天文学者として、時には数学者として、今では常識となっている様々な事柄を発見をしてきたことで知られているケプラー。今回はそんな彼の発見について、そして彼の生涯について分かりやすく知ることのできる本をご紹介します。
ヨハネス・ケプラーは1571年、ドイツのヴァイル・デア・シュタッドという街で居酒屋を営んでいた、プロテスタントの両親のもとに生まれました。決して恵まれた家庭ではなかったですが、数学の才能を発揮したケプラーは奨学金を受けながら勉強を続け、大学で数学と天文学を学びます。
卒業後はグラーツ大学で教鞭をとりながらも日々天文学の研究に没頭する日々を送り、1596年には、自らの研究の成果である『宇宙の神秘』を発表します。天文学者のなかでは初めてコペルニクスの提唱した地動説を全面的に支持し、その著作をガリレオ・ガリレイから支持されるなど順風満帆な研究生活を送っていました。
しかし当時グラーツを治めていた大公が、プロテスタントの聖職者と教師の退去命令を出し、教師の仕事を失ってしまいます。
そんな時、天文学者として知られていたティコ・ブラーエがチェコのプラハで研究活動を行っていることを知ると、すぐに彼のもとへ赴き、助手として研究に参加することになりました。
1601年にティコが亡くなると、彼の観測データを引き継いで研究を続け、1609年にはケプラーの代表作である『新天文学』にて科学革命といわれるケプラーの法則を発表しました。
1:彼は非常に若い時期に天然痘になり、視覚と手に重度の障害が残った
ケプラーが4歳の時、世界中で大流行した天然痘の後遺症により、手の障害とともに視力を弱めてしまいます。
肉眼での観測が基本であった当時の天体観測において、視力が低いということは天文学者にとっては致命的な問題でしたが、それを補うほどの天才的な数学能力を有していたため、周囲の援助を受けながら研究を続けることができました。
2:1577年の大彗星と1580年の月食を目撃したことから、早い段階で天文学に関心を持つようになった
ケプラーは幼いころに母と見た大彗星の思い出と、父と見た月食の思い出により、天文学に対する興味が目覚めたと後年になって語っています。その思い出と彼自身が持っていた数学の才能により、天文学者としての道を目指すようになりました。
3:物理学と天文学の基礎を形成した
ケプラーは視力が悪かったため、研究においても天体観測は行わず、もっぱら卓上における観測データを用いた数学的な研究が主でした。
そんな彼の少々変わった研究スタイルが功を奏して、理論的に天体の運動を解明することとなり、現代にも続く物理学と天文学の分野の基礎を構築しました。
4:彼は遠視と近視用のメガネを発見した後、現代光学の創設者となった
1609年にガリレオが望遠鏡を自作すると、ケプラーはそれに改良を加えてケプラー式望遠鏡を発明しました。そしてそのレンズ技術の理論を応用した論文を発表し、現在でも使われている遠視用、近視用レンズによる視力矯正を理論付けしました。
5:ケプラーの母は魔女裁判に掛けられた。彼は、母が死刑にならないように弁護士とともに裁判で戦った
ケプラーの母は町でのいざこざに巻き込まれ、魔女であるとして告発されます。彼は母のために弁護士とともに裁判で戦いますが、努力の甲斐もむなしく投獄されてしまいました。しかし彼女は、4年間の獄中生活の中で何度も自白を迫られ、最終的には拷問道具を見せつけられながらも決して折れず、無事に釈放されることとなりました。
天文学者として、そして優秀な数学者として後世に残る様々な発見をしたケプラーですが、そのなかでも特に知名度を誇るものが「ケプラー予想」です。
本書は1611年に彼が発表した「ケプラー予想」について、多くの研究者がその証明に挑戦しては挫折をし、400年後についに証明されるまでの数学界の挑戦の歴史を描いた、ノンフィクション作品となっています。
- 著者
- ジョージ・G. スピーロ
- 出版日
- 2013-12-24
「もっとも高い密度で球を詰め込むには、どの球のまわりにも十二個の珠が接するようにすればよいと考えられている。」 (『ケプラー予想:四百年の難問が解けるまで』より引用)
物語の始まりは、著者が大学時代の講義で初めて「ケプラー予想」に触れたところから始まります。
