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「新潮文庫の100冊」【2017】でおすすめの作品15選!

更新:2020.12.2 作成:2017.7.30

毎年おなじみの「新潮文庫の100冊」から、おすすめの15冊をご紹介します。読書感想文の題材にしても良し、新しい扉を開いてみるのも良し、あなたの価値観が変わる作品がそこにあるかも知れません。

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奴隷制度の真実を描くノンフィクション『ある奴隷少女に起こった出来事』

アメリカに奴隷制度が存在した時代の実話を描いたノンフィクション作品で、作者のハリエット・アン・ジェイコブズの体験談でもあります。1800年代のノースカロライナ州、黒人奴隷である両親のもとに生まれた少女・ハリエットは、27歳まで奴隷州で暮らし、後に逃亡の末、自由黒人になったのです。

優しかった前の主人の死により、ある医師の奴隷となったハリエット。作中では、彼女は通称である「リンダ」と呼ばれています。新しい主人のドクター・フリントは、妻がいるにも関わらず彼女に性的な欲望を抱き、関係を迫ってきました。逃げても逃げても追いかけられ、7年ものあいだ屋根裏で隠れ住むことを余儀なくされます。

著者
ハリエット・アン ジェイコブズ
出版日
2017-06-28

リンダの前の主人だった「お嬢さん」はとても優しく、リンダに読み書きも教えてくれました。「お嬢さん」の元にいたリンダは、自分が奴隷であるということさえ忘れるほど、心地よい生活を送っていたのです。しかし、医師の元での生活はそうではありません。医師の魔の手はやむことなく、リンダに迫り続けました。

「読者よ、わたしが語るこの物語は小説ではないことを、はっきりと明言致します。」(『ある奴隷少女に起こった出来事』より引用)

冒頭には、この一文が記されています。本作はあまりにも緻密な文章で書かれていたため、奴隷制度に反対する白人によって作られたフィクションだといわれ、作品自体は長い間日の目を見ることはありませんでした。

出版から126年後、実話だと証明され、アメリカでベストセラーになったのです。

リンダには芯があり、他人を思いやることのできる優しさを持っています。また、彼女の綴る流麗な文章から醸される聡明さには感服せざるを得ません。理不尽な立場から、自由を得るために戦う少女の姿からは、「強さ」という言葉だけでは表せない意志を感じるでしょう。

少女が真実の自由を得る物語を、どうか多くの人に見届けて欲しいと思います。 

謎の絵を巡るアートミステリー・おすすめの文庫本『楽園のカンヴァス』

山本周五郎賞を受賞したアートミステリーです。ニューヨーク近代美術館でアシスタント・キュレーターを務めるティム・ブラウンの元に、ある日一通の手紙がきます。その内容は、まだ公開されていないルソーの作品を極秘裏に鑑定して欲しいというものでした。どうやら、この手紙はティムの上司であるトム・ブラウンに宛てられたものらしかったのですが、ティムはトムの振りをして依頼を受けることにします。

鑑定を依頼してきたのは、スイスの大富豪であるコンラート・バイラーでした。バイラーの元には日本人キュレーターの早川織絵の姿もあり、ティムと織絵が真贋を見極める対決をし、勝った方に件のルソーの絵が譲られるというのです。その絵は、ルソーの大作「夢」と構図・タッチ共に酷似した「夢を見た」という作品でした。

期限は7日。二人は絵の真贋を解き明かすことができるのでしょうか。 

著者
原田 マハ
出版日
2014-06-27

7日後、バイラーの前で真贋の講評をしなければならないティムと織絵ですが、それは絵を見ておこなうのではなく、作者不明の謎の古書、その全7巻を1日1章ずつ読み、7日目に講評をおこなうという特殊なものでした。この「夢を見る」という作品は、一体何なのでしょうか?読者はますます謎の中に突き落とされていきます。

作者の原田マハ自身がキュレーター(美術館などの学芸員)の肩書を持っており、全編に渡って絵画に対する愛情が、読者にも伝わるでしょう。サスペンス要素だけではなく恋愛要素も盛り込まれ、また、終始ハラハラさせられるティムと織絵の勝負は、間違いなく見どころです。

