教養

アインシュタインを知る5冊!平和を訴えた天才科学者の名言

更新:2017.3.11 作成:2017.3.11

アインシュタインといえば、相対性理論を提唱したことで現代物理学の父と呼ばれている物理学者です。舌を出した写真が有名ですが、実際にはどのような人物だったのかはあまり知られていません。ここでは彼の人となりを知るための5冊をご紹介いたします。

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天才物理学者アインシュタインとは?

アルベルト・アインシュタインは、1879年3月14日にドイツで生まれました。5歳くらいまであまり言葉を話さなかったといわれており、理解することはできますが自分で話す、表現することが苦手だったようです。幼い時に父にもらった方位磁石で自然の成り立ちを学び、6歳の頃に習い始めたヴァイオリンの影響か、音楽好きとして成長しました。

5歳より公立学校へ。卒業後8歳でギムナジウム(8年生の学校)に通いますが、軍事主義的な校風に馴染めなかったようです。しかし、この頃にピタゴラスの定理や天文学に触れ、物理学に関心を示すようになります。

1895年にスイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験します。しかし数学と物理の最高得点を獲得したものの、失敗。スイスのアーラウにあるギムナジウムに通うことを条件に、翌年の入学資格を得ます。ギムナジウムでは自由な校風に加え、視覚に訴える教育を受けたことにより、生まれ持った能力を開花させていきます。

1896年にギムナジウムを卒業後、チューリッヒ連邦工科大学へ入学。自由な校風は肌に合いましたが、自分の好きなことにだけ集中して研究を行っていたため、成績は偏っていており、構内で爆発騒ぎを起こしたり、教師に反抗的な態度をとったりと、なかなかの問題児だったようです。

1902年に友人の伝手もあり、スイスの特許庁に審査官として就職。好きな物理学に触れる中、1905年に3つの論文を書き上げます。「特殊相対性理論」は大学に受け入れられず、かわりに提出した「分子の大きさの新しい決定法」が受理されます。後に「ブラウン運動の理論」となる論文と、「光量視仮説」も含めた3つの論文が提出されたこの年を「奇跡の年」とし、後世では広く知られることとなりました。

1909年に特許庁を辞職し、チューリッヒ大学の助教授に。1910年にはプラハ大学の教授に就任します。1916年に一般相対性理論を発表。戦争や自身の病気などの問題を抱えながらも研究に邁進し続けます。1921年よりエルサレムに設立する大学の資金調達のため、アメリカ、イギリスを訪問。1922年には日本を訪問し、大正天皇に謁見しました。

1921年に日本へ向かう船の中でノーベル物理学賞受賞の知らせを受けます。「相対性理論」ではなく、「光量効果の発見」の功績による受賞となりました。その後も世界各地を周遊しましたが、時代はナチスがドイツの政権を獲得。ユダヤ人であるアインシュタインは、その後ドイツへ戻ることはありませんでした。

1935年にアメリカ国籍を得て移住。1945年、広島と長崎へ原爆が投下されると強い衝撃を受けます。その後は虐殺事件やテロ行為を批判する声明を発表するなど、平和活動にも従事。核兵器の廃絶を訴え、科学の平和的利用を訴え続けます。1955年に76歳で死去。病院に必要な道具をそろえ、研究しようとする熱意を持ったままの人生の幕引きでした。

天才物理学者アインシュタインの逸話6選

1:発達障害だったと言われている

5歳頃までの彼は、ほとんど口を利かない無口な子供だったと伝えられています。まれに話すことがあっても声を発する前に、必ず口の中でモゴモゴと小声で呟いたり、予め頭の中で話ストーリーを整理したり、使う言葉を選んだりしてから話し始めるという独特の癖があったようです。

そんな仕草を訝った両親や周囲の人たちは、この子は「自閉症では?」とか「知恵遅れでは?」などと心配したそうです。因みに、幼少期に口を利かない症状が顕れることを沈黙期と呼ばれていますが、時としてアインシュタイン症候群と呼ばれることもあります。

