古谷実と聞いてあなたが思い浮かべる作品はなんでしょうか。『行け!稲中卓球部』?それとも『ヒミズ』?両者はまったく正反対の漫画ですが、どちらも古谷作品。今回は作品間のギャップが激しい古谷実作品のベスト6をご紹介します。
古谷実(ふるやみのる)は1972年3月28日生まれ、埼玉県出身の漫画家です。1993年、「週刊ヤングマガジン」誌上に連載した『行け!稲中卓球部』でデビュー。同作で1996年に講談社漫画賞一般部門賞を受賞しました。
良くも悪くも風変わりなキャラ造形が特徴で、初期作品はその手法を用いたギャグ漫画で人気を博します。2001年に連載し始めた『ヒミズ』で作風が一変、極限の心理描写を前面に押し出したサイコスリラーものを描くようになりました。『ヒミズ』以前から作中で人の内面に触れることはありましたが、以後はその傾向が顕著に見られます。
この変化の理由は1つには古谷がマンネリを忌避して、新しいものを指向する性質なのと、もう1つ、喜劇と悲劇は表裏一体のものだということが挙げられます。
例えば楳図かずおはホラー漫画の第一人者で知られる一方、ギャグ漫画家としても有名です。かの喜劇王チャールズ・チャップリンは「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言いました。古谷もまさに人生の悲喜こもごもを描けるからこそ、ギャグもホラーも手がけらるのでしょう。
主人公の富岡はとにかく冴えません。そのダサさはデフォルメされたものではなく、本当にこんな人いそう、てゆーか気持ちが分かるぞ、となってしまう生々しいリアルさがある人物。だからこそ読んでいて共感でき、彼の辛い境遇に感情移入して辛くなってしまうのです。
富岡は流れ星に祈ります。「友達をください」。32歳、彼女なし、友達なしの中年童貞は学生時代からほとんどの時間を眠ることに費やしてきました。
学生時代ならいざ知らず、大人になってからもとにかく眠るというのは何か見たくない現実があるから。彼はいつのまにか孤独を感じないように感覚を麻痺させ、睡眠に逃げていたのでした。
そんな富岡の今一番の心の叫びは「寂しい」。冴えない主人公というのはよく少年漫画でも登場しますが、少年ならまだいいもの。おっさんが冴えないとそこにあるのは可能性ではなく孤独死の恐れなのです。
しかしそんな富岡の日常がいきなり急展開を迎えます。流れ星にお願いし、職場を後にしようとした彼は閉店後の店の入り口に挟まれた1通の手紙を見つけます。そこに書いてあったのは「お前は一年以内に頭がおかしくなって死ぬ」という文字。
慌てて周りを伺いますが、誰もいません。そしてその後彼のアパートの横に美人の女性・羽田が引っ越してきます。
そこからは急展開の嵐。借金まみれのホームレスの代わりに200万円を肩代わりしたり、ヤクザの女が事務所から金を持ち逃げした事件に巻き込まれたり、友人になった男が盗んだ車に全裸の女性が積まれていたりと、とにかく事件に溢れていきます。
始まりからの展開の変化がすごく、先を読む暇もないほどの速さで物語が進んでいくのです。スピード感ある作品が好きな方には特におすすめです。
- 著者
- 古谷 実
- 出版日
- 2013-06-12
本作は人の心の闇の描写がリアル。ダークな作品を得意とする古谷実の良さが発揮されたシーン描写が魅力となっています。
例えば富岡が借金を肩代わりするホームレスの性格。調子のいいことばかり言って嘘をつきまくり、挙げ句の果てに借金は必ず返済すると言いながらもう一度富岡に金の催促をするのです。
彼のだらしない様子は派手ではない分とてもリアル。読んでいると今まで出会った人物の面影や自分の嫌な性格などが思い出されるような身近さがあります。
そんな身近さを感じられる雰囲気でありえない事件が進んでいくので、フィクションとはいえそこに自分もいるかのような臨場感があるのです。
