全てを捨ててただ強さのみを追い求める宮本武蔵の壮絶な人生を描いた『バガボンド』。圧倒的な画力による大迫力のバトルや濃密な人間ドラマは、老若男女問わず魅了しています。
『スラムダンク』の作者井上雄彦が1998年から連載を開始し、2014年までに37巻が刊行されています。
『バガボンド』の魅力のひとつめはバトルシーン。筆ペンを使用し高い画力で描かれるライバル達との闘いはとにかく圧倒されます。そしてもうひとつの魅力は、作中に現れるいくつもの名言です。
「強い人は皆やさしい」(『バガボンド』25巻から引用)
「弱さを経ていない強さはないでしょう」(『バガボンド』30巻から引用)
「自分だけのものと考えているなら命に価値はない」(『バガボンド』37巻から引用)
濃密な人間ドラマのなかに、ハッとする言葉が多数散りばめられている本作は、悩みや迷いがある方にぜひおすすめしたい作品です。
宮本武蔵という人間の心の在り方や、答えのない問いに率直に向き合って作品を描いているため、創作も難航し、何度も休載を挟んでいます。2014年に発売された37巻では物語は佳境に入り、ついに武蔵はライバル佐々木小次郎がいる小倉に向かいましたが、38巻は3年以上も刊行されていません。
武蔵の天下無双を求める旅はどう終わるのでしょうか?
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- 著者
- 井上 雄彦
- 出版日
- 1999-03-23
宮本村に住み、幼少の頃から剣術の向上を求めていた新免武蔵(しんめんたけぞう)は、名をあげたいがために13歳にして大人を殺したという、歪んだ心の持ち主です。しかし、故郷を出て赴いた「関ヶ原」での戦ではほとんど戦果を出せず、己の無力感に打ちのめされてしまいます。
両親の愛を知らず、故郷の人々にも虐げられ、「生きる」ということの意味を見出せずにいた武蔵でしたが、僧の沢庵に存在を認められ、再び剣士として生きる道を歩みはじめました。
天下無双を追い求め武者修行の旅に出た新免武蔵は「宮本武蔵」と名を改め、有名な武芸者と戦って名を上げようとします。そんな生きるか死ぬかの戦いに勝利し続けることで、武蔵の名前は全国に広がっていきました。しかし、なぜが心は満たされず、次第に強さや命の意味を考えるようになります。
そんななか、武蔵は因縁ある吉岡一門と70対1という壮絶な戦いを繰り広げ、勝利こそしたものの、足に大怪我を負ってしましました。その傷は剣士として致命傷です。それまで剣だけを振って生きてきた武蔵は、突然道を見失うことになります。
自分を見つめなおす為、重症の体で再び旅に出た武蔵は、とある貧しい村に立ち寄りました。武蔵の目には村人達は貧困に負け、生きることをあきらめているように映っています。武蔵は一人、作物を育てる為、土を耕し始めるのです。それは土や水を相手にした真剣勝負でした。
怪我も順調に回復し、剣も振れるようになった武蔵は、村人の秀作に農作業を教わりながら、「強さ」の本当の意味について考えます。しかし努力は実らず、徐々に弱っていく村人達。その様子に絶望した武蔵はエゴやプライド、強さや命など、それまで抱えてきた問題をより深く考えるようになりました。
命がけの戦いや、農業を通して自然と戦うことで、ひたすらに自分を見つめていく武蔵。本作の最大の魅力は、この宮本武蔵という人間そのものとも言えるでしょう。
- 著者
- 井上 雄彦
- 出版日
- 1999-10-22
宮本武蔵。有名な武芸者を父に持つ彼は幼少時からいつも一人で木刀を振っていました。剣の腕を磨きたい一心で、山奥で過ごす日々。いつの日か必ず天下無双になるという目標のもと、人としての感情を捨て剣の強さだけを追い求めます。
武者修行の旅に出てとにかく強さを貪欲に求める武蔵は、有名な道場に次々と押しかけ戦いを求めます。傍から見れば、無謀と思えることも平然とやってのける武蔵は笑顔でこう言ったのでした。
「無謀と笑うか?なんの。天は笑いはしない」(『バガボンド』9巻から引用)
そんな剣の鬼のような武蔵も当然人間。感情を捨てきれず、幾度となく迷いにぶつかります。これを心の弱さとし、ストイックになろうともがく人間味あふれる姿が、武蔵の最大の魅力です。
作中には、「天下無双とは何か?」と問われるシーンがあります。その時の彼の答えが、以下の引用です。
「言葉です……ただの言葉」(『バガボンド』30巻から引用)
死線をくぐり抜けた武蔵は相手を殺し勝負に勝つことが、自分の求める強さではないと気付きました。すでに世間では天下無双と呼ばれているにも関わらず、彼は強さの意味をさらに求めます。
そんな中で出会った貧しい村人達との共存により、武蔵は命の重さを初めて体感しました。剣だけに執着していた頃とは別人のようなこの武蔵こそ「真に強い者」と言えるでしょう。
- 著者
- 井上 雄彦
- 出版日
- 2003-02-18
佐々木小次郎は宮本武蔵の最強のライバルです。耳が聞こえず、言葉も喋れない障害を持っています。彼の育ての親はかつては有名な武芸者だった鐘巻自斎。コミュニケーションがとれず孤独な少年でしたが、剣に異常なまでに執着し、肌身離さず持ち歩いていました。
自斎は剣士ではなく普通の子として成長を望んでいましたが、小次郎はそんな自斎に修行をつけてほしいと剣で挑みます。稽古はつけないと否定しながらも、剣を向ける小次郎に剣で応対する自斎。それはもう実戦形式の稽古となっていたのでした。
そうして小次郎はみるみるうちに剣の技術を向上させていきます。
武蔵が努力の人ならば、小次郎は天才肌。視覚や触覚が極端に発達しており、それらを生かした戦い方は正に天才的です。運命的な出会いを果たす二人は、言葉を交わさなくても気付きます。お互いが人生最大のライバルだということに。
性格は穏やかで女好き。世間の常識から外れた考えを持っているようですが、言葉が話せない為、その真意は誰にも分かりません。それでも心の奥底に、誠実さと狂気を同時に持ち合わせているのは確かなようです。
剣の腕前なら小次郎の方が上といった描写がなされていますが、『バガボンド』における強さはそれだけでは測れません。小次郎は気付いていない命の重さ。それを知った武蔵が彼にどう対抗するのでしょうか?
