料理漫画から見えてくる「社会学」の日常性

料理漫画から見えてくる「社会学」の日常性

更新:2021.12.20

「料理漫画(グルメ漫画)」から社会を、ということで、料理を食べる・作る人を中心として描いた漫画を取り上げます。料理は生活を映す鏡ということもあり、描かれた当時のライフスタイルや働き方が如実に現れます。好み全開で行きますがお許し下さい!

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「大人の少年料理人」が、少年らしくなる過程

著者
寺沢 大介
出版日
2001-11-09
天才料理人と呼ばれた父の後を継ぎ、日之出食堂の調理を切り盛りする天才少年料理人・味吉陽一が「味皇グランプリ」での勝負や味将軍グループとの戦い、同世代の料理人との切磋琢磨を通じ、料理人として成長していく物語で、どちらかといえばアニメが印象に残っている人も多いかもしれません。「少年」料理人が主役の漫画は『包丁人味平』などいろいろありますが、経験豊富な料理人たちに対してアイディア料理で戦う陽一の奇想天外な発想はまさに「少年」らしい、読者を飽きさせないものです。

この漫画は筆者にとって興味深いものでした。なぜなら、作中で最も幼い料理人の陽一が実は一番「大人」なのではないか、としばしば感じたためです。たしかに彼は、年齢的には「少年」であることに間違いないのですが、料理を仕事にし、店を切り盛りしつつ多様な顧客を満足させる点で既に「大人」なのです。社会学的にも「大人」「子供」の定義は様々ですが、生産・労働といった活動に関わっている点では、既に陽一は立派な大人と言えるでしょう(調理師免許がないけどいいのか? という疑問はありつつ……)。

陽一は子供ゆえに天真爛漫で、奇想天外なアイディアの料理を作ることができるのだと考える方もいらっしゃるかもしれませんが、必ずしもそうとは言えません。というのも、彼の常識に囚われない発想は、基本的に時間や材料費といった「コスト」をどう減らすか、という極めて実務的な問題関心から生まれているためです。彼は第一話で「ゲスで当たり前 ウチは大衆食堂さ 安さとうまさが身上さ」という言葉を残していますが、とりわけ「安さ」に対する感覚は、味皇料理会を中心とした他の料理人たちにはあまり見られないものです。陽一に職人的なこだわりがないわけではありませんが、むしろ初期の段階においては労働や稼業として自らの仕事を位置づけていることに気づきます。

作品が展開するにつれ、陽一は堺一馬、中江兵太、劉虎峰といった同世代の少年料理人と出会い、比較的余裕と工夫しがいのある環境で、最先端の設備や珍しい材料を与えられながら自由に料理を作るようになります。料理人として未知の材料と出会い、同世代の人々と切磋琢磨し合う後半のほうがむしろ「少年料理人」の物語としてしっくりくる理由は、彼が日之出食堂という労働の場から解き放たれたからでしょう。

最後に、この漫画をこれから手にとる方は、せっかくなので文庫版で読むことをおすすめします。巻末にレシピもあり実際に作ることができますし、それなりに楽に作れるレシピも多くあります。奇想天外にも関わらず私たちが気軽に手に入れられる材料で実現可能な料理を実現する能力、やはり陽一は「大人」なのでしょう。

血縁という媒介で引き継がれる「二世」と「伝統」の妥当性

著者
寺沢 大介
出版日
私たちの周りには、美しい料理とともに、厳しい上下関係やシゴキも日常茶飯事の中で、お客様の笑顔や兄弟子との信頼関係を描く「和食」「寿司」業界を題材とした料理漫画も数多く見られます。よく見られる「あるある」設定として、主人公が代々続く料亭・寿司屋の血筋を継ぐ「二世・三世」、いわゆる世襲であることが挙げられます。

これが日本料理以外の料理人の場合、親が同じ職種である可能性はぐっと下がります。例えば『バンビーノ!』の伴、『ザ・シェフ』の味沢、『焼きたて!!ジャぱん』の東家、『華麗なる食卓』など……『大使閣下の料理人』は父親も洋食屋という家系ですが、むしろ珍しいほうでしょう。なぜ和食の料理人キャラクターだけ、これほど世襲が多いのでしょうか。幼少の頃からの厳しい修行を必要とするためでしょうか。それとも「日本」の料理は、「日本人の」血縁によって代々受け継がれるものだ、という前提があるためでしょうか。いずれにせよ、「親も同じ職業」という物語は、和食を扱った漫画に特徴的であり、そこには何かしらの妥当性が働いているという推察ができます。

