働くことは「希望」かそれとも「絶望」か。 マンガで読み解く現代労働論!

働くことは「希望」かそれとも「絶望」か。 マンガで読み解く現代労働論!

更新:2021.12.5

私の専門である社会運動の中でも、労働をめぐる問題提起は中心的な活動の一つだと言えますし、ほかの分野とも密接に関わらざるを得ない行為でしょう。というわけで今回は、とりわけ現代的な視点から「労働」をテーマに漫画を紹介しようと思います。

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今日も一日、お仕事お疲れ様でした。このページを開いていただいてありがとうございます……とはいっても「お仕事」もばらばらですし、「一日」していたのか「お仕事」がなんなのかによって「お疲れ」が精神的なものなのか、それとも肉体的なものなのかも違うでしょう。それでも「お仕事」という共通言語として通じる、「労働」は私たちの生活の核をなすとても興味深い営為です。

私の専門である社会運動の中でも、労働をめぐる問題提起は中心的な活動の一つだと言えますし、ほかの分野とも密接に関わらざるを得ない行為でしょう。というわけで今回は、とりわけ現代的な視点から「労働」をテーマに漫画を紹介しようと思います。

人々は、労働のうちどの部分に「やりがい」を感じるのか

著者
森高 夕次 アダチ ケイジ
出版日
2011-05-23
スポーツ漫画は、基本的には個性的なキャラクターの「すごいプレイ」や、監督が繰り出す「すごい戦略」を描くものであり、プレイヤーたちが努力して新たな技能を身につけ、苦労を乗り越えてチームワークを強くする過程に面白さがあるものです。しかし、読者がその魅力を理解するためには、スポーツのルールを共有していなければなりません。『グラゼニ』はこうしたセオリーから少し距離を取っていて、読者が野球のルールをあまり把握していなくてもかなり面白く読める点に独自の魅力があります。

主人公の凡田夏之介はプロ野球チーム(連載が進むにつれて所属チームも変わりますが)の投手であり、間違いなくプロ野球選手で本漫画の主人公なのですが、良いプレイをすることや野球選手としての技能を磨くことよりも、自らの報酬や評価を第一に考えて仕事をしています。漫画では、試合中の様子と同じくらい、球場に行くための交通手段や住むマンションといった、凡田と周囲の選手の私生活について書かれています。主人公の造形からも、焦点が当てられている部分からも、この『グラゼニ』がいかに従来の野球・スポーツ漫画と異なるのかがわかるはずです。

従来のスポーツ漫画の主人公が、スポーツそのものの魅力や、みずからの技能を磨くことに惹きつけられて仕事をする「内在的報酬志向」の持ち主であるならば、凡田はスポーツ漫画としては希な「外在的報酬志向」を持つ人物だと言えるでしょう。外在的報酬志向を持つ人物は、仕事の内容そのものではなく、それに付随するもの(昇進や賃金など)を重視する人々と定義されます。

とくにスポーツ選手やアーティスト(研究者もでしょうか)といった、特殊な技能を用いて仕事を行う人々の場合、内在的報酬志向であることが暗黙のうちに求められており、金銭やキャリアをあまりに求めすぎる、外在的報酬志向であることは望ましく見られない傾向があります。しかし、凡田は「内在的報酬志向」すぎないからこそ命運を分ける場面で活躍できている、また周囲から重宝されているといえるのかもしれません。

無視される「仕事」――不安定な時代に生きる若者の姿

著者
久保 ミツロウ
出版日
2009-03-23
29歳の男性・藤本幸世にやってきた一世一代の「モテキ」を描く恋愛ドラマです。読んだことのある方は「なぜこれが労働漫画?」と思われるでしょうが、幸世の生き方はある意味で2000年代の日本社会と労働を如実に現していると言えます。

幸世は九州出身、東京で働く派遣社員(どういった業務内容かは不明)です。職場で千葉出身の27歳女性・土井亜紀と出会いますが、彼女も出会った時点では派遣社員。ほかのヒロインも登場するのですが、照明助手の中柴いつか以外はあまり業務内容が判然としません。話題も多くは恋愛、あるいは音楽や漫画といった趣味の話が中心で、仕事の話をしている形跡もありません。

ただ、ある意味でこれが、20代の労働の「リアル」と言えなくもないでしょう。29歳の幸世は、非正規雇用という不安定な立場にもかかわらず、将来に対してはあまり具体的な計画があるようには見えず、漠然とした不安しか持っていません(あったとしても「親孝行しなければならない」「派遣切られたら次どうしよう」レベルのもの)し、労働を通じて自己実現しようという意識は驚く程ありません。職場を通じた人間関係も亜紀くらいしかなく、九州からわざわざ上京したにもかかわらず、親友「島田」やモテ男「墨さん」といった限定的な人間関係の中でサブカルチャーを消費しています。実家に帰り、「やりたいようにしろ」と親に言われて選んだことは、音楽フェスに行って亜紀ともう一度出会うことでした。映画版は同様に27歳の幸世と女の子たちの関係を描いているにもかかわらず、「好きなことを仕事にする」という王道パターンを達成し、労働を通じて異常なまでに自己実現を試みていたあたり、かなりドラスティックな変更がなされていると言えます。

