斎藤道三はどんな人?織田信長に娘を嫁がせ、マムシと呼ばれた男の生涯を解説

更新:2021.12.18

何も持たないところから、美濃の国主にまで上り詰めた下剋上の男として有名な斎藤道三。2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場し、注目されています。この記事では、そんな斎藤道三の生涯や名言、逸話などを解説したうえで、おすすめの関連本を紹介していきます。

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斎藤道三の生涯を解説!息子の義龍に討たれて戦死

下剋上の代名詞とも言われる斎藤道三。その経歴は、はっきりわかっておらず、まだまだ研究中です。これまでは一代で美濃を平定したと思われていましたが、近年は父親の代から国盗りが行われてきたのではないかということが定説となってきています。

何事にも器用で、知略にも優れており、その恐ろしさから「マムシ」と呼ばれていました。今回は一代で下剋上を成し遂げたとされる通説をご紹介します。

斎藤道三の幼少期のことは明らかになっておらず、出生年は1494年とも1504年ともいわれています。父親は松波左近将監基宗で、山城国に生まれたという説が有力です。京都の妙覚寺で11歳の時に得度を受け、僧侶となりました。

その後、美濃へ行き、油商人として成功します。一文銭の穴を通して油を注ぎ、油がこぼれたら代金はもらわないというパフォーマンスで人気者となりました。

武士になろうと一念発起した道三は、商人を辞めて僧侶時代のつてを頼り、長井長広の家臣となることができました。そして持ち前の武芸と知略で頭角を現し、土岐守護の次男・土岐頼芸の信頼を得ることとなるのです。

1527年、土岐家の家督争いにも貢献し、頼芸の兄・頼政を追放することに成功。さらには主であった長井長広も殺害し、長井を名乗っています。

1538年、美濃守護代の斎藤利良が病死すると、斎藤を名乗るようになりました。その後道三は土岐家の弱体化を狙って、頼芸の弟である頼満を毒殺します。ここから頼芸と対立するようになり、1542年、ついに頼芸を尾張へ追放して美濃国主となりました。

頼芸は織田信秀を頼って美濃へ戻ってきましたが、斎藤道三は娘の帰蝶を織田信長に嫁がせることで信秀と和睦し、頼芸を再び尾張へ追放。道三は完全に美濃を制覇することができたのです。

1554年、家督を息子の義龍へ譲り、道三は隠居。ここで初めて道三という名となりました。しかし元土岐頼芸の側室であった妻が生んだ義龍との関係は上手くいきません。義龍は、土岐家の元々の家臣たちの支持を受けて1555年に挙兵します。

道三が可愛がっていたとされる次男と三男も殺され、1556年に「長良川の戦い」で戦死しました。
 

斎藤道三の名言。野望の人ゆえの寂しさ

多くの戦国大名は、辞世の句を残して亡くなります。斎藤道三ももちろんそれを残していますが、彼の人生を体現するかのような名言になっています。

「捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ」

「すべてを捨てて、今はこの世に何一つ残ってもいない。どこが私の最期の安住の地となるのだろうか」という意味です。

斎藤道三は、その生涯を裏切りや謀略で過ごしました。才覚こそは確かに世間を冠絶していましたが、1度狂ってしまった歯車を止めることはできなかったのでしょう。道三時代の美濃の統治を『信長公記』では「残虐な刑罰が絶えず行われていた」と書かれているように、力で支配しなくてはいけない時代を招いたのも彼でした。

結局、才覚一本で渡り歩くには、人間の世はあまりにも切ないもの。斎藤道三は野望の人ではあっても、決して世を治められる桀物ではなかったのです。織田信長は、道三の才あるゆえの悲劇を目の当たりにして、天下統一への意志を固めたのかも知れません。 

斎藤道三と織田信長に関するエピソードを3つ紹介!

