柳田国男のおすすめ作品5選!青空文庫で無料で読める。

更新:2021.12.18

柳田国男は明治から昭和の中頃まで生きた民俗学の創始者です。農政官僚として国に従事しつつ各地の習慣、民話等を採集してきました。現在、学問を離れた小説、漫画などの新たな創作作品に着想を与え続ける不思議な魅力をもった著述を多数残しています。

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民俗学の開拓者、柳田国男

柳田国男は明治(1875年)から昭和(1962年)の中頃まで生きた民俗学者です。兵庫県に生まれ、姓は「松岡」でしたが大学卒業後養子となり、「柳田」となりました。民俗学の創始者として知られる彼は、民間の伝承や昔話から日本の生活文化、民間信仰の根源を見出し、日本人とは何かということを解き明かそうとしました。

子供の頃、茨城で暮らした事情から日本の東と西の慣習の違いを知ったということも、のちの民俗や信仰に対する関心へとつながったと考えられています。

柳田国男は民間の伝承や習慣によって日本の特徴を知るのみならず、共同体から日本人全体の意識の共通認識を見出し、学問的にその知識を提供しようとしていたのです。生活文化が解体されていく明治からの近代化や戦前から戦後の困難な状況を乗り越えるために、人と人とのあり方を見直し日本の将来を良い方向に導くために役立つ学問を目指したのでした。

柳田国男の著作は日本人の生活文化とその心の働きを研究する上での日本研究の資料として評価を受けています。

不可解なことも事実として受け入れる 昔の人の思考を読む『遠野物語』

この話は柳田国男が遠野出身の知人から聞いた話を書き取ったものです。

私には伝承を収録した本というイメージがありましたが、この話がなされた時代の遠野の風景や習慣も記録されていて今はもうないであろう景色を想像することができる気がします。

「思ふに此類の書物は少なくとも現代の流行に非ず」と柳田自身は言っていますがこのように文字として伝えてくれなければ今の私たちには知りえなかった過去の事実が記されています。

著者
柳田 国男
出版日
2004-05-26

『遠野物語』と聞けば今の小説や漫画でおなじみのザシキワラシやカッパを思い出す人も多いでしょう。

しかしこの話の内容はそれら不思議なものやことを描いているというよりは、その当時の遠野で起こる様々なことに対する人々のとらえ方、受け取り方を記しています。

こうしないと罰があたるよとか、いい行いをすればいい結果が得られるよとかいう寓話ではなく、昔の人たちが実際に見た聞いたという事実として語られているのです。

神隠しで人がいなくなる、大男に相撲を挑んだら後日手足を引きちぎられて死んでいた、出会った異様な人物が山の神とわかったとたん怖くなって逃げるなど不思議さと不気味さが漂っていて楽しい読み物というわけではないと思います。

山あるいは山奥というなにが潜んでいるかわからない場所や物に対する畏れのような感覚を味わうことのできる作品です。

日本人はどこから来たのか 今も謎の多い私たちの来歴の一つの説を知る『海上の道』

遠く南方からヤシの実が漂って日本沿岸にたどりつく。そんな話を柳田国男から聞いて島崎藤村が『椰子の実』を作詩したというエピソードは有名です。

当の柳田はそのヤシの実から日本人の来歴というものに着目したのです。沖縄の島々に伝わる伝承と日本の昔話との共通点は何か、その共通項から果たして日本人の故郷が分かるのか。

ヤシの実ほど長く漂えない人間が海を越えて渡ってくるほどの魅力は何なのか。柳田なりの日本人のルーツの解釈とともに、民俗学の在り方や研究の意義を説く内容です。

著者
柳田 国男
出版日
2013-01-25

昔からそこにあってその土地の人たちには当然のことは、特に取り沙汰されず文字として記録されないものです。

ヤシの実が漂着する。それが何なのかよく分からないが便利だから道具として使う。そういうことをつぶさに拾い上げて検証することにはかなりの執着と努力が必要でしょう。

ヤシの実に限らずこの『海上の道』と一緒に収録されているほかの論考は、記録として残りにくい島嶼の歴史をどう拾い上げるのかを説いています。

海のかなたに素晴らしい国があるという昔ばなしが南の島々と日本とに共通してある。年中行事に見られる共通点が見られる。そういうことからかんがみて南から北か、北から南へかまでは分からないが人々の移動があったことは推測してもよいのではないかと言っています。

私たち島国に住む人間はいつどの方向からやってきたのか、海に囲まれている割にはあまりにも知ることをおろそかにしてきたとして、それでこそ民俗学の実績が問われるのだと柳田は文章中で語っています。

