ポストトゥルース時代の科学的空想小説『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』

更新:2021.12.21

書評家の永田希が比較的最近刊行された本の中から気になった書籍を紹介していくシリーズ。今回はルスタム・S・カーツ『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』をご紹介します。

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本作は、尖鋭的な書物を精力的に多数刊行している出版社「共和国」の新シリーズ「世界浪漫派叢書」第1弾となる作品です。タイトルからして研究書のフリをしていますが、意図的に改変されて事実と違ったことがたくさん書かれた奇妙な1冊。
 

著者
ルスタム・スヴャトスラーヴォヴィチ カーツ
出版日
2017-06-09

研究書風の書き方とは、こんな感じです。登場人物の紹介というより、歴史上の人物としての紹介の書き方ですね。

=======以下引用=======
オポリヤニーノフ略歴
アリスタルフ・キリーロヴィチ・オポリヤニーノフは、1886年8月8日にサンクト・ペテルブルクの道路交通相次官、オポリヤニーノフ伯爵の家に生まれ、優れた家庭教育を受け、男子貴族学校を検定により修了後、サンクト・ペテルブルク大学歴史・文献学部(東洋学科)を卒業。オポリヤニーノフは多くの旅行をし、中国には2度足を踏み入れた。2度目は保険局の特別派遣間としての滞在だった。最初に発表した作品は『ロシアの富』誌に、でた『農民の朝』(1911年)。若き作家に人気をもたらしたのは、ツルゲーネフ『猟人日記』ふうの「地主もの短篇」であったが、かなりユーモアや自嘲が混じったものであった。これらははじめゴーリキーの『年代記』に掲載され、のちにスイチン出版社の廉価版文庫で大部数が出ることになった。
作者にスキャンダラスな名声をもたらしたのは中編『上海から来た踊り子』である。これは冒険小説ジャンルの作品で、ファンタスチカと官能小説の要素が混じっていた。スターリンの『新時代』誌でヴィクトル・プレーニンはこの小説を意地悪く「厚顔のの女たらしの中国バカンス」とこき下ろし、作者は「天津かどこかの魔窟で、ナイフに刺されて寂しく死ぬだろう」と予言した。
=======以上引用=======

と、こういった具合です。この人物の写真も添えられています。この人物については、編者あとがきで「本当に実在した歴史上の人物」と書いていますが、訳者あとがきの方では「曲がりなりにもロシア史、ロシア文学史を学んだ人で、そうした名のファンタスチカ作家の名を聞いたことがあるという人はおそらくおるまい。訳者も、これを訳している間じゅう、それらの文学者の実在をずっと確認できないままであり、今後も永遠に確認不能であろう」と書いています。そもそも本作の著者とされているカーツ博士とは、ここで編者として顔を出しているロマン・アルビトマンなる人物のペンネームのひとつなのです。

凝った内容に加えて凝った装幀も見事。今はなきソヴィエト社会主義共和国連邦のシンボルマーク「槌と鎌」が型抜きされた真っ赤なカバーから、ギラギラと煌めくシルバーの表紙が覗いている。こういっていいかは微妙ですが、ロックですね。

本作の舞台になる「ソヴィエト社会主義共和国連邦」すなわち「ソ連」は、現在のロシア共和国を中心に構成されていた共産主義国家で、20世紀をとおしてアメリカ合衆国と世界の覇権を競っていた大国家です。ソヴィエトとは評議会を指すロシア語で、ソ連とは「評議会社会主義共和国連邦」という、固有名詞の含まれない珍しい名前の国だったのです。アメリカ合衆国や日本国よりも、国際連盟みたいなノリだったと考えていいでしょう。

そもそもソ連が成立するきっかけになったロシア革命以来、ソ連の思想的中心にあった共産主義とは、周知の通り思想家のマルクスとエンゲルスがそれまでの「空想的社会主義思想」を批判して提唱した「科学的社会主義」を標榜したものでした。

ここで、科学とは何かというのを書くのもバカバカしい話ですが、科学とは仮説検証によって確かめられながら体系を構成していく手続きの総体のことです。つまりマルクスとエンゲルスの科学的社会主義とは、社会において仮説検証をおこなう思想だったということができるでしょう(彼らがそこまで明確で厳密な科学観を持っていたかどうかは保留しておきますが、興味のある方はエンゲルスの『空想から科学へ』などをご参照ください)。