物語は、まず織絵の視点から始まり、彼女が過去を思い出すという形で語り手がティムに移ります。高い構成力によって破綻がなく、美術の知識を織り込むことでストーリーのリアリティが増しているのです。美術を愛する人にこそ読んでほしい作品ですが、もちろん知識のない人が読んでも十分楽しめます。 

「医学」で読み解くミステリー『天久鷹央の推理カルテ』

天医会総合病院に設立された特別部門・統括診断部。ここにはそれぞれの科で診断が困難とされる患者が集められていました。少々変わり者の天才女医・天久鷹央がその頭脳で医学的な観点から謎を解き明かす、メディカルミステリーです。

鷹央の部下として5ヶ月前に大学病院から派遣されてきた小鳥遊遊は、鷹央の非常識で奔放な振る舞いに振り回される日々を送っています。鷹央は天医総合病院の屋上に建てた「家」に住んでおり、空気が読めない・人付き合いが極めて苦手・過度の偏食などの問題を抱えながら、一方でずば抜けた記憶力や集中力を発揮するなど、超人的な面も持ち合わせています。

その彼女が、自分の能力を最大限に利用するために設置されたのが、この「統括診断部」だったのです。 

著者
知念 実希人
出版日
2014-09-27

鷹央のもとに「河童を見た」という少年からメールが送られてくる「泡」、夜勤の看護師が見回りの中で青い人魂を目撃する「人魂の原料」、妊娠・堕胎をした女子高生になぜか検査薬の陽性反応とつわりの症状が現れる「不可視の胎児」など4編の事件が収録されています。

ライトノベル寄りな作品ですが、事件の謎解き部分のクオリティは高度で、鷹央の圧倒的な頭脳でテンポ良く謎が解かれていきます。

本作の表紙イラストは『涼宮ハルヒの憂鬱』でもおなじみのいとうのいぢが担当しており、シリーズ累計で40万部を突破した人気作です。小鳥遊に対しては傍若無人でありながら、姉の真鶴には頭が上がらず恐怖ともいえる感情を抱いている鷹央は、普段謎を解く時のキリッとした姿とは違い、少し可愛らしいギャップも感じさせてくれます。 

死者への思いを繋ぐ使者『ツナグ』

一生に一度だけ、死者と再会させてくれる「使者(ツナグ)」。どうしても使者に会いたい人たちがツナグの元に依頼をし、それぞれの物語が綴られていきます。吉川英治文学新人賞受賞作で、60万部以上のベストセラーとなった作品です。2012年には、映画化もされました。

主人公の渋谷歩美は、祖母からツナグの役目を引き継ぐ立場にいる男子高校生。映画では、松坂桃李が演じて話題になったのが記憶に新しい方もいると思います。前半は依頼者の視点、後半はツナグの視点から物語が展開し、ラストまで読むことでそれまでわからなかった部分も解明されていくという構成です。 

著者
辻村 深月
出版日
2012-08-27

人気アイドル・水城サヨリを心の拠り所にしていたOLの物語「アイドルの心得」をはじめ、母をガンで亡くした男がツナグによって呼び出された母に悩みをぶつける「長男の心得」、行方不明の婚約者に会いたいと待ち続ける男「待ち人の心得」、そしてツナグである渋谷歩美視点の物語「使者の心得」が収録されています。

ツナグに関わる人たちは、ツナグ自身も含めてみな複雑な思いを抱えていることが窺い知れます。もしあなたが死者を呼び出す立場であったなら、誰を呼び出すでしょうか?そして、呼び出した死者と何を語らうでしょうか?本作には泣ける感動だけでなく、人間の生と死について考えさせられるでしょう。

しかし読後感は非常に良く、心地の良い感動を運んでくれる作品です。「俺、いつか会うんだったらばあちゃんがいい」という歩美の言葉は、とても胸に残ります。 

ドストエフスキーの名作・おすすめの文庫版『罪と罰』

1866年に書かれたドストエフスキーの長編小説で、同じくドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』『白痴』『悪霊』『未成年』と並んで後期五大長編小説と呼ばれている作品です。900ページにも及ぶ作品の中には、全編に渡って「正義とは一体何か?」という問いかけがなされています。

