甲野善紀の考えから武術の要諦を学べる本おすすめ3選

更新:2021.11.4

古武術を基にして様々な術を研究している甲野善紀は、武術から始まり、身体の捉え方、精神論まで多くの考えを持っています。そのような著者の言葉をひもとく事によって、武術の要諦を探っていきます。

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甲野善紀とは

甲野善紀は、武術の鍛錬を通して身体の動かし方の研究をしている武術研究家。うねらない、ためない、ひねらない、という独自の動作法を開発し、これにより優れた身体能力を発揮する術理を研究しています。

井上雄彦、養老孟司、黒田鉄山といった著名人との著書があり、NHKの「古の武術に学ぶ」というテーマの番組に、講師として出演した事もあります。

洗練とはどういう事か?武術の境地に迫る

武術家と医者の対話を通じて、身体をどのように捉えるかという所から、その根底にある思想まで幅広く論じていくのがこの本『武術と医術 人を活かすメソッド』です。ここでは、武術に宿る精神論から、実際の技術まで幅広く論じていく事で、その道の果てにある境地を探っていきます。

著者
["甲野 善紀", "小池 弘人"]
出版日
2013-06-14

まず、注目に値するのが、武術に限らず多くの事に当てはまる精神論について。

例えば、甲野善紀は、食べるという行為ひとつをとってみても、自分の意志がどのように働くかによって、表れる効果は大きく異なってくる、と説明。ここで指摘しているポイントは「食べない」と「食べられない」の違いです。

断食などで、自身が「食べない」状態をつくっている時は、それを続けていけば健康になります。しかし、「食べられない」状態を強いられている場合、その人は反対に衰弱していくことに。

このように、物事をどのように捉えるかによって、健康になったり、衰弱したり、様々な反応が表れる点について、甲野善紀は持論を展開します。

そして、このような考えからは、何事も自分の意志で行う事が大切なのだという事が分かります。何事も、やらされている、と思うより、自分からやっている、と思ったほうが楽しいですよね。つまらない事にも、なにか面白い要素を見つけて楽しむ事が、人生を楽しむコツであるように思われます。甲野善紀の考えからは、そのような物事に対する姿勢を学ぶ事ができるでしょう。

その他には、縮退という言葉が紹介されており、ここもおさえておくべきポイントです。

「「縮退」とはもともと、物理学者の長沼伸一郎先生がご自身の考案された「作用マトリクス」という考え方から導き出された概念で、一部の人やものの間だけをお金やものが循環しつつも、だんだんと狭い場所に集中して速く回っていく様子を示す言葉です。」
(『武術と医術 人を活かすメソッド』から引用)

これを武術に当てはめて考えてみると、武術を極めていく過程がそのまま縮退である点がポイント。初めは、武術の型を学んでいても途中で分からなくなったり、技が上手く決まらなかったり、滞ってしまう事が多くあります。これを縮退で捉えると、初めのうちは、自分の武術に関する技術が収まっていかずに、あちらに行ったりこちらに行ったり、色々な場所に広く拡散していってしまうので、上手く回らない状態です。角がごつごつしている石を思い浮かべてもらえればいいでしょうか。

しかし、修練を積んで武術を極めていくと、技を繰り出すとき、滞りなく素早く行う事ができ、上手く歯車が回っているように振る舞えるようになります。これが、狭い場所に集中して速く回っていく様子を示す縮退であるという事ができるでしょう。

このような考え方は、沢庵和尚が柳生但馬守に送った『不動智神妙録』の考え方と合わせて考える事も出来ます。ここで沢庵和尚は、相手が打ってきた刀に自身の心がとらわれ、どうやって避けるか、受け止めるか、と色々と思案が広がっていく事を、心が止まる、と表現。

