民俗学者、国文学者、そして歌人でもあった折口信夫の多彩な研究は「折口学」と呼ばれ、今もなお注目される存在です。独特の感性と表現で多くの著作を残し、現在も批判と分析を加え続けられています。
折口信夫は明治(1887年)から昭和(1953年)にかけて生きた国文学者であり、民俗学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)とも号した歌人です。柳田國男の弟子として日本の民俗学の発展に尽力しました。
大阪に生まれ、舞楽や文楽など芸能が豊かに演じられるそんな環境で折口信夫の感性は育てられていきました。はるか昔の人間の原初の思考を求めた折口は、日本の芸能の中に「古代人」の考えのもともとの形、普遍的な人類の思考が残っていると考え、独創的な民俗学を構築していきます。
柳田は日本人の神の観念を共同体の中の共通性のあるものから見出そうとしましたが、折口は共同体の外からの強烈な刺激が宗教体験となったのだとし、神の観念としての精霊「まれびと」というものを設定して説明していこうとしました。柳田國男に師事しながらも、柳田とは違う「神」の理論を確立していくのです。
直感から推理して実証する「折口学」と呼ばれる理論は、人類の普遍性を求めた折口信夫が語る「古代人」の声なのです。
『死者の書』
奈良県と大阪府の境界にある二上山という山と、そのふもとにある当麻寺の「中将姫」の伝説に題材をとった作品です。
主人公は藤原家の係累、横佩(よこはき)家の郎女(いらつめ)。神がかりの強い彼女は、人の男の嫁ではなく、神に仕える巫女になるだろうと期待されていました。
ある日彼女は二上山の山の峰の間に輝かしいおもかげの人の姿を見るのです。それ以来「おもかげの人」への思慕が尽きず、二上山へと向かわずにはいられなくなります。
唐風と仏教が入り来て、都の様子も人々のふるまいも変わっていく。そんな古代の風景を感じることのできる作品です。
- 著者
- 折口 信夫
- 出版日
とてもおどろおどろしく始まるので怪奇小説かと思いましたが読み進むにつれ、主人公の横佩家の郎女の純粋な心根と、豊かな感性を描いたものだと感じるようになりました。
作中、淡海公(藤原不比等)、高天原広野姫尊(持統天皇)など具体的な歴史上の人物が出てきますし、二上山に葬られているのが大津皇子とかわかるのですが、あまりとらわれず、郎女の行動とその周辺の人々の心情などに焦点を当てると、折口信夫が描きたかったであろう古代の人々の世界が見えるような気がします。
郎女が見た二上山の「おもかげの人」が衣服も着ずにいるということを知り、哀れに思って蓮糸で布を織り始めます。侍女たちは姫の「魂が抜けた」ので二上山のふもとから動けないのだと心配して姫の思うままに過ごさせるのです。
また、時間経過の描写は本作の美点のひとつ。早乙女が田植えの物忌みをしている、麦が刈り取られる、田が青くなるなど、春分から秋分までの様子をまわりの人々の暮らしや習慣で教えてくれるのです。
この作品は古代の人々の生活を組み入れた折口信夫の頭の中で作り上げたファンタジーとして読むことをおすすめします。
『山越しの阿弥陀像の画因』
日本画において、阿弥陀仏を描くとき、どうして山並みの向こうから阿弥陀仏がこちら側に向かっているようなスタイルがあるのか、ということを検証した内容です。
いくつかの阿弥陀来迎図を比較して、「山越しの阿弥陀像」というのは日本独特のものとして成立した考えを述べ、それには日本人の西に沈む太陽を信仰するもともとの形があったのが影響しているという考えを示しています。
また、上記で紹介した『死者の書』に対する折口信夫自身の所見も述べられていますので、あわせて読むことをおすすめします。
- 著者
- 折口信夫
- 出版日
- 2015-04-30
彼岸の西に沈む日に特別な感情を抱いて拝むという風習は、日本のもともとの信仰なり、習慣があって、それが仏教に取り込まれて山の峰の向こうから阿弥陀仏が顔を出している構図が生み出されたのだろうと述べている論文です。
もともとは概念的に日を拝んでいたのではなく、実際的に日に向き合わなければならないことがあったのではないか、というのです。日や天体をもって占い、豊凶や風雨を知るという切実なことがまずあって、日を拝むという信仰の表現ができたのだろうと述べています。
日迎え、日送りという彼岸の中日の行事に、朝は東、夕は西に向いていく風習など具体的な昔からの名残の、日にまつわる行事を取り上げて、日本人の日に対する特別の思いと、仏教の浄土の考えが結び合わさった一つの形として「山越しの阿弥陀像」という日本画のスタイルができたのだと説いています。
『信太妻の話』
説経節で語られる信太妻(しのだづま)は安倍晴明を生んだ葛の葉狐の伝説がもとになっていることを皮切りに、狐が妻になって子をなすパターンはいろいろあるとして伝説が改編、加筆される過程を考証しています。