単行本版で4巻、文庫版で3巻完結という気軽に読めるものなので、古谷実のシリアス作品を読んだことのない人には入門編としてもおすすめです。
主人公の岡田進は清掃員をしながら、漫然と過ぎていく日々に不安を感じていました。焦燥感を募らせた彼は、同僚の安藤勇次に相談を持ちかけます。彼より年上で、彼より冴えない安藤のプライベートを聞けば、何かヒントになると考えて。ところが思いがけず好人物だったことを知り、安藤を見下して安心を得たかった岡田は恥じ入ります。
そして、平凡な日常でも愛する人がいれば一変する、と安藤は力説。安藤は行きつけのカフェ店員、阿部ユカに片思いしていました。安藤の頼みでユカとの橋渡しをすることになった岡田は、なぜか彼の方がユカと良い仲になっていきます。
安藤には秘密で付き合う岡田とユカ。そんな彼らを密かに狙う人物がいました。岡田の元同級生で、ユカのストーカー、森田正一です。森田は人殺しに性的興奮を覚える異常者でした。
- 著者
- 古谷 実
- 出版日
- 2008-11-06
耳慣れない語感の本作タイトルですが、『ヒメアノ~ル』とは古谷の作った造語です。アノールとはトカゲの1種で、ヒメアノールは「ヒメトカゲ」を意味します。沖縄周辺に生息する非常に小型のトカゲです。天敵のヘビに為す術もなく飲まれてしまう絶対的弱者をイメージしたのでしょう。
本作は一見、古谷の過去作品がそうだったように、ナンセンスギャグのようです。冴えない岡田と美人のユカが、もっと冴えない安藤に隠れて付き合うラブコメの要素もあります。コミカルに誇張されてはいますが、現代社会では誰でも感じる不安感。等身大の人物として、岡田達の「日常」は読者にとって共感出来るものです。
そんな小市民的な「日常」とは裏腹に、連続殺人犯・森田の話が進みます。ユカに付きまとう、日常からやや離れた存在が、実は完全に「非日常」の殺人者だという恐怖。なんでもない風を装って生活する隣人が、サイコパスだという異常性が描かれます。言わば、安藤達のような小市民=弱者を食らう、隠れた悪意です。
平穏な日常が、これほど保証もない、頼りないものの上に成り立っているのだだと思い知らされます。
主人公の荻野優介は、顔も勉強もぱっとしない、無気力な今時の高校生です。彼は仲の良い友人の高井貴男と共に、クラスメイトの谷脇からいじめられています。
荻野の唯一の趣味は、高井に影響されて興味を持つようになったバイク。先の不透明な生活、いじめという苦境から目を逸らすように、バイク免許取得を目指します。そして荻野は、教習所で1つ年上の美女、南雲ゆみと出会いました。
惹かれた2人は付き合うことになりますが、荻野は幸せな反面、自分では南雲と不釣り合いなのではと不安になります。その一方で、金持ちだった高井の家は事業に失敗して落ちぶれ、転校を余儀なくされます。親友との別れ。荻野の日常が彼を中心に徐々に変化していきます。
- 著者
- 古谷 実
- 出版日
- 2013-02-08
本作は一見すると、ダメ男が一念発起する青春恋愛漫画のようです。幸福と不幸の波が交互に押し寄せる展開などは、恋愛漫画ではお馴染みのプロット。しかし、ドラマチックな恋愛漫画と違ってとても地味で、それだけにリアリティがあります。
恋愛漫画との最大の違いは、本作に含まれる不安定な要素、歪みです。荻野と接点のある登場人物達は、なんらかの歪みを持ち、そのために徐々に人生が狂っていきます。ほんの些細なきっかけ、しがらみで、道を踏み違えてしまう。本作はサスペンス要素のある青春ドラマと言えます。
「シガテラ」とはある種の熱帯魚が持つ毒、それによって引き起こされる食中毒のこと。シガテラを持つ魚は、無毒な小魚が有毒のプランクトンを摂取し、そしてそれを肉食魚が食べて体内で蓄積、毒素を溜めた結果有毒化したと考えられています。弱い毒が食物連鎖を経て強力な毒に変化する――そんなシガテラをタイトルに冠した古谷の真意とは?
