佐野洋子おすすめエッセイ5選!代表作『100万回生きたねこ』の絵本作家

更新:2021.11.6

絵本『100万回生きたねこ』の著者・佐野洋子。実はエッセイストとしても活躍しました。絵本のイメージとは一味違う歯に衣着せない語り口と、常識にとらわれない目線で、世間を、老いを、死をメッタ斬りにする、おすすめ痛快エッセイをご紹介します。

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痛快でユニーク、だけど深い。エッセイスト佐野洋子

佐野洋子という名前を知らない方も、絵本『100万回生きたねこ』の著者といえば誰もが知っているでしょう。『100万回生きたねこ』は1977年に初版が発売されて以来、子どもはもちろん大人にも読み継がれ、実に200万部を超える大ベストセラーとなっています。

その著者・佐野洋子は、1938年に中国で生まれました。帰国後、武蔵野美術大学に進学し、卒業後はベルリン造形大学で学びます。その後、デザインやイラストの仕事をしながら『やぎさんのひっこし』で絵本作家としてデビューしたのです。当時38歳で、遅咲きの作家だったのです。

また佐野洋子は、絵本作家として活躍する傍ら、独特の感性と痛快な文章が人気の「エッセイスト」という一面も持っていました。2010年、72歳の時にガンで亡くなりましたが、晩年までエッセイを書き続けていたのです。

没後、佐野洋子のエッセイを元にして絵本風にまとめ、読み聞かせでつづる「ヨーコさんの”言葉”」という番組がNHKEテレではじまりました。この番組が好評をあつめたことで、あらためて佐野洋子の言葉が注目されるようになったのです。

小林秀雄賞受賞作『神も仏もありませぬ』

『神も仏もありませぬ』は、佐野洋子が還暦を過ぎてから、北軽井沢でひとり田舎暮らしをしていた時期に書かれたエッセイ集で、2004年度、小林秀雄賞を受賞しました。

歯切れよく、感じたまま、思ったままを率直に解き放った文章で、老いや孤独、死について、避けることなく真正面から挑んでいこうとする様子がうかがえます。その視点や、ものの見方、自分のまわりにあるものへ向ける言葉はとても斬新で、ユーモラスで、飾らない著者の姿が見えてくるようです。
 

著者
佐野 洋子
出版日
2008-11-10

鏡を見て老いた自分の姿に愕然とする著者の姿には、共感する人はきっと大勢います。少し前まで友人の死に嘆き悲しんでいた自分が、今はテレビを見ながら笑っていることに、「生きているってことは残酷だなぁ」(『神も仏もありませぬ』から引用)と思いながらも笑い続けるさまが素敵です。

死にゆく愛猫を前に「ほとんど一日中人間の死に方を考えた(中略)生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。その静寂さの前に恥じた」と、自分の死について考える様子には、胸にも迫るものがあるはずです。

「老年とは神が与え給う平安なのだ」(『神も仏もありませぬ』から引用)

佐野洋子は老いをそう受け止めました。だからこそ、年老いてひとり田舎暮らしする日々のこと、愛猫の死、友人の死、呆けはじめた親、無理のきかなくなった体のことを、ここまで赤裸々に描くことができたのです。

年齢を重ねるとはどういうことなのか。老いとは、死とは何なのか。佐野洋子の目を通すとそれがどのように見えるのか、本書を手に取れば体感することができます。

余命二年を告白した『役にたたない日々』

佐野洋子のエッセイを愛読する人の多くは、その文章を「痛快」「爽快」と評します。その痛快さ、爽快さはどこからくるのかと考えると、著者のひたすら真っ直ぐ「後ろ向き」な考え方からかもしれません。「頑張らなくちゃ」「幸せでいなくちゃ」などとは言わないのです。人によく見られよう、こうあらなければという思いを、佐野洋子は持ちませんでした。

「六時半に目が覚めた。目が覚めるととび起きる人がいるそうだが、信じられない。起きて何をするのだろう」(『役にたたない日々』から引用)

この文章からはじまる本書は、うとうとしながら枕元にあった本を開き、白人に毒づき、そのまま二度寝し、その後目覚めて寝転がったままワイドショーを見て爆笑するという、佐野洋子のある一日の様子が描かれていきます。

著者
佐野 洋子
出版日
2010-12-07

楽しいときは思いきり笑い、泣くときはひたすら泣く。落ち込んだり、見栄を張ったり、韓流ドラマをみてヨン様にどっぷりはまったと思ったら、いつの間にか「思い出すとゲロが出る」ほど心変わりもしたり……。人間らしく生きるとはこういうことではないか、と思わされます。

佐野洋子は本書で、ガンの再発により余命二年を宣告されたことを告白しました。著者は、医者に抗ガン剤も延命も拒否したあと、その足でジャガーの代理店へ行き、なんとイングリッシュグリーンの車を購入してしまうのです。

「ジャガーに乗った瞬間『あー私はこういう男を一生さがして間に合わなかったのだ』と感じた。(中略)最後に乗る車がジャガーかよ、運がいいよナア」(『役にたたない日々』から引用)

死を突きつけれたとき、佐野洋子のような生き方ができるでしょうか……。無理かもしれないけれど、こう生きられたらいいのに、と憧れてしまう一冊です。

気づきたくないことに気づかされる『問題があります』

主に佐野洋子の晩年、新聞や雑誌などに掲載されたエッセイを集めたのが本書です。佐野の著書が人を惹きつけてやまないのは、巧みな文章力というよりは、卓越した感性によって考えたこと、感じたことを、歯に衣着せぬ言葉で、ありのままに文字にしているからでしょう。