2:モーツァルトを生涯愛し続けた

彼は、6歳頃にヴァイオリンを習い始めていますが、すぐにモーツァルトの楽曲が気に入って生涯に渡って親しんだといわれています。物理学者としての名声を築いてからも、旅に出る時は必ずといっていいほどヴァイオリンを携帯したといわれていて、彼の人生にとって音楽は一番の癒しの源泉だと語っていたそうです。

ちなみに、彼は1955年4月18日に76歳で生涯を閉じていますが、彼が亡くなった8ヶ月後に偲んで開催されたコンサートにおいて演奏された楽曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲第26番などでした。

3:止む事なき不倫症だった

彼がチューリッヒ連邦工科大学に入学したのは、1896年のことでした。実は、後年になって彼が残した手紙から、1902年大学の学友だったミレーヴァ・マリッチとの間に私生児を設けたことが明かされています。この私生児(女児:リーゼル・マリッチ)は、生まれて間もなく養子に出されましたが、直ぐに病気で亡くなりました。

ちなみに、その翌年の1903年にミレーヴァと結婚しましたが、諍いが絶えることなく1919年に離婚しています。しかし、その僅か4ヶ月後、彼は従妹のエルザ・ローウェンタールと再婚しています。

さらに、エルザと再婚した当時には、既に6人の女性と付き合っていたことが明らかになっているのです。ただ、それだけでは収まらず、彼の日記にはそれら以外にも、贈り物をしていた複数名の女性らしきイニシャルが記されています。その上、アメリカに移住した際に帯同したヘレン・デュカスという私設秘書は、妻のエルザが亡くなった以降は事実上妻の役割を果たし、病床で彼の死を看取ったとされています。

4:長男とは深い確執があった

彼がミレーヴァと離婚した直後から、長男ハンスとの諍いが激しくなっていきました。その原因は、父に対する嫌悪感だったといわれています。具体的には、父親の不倫関係の所為で母を捨ててしまったこと、ハンスの結婚相手(フリーダ・クネヒト)の容貌について人前を憚ることなく侮辱すること等にまつわるものでした。

そんな諍いにも関わらず、ハンスはフリーダとの結婚を実現させますが、それでもアインシュタインはハンスに対して、離婚が難しくなるから「子どもだけはつくるな!」と言いつけたそうです。その後、ハンスはアメリカに渡りカリフォルニア大学バークレー校の教授としての職を得ました。その際、当然のことながら父親の威光を一切頼ることなく、実力でその地位を掴み取った訳ですが、ハンスに分け与えられた遺産は微々たるものだったそうです。

5:ルーズベルト大統領に手紙で原爆製造の直訴をした

彼はアメリカに移住し1935年に永住権、1940年に国籍を取得しています。その当時、ナチス・ドイツの急速な台頭を恐れたユダヤ系の物理学者の友人が、しきりにアインシュタインを訪ね、ルーズベルト大統領に書簡を出すように助言していました。その書簡の内容を要約すると、ナチスが原爆の開発を急いているとの情報があるので、アメリカも原爆の開発を着手すべきというものです。

彼は迷いに迷った挙句、友人が認めた書簡に署名し大統領に送付しました。その後、ルーズベルトの下でマンハッタン計画が開始され、広島と長崎に原爆が投下され第2次世界大戦が終結しました。ただ、ルーズベルトがマンハッタン計画の推進を決断した1番の理由は、アインシュタインの進言ではなく「旧日本軍の真珠湾攻撃が後押しとなった」ことが戦後になって検証されています。

6:行方不明になったブレイン

彼の遺言書に、「脳に触れずそのまま火葬を希望する」と記されていました。しかし、家族の許可もなしに彼が亡くなった翌朝には遺体から脳が切り取られ、事もあろうに40年間にわたり研究試料として使われ続けたそうです。

