幻想小説 ―― まぼろしと合わせ鏡の真実

幻想小説 ―― まぼろしと合わせ鏡の真実

更新:2021.12.13

いうまでもなく、小説とは虚構を描くものである。日常に材を取る私小説なんかはリアリティが肝となるだろうが、それにしたって容赦なく過ぎ去っていく時間を作品として結晶化しなくてはいけないわけだから、何らかの取捨選択、意味付け、虚構が発生するに違いない(ところでほとんどの私小説は人間の愚かさを描けとばかりに、駄目な男の出てくるものが多い。近松秋江の小説はその極致。別れた妻を未練たらたらに追いかけ、ほとんど犯罪者すれすれなのだった)。

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幻想小説、とでも呼ぶべき一群があって、これらは虚構の上に虚構を重ねていく。もはや舞台が現実世界でなくともよく、リアリティはかつて馴染みのあった社会構造、人や物に仮託されはするが、まるで夢の中の風景。小説の面白さが純粋に詰まっているといえるだろう。
「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」とは江戸川乱歩の言葉。仏教の空観を待つまでもなく、確かにこの世は主観の有り様によっていくらでも変わるものであり、変えられもし、またその主観も危ういものだ。この世がまぼろしなら、幻想を真実といってもいい。

将軍が目醒めた時

将軍が目醒めた時

筒井康隆
新潮社
中学生の頃、筒井康隆に大いにハマった。その頃近所の公立大学の向かいにあった古本屋で筒井作品を物色していたら、ロンパリ気味の店主に「君、中学生に筒井はまだ早いよ」と憮然と言われたものである。『脱走と追跡のサンバ』にはワクワクした。読み始めたら興奮して、いつの間にか夜が明けていたという経験をしたのは、この『将軍が目醒めた時』が最初である。

収録されている「新宿コンフィデンシャル」は、何かをしようとした男が、何かをしているようで結局何もしていなかった、で終わる話。これを人生の縮図といってしまっては野暮だ。読後に残る寂しさ、人恋しさ、やはり夢の味わいである。同じく収録の「家」もいい。ドタバタではない、ノスタルジック路線の作品だが、あの想像と現実が未分化だった少年の頃の思いが、不思議な「家」の佇まいとともに甦る。本書は残念ながら絶版。電子書籍なら読める。

ホフマン短篇集

著者
ホフマン
出版日
1984-09-17
ませた行動をするのは子供の役目である。無邪気で馬鹿げたことを仕出かすのは大人の役割である。今はなき旺文社文庫のホフマン著『砂男』を、小学校高学年の時に買った。難しくてさっぱり読めず、本棚の肥やしになった。40歳を過ぎてから、どうしたきっかけかあらためてホフマンを読んでみたら、これがすこぶる面白い。話が二転三転めまぐるしく入れ替わり、最後には「えーっ、また死んだのか」と誰かが亡くなる(結末を必ず死で迎えるのは夢野久作にも似ている)。この話の飛び具合は、途中で別な小説に差し替えても分からないんじゃないかというぐらい、まるで酔っぱらった志ん生の落語だ。つまりは名人芸。

以上の理由で、申し訳ないことに筋がまるっきり思い出せない。この奔放な想像力の賜物は、ぜひ自身の目で確かめてほしい。何だか面白い夢を見た!でも思い出せない……気分になるはずである。

伝奇集

著者
J.L. ボルヘス
出版日
1993-11-16
ボルヘスの作品は手強い。読み手に相応の知性と読解力、想像力を強いてくる。ただしそのハードルを少しでも乗り越えることができたなら、必ずやそこに知性の喜びと広大なイメージ世界を垣間見ることができるはずだ。まず、我々の常識から解き放たれなくてはならない。「バベルの図書館」は、図書館内で一生を終える人たちの話。どこかの図書館ではない、世界が図書館なのだ。図書館の構造を逐一述べるところから始まり、膨大な書物の説明、そこに意義を見出そうとする人々の歴史……。

「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」。いつぞやのUFO本紹介の回で述べたように、ウンモ事件をでっち上げた連中に影響を与えたとされる作品。観念が物質を文字通り形作るというトレーン世界が、難解な文脈構成によって語られる。逆説的に、我々の現実がいかに脆弱かと示唆するかのようだ。

ボルヘスを読んでも、まず世渡りが上手くなるわけでもないし、異性にモテもしない。読書の真の喜びだけが、そこにはある。

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    バンドマンやソロ・アーティスト、民族楽器奏者や音楽雑誌編集者など音楽に関連するひとびとが、本好きのコンシェルジュとして、おすすめの本を紹介します。小説に漫画、写真集にビジネス書、自然科学書やスピリチュアル本も。幅広い本と出会えます。インタビューも。

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