少年マガジンで長期連載を遂げた和食漫画『将太の寿司』は、小樽の寿司屋を営む親のもとに生まれ、才覚を発揮しつつ技術を磨く「二世」将太の成長物語。先輩からのシゴキ、ライバル寿司屋・笹寿司からの犯罪まがいの営業妨害など、艱難辛苦に耐えながらライバルたちと戦い、成長する王道少年漫画であり、王道寿司漫画でもあります。たびたび主人公の励みとなり、大一番の勝負で鍵となる存在は「家族」。最後の戦いでも、将太は因縁のライバル・佐治に対して「家族のために握った寿司」で勝利します。

寿司は日本の伝統料理だから、家族を通じて代々受け継がれるのは妥当だ。家族を想って料理したのだから、勝って当たり前だろう。『将太の寿司』のストーリーには、有無を言わせぬ説得力がありますが、それは、私たちが和食文化や職人、さらには家族という存在に対して与えているステレオタイプに則ったストーリーであるから、とも考えられるでしょう。この漫画が安心して読める「王道」たるメカニズムには、実はこうした背景があると解釈できます。

ちなみに、『将太の寿司』には三代目が活躍する続編があります。そこでは、単に技能を受け継ぐだけでなく、異文化に適合させ、更に発展させようとする主人公たちの奮闘が見られます。そこにあるのは、ステレオタイプな家族像でも、伝統としての和食文化でもありません。「伝統」から「革新」へ移行する中で、彼らの物語の妥当性はどこに着陸するのでしょうか。その問いを明らかにするためにも、ぜひ手にとってみてください。

現代人のライフスタイルを肯定的にサポートする「おとりよせ」

著者
高瀬 志帆
出版日
2011-11-19
料理漫画・グルメ漫画は、主人公がプロフェッショナルかそうでないかで大きく料理や物語の性質が変わってきますが、主人公たちがプロの料理人でない場合、たびたび「家族」や「手作り」が重要なファクターとなってきました。豪華な食材や手の込んだ調理法を用いることのできない家庭料理は、手間をかけるか創作性を持ったものが多いですし、それが前提となっています。しかし、2011年に連載を開始した「飯田好実」はこうした価値観とは真っ向から対立するような要素で出来上がった、稀有な「素人」・「料理作り」マンガです。

飯田好実が調理を加える「お取り寄せご飯」は、いずれも美味しそうで希少性が高いですが、飯田好実自身はどちらかといえば「一手間かける」レベルの調理にとどめています。むしろ、手をかければかけるほど食材の質を落としてしまう可能性がある、というところに、この漫画の「料理漫画」としての面白さがあるようにも感じられます。

松阪牛の大とろフレークやカチョカヴァロチーズなど、好実が消費している「お取り寄せご飯」は、いわゆる「中食(なかしょく)」と言われる、半ば完成された惣菜を家で食べるスタイルのものであり、年々需要も高まっていると言われています。好実もまた、ITエンジニアとして仕事する単身者であり、定時に帰宅できる状況ではなく、誰かと一緒に食事をする必要もない、しかしそれなりに嗜好品などにお金をかけられるような個人化されたライフスタイルの持ち主であるため、「中食」を紹介するにあたっては適切な人物であると言えます。

たびたび「冷凍食品」や「出来合いのお惣菜」は料理漫画の中で悪役として捉えられてきましたが、おとりよせ品を楽しそうに消費する飯田好実の生活はとても豊かそうに見えます。同じく食を楽しむ人々とTwitterで繋がり、たまに「オレオリ(俺のオリジナル)」として、無理のない範囲で一手間かける。家族や職場の人々と無理に仲良くしすぎることもなく、自分なりのペースで生活を楽しんでいる好実の生活と、その様子を絶対的に肯定的に描いているこの漫画は、そのまま「おとりよせ品」がもたらす、新しい時代の生活の豊かさを表しているようにも思えます。

それでもまだ女は「正しさ」から抜け出せない

著者
マキ ヒロチ
出版日
2012-09-07
『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘップバーンに扮した主人公とティファニーブルーの表紙が印象深い作品で、書店で見かけた方やご存知の方も多いのではないでしょうか。恋と仕事に頑張る、アパレルブランドで働く女性・麻里子の朝食紀行、というとそれだけで拒否反応が出てしまう読者も多そうな設定ですが、実際には落ち着いた目線と「世代あるある」のサブカル・ファッションネタ、無常とも言えるような設定の移り変わり(いつの間にか主要キャラが引っ越したり元カレが結婚していたりする)は、そのままアラサー女性の人生の速さを表しているようにも思えます。女性と男性、既婚と未婚とを問わず読んでみてほしい作品です。

