板垣退助に関する本おすすめ4冊。自由民権運動を推奨した人物について。

更新:2021.12.19

板垣退助は明治維新の立役者であり、その後は自由民権運動を指導した人物です。そんな退助の思想や行動、そして明治初期の政治について詳しく知ることができる本を集めましたのでご紹介します。

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自由民権運動を指導した板垣退助とは

板垣退助は、「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を残したことで有名で、自由民権運動を指導した人物です。このことは日本の民主主義発展に大きな役割を果たしています。国民にも人気のあった政治家で、50銭政府紙幣や日本銀行券B100円券に肖像が使われました。

退助は1837年に土佐藩にて生まれました。腕白な少年時代を過ごしましが、弱い者いじめはせず、祖先の家名を汚さぬよう教えられていたそうです。

1861年に退助は江戸へ向かい、尊皇攘夷を唱えるようになります。土佐藩上士としては珍しく武力倒幕を主張していた退助は、1867年西郷隆盛と薩土密約を結びました。戊辰戦争には、土佐藩兵を率いて東山道先鋒総督府の参謀として参戦します。甲州勝沼の戦いで新選組を撃破。東北戦争では三春藩を無血開城し、1868年(明治元年)に藩陸軍総督となりました。

明治政府では参議に就任し活躍しました。1873年西郷隆盛と共に武力で朝鮮を開国させようとする征韓論を主張。しかし欧米周遊を終え帰国した岩倉具視らに受け入れられることはなく、退助は明治政府を去りました。これに同調した参議、軍人、官僚が約600人も職を辞し、このことは明治六年政変と呼ばれています。

その後退助は1874年に愛国公党を作り、民撰議院設立建白書を提出。さらに高知に立志社を設立し、自由民権運動を推進します。そして1881年自由党を結成し、総理となりました。1882年岐阜で暴漢に襲われ負傷しますが、この時に「板垣死すとも自由は死せず」という意味の言葉を発しています。

1898年大隈重信と憲政党を作り、日本初の政党内閣の内務大臣となりました。このことから第1次大隈内閣は、通称隈板内閣とも言われています。しかし4ヶ月で総辞職し、退助は政界を引退。その後1919年83歳で亡くなりました。

板垣退助にまつわる8つの逸話

1:会津戦争の大将 だった

戊辰戦争の中でも特に有名な「会津戦争」。 その中でも一際激戦であったのが「会津城籠城戦」でした。 当初は圧倒的な軍事力をもつ新政府軍が強行突破で会津城を攻めおとそうとしました。 が、あまりに激しい会津軍の反撃で、新政府軍の大山巌が負傷するなど、思わぬ反撃を受け一時撤退します。

最終的に板垣退助がうった戦法によって会津軍は抵抗力を削がれていきました。 会津戦争の新政府軍勝利は、板垣の戦略的判断に寄るところが大きかったです。

2 :あの名言は言っていなかった?

「板垣死すとも自由は死せず」は板垣の名言であるが、当の本人板垣は「アッと思うばかりで声も出なかった」という発言を残しています。 板垣が自由民権運動の主導者であることは疑いの余地のないところでしたが、発言自体には信憑性が疑われているようです。

3:伊藤博文とは協力したこともあった

板垣退助は自由民権派で、伊藤博文とは考えが相容れない部分も多いために、政府を下野して自由党を結成していた過去があります。 しかし、1896年当時の第二次伊藤内閣において、元老と議会の間での板ばさみが続いて、最終的に政府内で内閣が孤立しつつあるという事態に陥っていました。

そこで、民権派の板垣退助を内閣に入れることで、民権派と元老の対立を内閣と同じ土俵に持っていく政治手法をとらざるを得ませんでした。

4:元の名字は「乾」 だった

板垣退助の元の名字は「乾(いぬい)」でした。 名字を変えたきっかけは1868年に幕府の天領の甲府城を手に入れることになった際、先祖の板垣信方の名字を用いて改名しました。 板垣信方は武田信玄の軍師であり、甲府を抑えた際の住民統治が円滑になるという判断があったと言われています。

5:迷信を信じない男だった
 

神社のお守りをトイレに捨ててバチが当たらないか確認したり、食べ合わせのよくないものを組み合わせて体調を崩さないのかなど、当時のさまざまな迷信を徹底的に実践して言ったと言われており、板垣は極めて現実を見る人間性を垣間見れる逸話です。

6:相撲が好きだった

武術に通じていた板垣は相撲にものめり込んでいました。 相撲付きが興じた結果、なんと自宅に相撲道場を作り、力士の育成を支援したと言われています。

7:トレードマークの「髭」はいつからあったのか

板垣退助のトレードマークである髭はいつからあれだけの長さになっていたのでしょうか? 実は若い頃の写真を見ると、顎はツルツルで髭が全くありませんでした。しかし、襲撃事件以降の写真では立派な顎髭が生えております。

どう言った理由で髭を生やしたのかは本人のみ知るところですが、結果的に偽造防止効果も認められ紙幣の写真にも使われることになります。

8:坂本龍馬とは同時代を生きていた

同時代を行きたい坂本龍馬とは、倒幕で一致しさらに同じ土佐藩であるという共通項がありました。にもかかわらず、接点はなかったそうです。 これは郷士出身の坂本と上士出身の板垣では、身分制の厳しい土佐藩では接する機会が少なかったと言われています。

