中井久夫の専門は統合失調症の治療法研究で、彼は日本の精神病理学を代表する人物です。それだけではなく、文筆家としても品のある文体で、多くの人を魅了しています。また外国語にも通じていて翻訳書も多数あり、まさにその活躍は多方面にわたっています。
中井久夫は1934年に奈良県天理市で生まれました。はじめは京都大学の法学部に入学したのですが、自身が結核を患ったことがきっかけで、医学部に編入することになります。はじめは研究医としてスタートしますが、周りからのすすめもあって臨床医に転向しました。
精神科医として一流で、名だたる大学の教授を歴任し、また文筆家としても優雅で語彙の豊富な文体は読者を魅了せずにいられません。外国語も得意で翻訳書も多数あります。
著者自身がいじめられた体験をもとにして、いじめのしくみを小学校高学年の読者に優しく語りかけるように、書いてある本です。
いじめの3段階、「孤立化」「無力化」「透明化」によって、いじめられる被害者側の選択肢が完全に奪われてしまうこと、被害者側がその過程で、罪悪感や劣等感を植え付けられ、周りの無関心で、見て見ぬふりをする大人に対して不信感を抱くようになることが書かれています。
子どもの心に寄り添いつつ、子供の安全確保を最優先したいという著者の気持ちが垣間見えるようです。
- 著者
- 中井 久夫
- 出版日
- 2016-12-07
この本は大人の持ついじめの認識から改めさせようとするところから始まっています。学校内で起こるいじめはれっきとした犯罪であるということ、ただ大人たちの幻想で、学校は聖域であるかのように思っているために、逃げ道がない状態を作り出してしまっていることなどを述べて、周りの大人たちの間違いを指摘するのです。
だからといって、具体的にこうしたら良いとか、そういうことは書いてありません。ただ、いじめられている子どもたちのことを、周りの人たちに知ってもらいたい、知ることで具体案を考えてほしい、あるいは、この本をきっかけに、無関心だった大人が関心を持って、いじめについて考えてくれればいいと思っているのでしょう。
子どもが良くも悪くも身近にいる大人を真似て、いじめをするという趣旨のことが書いてあります。大人の社会もいじめがあるのは事実です。これをきっかけに親子で「いじめ」について考えてみてはいかがでしょうか。
題名になっている「世に棲む患者」は論文で、著者が学生運動が盛んだった時代に、働いていた東京の病院を辞めるときに、その時分に診ていた患者が教えてくれた秘密の世界がもとになっています。他にも「世に棲む患者」の続編である「働く患者」や、神戸大学精神科教授時代の講演を書き起こした「説き語り『妄想症』」などが収められています。
比較的に読みやすいものが収められているので、初めて中井久夫の著作を読もうと思っている人には、最適な本です。
- 著者
- 中井 久夫
- 出版日
- 2011-03-09
著者はかなりの権威なのですが、決して上から目線ではありません。患者に対しての温かい目線、治そうとする真摯な気持、一般的に考えられている「医は仁術」を体現している人かもしれません。
「『プライドが高い人』とは、一般に自己評価の低い人である。
だから、他人からの評価によって傷つくのである。
逆にいえば、他人からの評価によって揺らぐような低い自己評価所持者が
『プライドの高い人』と周囲から認識される。」
(『世に棲む患者』より引用)
目から鱗が落ちるようなことを、サラッと書かれていると、びっくりします。プライドが高い人とは、自分の自信のなさの裏返しだったのかと妙に納得がいくところがあるのも事実です。
「『病気はこの程度でしかない』という限界づけがないと、患者は安心できない。
医者は『虫垂炎であり、かつ虫垂炎でしかない』ということをいわなければプロではない。」
(『世に棲む患者』より引用)
上記のように、実際に医師がはっきりと、診断結果を示してくれないと患者が不安になることを言われているのです。責任を取るのが嫌なのか、自分の診断に自身が持てないのか、曖昧なことしか言わない医師ばかりを目にしてきた著者の徹底したプロぶりは、賞賛に値するでしょう。
著者の専門である統合失調症の治療論が中心になっています。最も精力的に文筆活動をしていた、1980年代の著作を中心に22篇の論文とエッセイなどを集めたものです。
阪神淡路大震災後、著者は被災者の心のケアにあたりましたが、それをきっかけにPTSD(心的外傷後ストレス障害)の研究や紹介を精力的に行うようになってきています。そのため、阪神・淡路大震災後の都市論を語った磯崎新との対談「都市、明日の姿」が収められています。
