小説のみならず脚本家、映画監督、プロデューサーなどマルチに活躍する岩井俊二。なんと自作の装丁までしてしまう、多彩な人物です。映像化された作品が多いですが、今回はぜひ活字で読んでいただきたい5作をご紹介します。
学生時代から小説家になりたかったという岩井俊二。仙台出身で国立横浜大の教育美術に進みますが、絵はあくまで趣味、小説の深みのためだったそうです。でも、画が自分の頭の中にしっかりとあるからこそ、「岩井美学」とよばれるあの美しく繊細な映像を作り出すことができるのでしょう。
卒業後は就職活動をせず、アルバイトをしながら人脈を広げることに専念します。ミュージックビデオの仕事を経て、1993年に『ifもしも~打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の演出で日本映画監督協会新人賞を受賞。テレビドラマでの受賞は異例でした。その後『ラヴレター』や『スワロウテイル』を発表し、国内外で一躍有名になります。
岩井がマルチである所以は、やはりその頭の回転の速さと好奇心の強さからくるものでしょう。ひとつの作品を作りながら、常に同時進行で別の作品たちのことも考えています。また、新しい技術にも意欲的で、日本初の映像編集方法を取り入れたり、BBSで読者を巻き込んだ小説を書いてみたり、WEB配信という上映方法でショートフィルムを公開したりと、彼が行ってきた斬新な手法は枚挙に暇がありません。
好奇心旺盛な岩井俊二は小説においてもさまざまな題材を扱っています。中でもおすすめの5作品をご紹介していきましょう。
岩井俊二が監督やプロデュースを手掛けた映画やテレビドラマの魅力をもっと詳しく知りたい方には、こちらの記事もおすすめです。
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ハンドルネーム「サティ」が新しいサイト「Lilyholic」を立ち上げます。歌手リリイ・シュシュのファンが集まり、自由に書き込むためのサイトです。
話題は、サイトに現れなくなった過去の常連者「フィリア」、「ふゆ」、「青猫」のことになり、彼らがリリイのコンサートで起きた殺人事件に関与しているのではないかという推理が始まるのでした。
- 著者
- 岩井 俊二
- 出版日
ネット上で連載され、BBSでは読者も参加可能にしていたという実験的な小説です。前半のリリイのファンによる書き込みの部分は、ネットならではの不確かな関係性の怖さが浮き彫りにされています。例えば、些細な行き違いから1人をみんなで追い詰め、叩き、追放する……といったようなことです。
後半は事件の真相が語られていきます。背景にあるのは中学生たちのどぎついほどにリアルな日常でした。部活動、夏の冒険旅行。そこから狂い始めた歯車により、かつての仲間はイジメをする側とされる側に分かたれ、その行為はイジメを超えて犯罪の域までエスカレートしていきます。
イジメを受け、更に他の生徒へのイジメの片棒を担がされている雄一。彼は現実の生活に押しつぶされており、リリイのファンサイトでようやく息をしているような状態です。リリイの歌だけが彼を自由にします。現実と虚構の世界が結び着いてしまった時、事件が起こったのでした。
『リリイ・シュシュのすべて』というタイトルですが、リリイは最後まで出てきません。雑誌のインタビュー記事やサイトの書き込みなどからその姿が浮かび上がってくるだけです。それだけに、その存在感が際立ちます。ヒッチコックの『レベッカ』にも通じる見事な手法です。身も心も不安定な思春期に、逃げ出したいほど醜悪なリアルと、美しく確固としたフェイクが同居し、いつしかその境界線をなくしていきます。
この小説の底に、ずっと流れている不安定な音、不協和音。それが岩井の手によって一筋の音の連なりになる時、思いもかけず、ずっと聴いていたい哀しく美しい音色になるのです。
山で遭難死した藤井樹の三回忌。婚約者だった博子はほんのイタズラ心ですでに高速道路の下になり今はないという、樹が住んでいた住所に手紙を出してみます。すると「藤井樹」から返事がきたのです。
- 著者
- 岩井 俊二
- 出版日
- 1998-03-20
断ち切られるように突然いなくなった恋人から手紙が来る。……ロマンチックな展開になるかと思いきや、博子に返信している「藤井樹」の正体は、同姓同名の女性であることが早々に明かされます。
しかし、既にこの世にいない樹の姿が、幼いその恋心が、「藤井樹」によって浮き彫りにされていくので、読むことを止められなくなってしまうのです。
過去と現在の恋が交錯し、樹の想いが明らかになっていくさまはまるで手品をみているよう。形のないものを、しっかりと「ある」ように描き出してしまう岩井マジックが、ここにも生きています。文字だけの小説なのに、映像が頭に浮かんでくる作品です。
記者のビリーはイルカの研究をしているライアンを取材するためにセント・マリア島へやってきます。
海でのイルカの声の収録に参加したビリーは不可思議な現象に遭ってパニックになり、九死に一生を得ます。それは人魚の仕業でした。彼らは人魚に魅せられ、ついにその捕獲に成功します。しかしその直後、日本企業に人魚を盗まれてしまうのでした。
- 著者
- 岩井 俊二
- 出版日
人魚と聞いて、思い出すのは何でしょうか?アンデルセン?ディズニー?もしくはセイレーンや日本の八百比丘尼なんて方もおられるかもしれません。世界各地に伝説の残る人魚ですが、美しい女性の上半身に魚のような下半身という想像をする方が多いようです。
