河上肇の『自叙伝』含む代表作4選!経済学を学びたい全ての人におすすめ!

更新:2021.12.17

マルクス経済学の研究者として経済学史に名を残す河上肇は、名文家としてもひろく知られました。彼の代表的な著書を4冊ご紹介します。

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マルクス研究者から共産主義活動家へ、河上肇の生涯

河上肇は1879年、山口県に生まれました。東京帝大(いまの東大)に入学しエリートへの道を順調に進みますが、東京の人々の貧富の差にショックを受けます。そして経済学を研究することで人々の幸福に貢献できないかと考えるようになるのです。

1908年には、29歳で京都帝大(いまの京大)の講師となります。1915年にはヨーロッパに留学に出て、帰国後に『貧乏物語』を書き、同書は大いに売れます。1920年には京都帝大の経済学部長に就任。この頃からマルクス主義に傾倒するようになり、マルクスの『資本論』を翻訳しながらその知識を学生に伝えてゆき、大きな影響を与えました。

1928年に京都帝大を辞職すると、河上はしだいに政治活動にのめり込むようになり、1932年には日本共産党に入党。翌年検挙され牢に入ります。そこで党活動をやめる宣言をする、いわゆる転向を行い衝撃を与えました。出獄後はひっそりと暮らし、1946年、66歳で亡くなりました。死の翌年に『自叙伝』が出版されています。

貧乏とは何かをわかりやすく説いたベストセラー

1冊目は、河上肇の名を学界以外にも広く知らしめた『貧乏物語』です。タイトルから小説と思う方がいるかもしれませんが、これは経済学の基本を平易に書いた解説本です。

著者
河上 肇
出版日
1965-10-16

河上は、人が健全に生きるためには食事をちゃんと摂らなくてはいけない、という基本から話し始めます。十分な食べ物や日用の必需品を買うのに必要な費用は計算できる、と河上は語り、その費用より収入が上回っているかどうかで、貧しいか金持ちかは判定できる、と語っていくのです。この貧富の境界線を河上は貧乏線と呼びます。こんなふうに、当時のヨーロッパ経済学の基本を、誰にでもわかるようにやさしく語ってゆきながら、貧富の差とは何かを解き明かす本なのです。

しかし貧富の差を解消する方法にまで河上は筆を進めていきますが、その結論は「富める者が贅沢をやめるのが解決策」というものでした。それはおかしい、と、経済学者たちから批判の声が集まります。現代の常識から言っても、富める者がお金を使わないのは少しも解決策にはなりません。河上もこの結論の間違いに気づいていて、正しい解決策を求めて苦悩します。その結果、マルクス経済学に本格的に取り組むようになってゆくのでした。のちに、マルクス主義の考え方を説く続編『第二貧乏物語』を書いています。

激しい利他主義に生きた生涯を語る自伝

2冊めは『自叙伝』。つまり河上肇の自伝です。獄中で書き始められ、転向して出獄後の晩年は、ほとんどこれを書いて過ごしました。死後出版され、長大な本であるにも関わらずよく売れました。

『自叙伝』が当時ひろく読まれた理由には、まず、出版された1947年には社会主義が支持を集めていて、河上が苦難の先駆者として尊敬されていたことがあります。もうひとつの理由はテキストが非常に読みやすく、かつ格調と情熱にみちた名文であったことでした。文章のお手本として読まれた面もあると思われます。

著者
河上 肇
出版日

河上は幼年時代の記憶から書き起こし、自分の過去を綿密に、忠実に語っていきます。その生涯の根底にあったのは、聖書の有名な「人がもし汝の右の頬を打てば、左の頬も向けよ」という言葉だったといいます。絶対的な非利己主義、自分を捨てて他人のために生きるという考え方に、少年時代から河上は全身で共感していました。それが後付けの情熱ではなく、魂の底から来るたえまない欲求だったことが本書を読んでいると感じられます。

他人の幸福に尽くすために経済学を選んだ河上は、やがて経済学そのものに疑問を抱くようになります。それは人の利己的な欲望を基本にした学問で、彼が目指す絶対的利己主義とは相反するものではないかと思うようになるのです。大いに迷った河上は一時期ある宗教に属しますが、やがて極端に自分を追い詰めることで、ある種の神秘体験をしたといいます。

「かくて私は、絶対的な非利己主義を奉じながら、心中一抹のやましさを感ずることなしに、この身体に飲食衣服を供し、睡眠休養を許し、なお学問をもさせ智識をも累積させていくことが出来るようになった。ただ問題は、絶えず私心の掃滅に努め、この五尺の身体をして真に天下の公器たるに値せしめることに存する」(『自叙伝』より引用)

河上は、経済学者である以前に生まれながらの求道者でした。その過剰なまでにストイックな生き方には、息を詰めて見守るしかないような迫力があります。

『資本論』のもっとも優れた入門書のひとつ

マルクスの『資本論』は、いまも世界中で読まれ続けている最重要の書物の1冊ですが、同時に難解で読みにくいことでも知られています。戦前や戦後すぐの本や映画の中には、社会主義運動をする若者たちが集まって『資本論』の購読会をやっている場面がよく出てきます。みんなで知恵を出しあって少しずつ読んで、それでもよくわからない、というのが当時の正直なところだったのでしょう。

著者
河上 肇
出版日

というわけでもし皆さんがマルクスに興味を持ったとしても、いきなり『資本論』を買って読み始めるのはおすすめできません。みなさんが昔の若者より基礎知識を持っていたとしても、難解なことには変わりありませんから、序盤で挫折する可能性大です。そんな時のために、学者の書いた入門書というものがあります。河上肇の『資本論入門』は、『資本論』の1巻にあたる部分を、徹底的に解説した本です。

先生もいないまま五里霧中で読書会をしていた戦前の若者たちにとっては、まさに資本論の海に差し込んだ光に見えたことでしょう。現在でも、日本人が書いたもっとも優れた『資本論』の解説書という評価は変わっていません。マルクスの考え方を一から学びたい人は手に取ってみてはいかがでしょうか。

大学に日本に中国に、大きな影響を与えた講義記録

最後にご紹介するのは『経済学大綱』。いかめしい表題ですが、京都帝大における河上の1920年代の講義をまとめなおした本です。大学を辞め共産党に接近する直前までの、マルクス経済学を中心とした講義がどんなものだったかがわかります。

著者
河上肇
出版日

京都帝大のちの京大において、河上はのちのちまでの大きな影響を与えました。京大は現在でもマルクス研究がさかんなことで知られていますが、その始祖的存在のひとりは間違いなく河上肇です。また、前に紹介した『資本論入門』と並んで、日本の社会主義運動家たちに影響を与えた本でもありました。

そしてさらに、海を渡って中国にも大きな影響を与えた本でもあるのです。当時日本の大学には、中国のインテリ学生が何人も留学に来ていました。そのうちの数人が、本書を翻訳して持ち帰り、中国にマルクス主義を持ち込むきっかけとしたのです。そう考えれば本書は、世界の歴史に影響を与えた本だといってもいいでしょう。決して読みやすくはありませんが、日本のマルクス主義の受容を語るうえで欠かせない重要書物です。

他人を幸福にしたいとひたすら願い続けて、苦難の多い人生を送った情熱の人、河上肇。行き詰まりを感じている時など、その情熱に触れてみるのもいいかもしれません。

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