
給食当番で、わかめごはんを司る神になる

給食の中でも、わかめごはんが一等好きで、わかめごはんが出る日を献立表で確認して指折り数え、待ち望んでいた。そんな時、なんとわかめごはんが出るその日に給食当番になるというミラクルが起こった。
給食当番は、配膳の時に量や大きさを決められる、いわば給食を司る神である。私はわかめごはんをコントロールする権利を持つ神になった。胸を躍らせながら配膳室に向かう。
給食の詰まった銀ピカのトレーや大鍋を、銀ピカの重い台車に乗せ、教室へと2人掛かりで押してゆく。当番の1人が前で、私は後ろ。台車の取っ手を持って、前の子の指示に従いながら廊下を進んだ。
目の前には銀色の四角い容器へぎゅうぎゅうに敷き詰められ蓋をされたわかめごはん。温かくて、塩加減が絶妙で、ごま油の風味が最高なわかめごはん。お米のふわふわもちもちと、わかめのヌルヌルコリコリ。
私は、ほぼ何の考えもなしに台車の取っ手から片手を離し、トレーの蓋をずらしてわかめごはんを素手でつかみ、口に押し込んでしまった。ああ、わかめごはん、わかめごはん。なんて美味しいわかめごはん。
恍惚としながら、手を止めることもできず延々と素手でわかめごはんを食べ続ける。時々、前で台車を引っ張る同級生が振り向いたが、ほっぺをパンパンに膨らませながら何事もないかのように振る舞った。
アカデミー主演女優賞ものの、素知らぬ顔だった。とうとう教室につき、配膳の始まりと共にトレーの蓋が開けられた時、わかめごはんはもうほぼ半分しか残っていない。先生が怪訝そうな顔をしていたのを覚えている。

とにかく食に対する執着がすごいのだ。今でも美味しいご飯を食べる時は、口の中がいっぱいになるまで食べ物を詰め込まないと気がすまない。
おかずと白米の場合は、ちょうど五分五分くらいの割合で、限界まで詰め込んでしまう。それをゆっくり咀嚼し、舌の上で極めてスローに分解されていく旨味たちを感じている時、私は本当に幸せだと思う。
10代半ばを過ぎた頃、食い気より色気が優ってしまい、サラダやスープはるさめばかり食べていた時期があった。食事に対して興味がないと自分にも友人にも言い聞かせ、お昼はパン一個だけ。
食べ物を買う時は常にパッケージ裏のカロリー表示をチェック。しかしそれも20歳になる手前からどんどん薄れていってしまった。
だって、大学受験失敗や意味のわからない失恋などを経験した時、か細い手足は何も救ってはくれなかったもの。ぐちゃぐちゃに折れた心を立て直したのは、いつも美味しい食べ物だった。
好きだった人と大喧嘩をして、自分の中で「もうだめだ」と結論が出てしまった時、私は1人でステーキを食べにいった。白くて長い帽子を被ったシェフが、目の前で分厚い肉を焼いてくれるタイプのお店。1人1万円以上するお店。
美味しいものはいつも、私たちを救ってくれる
高温の鉄板で焼かれ、焦茶色からピンク色になるグラデーションの美しい肉が、手前に置かれた陶器の皿に乗せられる。渋い色をした小皿に、3種類の塩が入っている。
大きく切った肉片を、とりあえず一番スタンダードにみえる岩塩に少し付け、一口で食べた。
噛むたびジュワッと染み出る肉汁が塩と混ざり合う。美味しさに身体が震えた。肉は野生の味がする。噛むとサクッと身が溶け、脂身が甘い。肉、脂、塩。口の中が幸福でいっぱいで惚けてしまう。
肉の塊を食べると、あの巨大な牛をそのまま齧(かじ)っているような気分になる。目の前に置かれた時は小さく見えたステーキだったが、その濃さゆえか、食べ終わる頃にはすっかり満腹だった。
体温が上がった状態で店を出て、少し早く脈打つ体を冷たい風に当てていると、悩みを全て忘れていたことに気がついた。
もう取り返しがつかないと思っていたのに、美味しいものを食べただけで忘れられてしまった。「大丈夫かもしれない」。泣きながら出した結論を早々とひっくり返して、彼に連絡をした。
美味しいものは素晴らしい。美味しいものがあるだけで、大丈夫な気がする。生きるのは辛いものだから、こんな仕組みになっているんじゃないかと思う。
こういう辛さリセットシステムがないと、人間はポンポン死んでいってしまうから、こんなにも食事やセックスを楽しめるようになっているんじゃないだろうか。だけどなんにしろ感謝だ。
生存に必要なだけの機能だった食事を、娯楽にまで引き上げてくれた人類の強欲さ、ありがとう。本当に。食いしん坊、万歳。

もちろん、葛藤はいつもある。太ることと食欲との絶え間なき戦争は常に繰り広げられている。
色々なメディアで「女の模範解答」として提示される煌びやかな人々の肉体を、自分が持っていないことがたまらなく恥ずかしくなることもある。
夜中にものを食べるのは勇気がいるし、体重が増えれば一日気分が沈む。むしろ体重を知るのが怖くて、体重計に乗れなかったりする。
昔は、太るなら死んだほうがマシだと思っていた。食べすぎた自分に嫌悪感を抱いて、吐いてしまうことだってあった。しかし年々、異常な細さを保つことへの憧れは薄れてゆく。
だって、美味しいものを食べることは幸せだ。幸せになることに、一体どんな罪があるというのだろう。ようやく、周りの風潮に従うよりも自分を優先できるようになってきたのだ。
ただ時々、細くなければ無価値だと信じ切っていたあの頃の馬鹿な意地が、どうしようもなく美しく思える。細いことはかっこいい。その気持ちは変わらない。
絵になるし、服もなんでも似合う、体も軽い。なれるものなら、なりたい。ただ、モデルのように細くなくても愛されるし抱かれることを、私はもう知っている。
付き合う女がモデルのように細いことに価値を置く男に、ろくな奴がいないことも、知っている。
努力して、耐え忍んで得るプライドや自信は美しいものだ。自分を美しく磨くことに悪いところなんてない。私は怠け者だから、遠くにある幸せよりも、目の前にあって、口に放り込めば得られる幸せの方が好きというだけである。そして私はできる限り幸せでいたい、それだけだ。
食べることに幸福を見出すための本

作者 | よしもと ばなな |
---|---|
出版社 | 文藝春秋 |
出版日 | 2014年01月04日 |
下町の小さなハンバーグ店「ジュージュー」を切り盛りする美津子と、そこに集う人々の物語。人生は悲しくどうにもならないことばかりで、だけど人間はそれと折り合いを付けて、愛しささえも見つけ出して生きていくことができる。
取り返しのつかないことを、身体の一部にして今を作っていく。食べるということは、命を貰うということ。食に関してだけではなく、なにかの命を奪うことで私たちは生きているのだなあと思います。お肉を食べたくなる。
作者 | 三原 光尋 |
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出版社 | 幻冬舎 |
出版日 | 情報なし |
港町の「小上海飯店」に惚れ込んだ貴子が、OLを辞めて、店主の王さんに弟子入りをする話。国籍、年齢、性別、血縁、何も関係なく、人はつながることができる。
そして、人が集まる場には、おいしい料理がよく似合う。料理の描写がとても丁寧で、中華料理を食べたくてたまらなくなります。食べることは、幸せなこと。中谷美紀さん主演の映画にもなっているので是非そちらも。コメント
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