キュリー夫人のあなたが知らない事実6選!放射能の生みの親の功績とは

更新:2021.11.8

放射能の研究に夫婦で取り組み、女性ではじめてノーベル賞を受賞したキュリー夫人。科学の探求に捧げられた彼女の生涯を、おすすめの本とともに追っていきましょう。

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史上最も偉大な女性科学者、キュリー夫人

キュリー夫人(マリー・キュリー)は1867年、ポーランドのワルシャワで生まれました。

当時のポーランドはロシアをはじめとする周辺の大国に分割占領されており、彼女の家族も貧窮していました。加えて彼女が生きた時代は、女性が教育を受ける必要などないと考える風潮が残っており、パリのソルボンヌ大学のように女性にも学問の権利が認められた場所を探し求めなければなりませんでした。

大学を卒業後、1894年にフランス人科学者ピエール・キュリーと出会います。2人は結婚し、研究パートナーとして放射性物質の研究に取り組み、1903年にノーベル物理学賞を、1911年にはノーベル化学賞を受賞する成果を挙げました。

第一次世界大戦には自ら開発した放射線技術を活用し、多数のレントゲン設備を戦争で負傷した人々の治療のために提供しました。

夫妻が設立したキュリー研究所からは、2017年現在で本人たちを含む6名のノーベル賞受賞者を輩出しています。

放射線被曝が原因で発症したと考えられる再生不良性貧血により、彼女は1934年に亡くなりました。

キュリー夫人のあなたが知らない事実6選

生涯を研究に捧げたキュリー夫人について、どのような実績を残した人物かお分かりいただけたかと思います。さらに以下に挙げる6つの事実を知れば、あなたはもっと彼女のことを魅力的に感じられるようになるでしょう。

1: とても貧しかったので、時折空腹が原因で気絶した

貧しさのなかパリの大学に通い学んでいたため、彼女は食事も満足にとることができず、ついには空腹に耐えかね倒れてしまうこともありました。その際は、姉の夫が医師であったため、彼に面倒を見てもらっていました。

2: 彼女は勉学に励みつつ、留学費用を貯めるためにアルバイトに勤しんだ

初めポーランドに住んでいましたが、姉夫婦が住んでいるパリに留学するためには資金を貯める必要がありました。そこで彼女は博物館の実験室や移動大学などで科学を学ぶかたわら、家庭教師の仕事をして留学費用を稼いでいました。

3: 彼女は、より広い実験室を探している途中で夫となるピエール・キュリーと出会った

大学を卒業した後も研究を続けるために、自らの研究に必要な広さのある実験室を探さなければなりませんでした。その場所を提供してくれる可能性のある人物として候補に挙がったのが、ピエール・キュリーでした。2人は科学や様々なことについて語り合うと意気投合し、それからの研究人生をともに歩むことになるのです。

4: 彼女は、放射能という言葉の生みの親である

彼女は博士号取得のための研究のなかで、ウラン化合物からX線に似たある光線が発せられていることに着目し、こうした光線を発する現象を放射能と名付け、放射能をもつ原子を放射性元素と呼ぶことにしました。彼女が発表した論文に書かれたこれらの用語が、今日に至るまで使われているのです。

5: ノーベル賞委員会は当初、彼女が女性であったために受賞させたくなかった

1903年と1911年の2度にわたってノーベル賞を受賞したキュリー夫人でしたが、ノーベル賞委員会は女性である彼女に賞を贈ることに難色を示していたと言われています。1度目の受賞理由はあくまで「ベクレル氏の業績を引き継いだ」というもので、彼女個人の業績という位置づけを避けたものになりました。また2度目の際にも、委員会は彼女のスキャンダルを理由に受賞を控えてはどうか、と提案していました。

6: 彼女は唯一、複数の科学分野でノーベル賞を受賞した

キュリー夫人は、物理学賞(ベクレルによって発見された放射現象に関する共同研究 )と化学賞(ラジウムおよびポロニウムの発見とラジウムの性質およびその化合物の研究 )という2つの異なる科学分野のノーベル賞を受賞した、2017年時点で唯一の人物となっています。