- 著者
- 中井 久夫
- 出版日
- 2012-02-01
内容は、このシリーズでは一番ハイレベルだといえるかもしれません。著者の専門である統合失調症の治療論が大半を占めています。精神疾患の専門用語も少し出てきます。文章は最近の作品と比較して、やや固く、難しい印象を受けるかもしれませんが、内容は深く読み応えがあるでしょう。
医療関係者、特に心療内科や精神科の医師向きかもしれません。やや難しいですが、専門用語の前に、簡単に内容を書いてあるため、まったく歯が立たないということはありませんので、ご安心を。
「臨床眼というものは神秘的なものではなく、細部の積み重ねの上に発現するもので、それ自身を求めて祈っても甲斐ないものである。」
(『「伝える」ことと「伝わる」こと』より引用)
本文の最初にまずこの文が書かれているのですが、そもそも臨床眼というものは持って生まれた才能や、科学的な範疇の外にあるものでもなく、日々の研鑽や努力の上に出てくるものだ、という中井久夫の強い思いが伝わってくるでしょう。
本書は、精神科病院で起こりうる多様な出来事に、著者がどう対応してきたかということをまとめたものです。
1から5章までに分かれており、医療関係者に向けた内容で、具体的にどう対処したらいいか書いてあるので、患者の家族にとっても、参考になる内容になっています。
- 著者
- 中井 久夫
- 出版日
- 2007-05-01
医療関係者に向けた講義がメインなので、かなり具体的なことが載っています。第1章、第2章は、統合失調症急性期の患者とどのように接するかということで成り立っていて、患者からの暴力をいかに抑制するかというのを、実技を交えて写真付きで説明しているのです。
「暴力というのは、低レベルで一時的ですが、統一感を取り戻す方法となります」
(『こんなとき私がどうしてきたか』より引用)
患者からの暴力対処法は珍しい話で、正直あまり聞いたことも見たこともないので、貴重なものでしょう。
第3章は病棟運営の具体的な話で、4章、5章は統合失調症の回復期の話です。中井久夫は回復とは患者が病気という山から、人里に降りてくるという表現をしています。この本はそういう山から降りてくる人に、見守り付きそう人にとってのガイドブックと言えるでしょう。
著者は有名な医学者であるだけでなく、ギリシャ政府から賞を授与されるようなヴァレリーやギリシャ詩の翻訳者であり、エッセイストです。
この本ではエッセイストの中井久夫として、今までの医学関連の本では、書いてこなかった話を自由に生き生きと書いています。中身は雑誌のための執筆もあり、講演会の発表やインタビュー等など。
自由な発想で、多彩で豊かな広がりを示す17篇のエッセイをまとめています。
- 著者
- 中井 久夫
- 出版日
- 2009-04-08
この本は全体を3部に分けていますが、その構成に関わらず、目次を見て、興味を持った題名のエッセイを読みはじめてもいいでしょう。
第1部は主に中井久夫の精神科医としての成長が主題となっていて、そこの一番はじめに書かれているエッセイが、この本のタイトルでもある「精神科医がものを書くとき」です。著者の書いているものは、ほとんど依頼を受けて書いているらしいのですが、書くということをしていなかったら、憂鬱になっていただろうと言っています。
学生時代の友人との出会い、後に翻訳者として関わってくるヴァレリーの言葉とバリントの思想など、このエッセイという、物事にとらわれることのない、自由さから生き生きと、それでいて知的に書いているのです。
第2部にあり「統合失調症についての自問自答」は、エッセイという自由なことが出来るものだから出来たものといえるでしょう。中井久夫が自ら、自分に問いかけるスタイルをとっています。そして、その問いは通常のインタビューでは出てきそうもない、著者の思いや反論もあるのです。
まさに中井久夫の経験と思想がギュッと詰まったエッセイになっています。
少しでも、中井久夫の作品の魅力が伝わったでしょうか?
専門の医師としても高名で一流なうえ、言葉をあやつるエッセイストしても魅力的、そして翻訳者としても相当な力量を持つ中井久夫。だからといって、専門用語に頼らず、上から目線で高飛車に言い切るのではなく、患者に対する優しい目で、物事を見つめ冷静に分析しているのです。そんな著者のエッセイを読んでみて下さい。