1:信長を早くから評価していた英傑

斎藤道三の美濃斎藤家と、織田信秀の尾張織田弾正忠家は、道三が追い出した守護の土岐氏を信秀が保護していた関係から、対立していました。しかし道三はこの状況を打破するために、自分の娘・帰蝶と、信秀の嫡男・信長の政略結婚を画策します。

斎藤道三は信長をうつけだと聞いていましたが、婚姻成立後に道三が信長と面会した際、信長は鉄砲を携えた護衛隊を従え正装で彼を出迎えました。道三は信長を見て「いつかお輪が息子達はこの男のために馬をひくこととなるだろう」といい、信長の才を早くから見抜いたといわれています。

実際、道三はのちに遺言として「美濃は婿の信長に譲る」と明言しているくらいですから、道三にとって世界が変わるほどの出来事だったのでしょう。

2:信長の楽市・楽座は、斎藤道三から学んだ?

織田信長の政策で有名なのが、楽市・楽座です。しかし実は、信長以前から楽市・楽座を実施していた大名は数多くいました。斎藤道三も事実上美濃国主となってからは楽市・楽座を実施しています。

ほかには近江の六角義賢、安芸の毛利元就、駿河の今川氏真なんかも市場の重要性と既得権益を貪る寺社勢力や株仲間に危機意識を持っていました。

道三といえば司馬遼太郎氏の『国盗り物語』によって広く知られるようになりましたが、この中のセリフで「かつて美濃紙というのは座でつくられていて非常に高価なものであった。けれど、俺の政策によって誰もが気楽に使えるようになった」というものがあります。

楽市・楽座の定義はその土地で商売を営む際に場所代を税金として支払う必要なく、自由に開いていいとすることです。道三の家は元が商売人という流れから当時商売人が受けていた不条理と既得権益の独占を知っていたのかもしれません。まして美濃の土岐家は源氏の流れをくむ格式ある家、その辺の感覚は道三とは正反対だったでしょう。

信長は後に楽市・楽座を当然道三から「譲り受けた」美濃でも実行してます。しかし楽市・楽座は同時に商人を定着させる政策でもあり、商売が寺社のものから商人のものへと変化していくのです。

3:岐阜で行われている道三まつり

岐阜県では先述の『国盗り物語』が大河ドラマとなって以来、毎年4月の第1土曜と翌日日曜に「道三まつり」が行われています。大河ドラマの放映は1973年ですが、道三まつりは1年早い1972年がスタートです。

元々岐阜では岐阜まつりという地域祭が毎年4月初旬に行われていましたが、大河ドラマ放映決定をきっかけに斎藤道三という人物が見直され、1972年に行われた信長まつりから斎藤道三を独立させて翌年から岐阜まつりと一緒に道三を祭るようになりました。

まつりは2日間に渡って行われ、道三の菩提寺である常在寺にて道三の追悼式、楽市・楽座にちなんだ歩行者天国・フリーマーケット、岐阜まつりの神輿パレード、道三・義龍親子の復元模写等のイベントが行われ、毎年この時期の岐阜県では盛り上がりを見せています。

斎藤道三と息子の斎藤義龍に、血縁関係はない?

 

戦国大名のなかでも謀略を尽くして成り上がった斎藤道三は、黒い噂が絶えませんでした。その代表が、長男の義龍が実は道三の子ではないとする説です。

時は、斎藤道三が土岐家の政権争いに介入を始めた頃に遡ります。

美濃本来の守護は、土岐家という源氏の一族でした。当時土岐の当主は政房でしたが、政房は長男の頼武に問題がなかったにも関わらず次男の頼芸(よりよし)に家督を継がせようと考えていました。この兄弟喧嘩を煽って最終的に頼芸に花を持たせたのが、道三なのです。

頼芸には深芳野という愛妾がいましたが、彼は道三へ深芳野へと下賜します。それから間もなく2人の間に長男の義龍が生まれました。

しかし、江戸時代に書かれた文献では、深芳野は道三に与えられた時点ですでに頼芸の子を身ごもっており、それを道三の子だと偽ったとする説もあります。

斎藤道三の甥は明智光秀、娘婿は斎藤利三

 

