20世紀のセックスシンボルと言われた、女優マリリン・モンロー。赤い唇や口もとのほくろなどのチャームポイントで多くの人を魅了した彼女を知るための本を5冊紹介します。
マリリン・モンロー(1926~62)は20世紀を代表するハリウッド女優の1人でもあり、またセックスシンボルの代名詞ともいわれています。
彼女は、1926年にアメリカ・ロサンゼルスの片親の家庭に生まれました。本名はノーマ・ジーン・モーテンソン。
幼少期は不遇な境遇でした。母親が精神疾患を患ったために、母親の親友に預けられます。その親友が結婚した後は孤児院や里親の家々に預けられることに。性的虐待を受けたことなどから吃音症を患ってしまいます。さらに里親は、補助金目当てで預かるところが多く、時期が来るとたらいまわしにされていました。
彼女がハリウッドへの道を歩んだきっかけは、1945年、働いていた工場で報道部員に写真を撮られ、陸軍の情報誌に掲載されたことがきっかけでした。その写真を見た商業写真家のポッター・ヒューズからカバーガールになることを勧められ、ハリウッドのモデルクラブでモデル見習いをやり始めました。その後、髪をゴールデン・ブロンドに染めた彼女のセクシーな写真が雑誌をにぎわすことになります。
翌1946年には20世紀フォックスでのスクリーン・テストに合格し、専属の女優として契約。ここに女優マリリン・モンローが誕生したわけです。しかし、最初の数年は女優業が軌道に乗らなかったため、ヌードモデルとして細々と生計を立てる生活を送っていました。
しかし、1951年の映画『アスファルト・ジャングル』と『イヴの総て』に脇役として出演し、その演技が注目されるように。1953年の『ナイアガラ』では主演をかざりました。この際、モンロー・ウォークで世間の多くの男性から熱い注目を浴びることとなります。その後、『紳士は金髪がお好き』や『七年目の浮気』などの演技でハリウッド有数の女優としての名声を獲得したのです。
しかし、華やかな女優活動の裏では、数度に及ぶ結婚と離婚の繰り返しや、セックスシンボルとしての自分に対する苦悩などがあり、決して幸福な私生活を送っていたわけではありませんでした。ついには、1957年ごろから精神的に不安定な状態に陥ることになったのです。
また、当時のアメリカ大統領だったジョン・F・ケネディとの不倫疑惑まで持ちあがっていました。さらにこの頃、女優の活動が冴えなかったこともあり、精神病院に入院する事態にまで陥っていたのです。
1962年8月5日、彼女は36歳で謎の死を遂げてしまいます。当時は睡眠薬の大量摂取が直接の死因であるといわれていましたが、ケネディとの関係の中で何者かに狙われて謀殺されたという説もあり、彼女の死因は今も謎に包まれています。
1:「マリリン・モンロー」は本名ではなかった
彼女の本名については「ノーマ・ジーン・モーテンセン」や「ノーマ・ジーン・ベイカー」など諸説あります。「モーテンセン」や「ベイカー」というのは、母親の再婚などの影響で変化したものといわれています。
スクリーンデビューを果たしてからは、「ノーマ・ジーン」というファーストネームとミドルネームだけの名前で活動した時期もありました。
2:スクリーンデビュー後、どん底の人生を歩んだことがある
華々しい女優の道を歩みだそうとした時、映画制作会社の「20世紀フォックス」が彼女との契約を破棄したことで、路頭に迷いかけてしまいます。
しかし、ピンナッフモデル(グラビアのポスターなど押しピンを使って飾る写真)やヌードモデル、レストランのウェイトレスなども兼業して生計をたてながら、一度は掴んだ女優の道への再起を図るために人脈と礎を築いていくのです。
3:アメリカ版成人男性向けグラビア雑誌「プレイボーイ」の創刊号に起用された
1953年アメリカ版『プレイボーイ』の創刊号であるカバーガールと見開きに、ノーマ・ジーンが起用されました。誌面に登場するモデルは「プレイメイト」と呼ばれ、刊行されたばかりの雑誌だというのに異例の売り上げを記録しました。
アメリカのヌード文化の火付け役となったノーマ・ジーンこそ、後のマリリン・モンローなのです。
4:アメリカを代表する「セックスシンボル」と呼ばれる
スクリーン女優として人気が徐々に出始め、世の中の男性の心をひきつけ順調な女優人生を歩んでいた時、極貧時代に撮影したヌードル写真が再び世に出回ります。
それは彼女の心を激しくえぐるものでしたが、さらに人気に拍車がかかりヌード写真だけが独り歩きをし始めて、知らず知らずのうちにアメリカ全土に広まり「セックスシンボル」と言う冠だけが彼女の頭に乗っていたのです。
5:有名ブランド「シャネル」をさらに飛躍させた
セックスシンボルの冠が勝手につけられたマリリン・モンローにとあるインタビューアーは「寝る時は何を着ていますか?パジャマ?ネグリジェ?」と聞きました。
この時彼女は機転を利かせて「シャネルの№5を着ているわ。」と答えています。 意地悪な質問を巧みに回避すると同時に、シャネルというブランドの広告的な役割も話すこととなったのです。
6:亡くなった後も愛され続けているエピソードについて
