思い出さないのが素敵
絵本『100万回生きたねこ』の作者である佐野洋子さん、エッセイ集。
この本によると佐野洋子さんはとにかくお布団の中で寝るのが好きらしい。
この事実を知っただけで随分気持ちが軽くなった。
“私はベットの中に居るのを白い目で見られたくないのである。ただそれだけである”
私は眠るのが昔からとにかく好きだった、みんなだって本当は
できることなら誰にも文句言われずにずっと寝ていたいんじゃないかと思っている。
佐野洋子さんの本は気張らないので、のんびりしたい気持ちの時にも合っている。
タイトルになっている「覚えていない」というのは
電話が誰の家にでもあるわけではない特別な手段だった時の
待ち合わせはどうしていたんだっけってこと。
そして、この中で思い出さないのが素敵だ。
覚えていないのがいいのだ。
立ち止まってゆっくり考える
“また時計のように正確に歯車が回っているとしか思えない生活をしている人たちの中にも、もっと豊かな休止がある律動を、またもっと自分たちの個人的な要求にか適った生き方を、そしてまた、他人、及び自分自身に対してもっと新しい、有意義な関係に立つことを望んでいる点では、私と変わらないものが少なくなかった”
と、リンドバーグ夫人はこう語る。
生活を積み重ねる中でなんとなく、やり方やリズムって決まってくる。
けれどもそれが全てではないと、立ち止まってゆっくり考えて見るというのも大切だと思っている。
リンドバーグ夫人が海辺で、ほら貝やつめた貝や日の出貝や牡蠣を手に取りながら
自身の生活や家の持ち方などについて振り返って考える
貝と人生と何の関係があるのかと思うけれど、
自然が創った形状というのは真理を持っているもので、
夫人の話は不思議と生活のあり方等に結びついていく。
海からの贈り物である。
「放浪」から見えてくる純粋さ
日本列島を放浪していた画家、山下清さんの放浪記。
放浪なんて学生時代の期限付きの特権だと思っていたけれど、こんなにゆっくり長い間
日本列島を放浪していた人もいるのだ。
人にあいさつをしない、恥ずかしいから黙っている。という山下清さん。
今、自分が挨拶をするのが恥ずかしいなんて言ったらめちゃくちゃ怒られそうだけど、
そこにある恥ずかしさって自分も昔持っていたので、分かるなぁと思った。
“どうしてだまって帰ったかときかれて、ぼくはほんとに困ってしまった。そのわけを話しても、そのわけはわかってもらえないのでだまってしまった”
子供の頃みたいな素直な繊細な感覚のまま旅をする山下清さんに
小さいことで怒ったり、人を判断したりしてしまうこともある日常を
ちょっと戒められるような気持ちになります。