- 著者
- 井上 雄彦
- 出版日
- 2001-05-23
本作に登場する人物達はほとんどが剣に魅せられ、強さに執着していますが、武蔵の幼馴染の本位田又八だけは違います。幼少時こそ武蔵と一緒に剣を振り、有名な武芸者になることを夢見ていましたが、大人になり世間を知ると、彼は酒と女に溺れていきました。
「俺は強いお前が怖くて、疎ましくて、そして大好きだ」(『バガボンド』28巻から引用)
前だけを見つめ夢に向かって進んでいく武蔵に、嫉妬や尊敬、友情、憎悪など入り混じった感情を持つ又八。他人にも自分にも嘘をつき、焦燥感を募らせながらも彼はその時々の欲に負けてしまいます。
「負け犬は負けを抱えて……それでも生きていくんだ。前に進まなきゃいけねえんだ!!その気持ちまで奪うような戦い方は良くねえ!!」(『バガボンド』23巻から引用)
偶然小次郎と出会った又八。その時、小次郎は弱者を相手に容赦なく切りかかろうとしていました。そこへ又八は飛び込み、小次郎にこう叫んだのです。自分に負け犬の自覚を持つ又八の言葉だからこそ、強い説得力を宿しています。
何かにつけて言い訳ばかりする又八は、主要キャラクターの中で唯一、一般人的な立ち位置と言えるでしょう。彼が抱える悩みや言い訳は共感できるものばかりです。それはダメ人間の又八が、人として当たり前の弱さを露呈してるからではないでしょうか。
- 著者
- 井上 雄彦
- 出版日
- 2014-07-23
「70対1」という吉岡一門とのすさまじい死闘を潜り抜け勝利したものの、武蔵はまともに歩けないほどの重症を負いました。剣士としての道は閉ざされ、苦悩する武蔵。かつての自分を取り戻そうと、傷ついた体で再び旅に出ます。
偶然訪れた村は貧しく、村人全員が餓死寸前でした。希望を持たず、投げやりになっている村人を前にし、武蔵は一人、農業に打ち込みます。まるで桑を剣に見立てるように振るい、土を耕しながら強さの意味を考え続ける武蔵。
この頃世間では天下無双の呼び声が高かった武蔵ですが、そんな彼も、死んだ土や悪天候に翻弄され、農業は全くうまくいきません。一人、また一人と死んでいく村人達。それまで、他人の命など考えたこともなかった武蔵は、己の無力さを痛感します。
「どうか助けてくれ」(『バガボンド』37巻から引用)
稲の収穫まで村はもたないと判断した武蔵は生まれて初めて人に頭を下げるのです。他人に助けを求めること。それは生涯を通じ、武蔵が否定してきた行為でした。
後日小倉藩に従事することを条件に武蔵は食料を分けてもらい、村は少しずつ活気を取り戻していきます。それまで投げやりだった村人達は、必死に絶望と戦う武蔵に触発され、生きていくことを決意したのです。
「剣を教えて。あたしたちに」(『バガボンド』37巻から引用)
戦うことなどないのに、強さを持ちたいと願う村の女たち。武蔵は彼女たちに剣を教えながら、空や風の話をします。村人たちとの交流を通じて武蔵自身も、より広く深く剣を知るようになっていました。
「闘わないのに剣を振ること……そこにどんな価値があるのか……」(『バガボンド』37巻から引用)
「命を奪うこと」だけを考えて生きてきた武蔵は、「命を育てること」の難しさや、命の重さ、生きる尊さに気付いていきます。人を殺し続けることが天下無双に近付くと考えていたかつての自分とはまるで違う武蔵がそこにはいました。
「お前の旅も終わるか武蔵。これまでどんな旅だった?どんな道程だったか」(『バガボンド』37巻から引用)
農業を教えてくれた秀作が死ぬ間際、武蔵にこう尋ねます。武蔵の脳裏に浮かんだのは血にまみれた「剣」と「死」。全てを受け止め、武蔵はやさしく笑います。武蔵はそんな風に笑ったことは一度もありません。彼の中で何かが吹っ切れた瞬間でした。
「この村で何か変わったか武蔵。よい笑顔だな……」(『バガボンド』37巻から引用)
直後、秀作は命を落とし、村人と一緒に涙を流す武蔵。
その姿は『バガボンド』のテーマ「強さとは何か?」の答えなのかもしれません。
いかがでしたか?ここに挙げた内容や名言はもちろんごく一部です。『バガボンド』の魅力はまだまだたくさんあります。ぜひ一度実際に読んでみてください!!