アレキサンダー大王にまつわる8つの逸話!彼の生涯を知れる本4冊も紹介

更新:2021.11.8

偉大なる大王アレキサンダー。ギリシアから東方遠征を行い、わずか10年でインダス川まで到達した伝説的英雄です。神なのか、悪魔なのか、評価が変わり続ける1人の青年の人生と、彼にまつわる逸話、そして彼を知るための本をご紹介します。

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時代を築いた若きカリスマ、アレキサンダー大王

アレキサンダーは前356年に、ギリシア北部の国マケドニアに生まれました。父フィリッポス2世はギリシア世界を征服し、バルカン半島最強の国家へと成長させます。さらに東の大国ペルシア帝国に目を向けていましたが、道半ばで暗殺されてしまいました。

若干20歳で父の後を継いだアレキサンダーは、父がたてたアジア遠征の計画を引き継ぎ、紀元前334年に東方へ出発します。大義名分は、ペルシア帝国に対するギリシアの復讐です。ペルシア軍との戦いに勝利を収めながら、次々と都市を占領していきました。

紀元前330年、ペルシアの王ダレイオス3世が死んだ後も、彼は東方への歩みを止めませんでした。中央アジアを侵攻し、インド征服を目指します。しかし、インダス川を越え、さらに東を目指そうというところで兵士たちの反対にあい、引き返すことを決意するのです。

しかしタダで帰還するアレキサンダーではありません。戦友ネアルコスには海路で沿岸を調査しながら進むことを命じ、自身は陸路で征服地を経由しつつ戻ります。そして紀元前323年、バビロンの地にて急に発熱、息を引き取ります。享年32歳という若さでした。

わずか10年ほどの東方遠征で、彼はギリシアとオリエントを結ぶ一大帝国を築き上げました。彼の死後、帝国は部下たちにより分割されてヘレニズム諸国となります。

アレキサンダー大王の死後から、最後のヘレニズム王朝であるプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間をヘレニズム時代、またそこで生まれた東西が融合した文化をヘレニズム文化と呼びます。彼はまさに一時代を築いたのです。 

アレキサンダー大王にまつわる8つの逸話

1:アレキサンダー大王はアリストテレスの弟子だった

父フィリッポス2世は、アレキサンダーが13歳のとき、哲学者のアリストテレスを教師に招きます。ミエザという地に学校が設けられ、彼は同年代の若者と3年間学びました。アリストテレスのことを深く尊敬し、「父からは生を受け、アリストテレスからは良き生を受けた」と言うほどでした。

2:ともに戦場を駆けたブーケファラスという愛馬がいた

アレキサンダーが少年のころ、フィリッポス2世のもとに商人がブーケファラスという馬を売りにきました。ところがこの馬は気性が荒くて誰も乗りこなすことができず、フィリッポスは商人に連れ去るよう命じます。

するとアレキサンダーは「腕前と勇気がなくて乗りこなせないばかりに、何という名馬を失うことか!」と言い、馬が自分の影の動きを怖がって怯えているのを見て、太陽の方に頭を向け落ち着かせ、見事に乗りこなしてみせました。それから、この馬は彼の愛馬となったのです。

遠征中のアレキサンダーは常にブーケファラスに乗って戦い、紀元前326年に馬がインドで死ぬと、ブーケファラという都市を築いてその死を悼みました。

3:ゴルディオンの結び目の由来となった

紀元前333年、小アジアのゴルディオンに到着したアレキサンダーは、ゴルディオンの城塞を訪れます。そこには古の王が奉納した荷車があり、その轅は樹皮でつくった縄で固く結わえつけられていました。その地には、この結び目を解くものがアジアの王者として君臨するという伝説があったのです。

彼はこれに挑戦し、一説では留め釘を抜いてから結び目をほどき、別の説では剣で一刀両断にし、「これで解いた」と言ったといわれています。これが発想の転換の例としてよく語られる、ゴルディオンの結び目伝説です。

4:親友と間違えられても、捕虜を丁寧に扱った

紀元前333年、イッソスの戦いにおいて、アレキサンダーは初めてペルシア王ダレイオス3世と相まみえます。ダレイオスはアレキサンダー軍におされ、武器や王衣、家族まで置き去りにして逃亡しました。

その後アレキサンダーは、捕虜にした王族を丁重に扱います。

あるとき親友のヘファイスティオンを連れて、ダレイオスの家族に会いにいったときのこと。2人とも同じような衣装を身に着けていたので、ダレイオスの母はどちらが王なのか見分けられませんでした。そこで、より体が大きく、美しさでも優っていたヘファイスティオンを王と考え、彼の前にひれ伏します。その後自分の誤りに取り乱す彼女にアレキサンダーは「お間違いになったわけではない、この男もまたアレキサンダーなのだから」と言って、彼女たちを慈悲深く取り扱うつもりだと伝えたのでした。

5:今も残る都市、アレクサンドリアをつくった

アレキサンダーは遠征中に様々な都市を建設しましたが、その中でもエジプトのアレクサンドリアが有名です。紀元前332年、エジプトに到着したアレキサンダーは、現在のアレクサンドリアがある場所が町を建設するのにもってこいの地だとみてとり、自ら図面を引き、都市を建設しました。