佐野洋子の手にかかれば、世界的偉業であった月面着陸も、「あんた、何しに行っているの、ようもないのに」という一言で一刀両断されてしまうのです。

著者
佐野 洋子
出版日
2012-09-01

「昔読んだ本も全部忘れている呆け老人になってしまった。(中略)そして読書だけが好きだった私の人生も無駄だったような気がするのだ」という言葉には、世の「読書好き」を自認する人の誰もがドキリとさせられるのではないでしょうか。

「何千年も戦争をやめないのは好きだからなんじゃないだろうか」(『問題があります』から引用)

その通りと思いつつ、その通りと声を大にして言える人がどれだけいるでしょう。

誰もが気づきたくないこと、目をそらしている後ろ向きなことに、当たり前のように目を向け、ズバリと切り込んでいき、常識や綺麗ごとで隠されている「何か」を引っ張り出してくる……。佐野洋子はそれを、気負いもなく、淡々とやってのける女性なのです。

どこか自虐的で、だからこそユーモラスなエッセイは、彼女が自分も、他人も、何ごとにもごまかさずに生きてきたことの証なのではないでしょうか。

佐野洋子の遺作『死ぬ気まんまん』

「私が愛する人は皆、死人である。私は知りたい。死んでも憎みたい人が、これから先出て来るだろうか。あの嫌な奴も死ねば許せるだろうか」(『死ぬ気まんまん』から引用)

この鮮烈な文章からはじまる『死ぬ気まんまん』は佐野洋子の遺作となりました。2008〜2009年のあいだ『小説宝石』で連載されたエッセイと、主治医であった平井達夫医師との対談が掲載された一冊です。

著者
佐野 洋子
出版日
2013-10-08

闘病記もガンと壮絶に闘う人も大嫌い、という佐野洋子は、幼い兄弟や父を家で見送った思い出を振り返り、幼い頃から身近に死があり、だからこそ死ぬことは怖くないと書きました。

しかし、死を恐れなかった著者も「痛みは怖い」といっています。ひとり暮らす家で自身を襲う体の痛みにのたうちまわり、「自殺しないように」と柱に自分をくくりつける様は壮絶です。

一方で著者は、死を宣告されてもタバコをスパスパ吸い、長椅子に寝転がって幸せを感じ、カッコイイ先生目当てにホスピスを決め、宣告された二年を過ぎても生きていると医者に文句をいって……。息子に「死ぬ気まんまんだね」と言われたことで、本書のタイトルがつけられたのだそうです。

「死なない人はいない。そして死んでも許せない人などもいない。そして世界はだんだん淋しくなる」(『死ぬ気まんまん』から引用)

佐野洋子はこの三文でエッセイを締めくくりました。まさに死そのものの中に身をおいた状況で、筆を走らせたかのようです。生ききったからこそたどり着けた境地を、佐野洋子はここに記すことで、私たちに残していってくれたのではないでしょうか。

母と娘の確執を描いた本『シズコさん』

親は子を愛し、子は親を愛するもの。それが理想ではありますが、近年は母と子の関係は実に複雑で一筋縄ではいかないことが認知されるようになってきました。とくに母と娘の関係は、同性であるからこそなのか、こじれることが珍しくなく、母との関係に苦しむ女性たちの声が、メディアを通して伝えられています。

佐野洋子も苦しむ娘の一人でした。4歳のとき、手をつなごうと母に伸ばした手を舌打ちとともに振り払われたときからはじまった、著者と母との確執の物語が綴られるのが本書『シズコさん』です。「シズコ」とは、佐野洋子の母親の名前です。

著者
佐野 洋子
出版日
2010-09-29

長女である著者が19歳のとき父を亡くしてから、家族を女手一つで養った母です。家事も完璧で、周りからの評判もよかったといいます。しかし娘の目に映るのは、知恵遅れの妹を黙殺する母。「ありがとう」も「ごめんなさい」も決して言わない母。そして兄の死を機に、母から娘への冷徹さはひどくなり、著者はますます恨みを募らせていきます。

他人であれば「大嫌い」と突き放せばいいだけです。しかし相手が母親であるがために、子は容易に突き放すことができません。育ててもらった恩もあります。佐野洋子もまた「母を好きになれない自分」を責めてしまうのです。年老いた母を老人ホームへ押し込むも「母を金で捨てた」と自責の念にかられます。

佐野洋子の持ち味であるユーモア混じりの率直な語り口が、もがき苦しむ胸の内も、母への憎しみも、ありありと描きだし、読み手は胸をつらぬかれずにはいられないのです。だからこそ、痴呆がすすんだ母を前に著者がこぼした「ある一言」から、2人の絡んだ糸がほどかれていく様に胸がいっぱいになってしまいます。

これは著者の自叙伝といってもいいでしょう。佐野洋子という人間をより深く知りたい方におすすめの一冊です。

今回は、エッセイスト佐野洋子のおすすめ作品をご紹介しました。『100万回生きたねこ』に涙した人、『おじさんとかさ』でおじさんのピュアさにくすっとした人は、エッセイで見せる著者の「毒舌」ともいわれることがある辛辣っぷりや、すべてを赤裸々に語ってしまうストレートさに驚くかもしれません。けれど、佐野洋子の絵本もエッセイも、根底に流れるものは同じではないでしょうか。愛や、死や、やさしさ、ユーモア、生きること。すべてに生真面目に向き合いながら生き抜いた佐野洋子の言葉を、ぜひ堪能してみてください。

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