普通は、妄念にとらわれた状態は心が激しく動くと表現する所ですが、沢庵和尚はこれを、心の清らかな流れが滞り止まった状態である、と捉えている点がポイントです。

そして、相手の打ってくる太刀にとらわれ妄念することなく、水の流れのように滞りなく素早い態度で相手の太刀をさばく姿勢が大切であると説明します。これは、上記で説明した縮退を言い換えた言葉であると捉える事も出来るのではないでしょうか。

このように、現代の武道と昔の武道の間にある共通する項目に目を向けると、捉え方の違いはあれども、同じような教えがある事に気づきます。そして、この教えを学んでいけば、武術が心身を鍛えていくイメージの全体像が、少しずつ分かってくるのではないでしょうか。そのような点において、本書は大変優れた書籍であるといえるでしょう。

身体の神秘を武術と医学で読み解く

武術と医学に頼りながら、異なる方面から身体の捉え方を論じていくのがこの本『古武術の発見』。本書の中では、武術に宿る方法論、身体の仕組みを論じ、また、オートとマニュアルに喩えて身体を論じていく中で、優れた達人の境地を考察。身体の動作を極めていくと学問になる、という考えなど、優れた卓見がちりばめられた一冊です。

著者
["養老 孟司", "甲野 善紀"]
出版日

本書の考えを簡単に表わした部分を抜き出してみると、それは以下のようになります。

「ものに習熟した人、職人にせよ、ひじょうに優れた腕の人の話を聞いてみると、どうも、自分の手、足、腰が機械の一部のような、一種のオートと言えばオートだと思うんですけれども、そういう感覚が、だんだん生じてこないと、つまりナマの「自分の肉体でやっている」というような感じがあるうちは、それほど能率も上がらないし、動き自体も精度がよくなってこないようです。」
(『古武術の発見』から引用)

これは、身体を上手く使っていると、身体を意識しなくなるほど精神が集中するという事だと思います。身体と精神の関係は、突き詰めると難しい部分がありますが、達人になればなるほど両者が一致して、素晴らしい動きが出来るようになるのでしょう。それは、沢庵和尚に言わせれば、心が止まる事のない状態なのだと言うことができます。

そして、それは身体だけでなく道具を使っている時も起こり、道具が身体の一部になる、と表現されます。

例えば、代表的なのは禅の本である『善慧大士録』に記されている「空手にして鋤頭をとり、歩行して水牛に乗る、人、橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず」という言葉。人が普通にしているだけでは、手は手でしかなく、歩いていても水牛に乗っている心地がしてくることはありません。むしろ、農作業などをしていても、初めのうちは動作がおぼつかなく、基本的な動作すら危うい場合もあるでしょう。しかし、その道に慣れてくると、手が鋤のように働き、歩いていても水牛に乗っているように思う事があり、そのような時、人は、その道に習熟したと言えるのかもしれません。

この他にも、マニュアルとオートについて論じている部分もおさえておくべきポイント。マニュアルとオートというと、車を思い浮かべる人も多いかとは思いますが、ここでは、何かの作業をマニュアルで行っていると、次第にそれをオートで行う事ができるようになるという現象について言及されています。そして、達人というのは、それをオートで行う事ができる域に達した人を指すのであり、本書では、それを脳の大脳と小脳の働きに照らし合わせて説明。養老孟司は、ここでいうマニュアルは大脳の働きで、オートは小脳の働きであると解説します。

しかし、日本舞踊の先生の脳が、この法則に反している事例などを挙げ、一概にいえない部分がある点も指摘。この点などは、人の脳や身体のもつ不思議さが表れていると言えるでしょう。

マニュアルがオート化するにしても、手が鋤になるような時も、身体と精神が車輪の上下になって上手く働いている時、このような境地に達することが出来るのでしょう。素人目には、なかなか実感が湧きませんが、言われてみるとそのような気がしますよね。

このように、武術の要諦を考えていく事について、養老孟司は、

「身体を突き詰める人には、学問に通じる所がある。」
(『古武術の発見』から引用)