幸世の生活と人間関係における驚く程の「労働」の不在は、ある意味でいかに人々の労働が個人化し、多様化したか、そしてそれまで前提とされていた労働を通じてライフコースを考え、人間関係を築くことがいかに難しくなったかを反映しています。彼が漠然とした未来しか描けず、身近な人間関係にしか生きられないことそれ自体が、生まれた時から「不安定な時代」であった世代の悲哀を示しているのではないでしょうか。

彼女たちが存在意義に悩めば悩むほど、「女性の社会進出」は遠くなる

著者
相原 実貴
出版日
2010-06-25
『モテキ』のように、本来ならば働き盛りと考えられる年齢にもかかわらず主人公の労働を描かない漫画が増える中、正社員を主人公としたビジネスマン漫画も根強い人気があります。1990年代は『島耕作』や『サラリーマン金太郎』シリーズに代表される男性向けの漫画が人気でしたが、2000年代後半はその動きがちょうど女性主人公の「バリキャリ」(死語ですか?)漫画にシフトしてきた感があります。男性ビジネスマン漫画の目指すところが「出世、人脈、やりがい、女、カタルシス」であれば、女性主人公の目指すところは何なのでしょうか?それを考えたとき、私たちは女性特有の労働問題に気づきます。

ドラマ化もされている『5時から9時まで』は、それを教えてくれる最新で最適の教科書です。主人公・桜庭潤子は、銀座の英会話スクールに勤める27歳。海外ドラマの影響で、ニューヨークで仕事をしたいという夢を持つ女性です。潤子の生活は、恋愛を除けば「楽しい仕事」と「夢に向かった努力」で満ちています。お見合い話はかなり強引に進められていますが、その割に出産や育児といった話はあまり聞こえてきません。潤子は主任にも気に入られているので、どうやら出世も問題なくでき、海外赴任のお声もかかっているようです。

これは、『いつかティファニーで朝食を』や『リメイク』、やや古くは『働きマン』『Real Clothes』といった漫画にも共通して見られる特徴でしょう。こうしたバリキャリ漫画の主人公は、やりたいことのために仕事を選び、女を売りにする可愛い年下の同僚に悩まされ、たまに来る友人の結婚式の招待状で結婚を意識しますが、結構すぐ忘れます。異業種の彼氏と付き合っていることが多いですが、ストーリーの途中で別れ、わりと高スペックな近くの男性とくっつきます。さらに重要なのは、彼女たちがまれに「この仕事は自分がしなくてもいいのではないか」「自分はここまで頑張らなくてもいいのではないか」という「無力感」に苛まれ、何かの事件をきっかけに「でも頑張る」という決意を新たにすることです。

彼女たちにとって仕事は、生活のために「やらなければいけないもの」ではありません。降りようと思えばいつでも降りられるが、「やりたいこと」(自己実現)だから降りたくないというだけ。基本的には、「やらなくてもいい」ものであることに変わりはないのです。彼女たちの労働とそれをめぐる苦悩は、ほかでもない彼女たちが、自身のキャリアを「いつかは途絶えるもの」であり、自分たちが「いつかは労働市場から脱落する存在」であることを内面化して行動しているからではないでしょうか。では、脱落したあと、彼女たちはどうするのでしょうか?

家事労働がもたらす、母として・妻としての強い自覚

著者
小田 ゆうあ
出版日
2011-09-15
パートをしつつも子育てに励む40代の主人公・上条夏と、その夫の同僚である30代の派遣社員兼劇団俳優・佐伯龍が織り成す、不器用でプラトニックな「不倫」恋愛漫画です。夏は、娘・優美香をして「おかーさんっておかーさんのプロだよね」と言わしめるほどの家事の達人であり、その丹念な仕事ぶりからも、家族のことを心から愛しているのが伝わってきます。しかし、家事労働の常か、夫・義行には感謝もされず、何をしても「ゼンゼンスルー」される日々を送っています。

そんな夏の「子どものこと 自分以外のことで頭いっぱい」な様子は、若い独身女性に囲まれて生きる龍の心を捉えて離しません。夏にとって彼は、自分の努力を「みててくれる人」であり、二人は「倫ならぬ恋」に落ちます。母としての自分と女としての自分の間で引き裂かれる葛藤が繊細な筆致で描かれる、大人の恋愛ドラマです。

大切だけれど、いつのまにか空気のように当たり前の存在になっていて、言葉を交わすこともなくなった夫。日々の用事に追われてあっという間に過ぎてしまう、子供たちとの慌ただしい日々。そんな日常の中に現れた、若くて美しい、自分のことを見てくれる男――と、ややもするとありがちな筋書きのように感じられますが、この漫画を読むと、「家事」という労働が様々な要素と結びついていることがわかります。