斎藤道三の正室は、小見の方という人物。彼女の父親は、美濃の土豪・明智光継、兄は明智光綱です。この光綱の息子が、明智光秀。明智家は土岐家の支流で光継の時代から道三に与して生き残っていましたが、光綱が亡くなった際、光秀はまだ幼少だったため叔父の光安が後を継ぎます。

しかし「長良川の戦い」で、明智家は道三に与したため族滅、生き残ったのは光秀や三宅弥平次(明智秀満)、斎藤利三らわずかな者たちでした。

ところで斎藤利三は、一説によると斎藤道三の娘を最初の正室として娶ったといわれています。利三こそが正統な斎藤家の一族であるため、こうした配慮がなされたと考えられますが、真偽は定かではありません。

こう見ると、「本能寺の変」の首脳メンバーは、道三の影響を少なからず受けた人物たちです。下克上はDNAとも教育の賜物ともいいますか、処世術にも何か通じるものがあるように感じます。

斎藤道三は人望に欠けた野望の人だった

 

位を力で奪ったはいいですが、斎藤道三はその後の処理を誤ってしまいます。道三の台頭は傀儡とはいえ、いまだ名声豊かな土岐頼芸あってのこと。しかし道三は頼芸の弟・頼満を毒殺するなど、早くから土岐家に対して攻撃を仕掛けるのです。当然頼芸は、道三とは断交して抗戦しますが、やがて頼芸は道三によって美濃を追放されてしまいます。

斎藤道三は、それ以前から栄達のきっかけをくれた長井長弘を殺すなど、手段を選ばない狡猾なところがありましたが、こうした行為の数々は当然国人からはよく思われておらず、息子の義龍を筆頭に大勢から非難を浴びることとなります。

さらに、義龍がいながら弟の孫四郎と喜平次を溺愛し、喜平次に「一色右兵衛大輔」と名乗らせ土岐家の祖である一色家を継がせるという意思表示をしました。この結果、「長良川の戦い」では美濃三人衆をはじめ、ほとんどの国人が義龍に与し、道三に与した明智家等は族滅の憂き目に遭わされるのです。

斎藤道三は、かねてから義龍を「無能、おいぼれ」と侮っていましたが、「長良川の戦い」までの経緯と戦での義龍の采配を見た道三は、義龍と立派な男だと認め、自分が下した評価が間違っていたことを死をもって認識させられた形になってしまいました。

この小説を読まずに斎藤道三は語れない

『国盗り物語』は全4巻からなり、1、2巻は斎藤道三、3、4巻は織田信長を主人公とした小説です。この本で道三を知ったという人も多いのではないでしょうか。

油売りだった道三が、美濃という一国の主になるまでの様子を生き生きと描いています。第11回大河ドラマの原作にもなった、司馬遼太郎の本の中でも人気の作品です。

著者
司馬 遼太郎
出版日
1971-12-02

本書はかなりフィクションの多い物語です。道三の経歴にはまだ謎が多いからなのですが、しかしその物語性がこの本の楽しみどころと言ってよいでしょう。

これまではマムシ、悪行での下剋上など悪いイメージも多かった道三を、これほどカリスマ性に溢れた魅力的な人物として描いたことは画期的です。野望を持つこと、上にのし上がっていくことは何ら悪いことではないと思わせてくれます。

何も持たなかった道三が、その身一つですべてを手に入れていく様子に引き込まれ、読みふけってしまうことでしょう。なかなかその生き方には共感できないかもしれませんが、その上を見る心意気や合理的な考え方には学べるものが多くあります。

道三を取り巻く女性たちや周りの人物もとても魅力的。道三に惹かれる姿を読むうちに、読者もまた道三へと惹きつけられること間違いありません。どなたにでもおすすめできる名作です。