と指摘しています。そして、これを文武両道と捉えていることも、面白いポイント。人は、スポーツをする時も、どうすれば上手くなるか自分なりに研究して覚えていきます。また、勉強に疲れたら運動をするとすっきりして良い気分転換になりますよね。

このように、勉強をしたら身体を動かし、運動で疲れたら勉強をする、というように、両者がバランスよく働くことで、日々の生活に張りが生まれ、良いサイクルが生まれるのではないでしょうか。文武両道という概念は、実は、日常の生活に根ざした優れた教えであると言えるのかもしれません。

古武術を現代スポーツに活かす

古武術から、野球、バスケットボールなどに応用できる技を探り出し、技術のさらなる向上を試みる取り組みを紹介したのが本書『古武術に学ぶ身体操法』です。実際に、甲野善紀の指導によって巨人軍の桑田投手が劇的復活を遂げた事例を挙げ、古武術の原理を説明。著者独自の技術を知ることのできる一冊です。

著者
甲野 善紀
出版日
2014-03-15

例えば、その中のひとつが、マイケル・ジョーダンのバスケットにおいて人を抜き去る動作が、甲野善紀式の溜めをつくらない技術と似ているのではないか、という指摘。通常、人が動こうと思ったら、足に力を入れて溜めをつくってから動くのが普通です。しかし、甲野式の技術では、動作をする時に溜めをつくる時間がないから、相手の目の前から素早く消えるような動きをする事ができる点がポイント。素人には少し分かりづらいですが、実際の著者の実力をみると、その境地が理解を超えた所にある点に思い至ります。

この溜めをつくらないという動作は、タイミングを外すという事に重点を置いており、相手の意表を突くのにうってつけの動きです。本書の中では、このような技術を幅広いスポーツへ応用できる可能性について議論が展開。甲野善紀は、学術的な方法まで分析する事を通じて、自身の理論を説いていきます。そのような研究を通して、武術の鍛錬をしているうちに、数学や物理の大切さに気付いた、と述懐。そこにある見識の深さをうかがい知る事ができますね。

甲野善紀によると、武術はとにかく動きをできるだけ省略する事が大切なのだそうです。甲野は、これを分数の計算に喩えて説明。分数においては、約せるものは約してすっきりした形にしてから計算した方が速い、という理論がこれにあたります。これを縮退で考えてみると、余計な動きの広がりを削っていき、動きを最小限にとどめて、技を狭い範囲に収斂させていく、という点がポイント。これが、動作を素早く巡らせていく事に通じている、と捉える事が出来ます。

また、居付きという武術用語も注目すべきポイント。居付くとは、試合中に判断停止状態になっている事であり、すぐに反応できず動けない状態を指します。沢庵和尚は、これを心が止まると表現しましたが、居付くという言葉も沢庵和尚の考えと似て、流れが滞り、執着した状態をよく表わしていると思います。

この他にも、武術の精神が、禅に似た考え方を示している事例として、千葉周作の体験を例示。ここでは、彼が暗い海辺で迷った時、松明をつけて周りをよく見ようとしても、周囲は明るくなったけれど、遠くは見えなかった経験が指摘されています。そして、逆に松明を消せば、暗いなかに陸と海の違いが見えてくるようになったと言います。これなどは逆転の発想ともいうべきもので、迷ったり、困惑したりした時などにおける、物事の本質をよく表わしているといえるでしょう。

他にも、学校で教える算数、理科、社会、工作は、全て歴史とする、など興味深い考えが盛りだくさん。どうしてそうなるのか疑問に思った人は、是非本書を手に取ってみてください。

武術を突き詰めていくと、そこには日常に活かせる教えがたくさんある事が分かります。縮退、オートとマニュアル、文武両道など、そこに宿る考え方を調べてみても面白いですよね。このような考えに少しでも興味が湧いたら、是非これらの本を手にとってみてください。

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