日本の言葉や風景などの源流を感じられる5冊

日本の言葉や風景などの源流を感じられる5冊

更新:2021.12.13

私は日本人なのですが、日本について案外知らないことって多いもの。当たり前のように暮らしている日常の中でも、何が外から来たもので、何がそうではないのかを自覚しながら生活することってあまり無いんじゃないかと、思うのです。 私自身の経験としては、なかなか馴染めなかった価値観が、元を辿ってみると実は外来だった、なんてこともよくあるものですから、やっぱり自分には日本の血が流れているのだなぁと感心してしまいます。 今回は日本の言葉や文化、風景など、その源流を感じられる本を5冊ご紹介いたします。

ブックカルテ リンク

文章読本

著者
谷崎 潤一郎
出版日
1996-02-18
日本人が日本語の文章を書く心得が記されている一冊なのですが、その国の言語と国民性については切り離せないものがあるからに、日本語について語られる中で見えてくる東洋の人々の性質が面白い。

‘’我等は昔から能弁の人を軽蔑する風があった’’(本文より)とある様に、元々はおしゃべりに適しないように発達した日本語とのことなのですが、今では漢語や、西洋の言葉を翻訳した翻訳語等語彙が豊富になったことで、どちらが先か、国民性にも影響が及んでいるような気もする。私はおしゃべりだし。

古くからある日本人の美徳にも、偶には立ち返りたいものだなぁと本書を読むと、改めて思わされます。

のんのんばあとオレ

著者
水木 しげる
出版日
“妖怪は、むかしの人の苦しい生活を物語っているものもあれば、古いむかしからの人間の恐怖が妖怪と化したものもあります。”(本文より)

日本民話など、古代からの伝承が豊かな出雲の国島根県で育った水木しげるさんの、少年記。‘‘のんのん’’というのは、神仏に仕える人のことをそう呼んでいたそうで、幼少期の筆者に、年中行事やお化けとか不思議な話をしてくれたのが本書タイトルの、‘‘のんのんばあ’’。のんのんばあの妖怪話は、昔ながらの日本の風景を見せてくれる。この本を読みながら、まるで自分自身が、のんのんばあの話を聴いているような感覚になれて心愉しい。

癇癖談

著者
石川淳:訳
出版日
1995-09-01
伊勢物語のパロディの体をとって書かれた江戸時代の戯文小説の現代語訳。ひとごとにひとつのくせという、昔の諺にある様に、あらゆることには癖がある。そんな癖ある人びとの、短いエピソード達が並ぶことで当時の日本の世相が浮かび上がってくる。

“むかし、あまり思慮ふかくもない人が、世の中のことをこころえがおにいうには、たいがい世間でもてはやされないことはその業のよくないせいだと、高飛車にきめつけた。”(本文より)の一節から始まる流行りものの風刺等からは、今も昔も変わらない人間の性が見える。そして個人的には時々挟まれる作者の容赦ない毒舌が痛快で好きなのです。

風の又三郎

著者
宮沢 賢治
出版日
2000-11-17
ある小さな学校の教室に、突然、赤い髪の転校生がやってくるお話。国語の教科書で読んだ覚えのあるこの物語、宮沢賢治さんの文章は日本の風景をありありと浮かばせてくれます。

‘‘どっどどどどうど どどうど どどう青いくるみも吹き飛ばせ すっぱいかりんもふきとばせ どっどどどどうど どどうど どどう’’(本文より)という詩から文章が始まって、なんだか不思議な気持ちにさせられる冒頭。‘‘どっどどどどうど どどうど どどう’’って、風が吹く音の表現、日本語はこんな使い方ができて楽しいなぁと思う。

陰翳礼讃

著者
谷崎 潤一郎
出版日
1995-09-18
きっと日本人はいつまでもお椀で味噌汁を飲むだろう、白ちゃけた陶器などではなく。生活の中の電気が白く明るくなって、生活のそれに合わせてその状況下で楽しむ芸術を歪めていったというのは仕方のないことなのか。

古来からわれわれ東洋人は、“美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。”(本文より)というように、日本の料理が闇と調和して美しさが引き立つのは、昔の薄暗い家の中で発達したものだからだ。

深い椀に入った味噌汁を、瞑想の食べ物とした表現が心に残りました。

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    バンドマンやソロ・アーティスト、民族楽器奏者や音楽雑誌編集者など音楽に関連するひとびとが、本好きのコンシェルジュとして、おすすめの本を紹介します。小説に漫画、写真集にビジネス書、自然科学書やスピリチュアル本も。幅広い本と出会えます。インタビューも。

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