民俗学が将来に貢献することを期待する柳田国男の心を読み取ることができる作品です。

かつて学問に顧みられなかった事象を検証する『山の人生』

柳田国男自身、神隠しのようなふるまいをしたことがあるのだそうです。そんな自分の経験もかんがみて、神隠しにあいやすい気質があるのか、どんな状況でこつぜんと人はいなくなるのか、またそれを神隠しと判断する根拠は何なのかという、日本各地の事例を比較検証しています。

天狗、狐、山人がさらったと結論付ける共通性や里の人とはちがう、山の中に存在する「何か」とその土地の信仰生活とのかかわりを探ろうとする内容です。

著者
柳田 国男
出版日
2013-01-25

子供がいなくなれば今なら当然、警察へ連絡し近隣の人たちと探しまわるにちがいありません。

しかし昔は、これは神隠しだと判断すれば鉦をたたいて儀式めいたことをしながら歩き回ったのだそうです。そしてまれに戻ってきたりもするのです。

子供に限らず成人さえもふらふらと山へ入っていく。不平があったり厭世の気持ちで家出するのではないのに。そんな事例が遠く離れた土地どうしで共通してあるのはなぜかの検証を試みています。

ほかにもウブメと路傍の神、狼への信仰、山人と天狗について、何百歳も生きている人の伝説の成り立ちなどを掘り下げていけば昔の人の考えや信仰の片鱗が見えるといいます。

山近くに住む人々の宗教生活、風習を説明するためにこの書物を書いたと柳田は述べていますが、ここに書かれた各地の習慣あるいは不思議な事象に対する地元の人なりの解釈のしかたというものが今、どれだけ残っているのだろうかと考えさせられます。

自分の子供の頃を振り返るきっかけに『こども風土記』

子供と母親たちが一緒に読めるものという新聞社の企画で遊びについての話を募集したところ、今の子供よりもかつて子供だった大人からの反響のほうが大きかったと柳田国男は語っています。

故郷を離れたばかりの若者たちが少し前の子供と呼ばれた時代を思い出して自分はこういう遊びをしていたと書き送ってくれることは柳田にとって本来の趣旨とは違う思わぬ副産物だったのです。

たくさん集められた遊びの情報をもとにして、その中から遊びのもともとの意味を探ろうという内容です。

著者
柳田 国男
出版日
1976-12-16

この本の内容は1942年のもので、私には聞いたことのない言葉や内容の遊びが多く、とても新鮮に思えます。

わずかに知っている遊びとしては「かごめ、かごめ」がありました。柳田の解釈ではこれは「屈め、屈め」つまり「しゃがめ」ということだろうとのこと。この遊びの本当の目的は輪を作って立ったりしゃがんだりすることだから、歌のほうは面白かったり、ゴロが良かったりしたものに改作されていくのだと言っています。

子供の遊びはもとは大人がまじめに行う何らかの儀式をまねて遊びになったのだろうということで、もとの忘れたほうの儀式やしきたりの推測をとても興味深く読むことができます。

この本を読んでいるうちに、読者の土地の遊びもあるかもしれません。もしかしたら、地元のエピソードのはずなのに、もはや聞いたこともないというものもあるかもしれません。

それでこそ柳田国男が文字として、これらの遊びを残した意味があるのです。

私たちがやっていた遊びも、活字上の文献になっていきつつあるのではないでしょうか。

今では語られなくなった伝説を知りたいならこれ『日本の伝説』

日本各地に伝わる伝説を多数取り上げ、もともとその土地にある木や石、泉にまつわる伝説がどう変容したのか、そしてその変わり方には共通性のあるのだということを説明しています。

子供に語り掛ける口調でわかりやすく読みやすく書かれています。

著者
柳田 國男
出版日
1977-01-25

子供に向けて読み聞かせをすることがよく奨励されていますが、この柳田国男の著作は子供が話を聞きおぼえることの意味と後世への功績を語っています。

昔から子供を大切にする国風というものが日本にあって、それが道祖神とか外来の地蔵とかによく残っているのだといいます。

各地に弘法大師や念仏、また歴史上の人物がまつわる伝説がたくさんありますが、それはもともとあった木や石に対する習慣やしきたりの本来の意味が忘れ去られ、それらの習慣を行う理由付けとして後から伝説が付託されたというのがおおかたのパターンだということです。

例えば「だいし」という呼び名はもとは神を祀っていた名残の言葉が各地の田舎にあり、物の分かった知識人が「だいし」なら弘法大師に違いないというようになって結果、弘法大師があちこちで奇跡を起こすことになったのだという理論などは興味深く面白いです。

柳田国男のおすすめ5作品、いかがでしたでしょうか。人々のなんでもない生活を学問としてとらえる民俗学。時代の流れの中で消えてしまうはずだった習慣を民俗学という学問によって残してくれたおかげで今日私たちはこのように知ることができるのではないでしょうか。今私たちが当たり前に行っていることのいくつかも、記録されることなく将来には知るすべもなく消えていくのかもしれません。

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