サルトルに関する意外な逸話4つ!実存主義の代表者を知る本も

更新:2021.11.8

哲学者であり小説家、はたまた評論とその知性を武器に20世紀の思想のリーダーとなり、同時にポップな存在でもあったジャン=ポール・サルトル。名前を知っている方も多いのではないでしょうか。今回はそんな彼の著作の中でもその思想がよく分かる本を5冊紹介します。

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実存主義者、ジャン=ポール・サルトルとは

ジャン=ポール・サルトルは1905年にパリで生まれました。神学者アルベルト・シュバイツァーの伯父にあたります。父親を早くに亡くした彼は母親に育てられましたが、彼女の再婚を機に引っ越したラ・ロシェルでの生活で、いじめ、失恋などを経験し、それが彼に暗い影を落としていきます。また彼は3歳のころに右目を失明しました。

15才のときに再び転校し、その頃から彼の活躍が始まります。ベルクソンのエッセイを読み哲学に目覚めたサルトルは、あらゆる学問を勉強しパリのエコール・ノルマルに入学。その後哲学の試験に主席合格した彼は、やはり著名な哲学者となるボーヴォワールと恋人になりました。

その後2年間の徴兵生活ののち教員となります。教員生活の傍ら執筆活動を開始、有名な『嘔吐』『存在と無』もこの頃発表され、実存主義哲学を完成させました。

戦争を経て彼の活動は政治色を帯びていきます。その考えは「アンガージュマン」と呼ばれ、社会参加の必要性を説き、人々に圧倒的な支持を得ます。「どう生きるべきか」という能動性が時代とリンクして、彼は一躍時のリーダーとなったのです。

戦後も彼の活動はアクティブで、1964年にはノーベル文学賞に選出されます。1970年代はその後登場する構造主義に圧されていましたが、1973年には新聞『リベラシオン』を創刊するなど、存在感を発揮し続けました。

晩年になっても彼の創作意欲は衰えませんでしたが、1980年に74歳で亡くなりました。

20世紀最大の哲学者サルトルについて知っておきたい4つの真実

1:ボーヴォワールとは事実婚だった

1929年にサルトルはボーヴォワールと結婚しますがこれは事実婚でした。この関係は戦前としては異例でしたが、彼が死ぬまで続きます。

2:奥さんもいたが愛人もいた

サルトルとボーヴォワールは事実婚でしたが、それは結婚関係を維持しつつ、お互いに別の恋愛を自由にしても良いという契約でした。そして彼には、34歳も年下の愛人がいたのです。

3:サルトルは日本に来たことがある

1966年、ザ・ビートルズが来日した年にサルトルも日本に来て約1ヶ月間滞在しました。フランスの哲学者は日本に興味を持つ人が多いのですが彼もまた同様で、ボーヴォワールも帯同し、2人は各地で公演を行ないました。

4:国葬レベルのお葬式

サルトルは1980年に亡くなりますが家族の入っているペールラシェーズではなくモンパルナスに埋葬されました。50000人の参列という壮大な規模のお葬式で、フランスを代表する知識人を追悼したのです。

サルトルの代表作のひとつ

サルトルは様々なタイプの著作を発表していますが、自分の思想を小説にして理解してもらう術に長けていました。

青年ロカンタンはフランスのある町で生活しているうちに、奇妙な人と出会ったり、奇妙な体験をしたりしていきます。そしてだんだん何を見ても吐き気を感じるようになるのです。

吐き気の正体が何なのかを考えると、それは存在に対する違和感や不安でした。元恋人は特権的瞬間を生きたいと思い、ロカンタンはそれを非とします。そして最終的に、彼は存在とは何かを理解するのです。

著者
J‐P・サルトル
出版日
2010-07-20

図書館でアルファベット順に本を読む男、ぬるい牛乳、奇妙な夢、自分の本質をあらかじめ規定する元恋人との再会、など様々なでき事を通して、ロカンタンは存在とは偶然なのだと気づきます。

