三木清のおすすめ作品5選!代表作『人生論ノート』も紹介

更新:2021.11.7

三木清は哲学者、思想家です。京都帝国大を卒業し、ドイツ留学後、論壇に鮮やかに登場します。しかし時代の波に呑まれ、2度の投獄の憂き目に遭い、戦後の日本を見ずに、終戦の1ヶ月後に獄死しました。その著作は80年経つ今でも、色褪せないロングセラーです。

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三木清とは

三木清は1897年、兵庫県生まれの哲学者です。京都帝国大学で西田幾多郎に師事した後、岩波文庫の創始者岩波茂雄から資金援助を受け、ドイツ留学へと向かいます。ドイツではリッケルト、ハイデッガーの教えを受け、帰国後に処女作となる『パスカルに於ける人間研究』を発表し、一躍有名になりました。

法政大学文学部哲学科主任教授に就任すると、唯物史観の人間学的基礎づけに試みようとしていましたが、1930年に治安維持法違反で投獄され、教職を失ってしまいます。その後、著作活動を活発に行いますが、時代が戦争へと傾きかける頃、再び検挙されてしまいます。そして第二次世界大戦の敗戦直後の9月26日、獄中で没しました。

三木清の代表作といえばこの一冊

死、幸福、懐疑、習慣、虚栄、名誉心、怒、人間の条件、孤独、嫉妬、成功、瞑想、噂……23章からなる本です。『文學界』に不定期に連載されていたもので、三木清が小林秀雄から、誘われて書いた、一般大衆向けの哲学エッセイの体を成しています。

1947年に刊行。それから長く読み継がれている、三木清のロングセラー作品です。

著者
三木 清
出版日

三木清といえば、この『人生論ノート』と言われるほど、有名な著書です。ページ数でいえば、160ページほどで、それぞれ短いテーマごとに分かれていて、例えば「虚栄について」では以下のように書かれています。

「いかにして虚栄をなくすることができるか。虚無に帰することによって。それとも虚無の実在性を証明することによって。言い換えると、創造によって。創造的な生活のみが虚栄を知らない。創造というのはフィクションを作ることである、フィクションの実在性を証明することである。」
(『人生論ノート』 「虚栄について」より引用)

見栄を張るようなことにとらわれないで、本当に思うがままに独創的な人間でいたいと思うなら、認められたいとか、自分を知らしめたいという思いだけで、何かするのではなく、真に何かを作り出すための方法を見つけ出し、徹底する必要があります。それこそが、作り物に現実味を与える、唯一のやり方であるためです。

このように、23の普遍的なテーマを語るエッセイは、1938年から1941年にかけて書かれました。戦争一色になる中で書かれているため、戦時下での治安維持法のもとで、少々言い回しが難しいものとなっています。しかし70年以上経った今読んでも、新たな発見があり、作中は生き方の指針になる言葉で溢れています。

ドイツ留学後に書かれ、日本の哲学会に衝撃を与えた三木清の処女作

三木清が西田幾多郎の『善の研究』に感激し京大進学を決め、さらにドイツ留学でハイデッガーやリッケルトから学んだことを経て、パスカルの『パンセ』を読み感動して泣いてしまったそうです。そして、パスカルについて書いてみようと思い立って書いたのが本書だといいます。

実存哲学的な視点からパスカルを読み解くということで、不朽の名作として読み継がれています。

著者
三木 清
出版日
1980-07-16

岩波文庫の創始者である岩波茂雄の援助を得て、ドイツ留学した三木清でしたが、そこではリッケルトやハイデッガーを師事、充実した留学生活を満喫していました。またフランスにも立ち寄ると、パスカルの研究をし、その研究成果をまとめたものが、本作『パスカルにおける人間研究』です。

「私は新たに出発しよう。私は生その物の考察から出発しよう。生徒は世界に於ける存在である。存在は根源的に不安である。」
(『パスカルにおける人間研究』より引用)

人間の内側には個性という、尽きることのない豊かな湧水があるという信念は、ここでは姿を消しています。三木清は仏教、後に親鸞について書いていますが、パスカルのようなキリスト教徒ではありません。しかしここでパスカルが、自分の根拠は神だけだと書いているのに対して、三木は私の根拠は私の中のどこにもない、と言っているのです。

著者が豊かな個性を持った自立した存在として見ていた人間は、頼みにするところもなく、頼みにするものも知らないままにいる、そんな存在。しかし憂さ晴らしや楽しい気持ちを誤魔化している世界で、その後ろには、常に消すことが出来ない不安というものがあり、普段の生活でその不安に気づく時、人は嘘の共同世界から離れるのです。

発売当時驚異的なベストセラー!今なお読み継がれる哲学入門

哲学という学問を習う以前に、私たちは当たり前のように、または科学によって、現実というものを知っています。けれども、哲学というのは周知の事実ではありませんし、科学の展開に過ぎないものでもありません。

それでは哲学とは何か、現実の生活から始まり、一般的な生活の中における前提と科学と哲学の使い方をクリアにして、現実から問題をすくい上げ、哲学的考えを展開していく本です。

著者
三木 清
出版日
1976-05-20

発売当時に10万部を超える大ベストセラーとなった本です。今なお読み継がれているロングセラーでもあります。岩波書店から日本初の新書出すという事で、書き下ろしの新書として『哲学入門』を出版したそうです。

