東郷平八郎というと、日露戦争を思い出す方も多いのではないでしょうか。教科書にも載っている、日本の歴史において欠かせない人物です。この記事では、彼の生涯や知っておくべき面白い逸話、名言、さらにおすすめの関連本をご紹介していきます。
1848年に現在の鹿児島である薩摩藩で生まれ、薩摩藩士となった東郷平八郎。薩英戦争や戊辰戦争に参加し、明治維新後は海軍に入ります。1871年からおよそ7年間、念願のイギリス留学を果たしました。
イギリスから帰国した後に参加した日清戦争では艦長を務め、活躍。信頼を得て、日露戦争では連合艦隊司令長官に抜擢され、戦艦「三笠」に乗り込み実力を発揮しました。
スマートなルックスや戦争中の活躍ぶり、捕虜に対するジェントルマンな対応などから、歴史を学ぶ多くの人から人気を得ていますが、それだけでなく彼の司令長官としての実績はアメリカでも高く評価されました。
1934年、86歳で死亡します。死因は喉頭癌でした。この時代の平均寿命が40歳代だったので、かなりの長寿だったことがわかります。彼が亡くなったことは世界中でも大きなニュースになり、かなりの見舞いが届いたそうです。
1:大久保利通の影響で寡黙な性格になった
東郷は「沈黙の提督」というニックネームで親しまれています。実は彼を「沈黙」たらしめたのは、大久保利通がきっかけでした。
当時イギリスへの官費留学を希望していた東郷は、中央政権の要職を務めていた大久保に志願しますが、却下されます。その後、大久保が彼について「東郷はおしゃべりだからダメだ」という評価をしていることを伝え聞きました。それからは自省をし、寡黙であることに努めたそうです。
2:イギリス留学中、「To go, China」などとからかわれ、かなり苦労をしていた
1度は却下されたイギリスへの留学ですが、東郷は諦めることができず、今後は西郷隆盛に頼み込んで後押しをしてもらえることになりました。
やっと夢が叶った彼は、意気揚々と現地へ乗り込みます。しかし喜んだのも束の間、年齢や学力などの関係で、海軍兵学校から入学を拒否されてしまうのです。
結局彼を受け入れてくれたのは、都心から離れた辺鄙な場所にある、ウースター商船学校でした。
日本人は当時26歳の東郷ひとりだけ。周りの生徒は10歳も年下のイギリス人です。当時のイギリスは人種差別が激しく、彼に対して周りの生徒たちは「トーゴー」を「to go」に引っ掛け、「To go,China」と言ってからかったといいます。
日本人としての誇りを傷つけられた東郷はひたすら学問に没頭し、学べることは全部吸収していきました。この時に学んだことが、後の日清戦争での活躍、そして日露戦争での司令長官への抜擢へとつながっていきます。華やかさとはかけ離れた、苦労の多い留学時代だったのです。
3:アメリカの雑誌『TIME』の表紙になった日本人第一号だった
雑誌『TIME』といえば、世界初のニュース雑誌としても知られています。1926年、東郷は日本人で初めて『TIME』の表紙になりました。
同誌の表紙は、その時代を象徴する人物が取り上げられるのは有名な話です。アメリカの政治家や実業家、ジャーナリストたちは、『TIME』の表紙を飾ることができるかどうかが格付けの目安になっているほど。
もちろんアメリカの雑誌なので、選考はアメリカ国内の視点を中心になされています。それでも彼が選ばれたということは、日露戦争での活躍っぷりが世界からも注目を浴びていたというひとつの証拠ですね。
4:トルコでは子供に「トーゴー」とつけるのが流行った
日露戦争を経て、東郷は世界から注目の的となりました。「東洋のネルソン」というニックネームがつけられたほどで、ロシアの脅威に怯えていた諸国家は、小国日本が勝利したことで大フィーバーになり、彼は世界のヒーローになったのです。
トルコもそのうちのひとつです。戦時中の活躍だけでなく、戦後、捕虜たちを手厚く介抱するなどの人柄も相まって、東郷は大人気となりました。生まれてきた子供に「トーゴー」とつける人が続出したというエピソードが残されています。
5:日本で初めて「肉じゃが」を作らせた人物?