彼の脳を切り出した張本人は、プリンストン大学のトーマス・ハーベイという病理学者でしたが、家に持ち帰った脳を返還するように通告を受けたが拒否したため、大学を追放されたということです。ただ、後にアインシュタインの長男ハンスから脳の研究許可を得たハーベイは、世界中の科学者に脳のスライスを提供したそうです。

アインシュタインが呟いた、独り言のような言葉

アインシュタインの功績を顧みると、一般人が抱く第一印象は、天才という言葉になるでしょう。しかし、彼も人であり、研究に邁進するだけでなく、家族や友人たちと供に暮らした日常があるのです。

天才と評価された物理学者としてではなく、人間としてのアインシュタインを感じることができるのが本書です。あえてタイトルを名言ではなく言葉とすることで、より身近なところに彼を感じることができます。
著者
出版日
1997-03-31
たとえば、自身の提唱した相対性理論について。

「熱いストーブに1分間手を載せてみてください。まるで1時間ぐらいに感じられるでしょう。ところが、かわいい女の子といっしょに1時間座っていても、1分間ぐらいにしか感じられません。それが、相対性というものです」

と解説しています。わからないことを揶揄するのではなく、ユーモアたっぷりな言葉に、天才という肩書ではなく、お茶目な人だな、と認識を改めてしまいます。

他にも自身の思っている言葉を発することを苦手としていた時期があるせいか、自分らしくあること、他人の目を気にしないことといった、誰もが思い悩み、足を止めてしまうような悩みについても、光を指す言葉を示しています。文章量は多くないため、より強く言葉の力を感じることができる本作。一度読んでしまった後でも、不意にページを捲った先にある言葉に力をもらうことができる、日常の支えになるような1冊です。

本当のアインシュタインに触れられる1冊

20万部のベストセラーとなり、好評を博した前作『アインシュタイン150の言葉』の第2弾として発売された本書。前作同様、天才科学者としてではない彼の言葉が散りばめられていますが、特に戦争と平和、結婚などより広い事柄についての言葉が集められました。
著者
アルバート アインシュタイン
出版日
2006-03-31
彼は第一次世界大戦以降、戦争に反対する意見を多く述べてきました。それは科学が人の命を奪う兵器となることに憤りを感じていたからにほかなりません。しかし、第二次世界大戦時には、アメリカ大統領ルーズヴェルトに対し、原子力が武器になりうることを示す手紙に署名。そのこと深く後悔したであろうことが、平和を訴える言葉の端々から伝わってきます。

戦争や平和に対する言葉以外にも、科学、心の在り方や結婚生活に至るまで、様々な言葉が登場します。これはどういった状況で発せられた言葉なのだろう、と想像をかきたてられますが、アインシュタインという人物を調べるごとに言葉に深みや重みが増していくのを感じます。

シンプルな作りで、心にすっと言葉が馴染む本作。読むのにそう時間はかかりませんので、読書が苦手という方にもおすすめです。

アインシュタインによる、人の心の核心を突く言葉

人は知らない人のことでも、なんとなく話ができてしまうものです。特に芸能人など、直接の知人ではない人のことは、何かと口にしたり、耳にしたりするもの。有名税のようなものという考え方もありますが、噂の的と待っている本人は、やはり気分が良いものではないのでしょう。

本書は、アインシュタインの言葉を集めた本です。彼は権威や常識にとらわれず、臆することもなく、自身が思うままの言葉を口にし続けました。それは身勝手な独りよがりではなく、熟考の末に放たれたものなのです。
著者
アン ルーニー
出版日
2009-05-27
自身が研究していた科学分野の内容では、より専門的な言葉が登場。彼が生きた時代に大規模な戦争が起こっていたこともあり、戦時下の科学者の役割、心の持ち方についても言及しています。科学の持っている力を知っているからこそ、科学者は倫理的であらねばならない——アインシュタインの確固たる信念がうかがえます。

「私についての厚かましい嘘やまったくの作り話はすでに山ほど発表されてきたので、いちいち気にしていたら、とっくに墓場行きでした。手厳しい世間の噂もほとんどが時間というふるいにかけられ、やがて忘却の海に流れ込むのがせめてもの救いです」
(本書より引用)

彼は、今や全世界の人々に知られた科学者です。自身を揶揄するような発言には、ユーモアで返し続けました。決して偉ぶることなく、ただひたすらに己の信じる道を突き進んだ人のまっすぐな言葉と生き様には胸が躍ることでしょう。

科学があれば、幸せなのか?