つまり、ソ連とはその成立過程の根底から科学志向の国だったわけです。動乱期を生きる人にとっては常にそうであるように、19世紀から20世紀への移行の時代、科学と政治と思想は通底するものだったのです。となればもちろん文学をはじめとする芸術諸般もまた同様です。たとえばソ連建国の立役者の1人で、レーニンやスターリンと並んで活躍した思想家トロツキーの文学批評は有名です。本作はレーニンその人が、ファンタスチカの初期のグループ「赤い月面人」に関与していたというテーマから書き始めています。

そんなソ連における、空想文学とでも翻訳すべき「ファンタスチカ」の歴史を書く、これは重大なことです。いわゆるSFは「科学的ファンタスチカ」と呼ばれていたのですが、やがて普通に「ファンタスチカ」と呼ばれるようになります。『空想から科学へ』と言われていたことを踏まえるならば、対立するものとして考えられていた空想と科学とが融合し、そしてまた空想の方へと回収されていったかのようにも考えられるでしょう。

さきほど触れた、本作に登場する作家集団「赤い月面人」では、その科学的な、ある種の空想によって月の政治経済的な利用を構想する発端になったように描かれています。もっとも、このグループはそもそも存在していません。

ソ連は、政治的に失敗し20世紀末に崩壊しました。これをもって共産主義の失敗だと考える人は多く、とりわけ20世紀の左翼活動家らのテロリズムを引き合いに出し、共産主義を悪しき思想だと考える人によくお目にかかります。『共産主義黒書』にも明らかな通り、共産主義国において様々な人道的犯罪が行われてきたことは疑うべくもないのですが、それも長くなるのでここでは保留します。

重大なのは、本作『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』が小説である、という点です。ここまで書いてきたとおり「ソヴィエト」とは、国の名前を示す地名的な性格の他に、評議会という意味があります。つまり、「ソヴィエト・ファンタスチカ」とは、「評議会の空想」文学だとも言えるのです。本作は、ソ連という国家で演じられた「評議会の空想」の歴史を小説として描いたものなのです。

そして、ソ連といえば悪名高いのは記録の改竄(かいざん)です。スターリンの顰蹙(ひんしゅく)を買ったり密告により失脚した人たちは、公的な文書から抹消され「存在していなかった」ことにされてしまうのです。「空想から科学へ」というスローガンが導いたひとつの悲劇の先にあったのは、こんな、いわば「小説より奇なり」な、情報統制の現実でした。

インターネットが普及した結果、デマが再びまことしやかに信じられ拡散される時代、いわゆるポストトゥルースの時代を、国のレベルで先行していたのがソ連だったとも言えるでしょう。国家の公式な文書の扱いなどそんなものだ、とシニカルに考えれば、日本での昨今の様々な騒ぎも同じ現象の一端なのかも知れません。もっとも、そんなことが許されるわけではないんですが、無力感を抱いてる人も多く。それがまた状況を悪化させていく、その悪循環もひとつの真実だと言えます。

なおソ連からみても日本からみても地球の反対側に位置する南アメリカ大陸では、そんな悪政に対する抵抗の文学として「魔術的リアリズム」が生まれていた、とラテンアメリカ文学研究者の寺尾隆吉は指摘しています。ソ連を中心とする共産主義国では「社会主義リアリズム」というジャンルが推進されましたが、ポストトゥルース的な状況における「リアリズム」とは、もはや言葉を使って現実と闘争を繰り広げることに他なりません。リアリズムが当初からそのような意味合いであったという説もあるので「もはや」と言うのも何なんですが。

最悪の時期のソ連を思わせる全体主義国家の未来を舞台にしたオーウェル『1984年』を持ち出すまでもなく、情報統制と恣意的な改変とはディストピアSFで描かれる社会の特徴でした。この『ソヴィエト・ファンタスチカの歴史』は、実在の国の文学史を描いているように見せて、現実のディストピア性を浮き彫りにしているとも言えるのです。まさに現代的な、ディストピア性を。

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