私の親友になってくれる?【望月綾乃】

更新:2021.12.2

ビールを飲みながら「ああ、酒飲みたいな」と思うことがたまにあります。気付いた瞬間愕然とします。

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「友達」にまつわる本

小学生のとき、クラスメイトのある女の子に、「モッチー(当時のあだ名)、私の親友になってくれる?」と言われたことがありました。当時、女の子同士でペアを組み、お互いを「親友」として常に二人で行動する、というのがクラスで流行っていて、私もその子もその流行りにいまいち乗れず、ぼーっと過ごしていた矢先のことでした。

彼女とは、普段行動するグループも別々で、唯一接点があるとするならば家がご近所、くらいのもの。彼女が思春期の女子特有の焦燥感から、誰でもいいからペアになってくれる子が欲しい、と思っていることは幼い私でも簡単に見てとれたのですが、それでも、私は悩みました。正直、クラスのイケてる女の子たちがやっている親友ごっこ(敢えてごっこと言ってしまいますが)を羨ましく思う気持ちがあったのです。

彼女たちの、連れ立ってトイレに行き、顔を寄せて秘密のお話をしたり、授業中には可愛く折ったメモ帳を交換したり、お揃いのアクセサリーをつけたりしている姿のなんと楽しそうなこと! わたしもこの子と「親友」になれば、明日から彼女たちのようになれるんだ、という期待が胸をよぎりました。しかし、だからと言って、「じゃあいまから私たち親友ね!」という契約めいたものを交わした次の瞬間から、果たして本当に親友になれるのか? なれるはずがない、と当時の私は思っていました。

黙り込んでしまった私の様子を見て、目の前の彼女もそれを自覚したようで、次第に気まずそうな表情に変わっていきます。「うん、いいよ」と言えば、明日から大して興味も無い子と親友ごっこをしなければならない、しかし断れば、彼女が既に充分に自覚しているであろう自身の浅はかさを更に強調するような形になってしまう。追い込まれた私は長考の末、眉間に皺を寄せ、出来る限り神妙な声色をつくって、「それは、どうかなぁ……」というなんとも煮え切らない回答をしたのでした。彼女は瞬時に苦笑いを浮かべて「だよね」と返し、そこで、その話は終わりになりました。

その後彼女とそれ以上仲が良くなることも悪くなることもなかったですし、ものすごく引き摺るような出来事でもなかったのですが、それでもどこか心の中であの日のことが引っかかっていたのでしょう。以来私は、親子のように生まれたときから元々ある関係性でもなく、恋人や夫婦のようにお互いの了承の上で成り立った関係でもなく、「気づいたらなっている」関係、それが友達だと思うようになっていきました。

しかし、この「気づいたらなっている」というのが相当難しい。前述した小学生のときの一件で、口に出して関係性を確かめ合うようなことはなるべくしたくないと思うようになっていました。「私たち友達だよね?」「うちら友達じゃん!」みたいなのは、なんか青春ドラマみたいで恥ずかしいし、第一相手に対しての押し付けになってしまうのが怖い。万が一、相手に「えっ!? うちらって友達だったの?」なんて思われた日にゃ、悲しさと恥ずかしさで死ねる……。お互いがお互いを友達だと思ってなきゃそれは友達だとは言えない、けど、それを直接確かめる術を自ら封印してしまった私は、自分が友達だと思っている子が、自分のことを友達だと思ってくれているかの確信が持てないまま、ビクビクしながら学生生活を送ることになってしまいました。

大人になった現在でも、誰かと話しているときに相手が「この前友達がさあ〜」なんて言うと、この人はなんのてらいもなく友達、という単語を使える人なんだなぁ、と尊敬に似た気持ちを覚えると同時に、「そ、そんな安易に友達なんて! 相手はあなたのこと友達って思ってるかどうかわからないのよ? 確かめたの? 相手との了承は取れてるの!?」と、まるで遊び人で有名な男に引っかかってしまった女の子を心配するようにハラハラしてしまいます。

こんなことぐちゃぐちゃ考えてるから友達が少ないんだな……。
今月は印象的な「友達」にまつわる本を紹介します。

『乙女の家』

著者
朝倉 かすみ
出版日
2015-02-20

シングルマザー予備軍である母親と、シングルマザーである祖母、曾祖母(顕在、超元気!)、ものすごく濃い家庭に生まれたのにどこかぱっとしない女子高生・若菜。自身のキャラを模索するために、家出してみたり、バイトしてみたり、祖母の恋路を応援してみたり。

それらのチャレンジの多くを共にするのが、同級生の中でも「特殊グループ」に属する図書委員の高橋さん。自分は何者なんだ、と悩む若菜とは逆に、しっかりと「文学少女キャラ」が板についている高橋さん。言動はどこか芝居がかっているものの、的確な指摘と大胆な行動力で優柔不断な若菜をぐいぐい引っ張っていく頼もしい高橋さん。と思いきや、自他共に認める文学少女キャラに落ち着くまでの紆余曲折があったという高橋さん。幼稚園からかなりの迷走を経て今の自分になったと大人びた口調で話す高橋さん。達観しているように見えて、ナンパしてきたヤンキーに簡単に恋しちゃう高橋さん。

そんな魅力あふれる高橋さんが大好きになってしまうこの小説なのですが、もし、現実に、高橋さんみたいなクラスメイトがいたとして、私は、高橋さんの魅力に気づけたのだろうか。きっと、「クラスのちょっと美人だけど変わった子」止まりだっただろうな。ぼーっとしているように見えて実は鋭い観察眼の持ち主である若菜の目線で語られるから、こんなにも、高橋さんが素敵に見えるのでしょう。

二人の小気味よい会話はまるで上質なコントのよう(ツーショットの場面の、台詞部分だけ抜いて実際にコントやお芝居にしても面白そう!)。ニヤニヤ笑いながら読み進める中で、ああ、友達っていいなあ、と何度も思いました。

『ちーちゃんはちょっと足りない』

著者
阿部 共実
出版日
2014-05-08

ちょっとこれ、購入して一度読んでなんちゅう漫画を買ってしまったんだと思って、その後読み返せないでいてですね。でも、今回友達にまつわる本は何かな、と考えたとき、最初に思い浮かんだのがこの本だったのです。思い浮かんでしまった自分を呪いたい! これを書くためにもう一度読み直さなきゃいけないんだもん!

「私たちはほんとに何もないな」
「私たち今一瞬だけ世界で一番美しい二人だったかも」
「私たちは世界で一番美しくない二人だな」

小さな小さな、それでも、唯一の「世界」である学校生活の中で、虚しいことがあったとき、少しだけ良いことがあったとき、後ろめたいことがあったとき、ナツはちょっと足りないちーちゃんを道連れにしてクソみたいな自分を振り返ります。

人間の持っている醜さ、卑劣さ、エゴイズム垂れ流しのナツの思考回路にどこか共感してしまう自分が辛い! 自分の立場が危うくなった時に、顔がベタ塗りで表現されるところとか、周りの景色がぐにゃんって歪むところとか、「うわ、あるわー、こんなんなるとき……」と思って心底落ち込みます。

果たして二人は、友達なんでしょうか? お互いの存在を確かめ合わないともう生きていけない、という意味ではものすごく強い絆なんだろうけど。
あれ、これおすすめの本を紹介するってコーナーなのに、全然おすすめ出来てない……。いや、めちゃくちゃ面白いんですよ。面白いんですけど、覚悟して読んでくださいね、凹むので(あああ、フォロー出来てない!!)。

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