死んでいったひとりの若い女性への公開状
ひとりの若い女性が死にました。この娘とはほとんど他人のような、なんの関係もない「わたし」が、この死について語ることから始まり、話題は自然から時間から、あらゆるところに及んでいきます。
“人間はたったひとつの動機のために自殺することはめったにないのだろうと。最後の水の一滴が加えられたのだ。だがそのとき、鉢はすでにひそかにいっぱいになっていたのだ”(本文より)
その鉢を密かにいっぱいにさせていたのは何であったか。人が自ら死んでいくことの、“最後の一滴”よりも、恒常的、日常的に蔓延しているものがここには暴露されていると思う。ただそれだけではなく、「このあとでやって来たかもしれない日々のこと」を「わたし」は考えもするのですが。
猫鳴り
“胎内の生と死とがあまりにも強く触れ合う暗がり”(本文より)に授かった子供を流産で亡くしてしまった夫婦。まるでその子と入れ替わりのように現れた子猫を2人は飼うことにした。
3部構成でこの猫「モン」を接点に、幾つかの物語が展開されていきます。子猫を新聞紙に包んで捨てに行ったり、小さな子供に憎悪を感じて殺意を抱いたり、という、生き物に対する残酷な衝動と行動が描かれていたりします。
最後にモンは、歳を取ってご飯を食べなくなり息絶えてしまうのですが、これを自然なこととして最期には藤治も受け入れることになりました。物語を通して常に、死が自然に、穏やかに存在しているのを感じる1冊です。
うたかた/サンクチュアリ
物語冒頭、旦那と子供を亡くしたばかりの馨と、恋人を自殺で亡くした智明が出会います。“泣きたい時はいくらでもお泣きなさい、それはいいことよ、そのかわり泣くのも泣きやむ時もひとりよ”(本文より)という馨の母の教えもあってなのか、馨はいつも「誰かになんとかしてという不純物がない、まっさらの泣き方」で思い切り泣きます。
そして、そんな馨の泣き方に智明の心も洗われて救われていく。悲しいという気持ちは無くなるものではないから、中断する。残された人たちの生活はこの先も続いていくのです。