丸谷才一を知ってますか?『笹まくら』『樹影譚』などを執筆した、昭和を代表する作家のひとりです。特徴は、歴史的仮名遣いを使用した小説を著すこと。苦手意識を一旦置き、読んでみて下さい。深みのある文章とユーモアのバランスに引き込まれるでしょう。
丸谷才一は、昭和から平成にかけて活躍した小説家です。小説の他にも、文学評論、翻訳や、随筆など幅広く活躍していました。
東京大学文学部出身であり、学生の間はイギリス文学を学んでいました。卒業後は英語教師としても活躍するなど、英語にも秀でた方ということが分かります。学校の英語教師として働くなかで、彼は多くの作品を生み出しました。そのなかで、芥川賞、谷崎潤一郎賞、川端康成賞など、多くの賞を獲得し続けます。
丸谷才一の特徴は、なんといっても歴史的仮名遣いを使用している作品が多いことです。これって明治時代に描かれた物語?と錯覚するような言葉遣いを使用しています。
現代語に慣れている私たちにとって、一見とっつきづらい内容なのですが、読み進めていくうちに所々入るユーモアに気付きます。これらが絶妙なバランスを保ち、ニヤリとしながら読み進めることが出来るでしょう。
主人公の浜田庄吉は、45歳で、私立大学の事務員をしています。
彼は戦争の間、徴兵忌避者として、家族、名前を捨てて日本中を転々として過ごしていた時期がありました。その当時の元恋人の死を告げる手紙から、彼は過去を思い出していきます。
- 著者
- 丸谷 才一
- 出版日
- 1974-08-01
いま、徴兵忌避者、という言葉を良く知る人はいないでしょう。戦争が活発に行われていた時代、日本の兵役はほとんど逃れることが出来ない義務でした。浜田は兵役から逃げることを決め、家族も、自分の名前も捨て逃亡して生きていくことを決めます。
45歳となり、その過去を隠しながら生活をするのですが、当時ともに生きていた元恋人の死をきっかけに、その思い出が蘇っていきます。
今作は兵役から逃げている当時の浜田と、大学事務となった現在の浜田の話が交互に行われ、話が進みます。
読み進めていくにつれ感じるのは、「自由」とは何なのか、ということです。兵役から逃れたということは、戦争での死から逃れたということであり、生きていく面では自由を手に入れたのだと感じるでしょう。
しかし、この戦争で死んだ者の中には、自分が義務を放棄したため、代わりに行った若者がいるかもしれません。
何度でも読み、自身の生き方について考えたくなる小説です。
主人公は、樹の影が好きでした。それはなぜなのか、いつからなのか、どこで見たのか?それらを解決するために、自分の原点を突き詰めていく作品です。
小説の中に小説、どこが現実なのか分からなくなるほど複雑な構成で、何が本当なのか分からないけれど不思議と引き込まれていく、魅力あふれる作品となっています。
- 著者
- 丸谷 才一
- 出版日
- 1988-08-01
物語の最初は、まるで丸谷自身のエッセイのような書き方です。
樹の影になぜか魅力を感じる小説家が主人公で、そのルーツを探るために老婆に話を聞きながら、自分の幼少期へと気持ちが遡っていきます。
この作品の魅力は、なんといっても構成にあると言えるでしょう。主人公がただ、「樹影が好きなのはなぜなのか」を探るだけの物語なのですが、まるで箱の中に箱が入るような、段々狭くなっていくような不思議な気持ちにさせられます。
そして最後は、どれが本当だったのか?分からなくなる複雑さを持ち、何回でも読み返したくなる作品です。
同時収録の「鈍感な青年」「夢を買ひます」は、「樹影譚」よりもポップな印象。読みやすく、思わずニヤッとしてしまうような面白さがあります。
新聞出版会社に勤める美人記者、南弓子は、「社説」を担当する論説委員です。あるとき弓子が書いた文章が政府の校閲に引っかかり、論説委員を辞めさせられる危機にさらされます。弓子はそれを不当とし、自分の地位を守るため奮闘します。
- 著者
- 丸谷 才一
- 出版日
- 1996-04-10
この作品の魅力のひとつは、バツイチである南弓子の華麗な経歴です。仕事柄政府幹部との堅いつながりがあり、女一人でも協力を仰ぎ、強く生きていく姿がかっこよく輝いて見えます。
文章は歴史的仮名遣いということもあり、最初は読みづらいと感じることでしょう。時代設定も、弓子の話し方もまた、古さを感じるかもしれません。
しかしその中でも、ユーモアあふれる文章が見え隠れしていて、思わずふふ、と笑ってしまうような要素が多く存在します。