「彼女に作ってもらいたい料理」で必ずと言っていいほど上位にランクインする「肉じゃが」。ほっこりする家庭料理としても定番です。
そんな肉じゃがですが、実は東郷平八郎が初めて作らせたといわれています。
東郷は、イギリス留学中に食べたビーフシチューの味を忘れることができず、帰国した後、軍艦内のメニューに無理やりビーフシチューを入れこみました。しかしにある調味料は醤油、砂糖などの日本食用のものばかり。困り果てた料理長が作りあげたのが肉じゃがだったそう。
また、当時は脚気を防ぐためにビタミンやタンパク質を強化した洋食のメニューが軍艦内にも取り入れられられていましたが、多くの人はまだその味に馴染んでおらず、日本人好みの味付けに変更してメニューに加えられたというエピソードもあります。
さまざまな説がありますが、肉じゃがで効率的に栄養素を取り入れることができ、脚気が改善されたともいわれています。
「降伏するのであれば、その艦は停止せねばならない。しかるに、敵はいまだ前進している。」
日露戦争で、敵のバルチック艦隊が白旗をあげて降伏したが、艦隊自体はこちらに向かって進んでいあた際に言った言葉です。国際法のルールでは降伏をする場合、艦船を停止させなければならない決まりがありました。
東郷はこのルールにのっとり砲撃を続行。冷静で厳格な性格がわかるエピソードです。
「至誠に悖るなかりしか
言行に恥づるなかりしか
気力に欠くるなかりしか
努力に憾みなかりしか
不精にわたるなかりしか」
これは「五省」というもので、当時の海軍兵学校で用いられていた訓戒です。東郷はいつもこれを心の片隅に置き、自分自身に問い続けていたのだそう。
「誠実さを欠いたことはなかったか
言葉や行動に恥じるようなものはなかったか
気力は十分だったか
最善の努力をしたか
怠けることはなかったか」
連合艦隊司令長官として指揮をとるなど、本来であれば自信に満ち溢れていてもよさそうなものですが、彼は常に自分に厳しい人だったことがわかります。
本書は、東郷平八郎が若き薩摩藩士だったころのことや、イギリス留学時代のことなど、日露戦争で活躍するまでのエピソードに重点を置いています。
日露戦争以降の活躍に重点を置いている資料が多いなかで、若いころからの苦労話などが収められているものは珍しいです。
- 著者
- 星 亮一
- 出版日
- 2004-05-01
東郷が若いころにどのような人生を送っていたのかということを中心に、当時の人々の世界観、戦争に対する考え方なども垣間見ることができます。
小説のような読みやすい書き方のなかに、批評や記録などが織り混ざっていて、読みやすい一冊です。彼がどのような努力をしてヒーローになっていったのかがよくわかります。
日本軍が世界に与えた「世界的脅威」によって、開国からたったの50年で、近代日本海軍が完成しました。
本書では、その偉業を指揮した東郷がどのような人物であったのか、日露戦争を中心に迫っています。
- 著者
- 下村 寅太郎
- 出版日
- 1981-07-08
哲学者である著者の視点から、東郷平八郎を「精神史」として客観的に読み解き、描いています。東郷の戦術分析や評価などが織り込まれ、彼の冷静な人物像に迫ります。本書を読むことで、東郷がどれだけの凄腕だったのかということを再認識できるるでしょう。
また本書は、ロシアと日本の両者から文献の索引が織り交ぜられていることも特徴的です。一方的な意見だけでなく、双方から見た意見や感想を知ることができます。
ロシアに勝利した東郷平八郎艦隊。この勝利で、先進国から相手にされていなかった日本が、世界から一目置かれる存在になります。
反対に、アメリカに完敗した山本五十六艦隊。この2つの艦隊を、海戦と作戦から分析し、勝敗の分岐点に迫っていく内容です。
- 著者
- 生出 寿
- 出版日
- 2009-11-09
日露戦争での東郷平八郎と、太平洋戦争での山本五十六について述べられています。特に作戦行動の部分を徹底比較し、2人の行動を元に、チームワーク、人材の配置の仕方などを詳しく解説し、リーダーシップとは何かということを追求していく一冊です。
また、対戦時の艦隊の動きが繊細に記述してあるので、興味のある方は地図を見ながら読むことをオススメします。
山本と比較し、分析することで、東郷がどれだけ優れた司令官だったのかということがわかります。東郷平八郎ファンにとってはたまらない一冊となるでしょう。
本書は、日露戦争後の東郷平八郎にも、焦点が当てられています。
ある程度歴史について学び、東郷がどんな人物なのか知っている方には、本書がオススメです。
- 著者
- 田中 宏巳
- 出版日
- 2013-11-12
文献や書物から彼が生きた時代の考察をしていて、彼にどのようなことが期待されていたのかがわかる内容となっています。
東郷平八郎というと、海軍の司令官というイメージが強いですが、昭和に入ってからは政治に関与していたという意外な事実があるのです。幕末、明治、大正とめまぐるしい時代を生きた彼だからこそできたことなのかもしれません。
数々の名言を残したことでも知られる東郷平八郎。「勝って兜の緒を締めよ」この言葉も、日露戦争後に彼が語った有名なもので、後世に語り継がれています。
多くの名言を残した東郷は、一体どんな人物だったのでしょうか?本書は、東郷のことをよく知らない人にも、歴史に詳しくない人にもわかりやすく説明された、長編小説です。
- 著者
- 羽生 道英
- 出版日
日露戦争の時に、東郷を連合艦隊司令長官に推薦したのは、山本権兵衛です。当時は異例な男が推薦されたよう思われていましたが、山本が東郷を推薦するにあたって述べた言葉は「彼は運の強い男ですから」というものでした。その結果明治政府は、全ての「運」を東郷平八郎に賭けることにしたのです。
その後の行方は世界中の人が知る通りです。本書を通して、彼の「運の強さ」は決して神がかりなものではなく、彼自身の訓練や勉強などの努力があってこそだったということを知ることができます。
小説として描かれているので、歴史に詳しくなくても物語として読み進めることができます。
東郷平八郎の数々のエピソードがまとまっている5冊の本をご紹介しました。色々な方向から描かれているので全部読むことで東郷という人の全体像が見えてきそうです。