人工知能との触れ合いと成長を描く
- 著者
- 赤松 健
- 出版日
とりたてて女性に好かれそうなタイプではなく、取り柄のない主人公のもとに、人間ではない女の子がやってきて好意を示す、いわゆる「落ちモノ」ジャンルはラブコメ漫画の王道です。その中でも『A・Iが止まらない』は、「落ち」てくる女の子がなんと人工知能という変わり種。
プログラミングだけは天才的な高校生・神戸ひとしの元にやってくる人工知能はバリエーション豊かで、「姉」タイプのトゥエニー、「妹」「弟」両方の側面を併せ持つフォーティ、そして正統派タイプのサーティと、「落ちモノ」の王道を外さないキャラクター設定はさすが。後の赤松作品に登場する鳴瀬川なる(『ラブひな』)や神楽坂明日菜(『魔法少年ネギま!』)に引き継がれるような「ツンデレ」キャラのシンディも印象深いキャラクターです。
「モテるやつがどんどんモテる」という設定が落ちモノ漫画には付き物ですが、実はこうした効果を「マタイ効果」といいます。なぜマタイ効果が「科学」と関係あるのかというと、はじめにマタイ効果を提唱した社会学者のロバート・マートンは、研究者コミュニティの分析からこのような知見を生み出したのです。彼が見出したのは、研究が活発な人々に対してはより研究費や素晴らしい環境が与えられ、さらに研究を促進させられる。しかし、そうでない人々は研究費に困り、いい環境に身をおくこともできず、さらに研究ができなくなっていく……という過程です。
例えば、最初は女子とろくに話すこともできないひとしは、サーティやトゥエニーとのコミュニケーションを通じて、いつの間にか新装版6巻ではパソコンを探している初対面の女子(シンディ)に声をかけ、さらに彼女のやりたいことをヒアリングし、用途に合ったパソコンをおすすめするという非常に高度な対話を繰り広げています。その後、シンディは同じクラスに通いながら、ひとしに自信を付けさせようとさまざまに画策しています。多くの人のサポートを得て、自信やコミュニケーション能力を得ることでさらに成長していくひとしの物語は、まさに「マタイ効果」を発揮した結果と考えられます。
もちろん、こうした特徴は他の落ちモノ漫画も兼ね備えていますが、『A・Iが止まらない!』のもう一つの特徴は、この漫画自体が活きた情報通信史となっている点です。シンディ登場前後は、情報通信の主役がパソコン通信からインターネットに移り変わる時期でもあり、エピソードにもその性格が如実に反映されています。そうした点でも、おすすめの科学技術「落ちモノ」ラブコメです。
「研究室」という場所を観察してみよう
- 著者
- 柳原 望
- 出版日
- 2010-01-23
中学校の非常勤講師として働きつつ、地理学のオーバードクターとして地道に研究を続ける高杉温巳のもとに従妹の中学生・久留里が訪れ、ともに共同生活を行う――という、こちらも広義の「落ちモノ」漫画と言えるかもしれません。もっとも、久留里は人並み外れた美少女とは言え、きちんと人間なのですが……。
基本的には、無口な久留里とコミュニケーション能力が決して高くない温巳の間における、お弁当を介したコミュニケーションを描く料理漫画なのですが、名古屋にある「N大学地理学教室」を舞台として、地理学の各分野に従事する研究者たちのライフスタイルやキャリアパスを描いたという点でも特徴的な作品です(実は「日本地理学会賞」を受賞しています)。
例えば、温巳に思いを寄せる養蜂研究者「小坂さん」は、有給で研究活動をするものの大学との雇用関係にはない日本学術振興会特別研究員(PD)という立場ですが、このように研究者以外からするとややこしい立場についてもかなり細かく説明が加えられており、地理学のみならず社会科学系の研究生活がイメージしやすいのではと感じます。