四民平等を訴えた板垣退助の功績

『板垣退助―孤雲去りて』を読めば、退助の業績について存分に知ることができます。自由民権運動で有名な退助ですが、実は軍人としても優れており、戊辰戦争では大きな活躍をしました。そういったことも詳しく書かれており、そこからどのように自由民権運動を行うに至ったか、名言「板垣死すとも自由は死せず」が発せられた場面などを小説仕立てで面白く読んでいくことができます。

著者
三好 徹
出版日

幕末から維新にかけての激動の時代、民はみな平等であるという意識を持っている人がどれだけいたでしょうか。退助は、戊辰戦争が終わってすぐの身分に差があるのが当然だった時代に、四民平等という考え方を口にして、周りの人に奇異の目で見られます。なぜこのような考え方を生み出すことができたのか、本書を読めば理解できることでしょう。

本書は1882年に退助が暴漢に襲われ負傷したところで、ほとんど話が終わります。その後、退助は内務大臣となりますが、そのあたりのことは退助の功績としては特筆すべきことがないということなのです。自由民権運動をやっていた時が一番退助らしく、そして彼はその志に沿った行動しかしていません。退助の魅力がしっかりと伝わってくる物語です。

大変な苦労で完成した板垣退助の伝記本

板垣退助が自由民権運動に捧げた人生を知るためには欠かすことができない『板垣退助君伝記』。全4巻の大作です。著者の宇田友猪は、板垣退助に師事しながら新聞記者として働いていた人物。その彼が書いていた伝記なのですが、途中(昭和5年)で亡くなってしまったために未完未発行となっていました。毛筆で書かれた膨大な原稿を解読し、ついに刊行することができたのです。

著者
宇田友猪
出版日
2009-09-03

書かれているのは、退助が隈板内閣を成立させるまでの人生です。さらに退助の伝記のみならず、明治維新、政治や政党の変革の様子、立憲政治への歩みなど、幕末から明治の政治史を網羅するものとなっています。直に退助を知る人物が、さらに数多くの資料を用いて書いた書籍なので、読むのは大変ですが読む価値のある史料と言えるでしょう。

著者は亡くなるときに、ぜひともこの伝記を完成させてほしいと願っていたそうです。大正13年から執筆された5000枚の原稿がすべてきれいに残っていたことも驚きですし、それを3年もかけて本として仕上げた校訂者の努力にも感服します。退助を研究している人、自由民権運動について知りたい人、明治の政治を学んでいる人、多くの人に必読の素晴らしい本です。

子どもにも教えたい。自由民権という考え方

『板垣退助― 三日月に祈る自由民権の志士 』では、自由民権運動を行った板垣退助の思想とその行動を分かりやすく描きます。明治維新を成し遂げた後、退助は藩閥政治に疑問を持ち、自由こそが大切だという考えに至るのです。本書は、小学5年生くらいからでも読むことができるようなシリーズで、平易に書かれています。若い世代が、明治の立役者とはどんな人物だったのかを学べるような本です。

著者
古川 薫
出版日

自由民権とは何なのか、退助はなぜ自由民権運動を推進しようと思ったのか、そしてどのような結果を得たのかということを、しっかりと理解することができます。薩長の昔からの体制を引きずる人たちと、退助の先進的な意見はなかなか折り合うことがありません。

そんな中で国会や政党のシステムを導入し、民主国家を作り上げようとした退助によって現代の国家が出来上がっているのです。未来を背負う子どもたちに政治に興味をもってもらうためには、本書のような児童書がぴったりだと言えるでしょう。

板垣退助はなぜ政治家として大成しなかったか

板垣退助は四民平等を訴え、自由民権運動を率いていきました。しかし政治家としてはほとんど名を残していません。それはなぜなのかということを『板垣退助―自由民権の夢と敗北』では検証していきます。征韓論を支持したものの退けられ、自由思想へと気持ちを傾けていく退助。政党を作るものの、なかなか国会の中で主導権を握ることができません。自由民権派の歩んだ道のりについて学べる本です。

著者
榛葉 英治
出版日

まだまだ自由民権の思想が根づかないこの時代、政党をまとめ上げるのは至難の業だったのでしょう。民権派は多数派であるもののすぐに分裂し、国会で意見を通すことができずにいました。退助は芯の通った人物でしたので、その様子がどれだけ歯がゆかったでしょうか。退助の夢が夢のままで終わる虚しさが本書からは伝わってきます。

現代の政治、政党はどうでしょうか。本書を読んでいると、今の国会も同じようなものだと思ってしまいます。このような明治の政党の在り方が書かれた本を読み、今に活かしてもっとより良い国家を作っていくことが必要なのではないでしょうか。それも政治家に任せるのではなく、私たち一人一人が正しい民主主義を目指さなければならないと退助に教えられる1冊です。

板垣退助は思っていた以上に立派な人物だったのではないでしょうか。この機会に様々な書籍に触れ、彼の生き方から多くのことを学びとってくださいね。

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