キング牧師(マーティン・ルーサー・キング)といえば、黒人の人種差別の歴史における重要人物。「私には夢がある」という演説を行った人物としても、有名です。彼の人生、暗殺の真相、他の演説や名言などを、おすすめの本と共に紹介します。
1929年1月15日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(以下キング牧師)は、アメリカのジョージア州で誕生しました。公民権運動の指導者であり、黒人の人種的差別の歴史の中ではキーパーソン的存在として知られています。
頭角を現しだしたのは1955年後半からです。
1955年12月、アメリカにおいてバスに白人優先席というものがあった頃、黒人だからという理由で白人男性に席を譲ることを拒否した一人の黒人女性が逮捕、拘留されました。彼女は、のちに公民権運動の母とされたローザ・パークス。
そしてこの事件の裁判を機に、バスのボイコット運動が黒人指導者たちによって組織されます。この抗議運動の指導者として選ばれた人物こそ、当時まだ26歳のキング牧師でした。
多くのデモ参加者が逮捕と拘留を経験し、381日間続いたボイコット運動を経て、連邦最高裁判所はついに、人種分離法が違反であるという判決を下したのでした。
1963年8月、20万人を超える人々がワシントンDCから連邦議会議事堂へと行進しました(=ワシントン大行進)。リンカーン大統領が奴隷解放宣言を行ってから100年目にあたる年で、人々は黒人差別の即時撤廃を求めていたのです。
そこでキング牧師が行った「I Have a Dream(私には夢がある)」というスピーチは、今なお多くの人に知られています。このワシントン大行進は、その後のアフリカ系アメリカ人の地位向上に寄与しました。
翌年(1964年)に、キング牧師はノーベル平和賞を受賞します。しかし4年後の1968年4月4日、暗殺されてしまいます。指導者、牧師という印象から、高齢の印象をもっている人もいますが、亡くなったときは弱冠39歳でした。
ここまでキング牧師の本から人生までを見てきました。知れば知るほど魅力溢れる人物ではないでしょうか。
そこで最後に、キング牧師について、あなたが知らないであろう10の事実をご紹介します。
1:昔の名前は「マイケル」
マーティン・ルーサー・キングといえば、キング牧師の名前。しかし生まれたときは「マイケル(Michael)」という名前だったといいます。家族からは「マイク(Mike)」と呼ばれていました。
名前を変えた時期などについては諸説あるようですが、父親がドイツのマルティン・ルターの生誕地を訪ねる際に自分の名前を「マーティン・ルーサー」に変え、長男であったキング牧師の名前も変えたといいます。
2:誕生日がアメリカの祝日になっている
キング牧師の誕生日は1月15日。それにちなんで1月の第3月曜はマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの日(Martin Luther King Jr. Day)として国民の祝日になっています。ただし、休みにしている企業とそうでない企業があるようです。ちなみに、キング牧師のほかに国民の休日の対象になっている個人はジョージ・ワシントンとクリストファー・コロンブスです。
3:12歳のころ自殺未遂をしていた
12歳のころ、キング牧師は祖母の死に絶望し、自殺未遂をしました。家の2階から飛び降りたとのことですが、重傷を負うことはなかったようです。
4:大学生になったのは15歳
キング牧師は、9年生と12年生を飛び級。なんと15歳で、モアハウス大学に入学しました。そして4年後の1948年、19歳のときに大学を卒業したのです。
5:ほぼ聞こえていなかった演説「私には夢がある」
1963年8月のワシントン大行進の際に演説された「私には夢がある」。有名なスピーチですが、実は人々には、ほぼ聞こえていませんでした。
というのはスピーチの直前、何者かによって音響機材が壊されてしまったから。当時の司法長官だったロバート・ケネディ(ジョン・F・ケネディの弟)は、アメリカ陸軍工兵司令部に修理を頼んだといいます。
6:原稿にはなかった「私には夢がある」