大学生のラスコーリニコフは、頭脳は明晰ですが非常に貧しく、下宿先の家賃も払うことができないでいました。洋服もいつもぼろを纏っており、ついには大学を辞めてしまいます。ある時彼は、金貸しの老婆と、その義理の妹を殺害して金を奪うという強盗計画を思いつき、実行に移そうとするのですが……。 

著者
ドストエフスキー
出版日
1987-06-09

強盗計画を思いついた後のラスコーリニコフは、毎日を鬱屈した思いで過ごしていました。憂さ晴らしの為、場末の飲み屋に足を運んだところ、酔った男に話しかけられます。男の名は「マルメラードフ」。妻のカテリーナと娼婦をしている娘のソーニャをはじめとする三人の子どもたちと五人で暮らしているようでした。その日、飲みすぎたマルメラードフを自宅まで送り届けたラスコーリニコフでしたが、礼のひとつもなしに追い返されてしまいます。

翌日、ラスコーリニコフ宛てに母親から手紙が届きました。内容はといえば、妹のドゥーニャに関することばかり。ますます精神が不安定になったラスコーリニコフは、友人に会うために街を出ますが、その道すがら例の強盗殺人をやろうという衝動に駆られます。さらに老婆の義理の妹・リザヴェーダが、明日の午前、家を留守にするという立ち話を聞いてしまいました。

やるしかない、と強く思ったラスコーリニコフは、ついにそれを実行に移すことを決意するのです。

ラスコーリニコフの、殺人への葛藤と苦悩をもつ心理状態が、読み手に伝わってくるかのようです。それほど鮮明でリアルな内面の描写がされている本作ですが、ミステリー要素も含まれています。ラスコーリニコフはなぜ、殺人という手段に出ざるを得なかったのか、正義と何なのか。自分の意思を貫くことの意義を考えざるを得ません。ラストにかけてのスピーディな展開は圧巻です。

乱歩初期の名作集『江戸川乱歩傑作選』

探偵小説・恐怖小説に加えて、芸術小説というジャンルを作り出した江戸川乱歩の軌跡を描いたともいうべき短編集。密室・暗号・怪奇・ホラー・狂気など、この一冊に様々な要素が詰め込まれています。読者に背徳感のようなものを覚えさせ、背筋をぞくりとさせる、気持ちが悪いと思いながらも、不思議と読み進めてしまう魅力のある作品ばかりです。

大金の隠し場所を白状しない泥棒と、彼を追う探偵が暗号文を解読する「二銭銅貨」、戦争で手足を失いしゃべることすらできなくなった夫に、妻がある暗い感情を抱き始める「芋虫」、D坂の大通りの喫茶店にいた「私」が、明智小五郎と共に殺人事件の第一発見者となる「D坂の殺人事件」など、厳選された9作を収録。

いずれの短編のタイトルも、誰もが一度は聞いたことがあるくらい、初期の江戸川乱歩を代表する作品です。

著者
江戸川 乱歩
出版日
1960-12-27

中でもグロテスクで有名なのが「芋虫」で、戦時中には発禁にもなった問題作として知られています。人間のエゴや醜い面をこれ以上ないほどに書き綴ったこの作品は、現代では妖艶な魅力を持って読者の目に映りますが、戦時中当時は伏せ字だらけで出版されたそうです。

これに関して乱歩は「夢を語る私の性格は現実世界からどのような扱いを受けても一向に痛痒を感じないのである」とさして気にも留めない様子で語っています。

同じく江戸川乱歩の「少年」シリーズは子ども向けに書かれていますが、こちらは大人が楽しめる本になっています。「D坂の殺人事件」には若かりし頃の明智小五郎も登場し、ファンならば思わずニヤリとしてしまうかも知れません。それぞれのキャラクターに非常にクセがあり、作品自体もミステリー界におけるトリックの基礎となるものが多くあります。

収録作の全てにおいて飛び交うフェチズムと、それによって感じる背徳感は乱歩作品ならではです。 

新潮文庫で読める安部公房の傑作『砂の女』

国内だけでなく、海外でも非常に高い評価を受けている、安部公房の書下ろし長編小説です。世界20ヵ国以上で翻訳もされました。1968年には、フランスで1967年度最優秀外国文学賞を受賞、国内では1963年に読売文学賞も受賞しています。

