「家族」も一枚岩ではない。この奇妙な集団のさまざまな表情を読む

「家族」も一枚岩ではない。この奇妙な集団のさまざまな表情を読む

更新:2021.12.12

トルストイは、家族について「幸福な家庭はすべてよく似ているが、不幸な家庭は皆それぞれに違う」といった格言を残しています。「家族」は、多くの人が帰属・体験する集団のひとつではありますが、一方でこれほど異なるひとびとを同じ語で定義していることもあまりないのではないかと思います。そういうわけで今回は、家族という奇妙な集団について、少し考えを深めてみましょう。

ブックカルテ リンク
こんにちは。富永京子です。この記事が掲載されるのは2月1日かと思いますが、もう1年の1/12が終わってしまうなんて早いものですね(謎のプレッシャー)。年末年始は、ご実家や故郷に帰られて、滅多に会えないご親族に会われた方も多かったのではないかと思います。久しぶりに会う親族が懐かしく感じられる一方で、合わない部分を強く認識することがあるかもしれません。

トルストイは、家族について「幸福な家庭はすべてよく似ているが、不幸な家庭は皆それぞれに違う」といった格言を残しています。「家族」は、多くの人が帰属・体験する集団のひとつではありますが、一方でこれほど異なるひとびとを同じ語で定義していることもあまりないのではないかと思います。そういうわけで今回は、家族という奇妙な集団について、少し考えを深めてみましょう。

「クッキングパパ」というタイトルがユニークだったころ

著者
うえやま とち
出版日
1986-01-14
主人公である専門商社社員・荒岩一味と、そのパートナーである新聞記者の虹子、息子・まこと、娘・みゆきを中心に描く、福岡を舞台としたファミリードラマです。1985年から現在まで30年以上もの間愛されているこの漫画は、「アニメ・漫画好き」でなくともみなさんご存知の長寿漫画の一つではないでしょうか。

いわゆる『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』のような日常ほのぼのドラマと思われがちですが、作品内でも時間が進行しており、キャラクターが成長する点は、上述した作品と大きく異なります。連載開始当時は小学2年生であったまことは、今や大学生に。家族円満、素直で良い子を地で行くような彼ですが、中学時代はちょっとした反抗期(一話程度で終わりますが)、高校時代は進路に悩むなど、年相応の姿が描かれます。まことに限ったことでなく、一味の役職も変化し、虹子が追いかける問題は時代によって異なります。また、第二子・みゆきが生まれた際には、マンションから借家に引っ越しています。

こうした家族の変化は「家族のライフサイクル」と呼ばれます。家族の変化を、結婚から子供の出生、まだ子供の成長と巣立ちといった発達段階として捉え、家族がどの「ライフステージ」にいるかを検討することで、各段階における家族の課題を想定する概念とされています。クッキングパパは、長期連載の「ファミリードラマ」ゆえに、家族のライフサイクルを見る上でも面白いお話だと言えるでしょう。

もう一点、指摘しておきたい点があります。それは荒岩が「クッキングパパ」であること。連載当初、荒岩は、料理が得意なことを家族と部下である夢子以外の人々に隠していました。持参する弁当は「妻の作ったもの」だと主張し、たまに職場で差し入れを作っても「夢子が作った」とごまかします。時代の変化に応じ、荒岩は500話(1998年)にてようやく料理をすることをカミングアウトしますが、連載開始当初において「クッキングパパ」というタイトルがユニークであったということ、それ自体が性別役割としての家事労働を色濃く示していたと言えるでしょう。

恋愛が先か、結婚が先か、それともふたつは別物なのか

著者
海野 つなみ
出版日
2013-06-13
25歳のみくりは、大学院を修了して職なし。36歳のシステムエンジニア・平匡の家で「家事代行サービス」を続けるうちに、平匡から事実婚を持ちかけられ、「契約結婚」生活を始めることになる、という一風変わったラブコメディ。お金を稼ぐために家政婦を続けたいみくりと、同居人がいて癒しのある生活をしたい平匡、もちろん各種控除を利用してお得に生きたいのはふたりとも同じ――という、「制度」としての結婚を利用しながら生きる仮面夫婦を中心に話が進行します。