次女が語る、キュリー夫人の生涯

彼女の次女であるエーヴ・キュリーが、1938年に著した伝記です。

同年には日本語訳がすでに出版されるなど長きにわたって読まれてきたこの本が、没後80年を迎えるにあたり新訳で出版されました。

「ひとつの伝説のように、その一生を語ってみたくなる」というように、キュリー夫人の生涯が色鮮やかな物語として紡がれていきます。

著者
エーヴ キュリー
出版日
2014-07-19

彼女に関する伝記は、子ども向けの短いものから上下巻編成の重厚なものまで数多く出版されてきましたが、やはり彼女の実の娘が語る母親の姿ほど、赤裸々なものはないでしょう。

本書ではさらに、彼女が残した日記や、家族や友人、そしてピエール・キュリーに宛てて書いた手紙も収録されているのも大きなポイントです。

キュリー夫人伝記のスタンダードとして、あらためて手にとっていただきたいと思います。

1人の人間としての、キュリー夫人の実像に迫る

本書は徹底的な調査をもとに、これまでの聖女のように神聖化されたキュリー夫人のイメージを超えて、本来の彼女は一体どのような人物であったのかを解き明かしていくものとなっています。

著者であるバーバラ・ゴールドスミスは、アメリカ芸術科学アカデミーの会員にもなった作家です。

著者
バーバラ・ゴールドスミス
出版日
2007-05-15

キュリー夫人といえば、やはり「貧困と周囲の無理解に耐えながら研究に打ち込み、2度のノーベル賞という栄誉を手にした」ということが頭に残っているためか、清く正しく非の打ち所のない人物であるかのように思ってしまいます。

しかし実際には、ピエール・キュリーの死後、ある男性とのスキャンダルを起こしたり、精神的に追い込まれ鬱状態になっていたりもしたのです。

本書は神聖なるキュリー夫人という偶像を崩すものですが、読むことでかえって私たちと同じ人間としての彼女に対する親近感は増してくるのではないでしょうか。

人類をたすける科学者の仕事

偕成社が出版している「伝記 世界を変えた人々」シリーズの第1巻は、キュリー夫人について取り上げたものになっています。

ポーランドで生まれ、どちらかといえば内気で物静かな女性だった彼女が、人類のための科学を探求し、信念を貫き通し闘い続け、まさに「世界を変える」ことに至った姿が記されています。

著者
ビバリー バーチ
出版日
1991-04-01

中立的な立場から書かれたものであるため、他の伝記と比べて正統な伝記であるということができるでしょう。

彼女が置かれていた当時の国際情勢などについても触れており、ロシアとドイツの間に位置するポーランドに生まれたからこその、彼女の科学者としての素質にフォーカスしているのも本書の特徴です。

適度な文量と分かりやすい記述で、キュリー夫人をよく知らない人にも読みやすい本になっています。

科学に興味を持ち始めた少年少女におすすめの一冊

こちらも彼女に関する伝記本ですが、東京書籍から出版されている「ヤングサイエンス選書」シリーズとして、特に少年少女をターゲット読者として作られたものになっています。

著者の吉祥瑞枝は、キュリー夫人をはじめとする女性科学者についての研究を専門としている学者です。

著者
吉祥 瑞枝
出版日
2012-06-14

本書の最大の特色となっているのが、カラー印刷の写真や絵などと文章が交互に並べられている紙芝居形式であることです。

そのため、視覚的にもキュリー夫人の人生や成し遂げたことについて想いをはせながら、読みすすめることができるようになっています。またこの本でしかお目にかかれないような珍しい写真も収録されています。

子どもにキュリー夫人のことを伝えたいと考えたときには、この本から読み聞かせなどを通じてスタートするのが最も適しているでしょう。

いかがでしたか。貧困や置かれた立場に苦しみながらも、志を遂げるために生涯研究を続けたキュリー夫人の素顔を知ることで、このような魅力的な人物が築いた現代の科学に対する理解も深まることでしょう。

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