舞台は昭和30年の8月のある日、仁木順平は休暇を利用して海辺に昆虫採集にやってきます。そこで一人の老人から部落にある民家に泊まるよう勧められますが、その民家とは砂丘に掘られた穴のなかにある家でした。

そこには女が一人で住んでいましたが、何と村人によって地上と繋がる縄梯子が取り外されてしまい、順平は女との同居を強いられることになってしまいます。 

著者
安部 公房
出版日

一度は何とかして家から出た順平でしたが、追ってきた村人により再び女がいる家に連れ戻されてしまいます。半ば諦めた順平は、次第に女との生活に馴染んでいき、やがては夫婦のように過ごすのでした。さらに彼は、溜水装置の研究も始めるなど、この家での生活に順応しようとしていたのです。

なかにある民家に閉じ込められてしまった不条理、見知らぬ男女の共同生活。同じ時間を過ごすうち、他人だったはずの二人の感情や関係に変化が現れます。現実には起こり得ない奇妙な状況を、シンプルでありながら官能的に描いており、特に砂の描写は息苦しさすら感じるほど。

文章のわかりやすさも特筆すべき点です。作品全体に漂う薄暗い雰囲気と、極限の環境に立たされた人間の姿が相乗効果となり、その不条理さと不気味さを強めています。 

人はなぜ旅をするのか『旅のラゴス』

SF作家の筒井康隆が描く、ラゴスという男が生涯をかけ旅をした記録を綴る壮大な冒険ロマンです。舞台は、地球ではないある惑星。ここは他の星からやってきたラゴスの先祖たちによって開拓されました。先祖たちが使っていた宇宙船や大量の書物が今も残されており、ラゴスは人類の原点ともいうべきその書物を読むために旅に出ます。

この惑星の住人たちは、みな不思議な能力を持っていました。瞬間移動ができたり、顔を自由に変形させることができたり、壁をすり抜けたりするのです。それは高度な文明を失った代償として人々が得るに至ったものでした。

先祖の書物を読むため南に向かったラゴスは、そこでひょんなことから一国の王となるのですが、冒険を続けるためにやがては国を出てきてしまいます。その途中で訪れる都市や出会う人々は、みな個性的で表情豊かに描かれているのです。 

著者
筒井 康隆
出版日
1994-03-01

ラゴスは、人に好かれることが多く、女性にも非常にモテる好人物です。またすぐに人と打ち解け、行く先々で人々から信用を得ていきます。作中では2度に渡って奴隷にされてしまいますが、そんな境遇にあってもどこかのんびりと構えている器の大きさがラゴスの魅力といえます。

「旅をすることが俺の人生にあたえられた役目なんだ」(『旅のラゴス』より引用)

彼はそう言ってのけるのです。物語の中には確実な時間が流れがあり、旅を続けるラゴスも徐々に老いていきます。20年以上もの歳月を費やし、彼は旅の中で本当の目的を知ることに。本能の赴くままに旅をするラゴスの姿は、多くの読者に尊敬と憧れを抱かせるでしょう。

また、惑星の住人達が使う特殊能力の描写が、SF的要素を強めています。読後、まるで自分自身が長い旅を終えたような感覚を味わえる作品です。 

土方歳三の生涯『燃えよ剣』

新選組副長・土方歳三の生涯を描いた、司馬遼太郎の代表作ともいえる長編歴史小説です。新選組を扱った作品としては最高傑作との呼び声も高く、現在でも多くの人に読まれ続けています。司馬遼太郎は敢えて新選組全体を題材とせず、土方歳三の生き様のみにスポットを当てて本作を執筆しました。土方の魅力に心酔し、とことん人間性を研究したのが伝わってくるのです。

もちろん、お馴染みの近藤勇や沖田総司らも登場します。司馬遼太郎の表現力によって、そこに幕末の動乱の情景がありありと浮かんでくるかのようです。

文久3年、小石川の天然理心流試衛館に男たちがたむろしていました。近藤勇・土方歳三・沖田総司・井上源三郎の他、山南敬助・永倉新八・原田左之助・斎藤一・藤堂平助など、後に「新選組」として世の中を席巻することになる面々です。