結婚は恋愛を経た結びつきであるという、近代家族の中核を成す価値観を「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」と呼びますが、この作品はその前提を踏まえず、恋愛と結婚の順序を逆にしています。みくりと平匡は、婚姻届を提出し、戸籍を同一にするといういわゆる「法律婚」ではない「事実婚」を選びます。スキンシップや家事労働、双方の親に対する説明といった一つ一つの事項を「契約」とみなし、議論を重ねていくさまは、ときにコマの半分以上を占める台詞の量に驚きますが、とても新鮮。読者にも、経済的・社会的な面から結婚とは何なのかを考えさせてくれます。

これだけ明確に設定の「お膳立て」がしてあると、理屈っぽい作品になってしまいそうとネガティブな印象もありますが、そんなことは全くありません。作者の人生経験や長いキャリアに基づく含蓄のある台詞と、何気ない日常のやり取りがバランスよく交わります。緩急ある展開、自然な会話運びで、あまり難しいことを話している雰囲気もなく、リラックスしてお話の雰囲気に浸ることができます。恋愛経験の乏しさを理屈半分、感情半分で乗り越え、心を通わせようとする二人に、萌えること間違いなしの作品です。

京都を舞台に描かれる、家族をめぐる伝統と近代の止揚

著者
鳥飼 茜
出版日
2011-04-22
最近は『おんなのいえ』『先生の白い嘘』『地獄のガールフレンド』など、社会的な視点から「女」を論じる作風で注目を集めている鳥飼茜氏の青年誌デビュー作です。京都を舞台に、主人公であり、家事上手な26歳の会社員・一保と、超美人だがガサツな姉・奈保子と理保子を中心に、三者三様の仕事・恋愛・「家庭」模様が描かれます。

一見すると取り留めがなく、ゆるやかな雰囲気の中で日常が続く作品のように見えますが、登場人物一人ひとりの裏に彼らの「家族」像がきちんと、しかし目立ちすぎない形で存在しています。不倫、家業の後継、予期せぬ妊娠、養子、子の認知、きょうだいとの別離……。これだけ多くの家族をめぐる事件が、一読すると強いメッセージ性も感じず、描かれる京都の空気や雰囲気のように柔らかく流れていく作品です。漫画家・萩尾望都は鳥飼茜の作品を「品がいい」と評していますが、筆者の主張をこれという形で示さず、しかし確かに読者に対して考えを開かせるという点で「品のいい」著作になっていると思います。

京都という舞台や、家を継ぐ、という語がビジネスの面でも、文字通り主人のいる「イエ」を守り継ぐ、という面でも少なからず顔を出すことから、因習的な家族観に翻弄される人々の話とも感じがちな本作ですが、むしろフレキシブルな家族のあり方を提示しているのではないでしょうか。応仁の乱から続いた家を守り、「後継ぎを産むこと」にこだわった奈保子の義理の母は、血も繋がらず、幼い頃から育てたわけでもない「赤の他人」を養子として迎え入れます。家業を継ぎ結婚の勧めをほうぼうから受けるものの、好きな相手に振り向いてもらえない福住は、見合い相手の提案により「愛情を前提としない結婚」を受け入れます。家族をめぐる伝統的・近代的な規範が入り混じりながら、新しいあり方を模索するキャラクターの生き方は、読むたびに新たな発見があります。

内容、構成、すべてをもって、私たちの「前提」を鋭く揺さぶる

著者
田亀 源五郎
出版日
2015-05-25
近年最もホットなトピックの一つが、LGBTの権利に関することがらではないでしょうか。アメリカ合衆国が同性婚を認め、事実上合法化し、渋谷区が同性パートナーシップを承認した2015年は、セクシュアル・マイノリティの人々が形成する「家族」を考える上で特別な年になったと考えられるでしょう。