例えば、弓子の同僚である「浦野」の存在です。浦野は力のある新聞記者で、弓子もその才能を認めていることが伺えます。しかし浦野は弓子が自分のことを好きだと勘違いをし、弓子に告白しようとして、間違えて娘の千枝に「愛してる」と伝えてしまうのです。このユーモアがあることで、文章の堅さとのバランスが良く、楽しく読み進めることができるでしょう。
源氏物語にあったとされる幻の章、「輝く日の宮」が実際にあったと信じる国文学者、杉安佐子が主人公の物語です。
安佐子は論文を学会で発表し、その中から、やはり「輝く日の宮」は存在したのではないだろうか、という論を提示していきます。
- 著者
- 丸谷 才一
- 出版日
- 2006-06-15
前知識がないままこの作品を読んだら、2章でまず驚くことでしょう。
1章は、自分を許嫁と勝手に言い張る左翼の男に、女が会いに行く話です。この人が主人公かな?と勘違いする中、2章では、本当の主人公である杉安佐子が書いた小説であることが明らかにされます。
この作品のいちばんの魅力は、章によって異なる語り口調です。例えば1章の文は体言止めが多く、リズム感よくお話が進みますが、2章では会話文が多く、文学についての考えをぶつけ合う場面となっています。ころころとかわる語りに、翻弄されながらも徐々に引き込まれていくのです。
この作品では、多くの文学作品が出現することも魅力の一つです。泉鏡花、松尾芭蕉、徳田秋声などの有名な文学者の作品を論じながらも「輝く日の宮」の謎に迫っていきます。最後の章で、それらはすべて「輝く日の宮」の存在を定義する伏線であることに後で気づくでしょう。
「輝く日の宮」の内容だけでなく、安佐子は『源氏物語』作者の紫式部についても思いをはせていきます。そして安佐子自身の恋人との関係も、まさしく光源氏と紫の上の関係と同じと言っても過言ではないのです。
現代の安佐子と、紫式部、物語の中の紫の上、という三者が交差する構造は、丸谷才一本人の技術力を見て取れるでしょう。
さらに最後の章では、「輝く日の宮」の再現まで行われています。小説の形を借りて、「輝く日の宮」存在についての論文にもなっているこの作品は、読み応えあること間違いなしです。
有名な文豪、谷崎潤一郎や志賀直哉など現代人でも慣れ親しむ作品から、漢文古文という、現代人には少し読むのが難しい文まで例に取り上げながら、「名文とはどのようなものか」を分析していく作品です。
- 著者
- 丸谷 才一
- 出版日
- 1995-11-18
文章読本という名の書籍は、他の文学者も発表しています。それらを取り入れながらも、新しい文章の書き方を提案する今作では、丸谷才一の、くすっと笑ってしまうようなユーモアもふんだんに取り入れられているエッセイです。
文章中には谷崎潤一郎、夏目漱石、志賀直哉と、出てこない文豪たちはいないのではないかというほど多くの作家の名文が登場します。
「ちょっと気取って書け」という章はとても特徴的と感じることでしょう。この章の最後に例示されているのは川端康成の文章に関しての話です。川端は、昔から漢文や古文などの名文に囲まれて生活しており、彼の文はそれらの影響を受けている、という内容です。
つまり、現代の自分たちには、川端より生活環境的には劣ってしまうことを提示しています。だから、「ちょっと気取って書け」という章のタイトルがつけられているのです。
昭和から平成にかけて生きている丸谷才一ですが、漢文、古文や明治の文学の知識が豊富にあります。そのため、それらの知識を駆使して、現代でどのような文を書いたら良いのかを分析し、例として挙げることができます。これはまさに、丸谷しか書けない『文学読本』なのではないでしょうか。
また、文章は内容だけでなく、目で見るものであることにも触れていきます。丸谷は、現代の文は漢字かなのバランス、ローマ字まで入ることを指摘し、より「目と耳と頭に訴える」文にするという考えを示していくのです。それこそ、昔の文豪がなし得なかった、現代に対応した柔軟な文章の書き方の提示だと感じるでしょう。
いかがでしたでしょうか。丸谷才一の作品は、一見難しい小説ばかりです。しかし、読みつづけていくにつれ、この人、面白いぞ。と思えるような仕掛けが沢山詰まっている魅力的な作家さんだと確信しています。難しい、でも面白い、でも難しい。こんな気持ちにさせる作家には中々出会うことはないでしょう。ぜひ読んでみてください。