ここで三木清は、哲学を学ぼうとする初学者が、学ぶのなら西田哲学を選ぶのを勧めています。社会をどう読み取るかについて、西田哲学的な構成がより明らかになっています。西田哲学とは西田幾太郎が作り上げた哲学の体系です。

この考え方は、自己の存在意義を求め、自分らしく生きるということを、主にしています。また禅仏教の思慮深く考えることを哲学的、論理的に作り上げることを目指しました。後に日本思想史上、類をみない独創的な哲学体系を作り上げたのです。

「歴史的なものはすべて個別的なものであり、個別的なものは一般的なものと個別的なものの統一である。個人、民族、世界は相互に否定的に対立している、しかも否定は媒介であり、否定の媒介によって具体的現実的になるというのが弁証法の論理である」(『哲学入門』より引用)

『哲学入門』は西田哲学入門だという評もあります。内面的であると同時に超越的であるとか、主観的であって客観的とかいう解決は西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」論理による、言葉の上の解決に過ぎないということです。

戦時下で『人生論ノート』と同じ年に発刊された本

「私のノートであるこの本が諸君にもノートとして何等か役立ち得るならば仕合である。」
(『哲学ノート』より引用)

このような序で始まりますが、目次をみると、新しき知性、伝統論、天才論、指導者論、道徳の理念、論理と人間、時務の論理、批評の生理と病理、レトリックの精神、イデオロギーとパトロギー、歴史的意識と神話的意識、に分かれています。

それぞれ短い文章を集めたものです。様々な事象について、目次の順に語られていきますが、長い年月がながれているにも関わらず、先見の明があると言ってもいいほどのことをあらかじめ語っています。

著者
三木 清
出版日
2010-04-01

短いけれど、難解で、かなり読み応えのある哲学書です。それこそ理解するのに、時間がかかるでしょう。その当時の若者が持っていただろう、基礎的な教養というのも、持ち合わせていないと、1回の通読では難しいと思われます。

「哲学者は静かな、責任をとらない観察者ではなくて、世界を動かす者、形成するものである」
(『哲学ノート』より引用)

世間から見られている、哲学者というのはだいたいアジテーターのように煽り立てるのではなく、密やかに大衆を洗脳していくように取られているようですが、そうではなく世論または時代の形勢を形づくるものです。机の前に座る、何も出来ない人間などありえません。

「私のノートであるこの本が諸君にもノートとして何らか役立ち得るならば仕合である。すでにノートである以上、諸君が如何に利用せられるも随意である」
(『哲学ノート』より引用)

この本のはじめである、序の部分に書かれている言葉です。私が書いたこの文章は私の意見ではあるが、読者一人一人がこのノートを自分らしく生きるためのものとして、仕上げて欲しいと言うのです。戦時下での、自分の考えをストレートには表せない状況で、三木は自分が手にした哲学が、どのように現実世界で活かせるかを模索しています。

しかしすべてが堅苦しく書いてあるわけではないので、小論の興味を惹かれたところから順番に、読んでいくのも良いでしょう。

本を読むこと=生きることと説く三木清の作品

「ひとはただ善いものを読むことによって善いものと悪いものとを見分ける眼を養うことができる」
(『読書と人生』より引用)

西田幾多郎、リッケルト、ハイデガーらに教えを受けて、日本の哲学界、思想界において大きな影響を与えた三木清。近代日本を代表する哲学者が書いた読書案内であり、同時に人生の指南書でもあります。

著者
三木 清
出版日
2013-09-11

日本でも指折りの、名のある哲学者が書いた本ですが、薄いからといって、甘く見ていると、読書後に結局何が書いてあったか、わからなくなるのが落ちかもしれません。

本作には、『読書と人生』というタイトルからも分かるように、読書の仕方などが、細かく書いてあります。何だ、単なる読書の指南書なのか、と早合点は禁物。三木清のこれまでの歩みの中で、どういう本を読んできたかという読書履歴でもあるのです。

著者の今まで読んできた本の中には、色々な哲学者や哲学の本の名前が出てきます。それも何の説明も、注釈もなく、当たり前のものとして書かれているのです。一般常識として、これぐらいのことは知っているはず、知っていて欲しいという作者の気持の表れかもしれません。

作中では、読書の4段階として、以下のようにまとめられています。

①読書の習慣を作る
②読書の技術
③何を読むべきか
④善い本を正しく読む

簡単にまとめてしまえば、当たり前のことでしょう。ただし各々の読み手に相応しい読み方があるという趣旨の言葉は読書家にとっては、心強い応援の言葉になります。

読書する楽しさのモチベーションを上げるため、時々原点に戻るためにも、本棚に入れて置きたい1冊です。

いかがだったでしょうか。もし三木清が戦後生きていたら、どんな風に感じて、どんな本を残したでしょうか。残念ながら2度に渡る投獄で、1度目の逮捕では教職を失い、2度めの逮捕では命を失ってしまいました。三木清の文章は全体に難解ではありますが、人生においての指針となるような、名言もたくさんあります。学生の時に途中で読むのに挫折した人も、まだ読んだことがない人も、ぜひトライしてみて欲しいです。

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