知がどのように生産されるのか、という過程を見ることを問題意識とした研究分野として、「科学人類学」や「ラボラトリ・スタディーズ」があります。これは読んで字のごとく、研究室や実験室で行われる科学者集団の相互行為を観察するものですが、「高杉さん家のお弁当」でも、お弁当のみならず知の生産過程を描いている部分は数多く見られます。
二巻では、小坂さんの出身校である北海道の大学で彼女の博士論文公開審査会が行われます。小坂さんはこの中で、温巳とのディスカッションの末、自身の研究の新たな意義に自覚的になっていきます。ただ、こうした議論は、そもそも彼女の出身大学が「公開審査会」という形式を取っていたため、また彼女の受入教官である風谷先生が、温巳を北海道まで行かせたために可能になったものでもあります。
温巳はおそらく研究費を持っていないこともあり、風谷先生から「ヤツメウナギ漁の追加調査」という出張名目が与えられていますが、このように遠方での調査を可能にする研究室であることも、巡り巡って小坂さんが新しい知識を生み出す糧になっているのです。研究室の中のやりとりが緻密に描かれた本作品は、いかなる条件が揃えばどのような知見が生み出されるのか、を検討する好例であるでしょう。
科学的なことを分かりやすく伝えるということ
- 著者
- 鈴木 みそ
- 出版日
- 2001-06-20
「◯◯のしくみ」や「××のしかけ」といった身近な主題から化学や物理の知識を伝えるような本はよくありますが、こうした漫画もよく見られます。多くの人は古典的名作『まんがサイエンス』(あさりよしとお)を思い浮かべるかと思いますが、実は自然科学系の入門用新書を扱っている「講談社ブルーバックス」にもいくつか漫画があるのです。
このような漫画の試み自体が、専門性の高い科学的な専門知をわかりやすく伝えるという意味で、科学技術コミュニケーションの役割を果たしているといえますが、一方でキャラクターの属性によって役割が固定されがちになってしまうのが気になるところでもあります。
例えばジェンダーなどは特に顕著なところで、「教える」人は男性であるのに対し、「教えられる」側の人々は女性、ということがよくあります。例えば『決して真似しないで下さい』(講談社)などは比較的最近の作品ですが、「教える側」は男性の教員や学生であり、「教えられる側」は大学食堂で働く女性調理師という設定です。こうした科学技術における属性の表象やステレオタイプ化自体もまた、科学・技術と社会を語る上で問題視されており、問い直す試みは数多くあります。
話を戻して、鈴木みそ『マンガ 化学式に強くなる』も、小悪魔系策士(でもドジっ子)女子高生の幸ちゃんが、奥手で理系な「つくばの人」と呼ばれる、友達・由子ちゃんのお兄ちゃんに化学を教わる、という、どちらかといえば受験勉強や高等教育のための漫画という性格が強いものの、広義の「科学技術コミュニケーション」ストーリーと言えるでしょう。
理系大学生と化学アレルギーの女子高生、という字面だけ見ると典型的で固定的なジェンダー関係に見えますが、そうは見えないのは、ひとえに鈴木みその人間観察眼の鋭さが光るキャラクター造形あってこそ。主人公の幸ちゃんは、この手のストーリーにありがちな、物分りがよく、見た目が良くて素直ないい子というわけでもなければ、男性の賢さを引き立てるようなおバカキャラというわけでもない、絶妙な立ち位置でお話を引っ張っていきます。
この漫画は終始幸ちゃんの目線で描かれており、彼女は基本的に(だいたい勉強には関係ないことですが)お兄さんを籠絡しようと自発的に策略を巡らせ、目的を持って行動しています。そのため、幸ちゃんが単に物語や教える側にとって都合のいい存在にならずに済み、かつ、漫画で提示される情報も、過度に豊富なわけでもなければ不要なウンチクに走ることもなく、読み手(=幸ちゃん)の目線で必要最低限に絞られたものになっています。