ある時、将軍を護衛するために幕府が浪士を募っていることを聞きつけ、近藤は京都へ上洛することを決めます。最後の夜に甲源一刀流が雇った剣客・七里研之助を斬った土方は、期待に胸を躍らせ江戸を後にしました。 

著者
司馬 遼太郎
出版日

上洛を果たした一行は、近藤一派と芹沢一派に分かれますが、芹沢派は街中でも好き放題の限りを尽くしていました。会津藩お預かりとなった新選組は隊士を集めようと奮戦しますが、誰も相手にしてくれません。一方、土方は組織をまとめあげるため「局注法度」という規律を作ります。

この『燃えよ剣』は、『竜馬がゆく』と並んで絶大な支持を受ける作品です。読みやすくテンポの良い文章で、ロマン溢れる歴史譚が綴られていきます。愛刀・和泉守兼定を振るい、反幕の者たちを次々と切り捨てていく土方の姿には圧倒されます。

また各キャラクターの個性に深みを持たせてあり、感情移入がしやすいところも魅力です。ラストの戊辰戦争の場面、函館五稜郭にて、土方は歴史に大きく痕を残す壮絶な死を遂げます。一人の男の生き様を描いた超大作です。 

奇妙な伝統行事に賭ける想い『夜のピクニック』

登場人物たちが通う北高では、毎年「歩行祭」という伝統行事がおこなわれていました。これは全校生徒が2日間に渡り、夜を徹して80キロの道のりをひたすら歩くというものです。3年生の主人公甲田貴子は、ある特別な思いを抱いてこの行事に参加していました。3年間、誰にも言えなかった秘密を清算するために。

一方、貴子の他にも秘密を抱えて歩行祭に臨んでいる生徒がいました。西脇融は、貴子の持つ秘密についても何かを知っている素振りを見せています。しかし、今まで貴子とろくに会話もしたことのない融が、貴子の秘密の何を知っているのでしょうか。そして、貴子の抱える秘密の真相とは一体何なのでしょうか。

著者
恩田 陸
出版日
2006-09-07

高校生たちが、歩く中で様々な会話を交わすことで、主人公と友人たちの秘密が少しずつ明らかにされていきます。高校最後のこのイベントに、みな特別な思いを持ち寄って臨んでおり、また一人一人が成長していく青春小説と言えるのです。

一方でミステリー的な一面もあり、読者はそれを貴子と融の視点から追っていくことになります。ある一定の年齢層の人たちが読むと、学生時代を懐かしく思い出すことができるかも知れません。程良いテンポ感のある会話で、揺れ動く高校生たちの気持ちが巧みに表現されている部分は必見です。

果たして、友人の一人が仕掛けた「おまじない」とは?思春期特有の初々しさと青臭さが作品全体に漂わせ、少しずつ変わっていく高校生たちが描かれています。

最速で100万部突破の記録を持つ新潮文庫『博士の愛した数式』

家政婦事務所から派遣された主人公の「私」は、元大学教授の老人が独りで暮らしている家で働くことになります。彼は数学者でしたが、17年前に交通事故に遭い脳を強打したことが原因で、記憶がわずか80分しかもたなくなる障害を背負っていました。

1975年までの出来事と数学のことだけはしっかり覚えているのですが、それ以外のことはすぐに忘れてしまうため、博士とのコミュニケーションは困難を極めることに。「私」は、仕事に行く度にまるで初対面のように自己紹介をします。

彼女はいつしか彼を「博士」と呼ぶようになり、やがて自分の息子を交えて三人で食事をするようになりました。「博士」は息子に数学にちなんだ「ルート」という呼び名をつけ、三人での穏やかな日々が始まります。そして、その頃から「博士」に少しずつ変化が生まれてくるのです。 

著者
小川 洋子
出版日
2005-11-26

第1回本屋大賞受賞作品で、新潮文庫版は発売わずか2ヶ月にして100万部を突破しました。これは新潮文庫としては史上最速となる記録です。温かさの中に少しの寂しさを感じさせる静かな物語で、三人の送る日々の記録が淡々と綴られているので、最後まで穏やかな気持ちで読み進めることができます。

いつも真っ白な状態の博士は非常に純粋で、その振る舞いにほのぼのとしてしまいます。また、彼によって数学の世界は美しいのだということを知ることができるでしょう。主人公の「私」が母として得る感情を共有することもでき、心地よくストーリーに没頭できます。