キング牧師といえば「私には夢がある(I have a dream)」という言葉がよく知られています。上述したワシントン大行進のときに、スピーチで言われた言葉ですが、事前に準備していた原稿には「私には夢がある」のパートは書かれていなかったのです。
とはいえ「私には夢がある」は、それまでの演説のなかの1節ではありました。そしてスピーチ当日、聴衆の一人であったゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンが「マーティン、みんなに『夢』について話して!(Tell ‘em about the dream, Martin)」と叫んだのです。
実際にマヘリアの声が届いていたかどうかはわかりません。しかしそのあとキング牧師は、用意していた原稿をわきに置いて、「私には夢がある」というパートを即興で演説し始めたといいます。
7:暗殺時、心臓年齢は60歳
キング牧師は1968年、39歳の若さで暗殺されました。
しかし検死では、心臓の年齢が60歳という結果が出たのです。原因としては、ストレスなどが考えられているといいます。
8:救急車で搬送される際にカイルズ牧師がタバコを隠した
キング牧師は喫煙者でしたが、周囲には隠していました。理由はその当時、教会がタバコに厳しかったことと、子どもたちにタバコを吸わせたくなかったからです。キング牧師が撃たれた時に、近くにいたカイルズ牧師はキングの手からタバコをとり、ポケットから箱を抜き取りました。タバコを吸っていた事実を隠そうとしたのです。
9:キング牧師の最後の言葉は長年の友人であり、ミュージシャンのベン・ブランチへのものでした
「ベン、今夜の会合で『大切な主よ、手を取って』を必ず演奏してくれ。 最高の演奏で」と言って亡くなったそうです。
10:暗殺の10年前に殺されかけた
1958年、キング牧師は本を出版し、ニューヨークでサイン会を行っていました。そこに尋ねてきた黒人女性がペーパーナイフで彼の胸を突き刺したのです。ナイフは大動脈スレスレに刺さっており、キング牧師が一度でもクシャミをしたら、大動脈が切れて死んでいたとも言われています。
有名なキング牧師の演説「I Have a Dream(私には夢がある)」をご紹介していきます。この歴史的なスピーチは、1963年8月に行われたワシントン大行進の際に演説されました。
大行進では、人種差別の撤廃が求められ、20万人もの人々が参加したといいます。それでは実際に、演説の一部を原文と共に見ていきましょう。
「私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、『すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える』というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である」(アメリカンセンターJAPAN「『私には夢がある』(1963年)」より引用)
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal."
ちなみに、上記の「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」は、アメリカ独立宣言の言葉。演説には、この他にも聖書などからの引用が見られ、その普遍性は今でも色褪せることはありません。
しかし演説をした5年後の1968年、キング牧師は暗殺されてしまうのです。
マルコムXはキング牧師と同時代に活動したアメリカの黒人公民権運動活動家。黒人公民権運動を語る際に、過激派のマルコムと穏健派のキングと対照的に語られることが多いです。
キングを弱腰だと批判していたマルコムでしたが、亡くなる前には、会って話がしたい、と話すなどキングを支援する姿勢も見せていました。
ふたりが直接会ったのは1964年にアメリカ合衆国議会議事堂で1分程度話したのみで、1965年にマルコムが暗殺された際、キング牧師は「マルコムXの暗殺は悲劇だ。世界にはまだ、暴力で物事を解決しようとしている人々がいる」と語っています。
あるアメリカの死 ― キング牧師暗殺事件
1968年4月4日、遊説中だったキング牧師はテネシー州のメンフィスという都市にいました。しかし彼は、滞在先のロレイン・モーテルのバルコニーで、ジェームズ・アール・レイによって殺害されることになります。