また、祖先が動物であるとする系譜が生まれた意味や、異なる信仰や生活習慣から入ってきた嫁という存在が夫婦の破綻をきたす結末と、狐とばれていなくなってしまう狐妻の伝説のパターンを結び付けて論じた内容です。
- 著者
- 折口信夫
- 出版日
- 2015-04-30
伝説は、どの話がもとになったとは確定的には言えないもので、本に書かれる以前にすでに他から影響を受けているかもしれないものだと折口信夫は語っています。
伝説は全く固定したものではなく、似た話を取り込んだり、面白くないものははぶかれたりして、いろいろなものがあって、やがて戯曲や小説になるとそれがお定まりの伝説になるのだそうです。
折口信夫はこの論文の中で、狐が妻となり子を生む。しかし狐という秘密がばれていなくなる。のパターンの中の秘密に注目します。
異文化から来た嫁が夫とは違う信仰を持っていて、「見ないでください」と物忌みする。しかし夫はつい見たくなる。それで夫婦の関係が破綻する。ということがこの狐妻の奥底にあるのではないかと説いています。
そのほか、外来の仏教によって化け物におとしめられた神々の成り行きなど、日本人のそもそもの信仰の原形を伝説の変遷から解明しようと試みる論文です。
『反省の文学源氏物語』
『源氏物語』といえば主人公の光源氏が数々の女性と恋愛していくプレイボーイの話というイメージでとらえている人は多いと思います。
この話がいつ書かれたのか、そして舞台として設定した時代はいつなのかが大切だと折口信夫は述べています。そして、作者の紫式部が生きた時代より数世代前であるとしたら、それは紫式部の時代から見たその時代の印象を描いているのだということです。
紫式部がこの作品に込めた意義とは何か。折口信夫が『源氏物語』から何を読み取ったかを論述した内容です。
- 著者
- 折口信夫
- 出版日
- 2016-07-31
『源氏物語』に興味はあるけど長くてなかなか手が出せないという方におすすめの論文です。
主人公の光源氏はいろんな女性を恋人に持って、恋愛を楽しんでいる貴公子というイメージがあるのではないでしょうか。しかし折口信夫は、紫式部の書き手の意図として別のことを含ませているのではないかと論じています。
もともと完璧な人間というものはいなくて、この主人公は恋愛をしながら失敗を繰り返します。他人に対してよくないことをして、それがわだかまりになったまま時が過ぎて、今度は同じことを光源氏がされる側になる。そして反省して理想の人間像に近くなるが、しかし年を取って悪い面が再び出てくるという人間臭さから抜けられないという、読み手自身も心当たりがあるようなことを光源氏に託しているというのです。
日本人がこうありたいという生き方の方向性を光源氏というモデルによって示し、生活の奥にある信仰と道徳を考え、人間として向上するための反省の書なのだと結論づけます。
この論文を一読すれば『源氏物語』を恋愛とはちがった視点で読むことができるでしょう。
『短歌本質成立の時代 万葉集以後の歌風の見わたし 』
歌人として短歌を愛した折口信夫。
万葉の時代から引き継がれる歌の調子「575・77」は私たち日本人に共通して染みついているものではないでしょうか。
本書は、連歌や俳諧に傾倒するものの作った短歌、仏者の短歌、様々な作り手の作品から短歌を見つめ直すことを試みた内容です。
短歌の文化的価値や万葉集との関り、短歌に込める人々の感情がいかに成立していったのかを論じています。
- 著者
- 折口 信夫
- 出版日
- 2016-07-20
教科書でおなじみの人物たちの短歌に対する折口の評価をとても興味深く読むことができる論文です。
短歌が文学として成立していくうえで歌人たちにどのように試みられていったのかを奈良朝から平安末期を中心に論述しています。宴遊での歌垣(うたがき・かがい)のような掛け合いの勝負事から相手なく一人で吟ずる歌が短歌以前の兆しとなり、そこから創作という文学態度が現れたとしています。
「美」の意識を込める、あるいは感情のままに詠うのではなく、静かに自然に向き合う感覚の萌芽を山部赤人や大伴家持に見出すのです。
平安期に入ると生活から離れた心境を楽しむ「美」を意識し、女房生活の女性の方が短歌を自在にするようになったといいます。自分を詠うというよりは、物語の登場人物を象徴的に詠う傾向が出てくるのだそうです。
連歌や俳諧に押されつつもその形式を今に伝えてきた短歌の成立に対する折口の分析が記述されています。
折口信夫の作品おすすめ5選、いかがでしたか?文学や短歌、民俗学にたずさわった彼ならではの著述をご紹介いたしました。日本人の無意識の根底にある心や感性を教えてくれる内容だと思います。ぜひ読んでみてください。