岡本太郎の母として名を知られた岡本かの子は、彼女自身もまた芸術的な文章を遺した小説家です。晩年になってから発見された作品も多く、その作数は少ないものですが、凝縮された独特の世界観を放つ名作をご紹介します。
岡本かの子とは、「芸術は爆発だ」という名言で有名な芸術家・岡本太郎の母であり、自身も文章で作品を残した小説家です。元々は歌人としての活動が先行しており、大貫可能子というペンネームで与謝野晶子らとともに歌の発表を続けていました。
随筆などの作品も発表しつつ、小説家として専念したのは晩年のこと。それまでのプロセスでは夫婦の仲たがい、第二の愛する人との出会い、愛人と家族との奇妙な同居、宗教への傾倒など、様々なことがかの子の人生を襲いました。
耽美で妖艶な作風からは彼女のうちで渦巻く感情や鮮烈な映像が見え隠れし、芸術家肌の強い人であったことが作品からはうかがえます。
人生について仏教の教えをふまえた上で、かの子が考えたエッセイをまとめた作品です。課ごとに分かれたそれぞれの文章は長短さまざまですが、どれもわかりやすく仏教の考えを説いています。
例えば、第九課「人生の広い道」では仏教の教えである 「煩悩即菩提」をわかりやすく解説しています。人は要らぬ欲望や悩み、葛藤など、一般的に「悪い」とされる感情を抱えますが、それは悟りのもととなるものであって、むやみに殺してしまう必要はないのだと語るのです。
本性は、畑の雑草のように、一見必要ないものに見えても刈らずにそこにあれば、畑の肥やしになる可能性がある、という例えを続け、読者のコンプレックスもまた価値のあるものではないかと問いかけています。
- 著者
- 岡本 かの子
- 出版日
- 2015-08-22
かの子は人生のあらゆる苦難を乗り越えていくプロセスで仏教に出会います。仏教についての随筆などを書くうちに仏教研究家としての肩書も得たかの子は、小説とは別に、仏教の教えを説くことをコンセプトとした作品も残しました。
その代表作が『仏教人生読本』です。人に渦巻く悩みは時代を越えてなお同じで、私たちが現代社会において悩む仕事、恋愛、結婚、生死など様々なテーマに対して仏教の教えが優しく答えを導きます。
その言葉を紡ぐかの子の知識豊かで柔らかな文章も、まるで読者に問いかけるような感覚を呼び起こす傑作です。
小そのは年老いた芸妓。ある日、電気修理を頼んだ若い柚木という青年と意気投合します。決して恋愛というわけではないものの惹かれた小そのは、柚木が「本当は発明研究がしたいが、金を稼ぐための今の仕事があるとできない」と悩んでいるのを助けるため、柚木に住まいと金を与えました。自分のしたいことに打ち込む柚木でしたが、発明の道はそう易しくありません。
柚木が考えたアイディアは既存のものばかりで、やがて柚木は自分が思い描いていた夢自体が何だったのかがわからなくなっていきます。柚木をたしなめもせずに見守る小そのにも、言わぬ欲望があるのでした。
- 著者
- 岡本 かの子
- 出版日
- 1950-05-02
「老妓抄」は人生の飢えについて深く考えさせられる作品です。何かを求めるからこそ人は熱心に取り組める。ならば、その何かが本当に手に入ってしまったら、その次はいったい何に向かって熱心になれるのでしょうか?
そんな人間のモチベーションに対して疑問を発する小そのと柚木の関係が、私たちへのメッセージを優しく語り掛けてきます。何かに理由をつけて逃げてしまうのならば、状況が変わっても性の根が変わらない限り変えられないのだという教訓。それは、おそらく私たちの誰しもが経験したことのあるもどかしさや失敗ではないでしょうか。
老いた芸妓の目から描かれる表題作他、道徳的短編が詰まった短編集です。
小料理屋「いのち」は、すっぽんやどじょうなどの料理を扱っています。当然お客さんもそういった食材から精力を吸収しようとする老年の人間が多く、主人公のくめ子はそういった客層のことを嫌悪していました。一度は家を出るものの、結局実家に帰って小料理屋を継ぐこととなったくめ子。
自身が継ぐずっと前からの常連である老人客がどじょう汁を頼みますが、その客は貧しいため今までもつけ払いを繰り返しているようでした。くめ子は今までの支払いもろくにできていない客に料理を出すことはできないと断りますが、老人はここぞとばかりに自身と小料理屋にまつわる過去の話を始めるのでした。
- 著者
- 岡本かの子
- 出版日
- 2011-04-15
「家霊」はどじょうを食べることによって生き延びる貧しい老人の姿を描いたものですが、食べるということの根本的な意味についてはたと気付かされる作品です。今は食べられないほど貧しいという状況は日本ではほとんど考えづらく、日々の労働によって得ている食品に対する価値というものも、そこまで尊いものとして受け入れている人は少ないかと思います。
しかし、本編に登場する老人は、どじょう汁の栄養の全てが自身の命に還元されることを表している存在であり、等価交換として差し出すものが、小料理屋を営んでいた母の心の肥やしになっている部分も魅力的です。生きるということ、命について考えさせてくれる作品です。
鼈四郎は若き料理人です。料理に対する執念は人一倍で、食材のひとつひとつをいかにして活かすかということにこだわりぬいた料理を作ります。鼈四郎にとって料理は、音楽や絵と同じ芸術です。ゆえにその技術を磨き上げ、有名になることがなくとも、ひとつひとつの食事に対して徹底したこだわりを見せます。
アンディーヴのサラダに始まり、もてなす客人を意識したコース料理など、美しくも味は確かな料理が目白押しです。そんな彼は、かつて勉強に行ったフランスでの出来事や、料理を教えていたころのことなども回想しながら、明日の料理の仕込みをします。寝ても覚めても料理ばかり、そんな研ぎ澄まされた男の執着心を描いた作品です。
- 著者
- 岡本 かの子
- 出版日
- 2009-02-11
本作は北大路魯山人をモデルにしたという、食に対する貪欲さを描き続けた作品です。登場するレシピが非常に魅力的であることと、食材の温度や音の、まるでその場で立ち上るかのような生々しい表現が、小説と一言でいうには惜しいような臨場感を生む傑作です。
「食べる」という行為は非常に生々しいものですが、咀嚼や唾液などの描写、やがて血となり肉となるプロセスにまで迫っていきそうな迫力で書かれる圧巻の表現力が楽しめます。かの子にとって食事というテーマはたびたび作品に登場しており、生きるということと直結した、非常に大切な行為であったことが伺えます。
岡本太郎に負けず劣らず芸術的才能を秘めていた岡本かの子。彼女の人生が波乱に満ちていたからこそ、作品にはそれを越えた人にしか言えないメッセージがこもっています。優しい表現に隠された強いメッセージに背中を押して欲しい人は、ぜひ読んでみてくださいね。