Tシャツが本を読むきっかけになってもいいんじゃないか|辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー#1

更新:2024.12.13

ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を主軸としたカルチャーコラム。「ある業界人の戯れ言」として約2年にわたり連載してきましたが、今回から「辞職プロデューサー、渾身のブックレビュー」として心機一転!長年勤めてきたホリプロを退社することを決意した今、改めて読み返した書籍とのめぐり合わせを綴ります。

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Tシャツが本を読むきっかけになってもいいんじゃないか

この夏からSNSへの広告で見て、出版社から出た小説のタイトルなどが入ったTシャツを衝動買いするようになりました。

中でも新潮社から出ている新潮文庫の扉をあしらったものたち。

僕は『金閣寺』『武蔵野』『1Q84 BOOK3』を買いました。

数ある文庫本の中でも、新潮文庫はスリットと呼ばれる紐のしおりがついており(この仕様のために一冊につき約3円の費用がかかるらしい)、表紙もたとえば三島由紀夫なら白地に朱のタイトル、などの他の文庫ではお目にかかれない象徴的なものがあるせいで、僕の中でも一つステータスの高いものになっています。

それをTシャツにする、という発想もあれ、なのですが、よりによってそのデザインを扉ページにするなんて。これ、基本はふつうの明朝体でロゴでも何でもないように思われるのですが、ページ全体として見るとしっかり新潮文庫ならではのものになっている。

そりゃ僕のような人間には、欲しい!ってなってしまいますよ

この前、この『1Q84 BOOK3』のTシャツを着て、自由が丘のおしゃれカレー店に入ったら、店のおねえさんから、そのTシャツいいですねえ、と言われ、なんだかこそばゆい気持ちにもなりました。

ちなみに、そういうTシャツを買っているにもかかわらず、その本を実際に読んだことがない、とか、僕的にそれを着る意味について他人に説明できないのは嫌なので、個人的な思いをこの場を借りて記させていただきます。

 

まず『金閣寺』。三島由紀夫作品は特に前半のものは割と学生時代に読んだのですが、最も世間的に有名な作品であるこれを読んだのは、ごく最近、一昨年のことでした。僕自身京都出身で、中学3年の時に初めて交際した彼女と「文化の日」に自転車で最初にデートしたのも金閣寺だと言う記憶さえあるというのに。

いつか読む、と思っていて手を出さないまま人生を終えてしまう悪弊になりそうだったのを反省し、還暦を迎える前に京都出身者として襟を正そうと考えた読書でした。

でもこれだけ大人になっての初読となると、もちろんどういう話であるかは知識として知っているので、あまり語られることのない場面が変に印象として残りました。たとえば、主人公が、南禅寺の境内で、別の男女がイチャイチャしているのを垣間見るところとか。『金閣寺』に南禅寺の場面が出てくるのが意外で、不意打ちを喰らったような気分になったと言うことかもしれません。

著者
三島 由紀夫
出版日

 

国木田独歩『武蔵野』。これはタイトルは知ってても読んだことないと言う人のほうが多いのではないでしょうか。かく言う僕もそうで、これをネットで発注した後、届くまでに青空文庫で読みました。短いので一時間もあれば読めます。僕がこのTシャツを買おうと思ったのは、一昨年世田谷文学館で催された漫画家・谷口ジローの展覧会で『歩くひと』と言う漫画を購入したのがきっかけでした。この漫画は、主人公の中年サラリーマンが東京郊外の家に家族と住み、その余暇時間に武蔵野の自然を感じられるような場所をひたすら一人でもしくは愛犬とともに散歩するだけの物語です。しかしそのあわい、のようなものが何とも言えないリリシズムを刺激されるのですこれが

で、武蔵野、と呼ばれる界隈を自分も散歩したいな、と思って、ここ最近は東京都西部に行くことがある度に、その近くにある玉川上水とかを意味もなく少し歩いて見るようになりました。国木田独歩の『武蔵野』は、ただひたすらその自然の美しさを書いているばかりで小説とも言えないものですが、読むと中央線や西武線で東京西部や埼玉秩父あたりまで出向きたい気持ちになる作品でありました。

著者
国木田 独歩
出版日
1949-05-24
著者
谷口 ジロー
出版日

 

そして『1Q84 BOOK3』

村上春樹の長編作品は、新潮社か講談社のどちらかが版元になっているものがほとんどですが、Tシャツになったのは、『1Q84 BOOK1』『1Q84 BOOK2』『1Q84 BOOK3』の3つだけです。

