ピエドラ川のほとりで私は泣いた
ピエドラ川のほとりでピラールがこの物語を書いている。こども時代を共にした“彼”と再会してからの、二人の物語がはじまる。
本の中でしきりに繰り返される神の女性性についてのお話は興味深く、そして他者を介さない自分の心に正直に動くこと、二人のやりとりを通じてそんな純粋な自己の意識を改めて思い出させられます。
本の装丁にある、一言に青とも言えない綺麗な色をピエドラ川はしているのだろうか。その川のほとりで泣いている人はきっと髪の長い女の人で、地味で美しい顔をしているのだろう……そんなことを次々と想像させてしまう、不思議な空気感のタイトルに惹かれて手に取った一冊です。
限りなく透明に近いブルー
米軍基地に近い街でのドラッグや暴力や性が描かれている一冊。何も汚くなくて、何も悪ではない。文章に表される光景に、嫌悪感を持つのであればそれは読者が自由に持つ感情であり、本が示して押し付けるものではない。そのことに私はとても安心した気持ちで読むことができました。そして、意外にそんな態度を取っているものって多くはないように思う。
まったく村上龍さんの本を読んだことがなかった時に、ただタイトルの“限りなく透明に近いブルー”という一文に惹かれて読んだのですが、それからすっかり好きになってしまいました。若者の、純粋で憂いを含む魂の色を想い浮かばされる『限りなく透明に近いブルー』。村上龍さんのデビュー作です。
村のロメオとユリア
村の農夫マンツの息子サリーと、マルチの娘ヴァヘーレンは、互いに惹かれあってゆくが、両家は田畑の境界を巡り憎み合う。
幼馴染みであるサリーとヴァヘーレンが一緒に遊ぶ場面、人形の解剖と破壊から、ハエを捕まえて人形の頭に閉じ込めて生き埋めにしたり、という子供たちの心に垣間見える人間の残虐性が、描かれていたり、描写が現実的だと思いました。そして現実ってそのままのトーンで書かれると過剰に残酷に映ったりもするのだなぁと。
ちなみに本を買った時には、ロメオとユリアって名前から、なんだかファンタジーなお話を想像していて気付かなかったのですが、ロメオとユリアは英語読みにするとロミオとジュリエットだそうで。憎み合う親同士を持つサリーとヴァヘーレンの恋は、シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」も彷彿とさせます。