ローマ帝国五賢帝の一人。美と平和を愛し、芸術と文化に造詣が深かった彼ですが、ずっと平穏な生涯だったわけではありません。彼の人生をおすすめの本とともに紹介します。
第14代ローマ皇帝、プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス。ローマ帝国の全盛期をもたらした五賢帝の3番目の皇帝です。軍人として優れた才能を持ちながら、平和的手段による国家経営を目指し、文化や芸術の発展にも寄与しました。
紀元76年、ローマ、もしくはイベリア半島の南部イタリカに生まれます。彼が22歳のとき、父親の従兄弟であるトラヤヌスが皇帝になりました。ハドリアヌスはトラヤヌスのもとで信頼に応え、軍事、政治両面で活躍し、32歳という異例の若さで執政官に抜擢されます。
そしてトラヤヌスが死んだ117年、ハドリアヌスは41歳で皇帝となりました。皇帝となった彼はトラヤヌスが最大まで広げた帝国の領土を、これ以上拡張しようとはしませんでした。彼にとって重要だったのは、帝国の安定を確保し、生活の向上と多様性の中での統一を同時に実現することだったのです。
彼は21年に渡る治世のほとんどを属州視察の旅に費やしました。なかでも、属州ブリタニアに遠征したとき、北方の民族に脅かされる人々を守るために作った「ハドリアヌスの長城」は有名です。これがローマ帝国最北端の国境線となりました。石造りの壁と塔と城塞で埋め尽くされた117キロに及ぶ防壁は、今も一部イギリスに現存しています。
文化、政治面ではローマ法の集大成を行ったり、公衆浴場を建て水道を整備したりと、人々の生活をより快適にして、文化度の向上にも尽力しました。また、芸術を愛した彼は、芸術品を集めた大規模な別荘や、円形の神殿パンテオン、背中あわせに2神を祭ったヴェヌスとローマの神殿など、独創的な建物を造ります。これらは後世の建築に大きな影響を与えました。
138年、62歳で息を引き取るまで、帝国の維持と再整備、そして文化芸術の発展に努めた彼を、同時代人はこう言っています。「疲れを知らない働き者」。これが彼に対する正当な評価ではないでしょうか。
ハドリアヌスは10歳で父を亡くしました。父親は亡くなる前に息子の後継人を2人指名しています。1人は当時33歳、同郷で父親と従兄弟にあたるトラヤヌス、もう1人はやはり同郷で、騎士階級に属するアティアヌスでした。
代父となった2人は、少年ハドリアヌスに十分な教育を受けさせ、彼が成長したのちも、支え続けます。後見人指名の12年後にトラヤヌスが皇帝になり、アティアヌスがそのもとで近衛長官に就くとは、父親も予想していなかったでしょう。
青年ハドリアヌスは、元老院議員たちの前で皇帝の文面を代読した際、地方なまりがいちじるしいと笑われます。これに発憤してラテン語を猛勉強し、短期間で幼少時のなまりを克服しました。その後彼のラテン語は、当時の新聞ともいえる「元老院議事録」編集の仕事を任される、「都会的」な水準まで達したのです。
ハドリアヌスは少年時代、ラテン語とギリシア語で確固たる教養を身につけ、両方の言語でまったく同じように上手に書くことができました。彼は「ギリシアっ子」とあだ名され代父に心配されるほど、ギリシア文化全般に魅入られたのです。
彼のギリシア愛は身だしなみにも表れます。ギリシア風にあごひげをたくわえたローマ皇帝は、彼がはじめてなのです。ローマ人の男はきれいにひげを剃ることを習慣にしていました。その影響か、彼以後の皇帝たちにはあごひげ姿が多いです。
48歳ではじめて、憧れの地ギリシアに訪れたとき、彼は片っ端から名所旧跡を訪れ、ギリシア人エリートたちの信仰を集めていたエレウシスの秘儀に入信までしています。もちろんギリシア活性化のための数々の政策も実施し、冬越えのはずが6ヵ月に渡る滞在となりました。
前皇帝トラヤヌスは、死去のギリギリまで後継者の指名をしていませんでした。死ぬ間際にハドリアヌスを養子に迎える告知をしたと言いますが、この真偽が議論の的となっています。
瀕死のトラヤヌスに付き添っていたのは、ハドリアヌスに惚れこんでいた皇后プロティナ、姑サビーナ、後見人の1人である近衛軍団長官のアティアヌス、そして、皇帝の侍医の4人でした。皇帝の侍医以外は、いわばハドリアヌス派です。そしてこの侍医は数日後、原因不明の死を遂げました。トラヤヌスは本当にハドリアヌスを指名したのでしょうか。
東方の地アンティオキアで後継者指名の知らせを受けたハドリアヌスは、その地で軍団の忠誠宣誓を受け、元老院に親書を送り、皇帝就任の承認を得ます。そして東方でやるべきことを終えたのち、ローマを目指しました。この帰還のあいだに事件が起こったのです。
ある時、代父である近衛軍団長官のアティアヌスから密書が届きます。それは先帝の重臣4人が反発の動きを見せているとの内容でした。彼はただちに対処に動くよう命じます。その結果、裁判にかけられるでもなく、4人の重臣は近衛軍団の兵士に殺されてしまったのです。
この事件に関して、ハドリアヌスがどの程度関わったのか、様々な説があります。アティアヌスが勝手に殺害に動いたのでしょうか、それとも、すべてハドリアヌスの指示なのでしょうか。自身が書いたとされる『回想録』(現存していません)には、自分は殺害までは命じなかったのにアティアヌスの一存で殺したと書かれていたそうですが、真相は闇の中です。