誰かを愛おしく思う気持ちを、もう一度思い出せるような作品です。 

2人を再生させる往復書簡『錦繍』

かつて夫婦だった二人が、10年後に蔵王のゴンドラの中で再会するところから物語は始まります。ほとんど言葉を交わさず、その場は再び別れた二人。妻だった女性・勝沼亜紀は、夫だった男性・有馬泰明に手紙を送り、泰明も戸惑いながらそれに返信をします。二人が交わすその往復書簡が、この小説の主な内容です。

別れてからは全くの音信不通だった泰明と亜紀。亜紀は父の勧めで再婚をしましたが、新しい夫との関係は冷めたものでした。さらに、二人の間には脳性麻痺の障害を持つ息子がいたのです。そして、読み進めていくと泰明と亜紀が離婚するに至った真実の理由が明らかになります。

事件の発端は、泰明の浮気でした。彼の中学時代の同級生・瀬尾由加子と愛人関係になってしまった泰明は、ある日由加子に無理心中を迫られます。それにより由加子は死亡しましたが、泰明だけは生き残ったのです。 

著者
宮本 輝
出版日

この事件がきっかけとなり、程なく二人は離婚しました。亜紀は、離婚した後も、どこかに「泰明が憎い」という気持ちを抱えて暮らしていたのです。それぞれの想い、そして過ぎてしまった過去はもう取り戻せないのでしょうか?やがて人生を再生させる物語が、泰明と亜紀の手紙のやりとりだけを通して描かれていきます。

過去から立ち直り、前を向いて生きていく。これは大人の愛の物語です。作中に時折登場する喫茶店「モーツァルト」のマスターは、「生きていることと、死んでいることは同じ」というセリフを残しています。二人が再会することがなければ、また手紙を交わすことがなければ、日常は変わらないまま過ぎていったのでしょうか?

美しく綴られる日本語と、温かくて切ない雰囲気の中に、希望を持って前を向き、「今の自分を受け入れろ」という強いメッセージを感じます。 

芸術に憑かれた男『月と六ペンス』

主人公の小説家である「私」は、ストリックランド夫人のパーティーに招かれ、そこでイギリスの証券会社に勤めるチャールズ・ストリックランドに出会います。その日は挨拶を交わす程度で特別話をすることはありませんでしたが、彼はある日、家族を残して忽然と姿を消してしまったのです。どうやら女性と駆け落ちしたらしいと、夫人は想像していました。

そこでストリックランド夫人に頼まれた「私」は、チャールズを連れ戻すためにパリへ向かうことになります。「私」が訪ねてみると、相手の女性らしき姿はなく、そこには一人で貧しい生活を送るチャールズの姿がありました。彼は、自分にはロンドンに戻る意志が全くないことを「私」に告げます。

そのことを夫人に伝えると、彼女は夫が二度と戻らないことを悟り、一人きりで生きていくことを決心するのでした。 

著者
サマセット モーム
出版日
2014-03-28

5年後、「私」は生活を立て直すため、パリに移り住みます。そしてそこで、チャールズと再会を果たすのです。

チャールズは他人からの評価を全く気にせず、身勝手・無神経な面のある変わり者でした。美術や文学にも一切興味を持ちません。しかしパリに移った後のチャールズは、「私」に「絵を描きたい」という思いを吐露します。そして絵が描きたいがために全てを捨てて出てきたのだとも。

本作は1919年に出版された、サマセット・モームによる小説です。モームは、元々イギリスの諜報機関に所属していました。本作に登場するチャールズは、画家のゴーギャンがモデルとされています。つまり、この『月と六ペンス』という作品は、小説の姿をした伝記でもあるのです。

この作品には、突如芸術に憑りつかれた男の、その狂気じみた心情が描かれています。全てを捨て、チャールズを創造の道へ駆り立てたものは何なのか、人間の心情とはいかに不可解なものであるかを考えさせられます。幸福や不幸は、一体誰がそう決めるのでしょうか?心の命ずるままに生きる人間の姿に、読者もまた心を打たれるでしょう。

「人間の中には、ちゃんとはじめから決められた故郷以外の場所に生まれてくるものがある」(『月と六ペンス』より引用)