しかし、そもそも、同性愛は「認める」「承認する」性格のものなのでしょうか。「認める」としたら、それは誰で、どのようなことをすれば承認したと言えるのでしょうか。この作品は、双子の弟が同性の外国人と結婚したことを「認められない」主人公・弥一と、無邪気にその存在を受け入れる娘・夏菜、そして弥一にとって「弟の夫」であるカナダ人・マイクの交流を描くストーリーです。

「男同士でも結婚できるの? 」「どっちがパパでどっちがママなの? 」といった夏菜の無邪気な問い掛けと、その度にヒヤヒヤしたり、説明に困ったりする「マジョリティ」弥一、どのような問いに対しても優しく、分かりやすく答えてくれる「マイノリティ」マイクのコミュニケーションは、ほのぼのとしながらも私たちの多くが抱えている「男性社会的」「マジョリティ的」な感覚や価値観に鋭くヒビを入れるものです。

また、この漫画の面白さは、漫画の描き方そのものに「ゲイ向け」の視点を挿入していることでしょう。作者・田亀源五郎は、登場人物のシャワーシーンを「漫画でよくあるヒロインのシャワーシーンのようなもの」とし、「それをゲイ向けにやるとこうなるんだよというのを描いて、読んでいる人に『えっ? 』って思って欲しかった」と話しています。1ストーリーだけでなく構成にまで、マジョリティの持つ目線を転倒させるような仕組みが入っている、さすがゲイポルノアートの巨匠、と唸らされる作品です。

からだに縛られ、たまごに悩むという理不尽

著者
渡辺 ペコ
出版日
2010-01-22
家族の機能や構成員の役割など、家族はその時代に合わせて変化を遂げますが、子どもに関する考え方やあり方もまた、大きく変化し続けています。たとえば非嫡出子(法律上の婚姻関係にない男女間に生まれた子ども)の出性に占める割合は、世界的にもここ30年で劇的に増加しています。

交際9年・同棲5年という付き合いをしている29歳のカップルが、この物語の主人公。惣菜屋勤務の「あっちゃん」と弁理士事務所で働く「コーヘー」は、それまで淡々としつつも上手くいっていたのですが、ある日コーヘーに会社の上司・高野さんとの子供が出来てしまう、という事件からお話がスタートします。非嫡出子の割合が増加しているとはいえ、まだまだ非常に低い日本において、「子供」は結婚やパートナーと全く切り離して捉えられる問題ではありません。そして、子供を産み育てるということは、その分誰かがお金を稼ぐ必要があるということ。こうした諸々の問題をめぐって、あっちゃん、コーヘー、高野さんが、人生の選択を行うことになるのです。

興味深いのは、ある種の「理不尽」に直面し、自分の生き方を問い直すあっちゃんと高野さんに比して、コーヘーが多くの場面で戸惑い、流され、なすすべなくたたずんでいるようにしか見えないこと。こうした実情が、「男性の育児参加」や「家事分担」が取り沙汰される現代において、やはり「産む」ことはからだの問題であり、男女同等に考え行動することは困難なのだなと感じずにはいられません。結末、そうした実態の中でコーヘーとあっちゃんが選んだ選択肢に、その不平等を乗り越えるチャンスがあるのかもしれません。

今回はここでおしまいです。家族を扱った漫画は数多く、他にも沢山紹介したい漫画がありました。いずれまた家族の何かに絞りながら「第二弾」もできればと思っています……。さて、次回のテーマは「ジェンダー」。またまた良作ぞろいなので、ぜひ読んでくださいね!

この記事が含まれる特集

  • マンガ社会学

    立命館大学産業社会学部准教授富永京子先生による連載。社会学のさまざまなテーマからマンガを見てみると、どのような読み方ができるのか。知っているマンガも、新しいもののように見えてきます。インタビューも。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る