古代ギリシャの哲学者、プラトン。名前は聞いたことがあっても、どんな人か説明できる方はあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。今回はプラトンについて知っておくべき7つの事実と、彼にまつわる本をご紹介します。
紀元前400年前後に活躍した古代ギリシャの哲学者、プラトン。本名をアリストクレスといいます。
若き日に「無知の知」で有名なソクラテスにの弟子入りをし、問答法や哲学者としての姿勢を学びます。ソクラテスの死後は「対話篇」という、複数の登場人物の対話で物事を語る形式をとった作品を記し、師の教えを広める活動をしました。
また彼は、対話篇を執筆しつつ、「イデア」という概念を構築していきます。永遠不変で実在するのは真・善・美・正義などのイデア(観念)のみで、それは魂の目によって捉えられる事物の本質だとしました。
プラトンは、アカデメイアと呼ばれる学校を作ったことでも知られています。ここでは先生と生徒の問答によって教育が行われていて、哲学、政治学、天文学、数学、物理学などが教えられていました。
このアカデメイアに17歳で入学してきたのが、後に「万学の祖」いわれるようになったアリストテレスです。このときプラトンは60代。彼は晩年アカデメイアでの教育に力を入れ、80歳で亡くなるまでの20年あまりをアリストテレスと共に過ごしました。
1:本名はアリストクレスで、体格が立派で大きかったため、広いという意味のプラトンと呼ばれるようになった
「プラトン」とは「広い」という意味。彼には祖父からもらったアリストクレスという名がありましたが、身長も高く恰幅がよかったため、通っていた体育学校でプラトンというあだ名がつけられました。
2:政治家を志していたが、現実政治に幻滅し、政治に関わらなくなった
彼は30代のころ、師匠のソクラテスから弁証法などの哲学を学びながら、政治家を志していました。当時は哲学による国家統治構想があったのです。しかし30人政権などの独裁政治などに嫌気がさして、政治は学問的には追求したものの、現実政治とは距離を置いていきました。
3:学生であると共に、レスリングが得意でレスラーでもあった
「プラトン」というあだ名をつけたのは、実はレスリングの先生。彼はレスリングが得意で、実際に大会に出場して2度の優勝を果たしました。
4:教育に大変関心があり、自身の学園を建設した
プラトンは、現実の政治に距離を置きつつも、哲学者による国家の統治をするという哲人王思想を温め、この思想を実現するためにアカデメイアを創設しました。
5:彼は人間の感覚や経験を基盤に据えた経験主義を否定した
感覚は不完全であるため正しい認識ができないとし、永遠不滅のイデアのみが正しい認識になるとしました。
6:師匠であるソクラテスが処刑された後、12年間地中海地域を旅し、地質学、幾何学などを学んだ
プラトンは、師匠であるソクラテスが処刑された後、地中海諸国を転々とする旅に出ました。そのとき出会った数学、幾何学、地質学などが後の彼の哲学的思考に大きな影響を与えています。
7:ギリシャ文学で最も優れた作家の1人として認められている
プラトン以前は詩という形式で哲学を表現していたギリシャ文学。彼が対話篇形式という新しい表現をしたことは、後の哲学界に多大なる影響を及ぼしました。
本作は、ソクラテスが法廷で自分の考えを述べる様子を綴った「ソクラテスの弁明」と、その続編にあたる「クリトン」の2つが収められています。
ペロポネソス戦争後、ギリシャのアテネでは1年間ほど恐怖政治が行われました。その後政権を奪還した民主派勢力のなかには、この恐怖政治や、そもそものペロポネソス戦争での敗戦の原因として哲学者を批判する動きがあったのです。
ソクラテスは、その哲学者たちの主導者として糾弾される対象となり、投獄されてしまったのです。
- 著者
- プラトン
- 出版日
「ソクラテスの弁明」では、控訴されたソクラテスが裁判で、聴衆に向かって演説をする場面が描かれています。彼はこの裁判に対し真向から反対しますが、結果的には死刑判決が下されて、終結するのです。
プラトンの著作は対話篇がほとんどですが、本作のほとんどはソクラテスのひとり語りとなっています。