夫の職場が提供する社宅に住む夏は、家事労働を一手に引き受けつつもスーパーマーケットでのパート労働に勤しんでいますが、主要な稼ぎ手はやはり夫です。上条家は、「夫が養い、妻が守る」という典型的な性別役割分業と、フルタイム労働の夫とパートタイム労働の妻という、現代社会において主流となっている稼得モデルを体現しています。

家事労働を中心としている夏が、ほかの漫画の主人公たちのように「労働」していると感じられる人は決して多くないかもしれません。社会学では、家事が生産活動の維持に不可欠だが無報酬である「シャドウ・ワーク」として論じられてきました。しかし一方で、自分のことを「しがない主婦」と語る夏にとって、家事は愛する家族を守る唯一無二の営為です。さらに彼女は、子どもの上靴の掃除や夫の送り迎えといった行為を通じ、自分自身が子の母親であり、夫の妻であるという「役割」について、そしてその役割が自分の人生を作ってきたのだというアイデンティティを強く認識しています。こうした点でも、家事が決して取るに足りない行為とは言えないことがわかるでしょう。

夏は、みずからの役割を全うして夫・義行を選ぶのか、それとも何もかも捨てて隣人・龍の元に向かうのか…。気になるあなたは、ぜひご自身の目で確認してみてください。

劇的に変化する時代、私たちの希望はどこに向かうのか

著者
村上 かつら
出版日
2010-04-28
中学卒業後、すぐに大阪の油あげ工場へと就職した福井出身の女の子・かよちゃんと、同じ工場でバイトをする高校生・那子ちゃんの友情を描きながら、ふたりの精神的成長を描く作品です。経済的格差や文化的な背景が10代のアイデンティティに及ぼす影響を、村上かつら特有のやさしい残酷さで「これでもか」というほど鋭く描き上げています。

2010年代、新規学卒で就職した者の人数は60-80万人と言われていますが、このうち中卒者は1%以下と言われています(文部科学省「学校基本調査」)。かよちゃんのような働き手はかなり希少であり、経済的に厳しい立場に置かれていると想像できます。しかし、彼女はそれほど不幸そうにも見えません。社員寮で生活をともにしながら働く「スミ江さん」をはじめ、職場の人間関係にも恵まれていますし、家族と離れて暮らしているにせよ不仲な様子は全くありません。むしろ、一般的な家庭で育ちつつもお金持ちの子女が通う進学校に「紛れ込んで」しまい、オーダーメイドのアクセサリーやブランド物のバッグを揃えなければいけない那子ちゃんのほうが、よほど不幸そうに見えてしまいます。

なぜ客観的に恵まれた状況にいる那子ちゃんが不幸に見え、かよちゃんが不幸でなく見えるのでしょう。これは人の抱く不満が、その人の客観的状況ではなく、その人のいる「準拠集団」内における他者との比較に基づいているからです(このことを「相対的剥奪」と呼びます)。那子ちゃんの方が強い相対的剥奪を感じることになりますが、もう一つ、かよちゃんの立場は客観的に見てそれほど不幸とも言えない点にも注意したいところです。

新規学卒労働者は、多くの場合パートやアルバイトといった「非典型雇用」として就職します。これに対してかよちゃんの立場は正社員(典型雇用)であり、社員寮を与えられている点からも、福利厚生はかなり充実しています。また、かよちゃんの実家は福井のシャッター街にある個人商店ですが、開店休業状態というだけで、土地や家を手放さなければならない事態には至っていません。

この作品は2003年に発表された「純粋あげ工場」という短期集中連載が元になっていますが、7年の時を経て新連載となりました。この7年を経て、作者の村上かつら氏は「目に見えてはっきりと急激に、かよの設定に関するリアリティが一変していた」と語っています。2003年時点で、高校にも行かずに働く可哀想なかよちゃんは、2010年には恵まれた立場になっていたのです。作者はこうした時代の変化に戸惑いながらも、敏感に「世の中の気分」を丁寧に拾い上げながら物語を書き進めます。連載の締めくくりに差し掛かり、日本中が希望を失ってしまう2011年、物語は、読者が想像もつかなかった「希望」へと、かよちゃんと読者を連れて行きます。ぜひ、社会の変化を感じ取りながら読んで欲しい一冊です。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。2016年第一弾は、労働とも関連の深い「家族」をキーワードに、おすすめの漫画を5冊紹介します!みなさま、今年もあとわずかとなりましたが、良い一年の締めくくりとなりますように!

この記事が含まれる特集

  • マンガ社会学

    立命館大学産業社会学部准教授富永京子先生による連載。社会学のさまざまなテーマからマンガを見てみると、どのような読み方ができるのか。知っているマンガも、新しいもののように見えてきます。インタビューも。

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