斎藤道三の出世物語を描いた本

油売りからの出発ではない道三を描いた『簒奪者』では、少し地味な若かりし頃の道三を見ることができます。第5回歴史群像大賞を受賞。2001年に『兵は詭道なり』、2014年に『天を食む者 斎藤道三』として改訂・出版されています。

妙覚寺より還俗して、美濃の守護の側近となった父親に従い雑務をこなす長井新九郎(斎藤道三)は、22歳のとき、父から東山口郷を押領するように命じられます。しかし美濃の実力者であった斎藤又四郎に、その策略を知られることとなってしまいました。それが長井家と斎藤家が争うきっかけとなり、だんだん二家の争いは激化していきます。道三は勝利を得るためにどのような行動をとるのでしょうか……。

著者
岩井 三四二
出版日

本書では新しい説に基づき、道三は油売りではないという設定です。妙覚寺で僧であったのも父親の新左衛門尉であり、道三は父に付き従っています。そしてその父が成り上がっていくのですが、道三の仕事と言えば、今でいうところの事務ばかり。書類の書き方や法について、税についてなど、多くの実務を学んでいきます。

上昇志向に溢れ、次々と下剋上を実行していく道三の姿はここにはありません。そこに新鮮味があって今までにない道三像を面白く読み進められます。

しかし、歴史として道三が美濃国主になったことは事実です。父親の陰にいた道三がどのように上を目指していくのか、読みながらとてもわくわくする物語となっています。本書で描かれる道三は挫折や失敗もあり、マムシと呼ばれる道三とは少し違うかもしれません。けれどもそれがまた人としての魅力を感じさせてくれることでしょう。

斎藤道三の立身出世の陰には忍者がいた⁉

油売りから美濃国主となった斎藤道三。それを手助けしていた人物こそが、片目猿という伊賀忍者だった……。という設定の『片目猿』は、道三が片目猿とともに下剋上を成し遂げる歴史漫画です。

全1冊の漫画なので簡単に読むことができ、斎藤道三についてひと通りのことを知れるおすすめの本。著者得意の忍者もので、鮮やかに戦国時代を描き出します。

著者
横山 光輝
出版日
2008-01-11

設定からしてフィクションの多い話ではありますが、史実に基づいている部分もあり、道三について全く知らない人にとっては最初の1冊としてぴったりの本と言えるでしょう。道三が片目猿に頼っている部分が多く、上を目指してがつがつしている様子は少ないかもしれません。ほんの少し甘い道三とそれを補う片目猿という関係が、とても心地よく読み進められます。

短い話ながら、中身は道三の立身出世物語という充実したものですので読みごたえがあります。二人が友情を育みながら共に戦っていく姿は、下剋上を行っているにもかかわらずさわやかな読後感を与えてくれることでしょう。

斎藤道三を漫画で読む

本宮ひろ志が書く国盗り物語といっても過言ではない漫画が『猛き黄金の国ー道三ー』です。美濃を一代で平定したという説を前提としており、油売りから国主に成り上がるまでの様子を全6巻で豪快に描きます。

やはり資料が少ないためにフィクション部分が多いのですが、そこに作者の腕の入る余地がありさらに面白い読み物となるのでしょう。トップに立つためにはどんなことも利用し、のし上がっていく道三の物語をわくわくしながら読み進められます。

著者
本宮 ひろ志
出版日

本書における道三は、女も自分の才能も利用し、すべてを使って美濃一国を手に入れるという人物で、男としての格好良さに溢れています。そして国を手に入れてからは、楽市楽座などを制定し、それまでの知識をもとに正しい政治を行っていきます。

そして信長との関係も深く描かれています。自分の娘・お濃を嫁がせた信長を、道三は本当の息子よりも自分の後を継ぐ人物だとして認めていたのです。信長の方も道三を師と仰ぐ姿を見れば、ますます道三の凄さを発見することができるでしょう。商人の町を発展させた道三が教えたことは、信長の天下統一にも欠かせないものだったとも言えます。

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