自分が存在するのが必然ではないとすれば、人間はどう生きるべきなのでしょうか。読者である我々も直面するかもしれない疑問に対する、答えを教えてくれる作品です。

もともと何でもない自分はどう生きるべきか

「本当の自分は自分で作る」というのがサルトルの主張です。さらに言えばその「本当の自分」もまた変化していくものなのです。これが彼の実存主義哲学の骨子といえます。

この本は彼が行なった有名な講義を書籍にしたものです。ここで彼はペーパーナイフと人間を対比させ、「人間はナイフとは違い最初から使い道を決められたものではなく何でもない状態で生まれ、自分の意思で本質を作っていく」と語っています。様々な選択肢や岐路が前にしたとき、あなたはどちらを選ぶのか。その選択の積み重ねが、自分を作っていくという考え方です。

著者
J‐P・サルトル
出版日

「自分探し」という言葉があります。そのとき我々が考えるのは「本当の私を見つける」あるいは「自分の知らない自分を探す」ということではないでしょうか。

サルトルはこの件に関して「人間は常に選択の自由を迫られている、それが人間である」と明快な答えを出しています。この主張は一方で、「自由と責任は常に背中合わせになっている」ということも言っているのです。

哲学は難解だと思われがちですが、本書は講義を元に作られているのでわかりやすく、サルトルの入門書としてもおすすめできます。

サルトルの実存主義哲学の集大成

本書は第二次世界大戦中に発表されたサルトルの代表的な作品ですが、ここに彼の実存主義哲学は完成を見ています。彼のことを知るうえで避けては通れない一冊です。
 

著者
ジャン=ポール サルトル
出版日

内容は多岐にわたっていますが、特筆すべきは人間の本質について述べている部分でしょう。

彼は「人間は本質を持たず誕生するので、自分は自分で作り上げる。しかし他人は『あの人はああいう人』という風に本質を決めてかかる」と主張して、他者との関わりをどのようにしていけばよいのか、という点に着目しています。

彼の実存主義は、オーストリアの哲学者、フッサールの現象学に影響は受けているものの、自我は意識されるものであるという点で大きく異なっています。人間関係に悩んでいる方には絶大なヒントを与えてくれる内容です。

サルトルが教える脅かされた自由を取り戻す方法

本作品はサルトル屈指の長編小説で、彼がこれまで語ってきた「自由」がテーマになっています。自らの自由が、もし何らかの事情により脅かされたら、人はどうすればよいのでしょうか。しかし、その「何らかの事情」というのも、もちろん自分が様々なことを選択した結果なのです。
 

著者
サルトル
出版日
2009-06-16

小説の形式なので非常に読みやすく、彼の主張を知るには絶好のテキストとなっています。

自由を主義としている高校教師のマチウが、恋人の妊娠を機にその自由が失われるというところから物語がはじまります。金銭面でのトラブル、子供が欲しいゲイなどの登場により、彼はかろうじて自由を確保しましたが、そこに第二次世界大戦が起こるのです。

自由を追求すればするほど不自由になっていく、という状況が鮮やかに描き出されています。どうにもならない状況での自由とは何かという命題を、登場人物たちが読者に突きつけてくるでしょう。

手軽に読める、サルトルの短編集

『嘔吐』と同時期に発表された、表駄作「水いらず」を含むサルトルの短編集です。ここで扱われる題材も「実存」についてであり、手を変え品を変え彼は自分の思想を伝えようとしています。

本作は純粋な小説として、気軽に楽しむことができるでしょう。

著者
サルトル
出版日
1971-01-30

性的に不能な夫と暮らすリュリュという女性が「自分の身体は自分なのか」ということを考え、浮気をしてみる……という「水いらず」をはじめとし、どの作品でも徹底的に肉体に違和感を持つ描写で、彼は人間の存在とは何かをつまびらかにしていきます。

「私の肉体ってなんだろう」 「一部を切り取ってもこれは私なのだろうか」と、自らの存在について様々な登場人物が考えます。各編が現象学的な思考の持ち主がくり広げる、心理ドラマのような色彩を帯びているのです。

『嘔吐』と通底する肉体や物質に対する違和感というテーマは本作にも現れているので、長編小説が苦手な方はこちらから手をつけてみるのもおすすめです。

サルトルは徹底的に「自由」と「生き方」について考え、実践した人物でした。その怖れを知らぬ行動力、自らの知性のみを武器に戦った生き様に共感できる方も多いのではないでしょうか。ポストモダン時代になっても彼の提唱した自主性は色褪せることなく、私たちの生きるうえでの道しるべになってくれています。

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