朝食というと時間がない中で食べる、軽くあっさりと済ませるようなもので、食べずに済ます人も多いと思います。しかし、麻里子たちにとってはむしろパワーと癒やしをくれる重要な存在。本作に出て来る朝食の多くは外食ですが、実際に読者が訪ねて食べることができる「巡礼」のためのガイドにもなっている点で魅力的です。主人公がキャリアOL、実家暮らしでなく、まともに食事を取れないほど忙しい……という設定は、例えば小林ユミヲ『にがくてあまい』などにも同様に見られる設定ですが、「スローライフ」や「丁寧な生活」への希求という点でも一致しています。なぜ、疲れていて孤独な彼女達は、そこまで身体にいいもの・丁寧に作られたものを愛するのでしょうか? 

この問いを解くにあたって、参考になるのが1990年代に連載された槇村さとる『おいしい関係』です。何不自由なくお嬢様として生きてきた主人公(お嬢様の主人公が「短大卒」という点も時代を感じます)が、自立するために料理人という職業を選び、愛する人のために精進する。レールに乗ることで「自由」を勝ち取るという主人公に対し、2010年代、本作の麻里子や『にがくてあまい』のマキにとっての朝食は、結婚・出産といった定型化されたライフコースから完全に自由になった個人がすがる唯一の「習慣」とも言えるのではないでしょうか。『おいしい関係』から『いつかティファニーで朝食を』への移行は、そのまま女性をとりまく社会の変化であり、「女性を自由にするための料理」から「自由になった女性がすがる料理」への変化と解釈できます。本作品は、混迷するキャリアの中で「いま、ここ」を豊かに生きようとする懸命な女性たちの姿を描いています。

典型的とは言えない家族だからこそ「家庭」料理が引き立つ

著者
小沢 真理
出版日
2011-02-10
イケメン男子高校生・早川律と、その母である恭子、兄・調、妹・奏が料理、そして食卓を通じて織りなすホームドラマです。実はこの漫画、今回紹介した漫画の中では、あるいは他の漫画と比べても、料理が出てくる頻度が比較的低い点に特徴があります。エピソードによっては調理シーンがほぼなかったり、大ゴマを使っていないこともあり、ちょっとしたレシピこそついているものの、料理そのものの存在感の薄さにおいて、料理漫画としては特殊と言えるかもしれません。各エピソードでどの料理が出てきたか思い出せない(けれども、暖かで楽しい雰囲気は思い出せる)読者の方も多いのではないでしょうか。

この漫画が料理を通じて描こうとする対象は「家族」です。ただ、例えば上で紹介した『将太の寿司』で見られたものほど典型的な家族像ではありません。非常に模範的で非の打ち所のない「いい子」である律の生い立ちもかなり複雑ですし、早川家と関係の深いもう一つの家族についても、少なくとも典型的とは言えない家庭です。ただその一方で、彼らの身に起こる悲しい事件や感動する出来事が過度に悲劇的だったり、ドラマティックなものではなく、一粒の涙や沈黙、対面することを避ける仕草といった微細な形で表現されます。そして、そうしたさざ波のような感情を包み込むのが早川家の「食卓」なのです。

料理漫画といえば、何となくオーバーリアクションで、レシピに1頁割かれるような豪勢な料理(あるいは手間の掛かった「男の料理」)、言わば「ハレの料理」を供する……といった印象を持たれる方もいるかもしれませんが、この漫画やよしながふみ『きのう何食べた?』、あるいは高尾じんぐ『くーねるまるた』に代表されるような、簡便なレシピで日常を綴る漫画も増えています。これらの漫画は、必ずしも血縁関係のある親子や夫婦、きょうだいではないものの、居住をともにする新しいタイプの家族が出て来る点でも共通しています。

うえやまとち『クッキングパパ』は1990年代、時間が不規則なパートナーに代わって男性が料理をするという当時としては珍しい設定で日常的な家庭料理を描きましたが、2000年代、家族はさらに多様化しています。しかしそれでも家庭料理と食卓の機能が変わらないのは、その構成員の血縁的関係性が変わっても「家族」のようなものは残り続けるという証左でしょうか。

この記事が含まれる特集

  • マンガ社会学

    立命館大学産業社会学部准教授富永京子先生による連載。社会学のさまざまなテーマからマンガを見てみると、どのような読み方ができるのか。知っているマンガも、新しいもののように見えてきます。インタビューも。

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