しかし、ここに出てくる人魚は違います。一見すると人間とほぼ変わらない姿、しかし彼らは泳ぎや音に関して人間からみれば「超能力」ともいうべき突出した能力を持っており、最も大きな違いはその生殖の仕方だったのでした。
題名にも出てくるウォーレスというのは実在した学者です。進化論の父といえばダーウィンですが、実はウォーレスの方がやや早く、進化に関する論文をまとめていました。そんなウォーレスが書いたという架空の書『香港人魚録』を小道具に、実際に見たことがあるかのごとく、人魚をリアルに表現している場面は、見どころと言えるでしょう。
人魚を研究対象としてしか見ず徹底的に調べ利用しようとする者、人間に酷似した外見の人魚を人道的に扱わなくてよいのかと悩む者。研究者たちの中でも態度が分かれます。そして人魚の末裔だとされる海原密は、どう生きることを選ぶのでしょうか。
食物連鎖ピラミッドの頂点どころか、他の生物を絶滅する力をも得て、ピラミッドを凌駕したとさえいわれる人類。しかし人類の英知をもってしても他の生物たちはおろかヒト自身の身体のすべてが解き明かされているわけではありません。
臓器移植、生殖医療、クローン、ips細胞など、科学と医療と倫理の中で揺れ動いている部分がまだまだあるのです。こうした問題に加え環境や他の生物たちとの共存、人が生きる意味……思わずそんなことまで考えてしまう1冊です。
私立校の契約講師として平凡な生活を送っていた七海は、インターネットの恋人募集で知り合った同じ教師との結婚を決めます。しかし、七海の母親は駆け落ちして父親と離婚。その父も従業員だった女性と再婚しており、複雑な家庭事情を婚約者に話しそびれた七海は、またもネットに頼り、結婚式に出席する偽の親族を雇うことにしました。
ネットで知り合った何でも屋の名前は「安室行枡(アムロユキマス)」。ガンダムの登場人物にちなんだ、ふざけた偽名を持つ男によって、偽で始まった七海の新生活は偽の上塗りを余儀なくされ、平凡だった人生は狂わされていくのです。
- 著者
- 岩井 俊二
- 出版日
- 2015-12-04
22歳まで処女、でもネットで結婚相手まで手に入ってしまうことに、後ろめたさと一抹の自虐を持って裏アカウントで書き込みをしていた七海。そんな小心な七海が窮地に陥るたびに頼ってしまう安室は胡散臭く、「七海、そいつはあぶないよ!多分はめられているよ!」と忠告したい気持ちになってきます。岩井俊二にしては見え透いた筋です。
しかし七海は、呆気ないほどにどんどん深みにはまっていきます。そして後半、七海が里中真白という女性と深く関わるようになった頃に、「岩井の意図は堕ちていく七海を描くことではないのか?」と気付くかもしれません。
リップヴァンリンクルとは、アーヴィングの短編に出てくる木こりの名で、彼が森の奥で眠っている間に20年の時が過ぎて世界が変わっているという浦島太郎のような物語です。安室にはめられていることにすら気付かない七海は、まるで眠っているかのようですが、実は彼女の平凡な世界は変化しています。
真白との出会いと別れを通して目覚め、すっきりとして自分の足で歩き始める七海。ネットで偽物ばかりの世界に入り込み、落ちた七海ですが、真白とはSNSを使うことなく過ごしていたことに気付くのです。
ネット世界の闇を書くのかと思わせられる展開でありながら、そこで変われたり、救われたりする人もいるのだということも気付かせてくれるこの作品。岩井は、ネットは怖いとも、いいものだ、とも言いません。ただ、そこに生きる人の「今」を切り取っているだけです。それだけなのに清々しい気持ちになれる、何だか不思議な作品を、ぜひ手に取ってみて下さい。
舞台は日本、とはいいながら現実の日本ではない国の「イェンタウン(円都)」。イェン(円)を求めてやってきて不法就労している人たちの町が舞台です。
アゲハは戸籍のない少女で、母親がいなくなった後、胸に蝶の刺青のある娼婦グリコと暮らしています。グリコの客がアゲハに乱暴しようとし、それを阻止しようとしたせいで殺人と死体遺棄に手を貸すはめになった仲間たち。しかし殺されたその客は、お腹中に重大な「機密」を抱えていたのです。
- 著者
- 岩井 俊二
- 出版日
様々な戸籍、性別、年齢の人たちが次々に登場し入り乱れ、また次々と退場していきます。
狭い芝居小屋で小さな劇団の群像劇を観ているような気分です。墓泥棒、売春、殺人など、顔をしかめたくなるような事件がたくさん起き、アゲハやグリコにとって大切な人もどんどん死んでいきます。それなのに湿っぽいところは全くなくカラッとしている、それが架空の町イェンタウンなのでしょう。猥雑で、熱くて、でも乾いている。この空気感をリアルに描けるのが岩井俊二です。
ライトな感じの語り口なのでスラスラ読めてしまいますが、この小説は実は映画の企画書のつもりで書いたのだと岩井自らが明かしています。しかし、同時進行となった他の作品たちに忙殺されて映画「スワロウテイル」は中断。再開した時にはそれらの作品たちのネタになってしまい、シナリオはボロボロになってしまいました。
実際に映画になったシナリオは新たに書かれたもののため、元の小説とは違う味わいになっているそうです。CHARAの独特なキャラクターと歌声で有名になった作品ですが、小説版も読んでみてください。
現実と虚構の境界をぼかしてしまう、不思議な魅力を持った多才の人、岩井俊二。その才能のひとつの形、小説を是非感じてみてください。