ほかの項目にもこの言葉が出てくることがお分かりかと思います。「プライド」はゲイやほかの性的マイノリティの歴史や文化を語る上で、外せないトピックです。「プライド」には幾つかの訳語がありますが、ゲイその他性的マイノリティに関わる「プライド」で最も適切な訳語は「自尊心」という言葉ではないでしょうか。
上で述べられている通り、1969年の「ストーンウォールの反乱」以降、世界各国で行われているプライド・パレードですが、日本でも東京をはじめ、大阪、名古屋、札幌や青森など数箇所で行われています。「己れを恥じるな、自尊心を失うな」と唱え、権利を掲げるパレードが世界中で行われているということは、ゲイその他のセクシュアリティを「恥ずべきもの」と差別し、当事者の自尊心を失わせ、権利を奪う社会が世界中に存在しているということです。日本にも、それはあります。
『弟の夫』本編と合わせてこの「ゲイカルチャー講座」を読むことによって、ゲイではない人、ゲイ文化に馴染みがない人にも、ゲイ及びその周辺の文化及び歴史等のできごとについて、その一端を知ることができると思います。これをきっかけに少しでも興味を持てたなら、ゲイ及び性的マイノリティの方へと少し歩み寄ってみてはいかがでしょうか。
たとえば、プライド・パレードは性的マイノリティではない人を拒むことはありません。最寄りで開催されるパレードを見物に行ってみるのもいいでしょう。プライド・フラッグを画像検索してみるのもおもしろいかもしれません。『弟の夫』という物語は第4巻でおしまいですが、マイクが教えてくれたことのその先を知ることは、みなさんの手でできます。知ることで、『弟の夫』はもっとおもしろくなるかもしれません。
- 著者
- 田亀 源五郎
- 出版日
- 2017-07-12
いくつもの問題を提起し、いくつかの家族の姿、人のあり方を提案した『弟の夫』。作中で過ぎた時間は短く、巻数も少ない物語ですが、中身は濃密です。読むことで得られる気づきや考えなければならない課題は、たくさんありました。この物語を通して、多くの人がそれぞれに考える機会を持ってくださることを願います。
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