そんな暗殺の真相について詳しく知りたいとき、本書が参考になります。
夕食に行くためにキング牧師はバルコニーで仲間を待ち、コートを持っていくべきかどうか決めようとしていました。その時です。「大きくこもった音」(同書より引用)と共に、キング牧師は銃殺されたのです。
「キングは血の池のなかに倒れていた。左手をあげさげしていたが、右手は変にゆがんで伸びたままだった。あごの右側がもぎとられてしまっていた。(中略)左足は手すりの下にのび、右足は手すりにぶつかり、バルコニーの幅は彼の倒れた体が伸びきるほど広くなかったので、ひざが少々上にまがっていた」(同書より引用)
世界にいる多くの人々が、その偉大な人物の死を嘆いたといいます。
- 著者
- ["辻内 鏡人", "中條 献"]
- 出版日
- 1993-06-21
暗殺で生涯を終えたキング牧師。本書では、その人生、活動、そして思想を知ることができます。ジュニア新書ということで中高生向けに書かれたものではありますが、大人が読んでも学ぶことが多い1冊です。
キング牧師が率いた公民権運動は、歴史上の出来事として数行で説明されてしまうことが多いものですが、その目的の達成には、決して一筋縄ではいかなかったことでしょう。若くして運動を率いることになった彼の悩み抜いた姿、弱さなどについても、本書では描き出されていきます。
さらに名演説や社会背景についても触れられていますので、キング牧師を知る上で入門書的な1冊となるはずです。
- 著者
- ドリーン ラパポート
- 出版日
著者は公民権運動と音楽教師を経て、児童書の作家となったラパポート・ドリーン。イラストは、アフリカ系アメリカ人作家やイラストレーターの卓越した作品に送られる、コレッタ・スコット・キング賞受賞経験もあるコリアー・ブライアンが担当しています。なお本書でも同賞を受賞しています。
本書に登場する一つひとつの言葉は、読者の心に響いてくることでしょう。たとえば、キング牧師の母親は、白人専用と書かれた標識を見て落ち込んだ息子に対して、誰にも負けないくらいいい子だと励ましたといいます。
また、彼の年表も巻末につけられており、読者の理解も助けられるはずです。教会でキング牧師が説教している場面の背景にあるステンドグラスまで美しい本書は、子どもはもちろん、大人まで読み応えのある1冊となっています。
- 著者
- 出版日
- 2003-06-30
「今まで人類は戦争と平和についていろいろと話はしてきた。しかし今はもう話をしている時ではない。暴力か非暴力のどちらを選ぶかを議論する余裕はまったくないのだ。今はもう、非暴力かさもなくば人類の滅亡かという状況なのだ」(『私には夢がある』より引用)
暗殺される1日前、キング牧師は「私は山頂まで登ってきた」という演説の中で、こんな名言を残していたのです。本書ではこの他にも、名高い演説「私には夢がある」を含む11編の説教、講演集が含まれています。なお姉妹編として『汝の敵を愛せよ』も出版されています。
それぞれのスピーチには、キング牧師と共に時代を歩んできた人物たちによる「解題」がつけられています。たとえば、「第1回モンゴメリー改良協会大衆集会演説」では公民権運動の母ローザ・パークスによる解題、「ノーベル平和賞受賞講演」に対してはチベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマによる解題を読むことができるのです。
ダライ・ラマは、解題としてこんな言葉を寄せました。
「キング博士が言ったように、非暴力はパワー(力)である。だがそれはパワーの正しく良い行使である。なぜならそれは真理のパワーに関係しているからである。(中略)真理こそは、自由と民主主義の最良の保証人である」(『私には夢がある』より引用)
非暴力的抗議を続けてきたダライ・ラマだからこそ綴られる言葉は、名高い演説により深い意味を与えるようです。また上記に引用した「私は山頂に登ってきた」の解題では、キング牧師の暗殺の瞬間までを知ることができます。その時代に彼と生きたからこそ書ける解題は、読み応え抜群といえるでしょう。
「I Have a Dream(私には夢がある)」であまりにも有名なキング牧師。彼が生きた時代やその考え、言葉を本などを通して学んでみてくださいね。