なぜ『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』ではないのだろうと僕は思いました。

そこで『1Q84 BOOK1』『BOOK2』が出てすぐに読んだ2009年と、その一年後『BOOK3』 が出て、1、2を再読した上で、新しい3を読んだ時を思い返してみました。そこで『BOOK3』に出てくる<牛河>と言うブサイクで性格的にも悪そうな中年男の描写と運命にすっかりやられてしまったことを思い出したのです。

<牛河>の運命は、『ねじまき鳥』で戦時、蒙古で山本という民間人が受けることになる運命と、その過酷さにおいて匹敵するものでした。

『1Q84』は、『BOOK1』『BOOK2』は、<青豆>という女性と<天吾>という男性の話が交互に展開していくのですが、『BOOK3』では、<牛河><青豆><天吾>の3人の話が代わるがわる展開していきます。

あんなに<牛河>の印象を強く持つ僕にとって、買うTシャツは『BOOK3』でなくてはなりませんでした

著者
村上 春樹
出版日
著者
村上 春樹
出版日
2012-05-28

 

ここで急に私事に話が飛んでしまって恐縮なのですが、僕はこの秋、ある事情で新卒以来定年を越えて38年近く在職した会社を辞めることにしました。自分の仕事の進め方についてある人物に100%の形で拒否され、仕事をしようとする意思の線みたいなものがプッツリと切れてしまい、まあ61歳の嘱託社員ながら、一人で生きている身としては経済的に急に苦しくなることもなかろうと思い、いろいろ考えてしばらくは悠々自適の生活をしてみるのもありなのではないかと考えました。

仲のいい後輩などからは、辞めないで欲しいと言われたりもしましたが、むしろ長くいて老害などと陰で囁かれるよりはずっといいだろうと思いもし、むしろいいタイミングかもと思ったのです。

で、そうした私事と『1Q84 BOOK3』のTシャツを購入したのが、ほぼ同時期と言うのもあり、<牛河>の運命を再度確認したいという思いが募り、『BOOK1』から順番に14年ぶりに読み直しました。

いや何と言うか、やっぱり圧倒的に面白い小説でありました。この連載でも以前書きましたが、マジックリアリズムという文学のジャンルがあり、その感じを肌感覚として捉えられるようになったここ数年というものがあったせいで、14年前と比べて胸への刺さり方がより深くなったのではないかと言う気がします。

村上文学については、数多くの批評がなされているわけですが、僕個人の捉え方を一言で言うなら、登場人物の大半が、孤独と達観、に覆われている作品たちという気がしており、『1Q84』シリーズもその象徴的な小説の一つだと思いました

世の多くの市民は、僕も含め、真の意味での孤独にはなかなか耐えられないし、物事や自分自身のあるべき方向性にいつも悩んでおりおよそ達観などにはたどり着けない者なのではないかと思います。

その中で再読してさらに気づいたこととして、この『1Q84』には、「プロ」と言う言葉が頻繁に出てきます。総じて<青豆>が、誰かのことをプロであると思ったり、プロではないと判断したり、彼女を守る立場になる<タマル>が自らをプロであると言い、その見地から対峙することになる<牛河>のこともまたプロなのだと思うと<青豆>に伝えることになったり。

この作品の中で言われる「プロ」の定義とは一体どのようなものか、考えずにはいられなくなります。ミッション達成のためには、どのような筋道があるのかを完全に理解し、予測不能の出来事が起きた時も、どのような対処をすべきなのか100%決まっていてそれをそのまま実行する、それがプロと言うことなのか。

しかし<タマル>によってプロと見なされた<牛河>も、自ら決めた追跡方法がしんど過ぎて、何度もめげそうになったりします。誰に言われた方法論でもなく自ら決めただけなのに、心の甘えが生じてそのルールから挫折しそうになる。結局彼は、ギリギリのところで踏ん張ってそのルールを破らず進んで行くのですが、その苦悩がいわゆるプロらしくなくてだんだん切なくなってくる。

『BOOK2』からすごく感じ悪い男として登場する<牛河>に、『BOOK3』で僕のようにいつの間にか感情移入していく読者もきっと多いんじゃないかと思います。

それだけに彼が迎える運命は、大げさじゃなく胸が張り裂けるほど切ない。

村上春樹は時として、孤独と達観に包まれた人物にも容赦はしないのです。

自分自身、退社を決めたのとこの読書のタイミングが重なり、孤独と達観がより深く達成されたような思いになりました。

 

やれやれ。

今回は村上春樹作品によく出てくるこの言葉で締めたいと思います。

 


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