北条氏康は、武田、上杉などと戦い、勇敢で政治力にも優れていた武将です。関東を治めた北条氏の興亡、氏康の戦いぶり、民衆に慕われた政治の様子がよくわかる本を4冊集めましたので、ぜひご覧ください。
1:堅実家・北条氏康の名言
義や民を大切にすること、身分に胡座をかかず、また必要以上に謙遜しないこと、倹約に勤めることなどを書き記した「北条家5ヶ条」を、4代目当主北条氏政に伝える際「義を守って滅亡するのと、義を捨ててまで生き延びるのとでは雲泥の差もある」という格言を残したと言われています。
2:「酒を飲むなら朝にしろ」と勧めた
氏康は家臣に教訓として、酒を飲むなら「朝に飲むように」と言いました。 朝酒を飲むと1日の始まりから勢いが付くと考え、また多くても3杯までとします。夜に飲めば深酒し体調を崩しやすく、また失敗に繋がりやすい事から「酒は朝飲み大酒ではなく3杯まで」と家訓を残しています。
この事から見えてくるのは氏康自身の「酒による失敗談」です。酒が原因で夜襲を掛けられた話しがあり、また酒が原因となる家中騒動を懸念していました。それにより「酒」が原因で失敗したものには厳しい処置がくだされ、ある者は俸禄や北条家がみずから処罰すると逸話もあります。
3:「向こう傷」に自身の名前がついた武将
氏康の顔には「氏康の向こう傷」と称される2ヶ所の向こう傷があったとされています。 向こう傷は、勇猛果敢に戦い、真っ向から勝負し敵に一度も背中を見せた事が無い証拠です。逆に解釈すれば、正面突撃をされても挟撃はされていない猛将の他に策士の一面を垣間みる事が出来ます。
4:ピンチをチャンスに変える男
北条家三代目当主として家督を次いだ氏康の周りは敵ばかり、四面楚歌の状態です。主に敵対関係は駿河侵攻の際、今川家から領地を奪って怒らせますが、今川家の重臣で太原雪斎の仲介で、氏康の娘・早川殿を今川義元嫡男の今川氏真に嫁がせ、北条氏康の嫡男の氏綱に武田信玄の娘を正室に迎える事で1537年、甲・相・駿の三国同盟が締結されます。
5:大阪城に並ぶ城塞・小田原城
築城・改築の末に城塞までに拡張された小田原城。本丸まで到達するのには直線距離で3km〜4kmとされており、大阪城に肩を並べるほどの城塞でした。城周辺には武家屋敷や田畑があり、城郭都市とまではいきませんが、城塞都市だったため籠城戦になれば強固な城塞へと変貌します。
6:戦国の軍神をも破る籠城
領土拡大を繰り返す北条氏康に対して時の関東管領・上杉憲政は、越後・長尾景虎に助けを求めます。関東管領の威厳を取り戻すべく北条氏康を討伐するため、1560年出陣し約8000人の兵士を連れて小田原城を包囲しました。
北条に敵対する勢力は次々と呼応し、翌年1561年には約9万人前後までふくれあがりましたが、次第に撤退する陣営も出てきます。主な理由は「永禄の飢饉」で、兵糧が底を尽き無断で一部陣を引き払った勢力もありました。
7:小田原衆所領役帳の作成
当時、お金の概念や家臣の知行(給料)はいくら?税収はどのくらい?田畑の面積に対して穀物の穫れ高はいくら?などの情報が一目でわかるような帳簿の作成をしており、武器や弾薬なのどの在庫調整表や人事表など、小田原の内政事情を把握していたといいます。
8:蹴鞠や和歌が趣味だった
乱世の時代は裏切り、殺戮などが日常茶飯事に行われていました。その中で、和歌などの趣味をもっていた氏康は、「詠十五首和歌」などを詠みました。
北条家は民のための政治を行っていたことが分かっています。戦国の世で、そのような理想を持って実行するということは素晴らしいことです。そして甲斐の武田や越後の上杉と戦い、退けるような武力も持っていた北条。本書からは、何事にもパーフェクトであった北条家の姿が浮かび上がります。
- 著者
- 伊東 潤
- 出版日
- 2016-11-09
北条氏康が関東の覇者としての地位を確立したのは河越夜戦での勝利に寄ります。そして、その勝利には綱成の存在が大きく関係していました。8万の大軍を迎え撃つ綱成は3千。氏康はどんな思いで救いに向かったのでしょうか。二人が築いてきた歴史を思い、胸が熱くなります。氷龍と呼ばれた氏康と焔虎と呼ばれた綱成。龍虎が共に戦うシーンは、結果を知っていてもドキドキハラハラしてしまうことでしょう。
- 著者
- 海道 龍一朗
- 出版日
- 2013-09-13
北条氏康の凄さが、この本からはしっかりと伝わってきます。特に注目すべきはやはり河越夜戦でしょう。綱成という勇敢、勇猛な人物を有していたことは氏康にとって大きな財産でした。綱成は8万の敵に対して、3千の軍で7か月も籠城するのです。そして氏康と綱成はともに夜戦へ打って出て、勝利を得ます。家臣を大切にする氏康軍は、兵の士気も高く負け知らずでした。
- 著者
- 相川 司
- 出版日
- 2009-11-20
北条家の人々はみんな個性派揃い。本書では、個性的というには飛び抜けすぎているその性格を紹介しています。北条好きの人ならば、そうそうと頷くページも多いでしょうし、北条についてあまり知らない人ならば、へえ、そんな人がいたんだと楽しく驚きながら読むことができるはずです。氏康は背中に傷がないことを自慢していたそうです。
- 著者
- ["みかめ ゆきよみ", "西股 総生"]
- 出版日
- 2016-12-17
いかがでしたか?北条家の歴史は知れば知るほど面白く、興味深い人物も多いですよね。その中でも氏康は武力にも政治力にも優れていたのです。ぜひ関東の戦国時代について、知識を増やしてみてください。