いうまでもなく、小説とは虚構を描くものである。日常に材を取る私小説なんかはリアリティが肝となるだろうが、それにしたって容赦なく過ぎ去っていく時間を作品として結晶化しなくてはいけないわけだから、何らかの取捨選択、意味付け、虚構が発生するに違いない(ところでほとんどの私小説は人間の愚かさを描けとばかりに、駄目な男の出てくるものが多い。近松秋江の小説はその極致。別れた妻を未練たらたらに追いかけ、ほとんど犯罪者すれすれなのだった)。
中学生の頃、筒井康隆に大いにハマった。その頃近所の公立大学の向かいにあった古本屋で筒井作品を物色していたら、ロンパリ気味の店主に「君、中学生に筒井はまだ早いよ」と憮然と言われたものである。『脱走と追跡のサンバ』にはワクワクした。読み始めたら興奮して、いつの間にか夜が明けていたという経験をしたのは、この『将軍が目醒めた時』が最初である。将軍が目醒めた時
ませた行動をするのは子供の役目である。無邪気で馬鹿げたことを仕出かすのは大人の役割である。今はなき旺文社文庫のホフマン著『砂男』を、小学校高学年の時に買った。難しくてさっぱり読めず、本棚の肥やしになった。40歳を過ぎてから、どうしたきっかけかあらためてホフマンを読んでみたら、これがすこぶる面白い。話が二転三転めまぐるしく入れ替わり、最後には「えーっ、また死んだのか」と誰かが亡くなる(結末を必ず死で迎えるのは夢野久作にも似ている)。この話の飛び具合は、途中で別な小説に差し替えても分からないんじゃないかというぐらい、まるで酔っぱらった志ん生の落語だ。つまりは名人芸。
- 著者
- ホフマン
- 出版日
- 1984-09-17
ボルヘスの作品は手強い。読み手に相応の知性と読解力、想像力を強いてくる。ただしそのハードルを少しでも乗り越えることができたなら、必ずやそこに知性の喜びと広大なイメージ世界を垣間見ることができるはずだ。まず、我々の常識から解き放たれなくてはならない。「バベルの図書館」は、図書館内で一生を終える人たちの話。どこかの図書館ではない、世界が図書館なのだ。図書館の構造を逐一述べるところから始まり、膨大な書物の説明、そこに意義を見出そうとする人々の歴史……。
- 著者
- J.L. ボルヘス
- 出版日
- 1993-11-16
本と音楽
バンドマンやソロ・アーティスト、民族楽器奏者や音楽雑誌編集者など音楽に関連するひとびとが、本好きのコンシェルジュとして、おすすめの本を紹介します。小説に漫画、写真集にビジネス書、自然科学書やスピリチュアル本も。幅広い本と出会えます。インタビューも。