主人公の住田祐一は母親と2人暮らし。貸しボート屋を営む貧乏な家庭ですが、彼自身は自分を「普通の人間」と思い、平凡な生活を望んでいます。住田は時々、彼にしか見えない1つ眼の化け物が見えました。
ところがある日、住田の母親が借金を残して駆け落ちしてしまいます。住田が、平凡な普通の生活が遠のくことを実感していると、そこへ蒸発していた父親が現れました。金の無心をされて、不幸続きの住田は衝動的に父親を殺害してしまいます。
住田は考えます。普通の人生は終わった、これから先はオマケの人生だ、と。住田はオマケ人生を有効に使って、生きるに値しない社会のゴミを殺すことを思いつきます。
- 著者
- 古谷 実
- 出版日
- 2011-12-20
古谷は本作までギャグ漫画を描いてきましたが、これを契機に作風が一変します。物語の根幹は不条理なギャグから、不条理な社会へ。転換第1作の本作は人間の心の暗部を浮き上がらせるサスペンスホラーです。
「笑いの時代は終わりました。これより、不道徳の時間を始めます。」というのが本作のキャッチコピー。
住田は当初、貧乏な自分に悲観することなく、平凡な日常を望む中学生でした。それが怒濤のような転落、不幸を経て父親を殺してしまうことで、「普通の人間」から殺人犯という「特別な人間」になってしまいます。絶望した住田は、まともな人生を送れないのなら、せめて命を有効活用しようとします。そうして辿り着いたのが、悪人殺し。
住田は良くも悪くも、生きることに意味を見出したかったのでしょう。普通の人間が平凡な人生を送るのなら、特別な人間はそれに相応しい振る舞いをしなければならない。そうでなければ生きる意味などないと。
タイトルの「ヒミズ」ですが、これはモグラの1種。非常に小さく、日光に当たると死ぬことから「日見ず」となったそうです。他には「ひずみ」のアナグラムとも考えられます。いずれも社会からはみ出してしまった住田を象徴するかのようです。
住田の友人達、そして住田に惹かれる少女、茶沢景子は彼をなんとか日常生活に引き留めようとします。果たして住田は日の当たる世界に戻ってくることが出来るのでしょうか。
『ヒミズ』については<漫画『ヒミズ』全4巻の魅力をネタバレ紹介!【映画作品原作】>の記事で紹介しています。気になる方はぜひご覧ください。
母親と死別した先坂兄弟は、義父に冷たく突き放されます。兄のすぐ夫は中学生、弟のいく夫は小学生。捨てられると思った2人は家出し、上京しました。あてもないのに上野動物園を訪れた先坂兄弟。そこで彼らは同じ家出少年、イトキンこと伊藤茂と出会いました。
紆余曲折を経て橋の下で生活していた彼らを、吉田あや子が見つけます。興味を持ったあや子は、結果的に彼らを吉田家に居候させることになります。あや子は逞しく生きる彼らなら、自分の疑問に答えられるかも知れないと考えて接触しました。
「人生って何?」(『僕といっしょ』より引用)
- 著者
- 古谷 実
- 出版日
- 2012-06-12
本作は古谷の2度目の連載作品です。実の母を亡くし、家なき子となった兄弟が主人公ですが、悲壮感はほとんどありません。お調子者でおバカなすぐ夫とイトキンが毎回何か問題を起こし、周囲の人間が巻き込まれるナンセンスギャグ漫画となっています。
本作にちりばめられた要素には、家庭崩壊(義父の養育放棄)や少年達の家出をはじめとして、重いものが多数あります。くだらないやりとりの中でそれらが不意に見え隠れしたかと思うと、気づくとギャグでさらりと流されている。古谷に社会問題を突きつけられているような、実はそれらは大したことないと言われてるような、不思議な感覚に襲われます。
作中で起こる出来事を俯瞰すると、「人生」に関連していることに気づかされます。あや子の持つ疑問は、そのまま本作の隠れたテーマになっているのかも知れません。
稲豊(いなほう)市立稲豊中学校の卓球部は、大会優勝実績もある部員6人の運動部。しかし、なぜか学校から冷遇されていて、まともに練習出来ません。不真面目な部員の言動も相まって、稲中卓球部はいつも問題だらけです。
- 著者
- 古谷 実
- 出版日
- 2011-04-12
本作は古谷の初連載にして1番の長期連載作品。連載終了してから20年以上経ちましたが、いまだに根強い人気を誇る伝説的ギャグ漫画です。誇張された男子中学生の日常を笑い飛ばす怪作。卓球部が舞台なのに卓球をほとんどしないのも特徴の1つですね。
話の中心となる部員は癖のあるキャラばかり。「変態」前野、「『あしたのジョー』オタク」井沢、「ムッツリスケベ」田中、「毒ガス王子」田辺、「女たらし」副部長の木之下、「苦労人」部長の竹田の6人。前者3名が特に問題児で、彼らのせいで木之下や竹田、顧問教諭の柴崎が振り回されることになります。
アメリカ人ハーフの田辺は卓球部でも特異な存在で、前野、井沢、田中の不細工お下劣トリオに比べると、見た目も悪くなく性格も温厚です。ところがある意味卓球部で1番の問題児。凄まじい体臭の持ち主で、特にワキガが酷く、部内では鼻栓が常備されるほどです。
本編では下ネタ、エロネタ、ハイテンション、顔芸がこれでもかと炸裂。ほぼ男子中学生ならではのリビドーで構成されていますが、まれに青春のひととき、美しい友情が描かれることもあります。男性諸氏ならきっと共感出来るはず……!?
いかがでしたか。古谷実ほど活動時期が長く、初期と現在とで作風が違うと、読者の世代で印象がかなり異なっているのではないでしょうか。ギャグもサイコも古谷の一面です。是非この機会に未読の作品に触れて、古谷の懐の深さを体感してください。