ハドリアヌスはビティニア生まれの美青年アンティノウスを寵愛しました。2人が知り合った経緯はっきりとしていませんが、おそらくアンティノウスが15歳頃だったといわれています。年の差30歳以上の愛人でした。
しかし、アンティノウスはナイル川で水死します。その後皇帝は彼を神格化し、都市アンティノオポリスをつくり、神殿を建設し、帝国中にアンティノウス像を建てさせ、アンティノウスのために競技を開催し、彼の胸像を刻んだ青銅貨も発行します。アンティノウスへの愛と、失った悲しみの深さが伝わりますね。
「皇帝」は「市民中の第一人者」であるとして、精力的に活動していた時期の逸話です。公衆浴場で市民とともに入浴を楽しむことは歴代皇帝もやってきましたが、ハドリアヌスは浴場(テルマエ)に通う回数がもっとも多い皇帝でした。
ある日のこと、1人の老人が浴場の壁に石鹸のついた背中をこすりつけています。ハドリアヌスはこの老人がかつて自分の指揮下にいた百人隊長だと気付き、何をしているのかと声をかけました。老人は、垢を落としてくれる人を雇う金がないと答えます。同情した彼は老人に、垢落とし専門の奴隷とその維持費を贈ったのです。
すると次の日の浴場では、老人たちがこぞって壁に背中をこすりつけていたといいます。
自身が病魔に侵されていることを知ったハドリアヌスは、嫡子がいなかったため、養子縁組をしようとします。まず彼が選んだのがL・ケイオニウス・コンモドゥスでした。しかし彼は伊達者で軍務経験もなく、皇帝の器ではなかったようです。ハドリアヌスは幼少のころからマルクス・アウレリウスを可愛がっていて、彼が統治できる年齢になるまでの中継ぎとして、ケイオニウスを選んだという説もあります。
しかしケイオニウスは健康状態が芳しくなく、早くに亡くなります。その後、アントニヌスと養子縁組を結びました。その際、アントニヌスがマルクス・アウレリウスとルキウス・ウェルス(ケイオニウスの子)を養子にすることを課したのです。こうして、ハドリアヌスは2世代に渡り後継者問題を解決しました。
「わたしはここに、先入観念や抽象原理ぬきの、わたしという一個の人間の体験からひき出した物語をそなたに贈る」(『ハドリアヌス帝の回想』から引用)
- 著者
- マルグリット・ユルスナール
- 出版日
- 2008-12-16
ハドリアヌスが、後継者であるマルクス・アントニヌスへあてた書簡という体をとり、回想形式で彼の人生が語られます。20世紀の作家による創作ですが、確かな知識に裏付けされた堂々たる語り口は素晴らしいと言えます。彼が見て、感じたものを、彼の声で聴いているような、そんな錯覚すら覚えるでしょう。
著者マルグリット・ユルスナールは本書で内外批評家の絶賛を受け、フランスで権威のある文学賞「フェミナ賞」を受賞。その後、女性初のアカデミー・フランセーズ(国立学術団体)会員になりました。
人格、政治史、行政、社会経済、文化活動など、様々な切り口からハドリアヌスについて分析します。
- 著者
- ["レモン シュヴァリエ", "レミ ポワニョ"]
- 出版日
彼の人生や業績が大量の資料に基づいていて書かれています。出自、軍事、政治、文学、美術など、様々な側面から彼を知ることができる一冊です。
これを読めばこの皇帝の一筋縄ではいかない活躍がよくわかるでしょう。地名や人名が具体的に列挙され、原典も事細かに書いてあるので、より深く学問的に彼を知りたいときにおすすめです。
「ローマ帝国皇帝という最高権力者が文学や芸術にも関心が強かったというだけで、シンパシーをもつのは、欧米のインテリによく見られる傾向である。(中略)わがハドリアヌスはそれだけの男ではない」(『ローマ人の物語〈25〉賢帝の世紀〈中〉』より引用)
- 著者
- 塩野 七生
- 出版日
- 2006-08-29
ローマの建国からローマ帝国滅亡までを描くシリーズの第25巻です。このシリーズは文庫で全43巻出ていますが、途中から読んでも問題なく楽しめます。
この本では、ハドリアヌスの誕生から、皇帝になった彼の巡行や文化芸術への貢献が、エピソードや写真を交えながらわかりやすく語られています。
「我々ローマ人が水道だの巨大建造物の開発にうつつを抜かしている間に平たい顔族はしっかりと原始的利点の便利さにも視線を向けてこんな画期的な屋外風呂を作っていたとはッ」(『テルマエ・ロマエⅠ』より引用)
- 著者
- ヤマザキマリ
- 出版日
- 2009-11-26
ハドリアヌス帝治世のローマ。浴場設計技師をしている主人公ルシウスが、現代日本へタイムスリップし、そこで得た知識をもとに次々と斬新な浴場をローマにもたらす、ヒストリカル風呂コメディです。
主人公はテルマエ技師のルシウスですが、ハドリアヌス自身も登場します。ルシウスが平たい顔族(日本人)の文化に驚愕し、次々とアイディアを取り込んでいくストーリーは痛快で、楽しみながらローマ帝国に親しめる漫画です。
ローマ皇帝の中でも人気が高く、平和と文化を愛し、リアリストでもあった皇帝の生き方は、今を生きる私たちへのヒントにもなるでしょう。ぜひ彼の人生に触れてみてください。