生死を巡るものがたり

死んでいったひとりの若い女性への公開状

著者
["セスゴロン", "田辺保"]
出版日
ひとりの若い女性が死にました。この娘とはほとんど他人のような、なんの関係もない「わたし」が、この死について語ることから始まり、話題は自然から時間から、あらゆるところに及んでいきます。

“人間はたったひとつの動機のために自殺することはめったにないのだろうと。最後の水の一滴が加えられたのだ。だがそのとき、鉢はすでにひそかにいっぱいになっていたのだ”(本文より)

その鉢を密かにいっぱいにさせていたのは何であったか。人が自ら死んでいくことの、“最後の一滴”よりも、恒常的、日常的に蔓延しているものがここには暴露されていると思う。ただそれだけではなく、「このあとでやって来たかもしれない日々のこと」を「わたし」は考えもするのですが。

猫鳴り

著者
沼田 まほかる
出版日
2010-09-16
“胎内の生と死とがあまりにも強く触れ合う暗がり”(本文より)に授かった子供を流産で亡くしてしまった夫婦。まるでその子と入れ替わりのように現れた子猫を2人は飼うことにした。

3部構成でこの猫「モン」を接点に、幾つかの物語が展開されていきます。子猫を新聞紙に包んで捨てに行ったり、小さな子供に憎悪を感じて殺意を抱いたり、という、生き物に対する残酷な衝動と行動が描かれていたりします。

最後にモンは、歳を取ってご飯を食べなくなり息絶えてしまうのですが、これを自然なこととして最期には藤治も受け入れることになりました。物語を通して常に、死が自然に、穏やかに存在しているのを感じる1冊です。

うたかた/サンクチュアリ

著者
吉本 ばなな
出版日
2002-09-30
物語冒頭、旦那と子供を亡くしたばかりの馨と、恋人を自殺で亡くした智明が出会います。“泣きたい時はいくらでもお泣きなさい、それはいいことよ、そのかわり泣くのも泣きやむ時もひとりよ”(本文より)という馨の母の教えもあってなのか、馨はいつも「誰かになんとかしてという不純物がない、まっさらの泣き方」で思い切り泣きます。

そして、そんな馨の泣き方に智明の心も洗われて救われていく。悲しいという気持ちは無くなるものではないから、中断する。残された人たちの生活はこの先も続いていくのです。

西の魔女が死んだ

著者
梨木 香歩
出版日
2001-08-01
人は死んだらどうなるんだろう。こんな疑問に誰だってきっと一度は触れたことがあるんじゃないか。不登校になった中学生の少女「まい」が、自然の豊かな田舎で暮らすおばあちゃんの元で魔女修行をしながら過ごした1カ月が描かれています。

まいがおばあちゃんに人は死んだらどうなるのか尋ねるシーンがあるんですが、おばあちゃんは死んだことがないから分からないと言いながら、おばあちゃんの考えとしての身体と魂のお話をしてくれます。

そのお話は、まいの心にずっと引っかかっていた重しを取ってくれたのでした。しきりに出てくる「魔女は自分で決めるのよ」って台詞があるのですが、もう何年も前に読んだ本なのに今でもふとした時に思い出してはっとなります。

こころ

著者
夏目 漱石
出版日
「私」が、夏休みに来ていた鎌倉由比ヶ浜で「先生」に出会い、2人の交流が始まる。“平生はみんな善人なんです、それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです”とは物語序章の先生の「私」への忠告とも取れるセリフですが、後の告白体の文章を見れば特に自分のことについて責め立てた言葉にも思えます。

時代によって、死に至らしめるものも、死が意味することも微妙に違う。Kは自分の道の為に死に、先生はKを自殺に追いやったのだという思いと倫理観との葛藤の内に死んだのでしょうか。ですが先生が言う自身が犯した悪は、その心情が精緻に描かれるほど、私には悪には映らなかったのです。

この記事が含まれる特集

  • 本と音楽

    バンドマンやソロ・アーティスト、民族楽器奏者や音楽雑誌編集者など音楽に関連するひとびとが、本好きのコンシェルジュとして、おすすめの本を紹介します。小説に漫画、写真集にビジネス書、自然科学書やスピリチュアル本も。幅広い本と出会えます。インタビューも。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る