大学の教授でさえも「そう考えられている。」と言うにとどめているこの「ケプラー予想」は、彼が最初にその概念を予想したときから彼自身もそれを証明することができず、また、世界中のすべての数学者がその証明を行うことができませんでした。
しかし、400年の歳月のあいだ、様々な数学者が生涯を懸けて少しずつその謎を解き明かし、ついに1998年トマス・へールズがその証明を行って世界中に衝撃を与えました。
そんな彼らの挑戦の歴史を、ユニークな研究者たちの素顔とともに忠実に書いた本書。専門的な部分には分かりやすい図面や解説などの補足が加えてあり、数学に詳しくない方でも読みやすくなっています。
長い時をかけて少しずつ集大成へ向かっていく発見の連続を、リアルに体感できるように構成されていて、読んでいるうちに思わず手に汗握ってしまう一冊になっています。
天文学や数学に詳しい人であれば、ケプラーが発見した事柄がどれほど偉大なものであるかはすぐに理解ができますが、その分野にあまり馴染みのない方には、専門分野の特性上、なかなか難しいでしょう。
本書では、彼が生み出してきた偉大な発見の数々を分かりやすく紹介しています。
- 著者
- ジェームズ・R. ヴォールケル
- 出版日
- 2010-09-01
ケプラーが母と目撃し、天文学者を志すきっかけとなった大彗星の一夜から始まる本書。家族の災厄や自らの宗教による迫害、それでもなお天文学者として真摯に研究を続け、科学界を変えた新たなる発見にたどり着くまでの生涯が克明に綴られています。
また彼が発表した書籍や研究発表についても、当時の文章や挿絵、図面などをできるだけ使用して、ありのままのケプラーについて知ることができるため、興味を持った方に最初に手に取ってほしい一冊です。
時代を代表する研究者としてその名を残すケプラーは、生涯を通じて研究を発表するためいくつもの本を執筆しましたが、1608年に書かれた彼の遺作となる『夢』は、それまでの著書とは趣向が異なり、SF小説のような内容でした。
その『夢』についての解説や考察と、ケプラーの生涯について補足を加えたものが『ケプラーの夢』です。
- 著者
- ヨハネス・ケプラー
- 出版日
ケプラーの死後、1634年に彼の息子によって出版された『夢』。アイスランド人の少年とその母が精霊と出会い、レヴァニアと呼ばれる月の世界へ旅行して見たこともない気候現象や、宇宙人との遭遇など、様々な体験をする物語になっています。
あらすじだけだと一般的なSF小説のように思えますが、驚くべきはケプラー本人が書き加えた、本文の分量に匹敵するほどの解説です。
それによると『夢』はただの空想物語ではなく、彼が集め続けた研究データを用いて月を綿密に描き、そこにいる生物が宇宙は月を中心として回っていると考えているという話を通して、天動説の矛盾を書いたとのこと。地動説の主張として書かれたものであることが分かります。
本文を読んだあとに注釈を読むと、彼が主張したかった地動説を物語仕立てで学ぶことができ、そして当時はとんでもないとされた理論が正しかったという事実を、時代を超えて体感できるでしょう。
ケプラーは後世に残る様々な発見をしてきましたが、彼の人生は苦難の連続でした。
本書は、そんな彼の生涯にスポットを当てた伝記物語になっています。
- 著者
- アーサー ケストラー
- 出版日
- 2008-07-09
ケプラーは病弱な子供時代でしたが、周囲の人々の協力を経ながら大学まで通い、天文学者として活躍します。
宇宙が地球の周りを回っているという天動説が当たり前だった時代に、地球が動いている地動説を主張するということは、それまでの常識を覆すばかりか宗教観念の批判にもつながってしまいます。それでも、持ち前の天才的な頭脳でその事実の解明を続けた彼の生涯は、常に苦難の連続で、時には主張の妨害を受けることもありました。
また妻子を病気で失ったり、彼の主張が原因の一端となって母が魔女として逮捕されたりと、あらゆる困難が彼を襲いますが、それでもケプラーは新しい時代のために研究を続けます。
そんな彼の生涯に触れることは、彼の偉大さ知るだけでなく、何かに夢中になって取り組むことの大切さも知ることができ、おすすめの一冊です。
ケプラーの功績を知るうえで特におすすめな4冊をご紹介させていただきました。現代では常識と言われるような事柄を、何もないところから発見し続けた偉大な研究者です。そんな彼の生涯や研究を綴った書籍は、どれも彼の発見によって世界が動いていく激動の時代を体感することができます。