マリリン・モンロー36歳と言う若さでこの世を去り2番目の結婚相手のジョー・ディマジオは1日中棺から離れず号泣し埋葬された後はバラを週3日供えたという逸話があります。
また、彼女を追悼する歌まで存在するのです。 「Candle in The Wind ~風に揺らめく、ともしびのように~」は、ダイアナ元王妃の追悼のため、エルトン・ジョンにより書かれたものとされていましたが、元の歌詞には「グッバイ ノーマ・ジーン」というフレーズがあります。
36年間の数奇な運命に満ちた彼女の生涯の生きざまを描いたのが『マリリン・モンローという生き方』です。セクシーで世の男性の心をとらえて離さないような魅力あふれる女性、というイメージのあるマリリン・モンローですが、この本の中ではそのイメージとはまるで真逆の実像が見えてきます。
撮影恐怖症で人見知り、里子としてたらいまわしにされながら育った少女期。成人して芸能界に入ってからもマスコミには自分の声をまともに聞いてもらえないうえ、役柄も自分が望んでいないセクシーな役割ばかり。不遇といえる生きざまを知ることになるのです。
- 著者
- 山口 路子
- 出版日
- 2012-02-07
彼女はそれらの劣等感に負けないように、等身大の自分と向き合い、コツコツと努力を重ね、ついにはそれらのコンプレックスを魅力に変えていくに至ります。この本で描かれているのは、彼女がいかにして幼少期からのコンプレックスに苦しみ、どのようにしてそれを跳ね返したかの軌跡といえます。
特に映画や雑誌以外のマリリンの素顔を知りたい人におすすめの本です。あれほど栄光に彩られた彼女の、はかなくも純粋な出会いを求めた生きざまに涙が誘われるはずです。
女優マリリン・モンローのすべてが詰まっている一冊です。秘蔵の写真も含めていろいろな顔のマリリンを見ることができます。
さまざまなファッションに身を包んでいる姿、2番目の夫で当時大人気の大リーガー、ジョー・ディマジオとのツーショットなどプライベートの写真まで見ることができます。
- 著者
- 出版日
- 2012-07-25
また、マリリン自身が持っている肉体的な魅力も本書から伝わってきます。どんな服や小物も、結局は本人の引き立て役にすぎないということがわかるほど、彼女の魅力がこの本を通じて伝わってきます。
彼女の没後50年の節目に出版されたのがこの『マリリン・モンロー魂のかけら』です。残された大量の遺品の中から出てきた自筆のメモや詩、そして手紙などの未公開の資料から明らかになった、彼女の心の叫びを明らかにしている一冊です。
そこには、銀幕で演じている姿や雑誌の写真からはとても想像のつかない、彼女の苦悩や葛藤、繊細で傷つきやすい心、不安定になりがちな精神などが垣間見えます。
- 著者
- ["スタンリー・バックサル", "ベルナール・コマーン"]
- 出版日
- 2012-09-28
その一方で、世間に認められようとひたむきに演技を向上させようとする努力や、ウィットにあふれる名言を残すような知性など、これまた銀幕や雑誌からはなかなか見えてこない彼女の魅力を知るにはうってつけの一冊です。
彼女の心の闇と知られざる魅力を知って、等身大の彼女に会いに行きたいのであれば一読をおすすめします。
マリリン・モンローのことをまるで姉のように慕っていた女優スーザン・ストラスバーグがつづったのが本書です。
スーザンは、俳優養成学校アクターズ・スタジオを設立したリー・ストラスバーグの娘として生まれました。そして、彼女のマリリンとの出会いは、1955年にマリリンが学校に入学し、ストラスバーグ家に入り浸るようになったことがきっかけです。
本書は、マリリンとの出会いから1962年のマリリンの死までの時期について多彩なエピソードを交えて描いています。
- 著者
- スーザン・ストラスバーグ
- 出版日
- 2011-10-22
まるで姉妹のようにマリリンと仲の良かったスーザン。マリリンの聡明さや、痛々しいほどに精神を病んでいた姿を最も近いところで見えていた人ともいえます。だからこそ、当時のマリリンの姿や思いを克明に伝えているのです。
一方で、マリリンにあこがれ、またライバル視しつつも彼女の背中を追いかけていたスーザンの思いも、この書から明らかになっています。マリリンに最も近かった人物が、どういう思いを持って生きていたかをうかがい知るにはおすすめの一冊です。
マリリン・モンローという人物を、彼女が残した言葉や、彼女を象徴するキーワードから迫ったのが本書です。ただ単に彼女の人生を言葉やキーワードから迫るだけでなく、そこに内在する彼女の思いをも汲み取っています。
一見するとあまり知性というものと縁がないようなマリリンですが、ここで出てくる彼女の言葉からは、彼女がむしろ知性と大変縁のある人物であることを教えてくれます。
- 著者
- 山口 路子
- 出版日
- 2017-02-11
そしてこれらの言葉から、マリリンが様々な苦難や劣等感の中で生き、苦悩と向き合ってきたことが見えてきます。
マリリン・モンローという人間の奥深さを感じられるでしょう。