こう作中でも語られているとおり、自らの居場所は決して決められているものではないのかも知れません。 

人の尊厳とカニバリズム『野火』

舞台は太平洋戦争末期を迎えたフィリピン・レイテ島。肺病を患った主人公の田村は、部隊を追われ、食糧不足を理由に入院することも拒否されてしまいます。もちろん現地のフィリピン人からは敵としてしか見なされず、田村は孤独と激しい飢えに苛まれていきました。

やがて陣地は米軍の攻撃により壊滅、その時田村は、極限状態の中で人間の力ではないもの、すなわち神の力を意識するようになるのです。

生き抜くため、草やヒル、ついには人肉をも食べ始める兵士たち。それを許されざる行為として断罪する田村でしたが、一時は空腹のあまり人肉を「食べたい」という欲求に駆られることになります。すると、そこで無意識に自分の右手を左手が握って止めるという奇妙な体験をします。そこにはまるで、自分ではない何者かの意思が働いているかのようでした。

その後同僚に助けられた田村は「猿の肉」を口にします。しかしそれこそが、彼が頑なに食べるのを拒んでいた「人間の肉」でした。彼はそれから日本に帰国し、程なくして精神病院へ入院します。

著者
大岡 昇平
出版日
1954-05-12

本作の大きなテーマは「人肉食(カニバリズム)」です。また、作者のフィリピンでの戦争の体験が元になっており、「人肉食」を通して人の尊厳とその破壊、また異常な状況下での思考など人間の極限の姿をリアルに描いています。

もちろんグロテスクな場面もありますが、それ以上に人間の生と死について考えさせられます。「野火」とは、春の初めに野原を焼く火のこと。またこの作品の中では、米軍やゲリラのことも指し示しています。田村が語る「すでに「死」は「私」とともにあります」という言葉は、戦争そのものの悲哀を表現しているかのようです。

極限の飢餓状態に陥った時、あなたは人の肉を食べることができるでしょうか。目を背けたいシーンも存在し、重いテーマを扱ったこの『野火』ですが、たくさんの人に読んでほしい作品です。

登場人物の心の中に迷い込む、おすすめの新潮文庫『迷宮』

「折鶴事件」。その一家殺人事件はそう名付けられました。

1988年に練馬区の民家で発生し、日置剛史と妻の由利、長男の三人が殺され、12歳の長女だけが生き残ったのです。剛史と妻は刺殺、長男は殴打された後、毒を飲ませられています。現場には300個を超える折鶴が散乱、妻の死体は半ばその折鶴の中に埋まっていました。現場には指紋なども一切残されておらず、謎は謎を呼びます。

この事件の真相に、弁護士事務所に勤める新見が迫っていく物語です。新見は、自分の中にもう一人「R」という人格を持っていました。親の愛情というものを知らずに育ったことで、新見はそれを作り出してしまったのです。彼はこの「折鶴事件」がRの仕業ではないかと妄想を巡らせていました。

そんな中、新見はひょんなことから「折鶴事件」で一人生き残った少女・日置紗奈江と知り合い、彼女のアパートで一夜を共にしますが……。

著者
中村 文則
出版日
2015-03-28

芥川賞受賞作家の中村文則が、デビュー10年目という節目の年に発表したミステリー作品です。猟奇的であり、また美しくもある「折鶴事件」を軸に、新見や紗奈江の混沌としていく狂気の内面を描いています。また彼らだけでなく、殺害された紗奈江の家族たちも自分の中に暗い感情を持っており、まさに「迷宮」ともいうべきその心情を読み解いていく作品です。

「折鶴事件」に関わる人たちは、みなどこかが壊れています。紗奈江の口から語られる事件の真相は、果たして全て真実なのでしょうか。陰鬱な雰囲気に包まれた作品ですが、読めば読むほどその世界観に引き込まれます。ラストに見える微かな光は、読者に「時間はかかっても必ず出口に辿り着ける」という希望を与えてくれるでしょう。

これだけ見ても、衝撃のノンフィクション・謎解きミステリー・心温まる感動作と、ジャンルは様々です。長い夏休みのある人もそうでない人も、この夏はぜひ読書にハマってみてはいかがでしょうか?