そしてできあがったアレクサンドリアは、後にプトレマイオス朝の首都として栄え、2017年現在でもカイロに次ぐエジプト第2の都市として発展しています。

6:王宮を燃やした

紀元前330年、ペルシアの重要都市ペルセポリスを攻略したアレキサンダーでしたが、ここで、ある行動に出ます。彼は征服しながらもアケメネス朝ペルシアの伝統を重んじ、ペルシア人も重用することで味方につけようとしていました。しかし、全体としてペルシア人は彼に敵対的なままです。

こうした中、業を煮やした彼はペルセポリスの王宮に火をつけました。ペルシア人に自らが新しい王だと知らしめるための冷静な行動だったのか、それとも感情に任せた突発的な行動だったのか、評価が分かれています。彼自身は東征からこの地に戻った時、かつての自分の行いを恥じたと伝えられています。

7:乳兄弟を殺してしまった

東征が進むにつれ、彼の周りにはペルシア人の側近が増えていきます。そのことは、東征開始から彼とともに戦ってきたマケドニア貴族たちの不満の種でした。

ある時酒宴の席で、彼の乳兄弟で親友のひとりでもあるクレイトスが、「王はペルシア式の専制君主となり果ててしまった」と、アレキサンダーを責めます。怒りに我を失った王は、槍でクレイトスの体を刺し貫いてしまいました。

そして我に返った彼は、自分で自分を友達殺しと罵り、テントにこもって嘆き続け、3日間は食べ物も飲み物も、その他どんなものにも心を向けなかったと言われています。

8:日本語にも残る「アレキサンダー」の名前

彼の偉大さは、私たちが日常的に使う言葉にも表れています。「アレキサンダー」のアラビア語形「イスカンダー」を、中国語で表記してさらに変形したものが日本語の「韋駄天」となりました。広大な世界を一気に駆け抜けた彼の姿を反映しているようです。

そして、この「韋駄天」が釈尊のため馳せ走りまわり食物を集めたという俗信から「御馳走」という言葉ができました。私たちが食事の後に言う「御馳走様でした」は、時空を超えてアレキサンダーとつながっているのです。

21世紀のアアレキサンダー大王像を考える

「21世紀の世界を私たち自身がどのように展望し構想するのか、アレクサンドロスはそうした私たちの問いかけに答え、新しい世紀に相応しい人物像を浮かび上がらせてくれるだろう」(『興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話』より引用)

著者
森谷 公俊
出版日
2016-02-11

何世紀にもわたり語られてきているアレキサンダー大王像は、結局それぞれの時代や、作家や学者の創作にすぎず、歴史研究はどうあがいても仮説にすぎません。本書では、そんな歴史を論ずる上での宿命を述べたうえで、極力客観的に資料を考察して、21世紀に求められる大王像を発見、構築しようとする試みがなされています。

前半は彼が生まれる前の時代背景に始まり、東方遠征、そして死までを丁寧に描き、そのうえで彼の人物像を写真や地図を交えながら読み解いていきます。後半では彼の死後、歴史がどのように移り変わったかが語られていて、読み応えのある一冊です。歴史の中で彼が果たした役割とは何だったのでしょうか。

彼の生涯を知るなら、まずこの1冊

ヨーロッパ人の研究者が贈る入門書です。アレキサンダー大王の一生や有名な逸話については、本書を読むことで大枠がつかめます。

著者
ピエール ブリアン
出版日
1991-08-20

本編は、世界史の授業で使う資料集がより詳しくなったような印象をうけるほど資料写真が豊富。カラーで読みやすく、イメージが簡単に沸きます。

後半も彼の戦術や、植民地主義に与えた影響などをより詳細に述べていて、読み応えがあります。

アレキサンダー大王の「正史」といわれる大作

「ここに主題とするアレクサンドロスにして、仮にも戦の世界における第一級の人物だとすれば、私もまたひそかに己を量って、かならずしもギリシア語文の世界で第一人者の数に入らぬものでもないと、みずから考えるのである」(『アレクサンドロス大王東征記〈上〉―付インド誌』より引用)

著者
フラウィオス アッリアノス
出版日
2001-06-15

著者のアッリアノスは、西暦100年ころのギリシア人政治家であり、歴史家です。彼は アレキサンダー大王の側近が残した書物のなかで、プトレマイオスとアリストブロスの著作が信頼がおけるとして、主にその2作をもとに彼の伝記を著しました。ちなみに彼が信をおいた原典は、現存していません。

あくまでも客観的な姿勢から、彼の東征を軍事行動メインで細かく描いており、真偽が疑われる逸話などは、彼の感想や解釈、また、他の説などもはさみながら紹介しています。現存する古代のアレキサンダー伝のなかで、最も信頼できるものとして評される書物です。 

漫画で読むアレキサンダー大王の時代

フィリッポス2世、そしてアレキサンダーに重用された書記官エウメネスを主人公に、彼の人生を創作を交えながら描いている漫画です。

著者
岩明 均
出版日
2010-05-21

書記官といいつつも、実際エウメネスが保存していた文書の大部分は失われてしまいました。彼が、どういった出自なのかもわかりません。しかしこの作品は、史実と創作がバランスよく取り入れられていて、一大歴史物語として読み応え抜群です。漫画で読むことで、この時代の思想や文化をより立体的に感じることができます。

アレキサンダーも少年時代から登場し、カリスマ性を放っています。6巻の表紙の少年がアレキサンダー、となりの馬がブーケファラスです。

侵略者とも解放者とも評されるアレキサンダー大王ですが、並はずれた人物であったことは疑いありません。ぜひ、あなたなりのアレキサンダー像を見つけてみてください。

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