「クリトン」では、不当に死刑の罪を言い渡されたソクラテスに対し、友人のクリトンが脱獄をすすめてきますが、なぜ国法を守って死を受け入れるかをソクラテスが語る様子が描かれています。
哲学書ですが、小説としても楽しめる展開。ソクラテスの真実に迫る大作から、人はどのように生きればよいのか、死とは何なのか、問いかける作品となっています。
本書も、プラトンが対話篇において師ソクラテスの教えを描いた全10巻の作品となっています。当初は、アカデメイアで教科書として使うために作られました。
正義とはなにか、正しい国家の条件、堕落と幸福の問題などを、ソクラテスが様々な人々と対話しながら説いていく形式となっています。
- 著者
- プラトン
- 出版日
- 1979-04-16
舞台はギリシャのとある港町。ここで祭りが行われ、それを見物に来ていたソクラテスがポレマルコスという富豪の家に呼ばれます。この家に集まった6人の弁論家や政治家と共に、ソクラテスが老い、富、正義などについて会話を交わし、問答するのです。
登場人物はたくさんいますが、重要なことはソクラテスが語り、国家はどのような人物が担っていくべきなのかが緻密に描かれています。
使われている言葉は古代に書かれた哲学書とは思えないほど簡単なものが多く、庶民的。プラトンの代表作となっています。
タイトルは『饗宴』ですが、「恋について」という副題がつけられています。
ソクラテスの友人アポロドロスが、彼の友人にかつて行われた饗宴について語っています。
その饗宴が開かれていたアガトンの家には28人の男性が集まっていました。食事をとった後、「夜は演説をしよう」と提案あり、議題を「エロス」としてそれぞれが論じ、翌朝ソクラテスが家に帰るまでの様子が描かれています。
- 著者
- プラトン
- 出版日
この時代のエロスとは、主に少年愛のこと。この議題から、肉体的な快楽、正義、知識、永遠と話は膨らんでいきます。
後半では酔いつぶれたアルキビアデスが、自分がいかにソクラテスのことを愛しているかや、彼を愛人にしたかったのに拒まれたことを語る様子も描かれます。その後はみな騒ぎ出して饗宴は大混乱。しかしソクラテスは酔った様子も見せずに家路につくのです。
古代の饗宴は、己の主義主張を戦わせる場所でもあり、ここからソクラテスの人間的な一面が垣間見えます。
本書の登場人物はソクラテスとパイドロスの2人だけ。アテネの郊外で2人がばったり出くわすところから始まります。
パイドロスはちょうど、弁論作家のところで長い議論をし終わったところでした。そこでどんな話をしていたのか気になったソクラテスは、どうにか聞き出そうとパイドロスと散歩をするのです。
- 著者
- プラトン
- 出版日
- 1967-01-16
話の内容は、自分は好きではないけれど思いを寄せてくれる人に身をまかせるべきかどうかということ。ここからソクラテスは、弁論術へとテーマを変えていきます。
彼は当時の弁論家たちを批判して、弁論とは何かを結論付けていくのです。
作者のプラトンは巻末で、自分の人生において最も平和に満ちた時期に書かれた作品だと述べています。
本書では、パイドンという哲学者が同じく哲学者のエケクラテスに、ソクラテスの臨終について尋ねられ、彼に死刑執行日のことを語る様子が描かれています。
その日の朝、ソクラテスが捕らえられていた牢獄には、彼の弟子や仲間たちが集まっていました。そしてまた問答をはじめるのです。
- 著者
- プラトン
- 出版日
- 1998-02-16
議題は魂について。ソクラテスが死をどのように考えていたのか、死んだら魂はどうなるのかが対話を通して語られています。
そして日が暮れかけたころ、彼は毒を飲んで臨終するのです。
本書が書かれたのはソクラテスの死後10年以上たってからですが、彼の人生の最後の最後まで描いていることで、プラトンがいかに師を仰ぎ、師の教えを後世へ残そうとしたのかが伺えます。
哲学というととっつきにくく感じる方も多いかもしれませんが、プラトンの対話篇という形式は読みやすく、またソクラテスの教えは時を経て読んでも心に迫るものがあります。まずは1冊、気になったものから読んでみてください。