後悔は人の足を止め、忸怩(じくじ)たる思いを抱かせます。彼は原子力に関する研究が兵器として流用できると書かれた書簡に署名をしたことを深く後悔していました。戦争後の人生は、彼なりのやり方で世界平和に尽力しています。

『科学者と世界平和』には、そんな彼がソ連の科学者たちと交わした書簡をまとめた「科学者と世界平和」と、ミクロの世界の理論を書く「物理学と実在」が収録されています。特に戦後は世界連邦創設にむかって尽力したこともあり、科学が世界平和のためにどうあるべきなのかについて深く論じています。
著者
アルバート アインシュタイン
出版日
彼は、科学技術の発達が人間の安全を脅かしていると提唱します。たしかに科学が発達することによって、人の命を一瞬にして奪ってしまう兵器が多く開発されました。科学は扱う人によって、良い方にも悪い方にも傾きいてしまうのでしょう。本作では科学に対する無条件の信頼に警鐘を鳴らし、世界が平和であるために科学はどうあるべきなのかが述べらていきます。

科学を愛し、研究しているからこそ、その脅威を知っていたアインシュタイン。彼が訴え続けた世界平和はまだ実現されてはおらず、その中心には科学が発達し発明された武器があります。人の利益にもなる科学ではありますが本来望まれた形での発展ではなかったのではないか、科学者たちが何を思って科学と向き合い、兵器となった姿を目の当たりにしたのか……。その心を、想像せずにはいられません。

アインシュタイン×フロイト!知の巨人が語る戦争

1932年、国際連盟がアインシュタインに対し、一番意見を聞きたい相手と、彼自身が文明にとって最も大切だと思うテーマで往復書簡を交わすというプロジェクトを提案しました。彼はこの依頼に応じ、ジークムント・フロイトを指名します。なおフロイトとは、オーストリアの精神科医で、精神分析学の創始者として知られている人物です。

アインシュタインとフロイトが、戦争をテーマに交わした書簡をまとめたものが本書『ひとはなぜ戦争をするのか』です。ビッグネームが並ぶと、難しい単語の羅列があるのかと身構えてしまいますが、基本的には手紙のやり取りとなっています。互いの質問や回答、疑問などに対して専門的な用語での回答はありますが、わかりやすい言葉で語られています。
著者
["アルバート アインシュタイン", "ジグムント フロイト"]
出版日
2016-06-11
ふたりは実際の国を例に挙げての議論ではなく、あくまでも戦争が発生してしまう状況での人の心のメカニズムといった、自身の専門分野に関連する形で意見を交わしています。人の心に問題があるのでは、とするアインシュタインに対し、平和への手段としての戦争はやむをえないと一見肯定的な意見を見せるフロイト。知の巨人たる両者の静かながら熱の入ったやり取りが展開されます。

本作の解説を脳科学や解剖学を専門としている養老孟司と、精神科医の斎藤環が担当している点もポイントです。アインシュタインとフロイトの書簡の補足をするだけでなく、その理論に至った経緯なども詳しく紹介されています。なぜ人は戦争をするのか——。争いの絶えない世界で示される、人が戦争をすることに対するひとつの答えがここにあります。

彼は相対性理論などで有名ですが、世界平和に尽力しユーモアにあふれた人物でもありました。稀代の科学者がどのように考え、生きたのか——。その人となりを知ることで、彼や世界への見方が少し変わるかもしれませんね。