清少納言についての意外な事実6つ!枕草子がさらにおもしろくなる本も

更新:2021.11.11

平安時代に登場したキャリアウーマンの元祖、清少納言。彼女の陽気で快活な性格からくる物事を一刀両断する小気味よい物言いは現代人もなるほどと納得することばかりです。そんな彼女をより良く知るための本を5冊紹介いたします。

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男勝りで才能溢れる時代を先取った女流作家・清少納言

清少納言は平安時代の女流作家です。学校の教科書にもよく載せられており、その名を知っているという方は多いかもしれません。平安時代の中期にあたる10世紀半ばから11世紀の初め頃に活躍しました。

女性には「淑やかであること」や「慎み」が求められた時代に、漢文や漢字といった男性が専門とする領域に、宮廷随一の才能をもってして食い込んだ常識破りの女性でした。要するにバリバリのキャリアウーマンの先駆者であったと言えましょう。

父である清原元輔は、相当な才能のあった歌人だと言われています。清少納言もその才能を受け継ぎ、文芸に才能を発揮。もっとも彼女は歌の才能には自信がなかったようですが……。ちなみに当時の貴族の女性は本名を家族以外には明かさなかったため、清少納言の本名も資料がなく現在のところ不明です。 

小さい頃、父の転勤とともに山口県の田舎に引っ越しました。この田舎で過ごした経験はプライドの高い彼女にとってかなりの衝撃的な出来事となります(当時はとにかく都が一番の時代でした)。15歳の頃に役人であった橘則光と結婚、一児をもうけますが離婚し、その後やはり官人である藤原棟世と再婚して女の子を産みます。

30歳前に、清少納言は一条天皇の皇后中宮定子の元で女房として、念願の宮廷勤めをはじめました。それからは、定子に献身的に尽くします。宮中で才気走った彼女は貴族たちに相当モテたようです。漢文を引用した冗談を繰り出し、鋭い観察眼と歯に衣着せぬ物言いを武器に宮中生活を楽しく過ごします。 

しかし、定子の家の栄華と没落に翻弄されることになるのです。かの有名な『枕草子』はこの頃に執筆されました。彼女の人生の最悪な時期にこのような明るい作品が執筆されたのは、勝気な彼女の性格ならではでしょうか。

勤め始めてから7年後、仕えていた定子が亡くなるときっぱりと退職。その後は旦那さんのいる摂津に行ったとも、京都に戻ったともいわれていますが、詳しいことは分かっていません。いつどこで亡くなったかも不明です。

退職してからの清少納言の人生はよく分かっておらず、晩年は不遇だったなどとも言われていますが、1000年以上経っても色褪せない作品を残した彼女は、やはり日本文学史上類まれなる傑物とといえましょう。

清少納言についての意外な事実6つ

1:実働期間はたったの7年だった

清少納言は中宮定子の女房となり、彼女が崩御するまで仕えていましたが、その実働期間は7年程度だったと言われています。彼女のはっきりした足取りはその期間にしかなく、退職後の消息は掴めないということで、非常にミステリアスと言えます。 

2.:紫式部とはライバル関係だった? 

紫式部が『紫式部日記』で清少納言を徹底的にこき下ろしているのは有名な話です。しかし、紫式部は彼女より10歳ほど年下で、彼女が中宮彰子に仕え始めたのは清少納言が辞職して7〜8年後のことなので、二人が宮中で顔を合わせた可能性は低いと言えます。

したがって紫式部が清少納言を気に入らなかったのは『枕草子』と伝聞による評判だったのでしょう。 知識をひけらかす彼女をボロクソにけなした紫式部は、やや陰湿な人柄だったとも言われており、彼女の陽性な人柄を面白く思わなかったのでした。

3:百人一首収録の歌はセクシー系だった 

「夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」 この百人一首にも収録された有名な清少納言の歌です。この歌は大納言行成との即興の手紙のやり取りの一部で例によって漢文の知識を導入したやり取りの後、行成にアプローチをかけられた彼女が「わたしの関は開かないわよ」という乾いたユーモアで切り返したものでした。 

4:くせ毛をコンプレックスにしていた

清少納言はくせ毛だったようです。当時は「流れるように真っ直ぐな黒髪」という髪が女性の美しさを決めておりましたので、彼女にとってくせ毛はかなりのコンプレックスでした。

5:清少納言の子供もやはり歌人となった

長男橘則長と長女小馬命婦は、共に歌人として後拾遺和歌集などに収録された歌を詠んでいます。やはり血筋は争えないのでしょうか。さらに面白いことに小馬命婦は定子のライバルとも言える彰子の女房になるなど(紫式部が彰子の女房)、複雑な人物相関図に一役買っています。

6:時代が変わっても存在感が大きかった

「男勝りの女性はあまり良くない」という当時の風潮もあり、清少納言の落魄の説話が鎌倉時代以降残っています。なかでも有名な『古事談』は、平安王朝のゴシップ的要素が満載で、彼女もあばら家に住む鬼婆のような形で登場しているのです。

才能を持って出世し、男性にもモテていた彼女ですから、そう簡単に落ちぶれることはないとは思いますが、真実かどうかは想像するしかありません。

日本随筆史上最高傑作の1つ

清少納言といえばやはりこの『枕草子』を読まないと始まりません。内容は大きく分けて、「ものづくし(類聚章段)」「日記的章段」「随想的章段」に分けられ全部で約300段から構成されます。段も文章自体も短く軽快な筆致となっており、古典文学としては読みやすい文章です。

「ものづくし」は、あるテーマに沿ってそれに合致しすると彼女が感じたもの・ことが、矢のような体言止めでこれでもかと羅列されます。圧倒的リズム感です。

「日記的章段」では宮廷での思い出を綴っています。これは苦境にあった中宮定子を元気付けるためか、宜しくないことを記しておらず、きらびやかな部分を切り取ったような内容です。 

「随想的章段」は前述の章段以外を扱っています。例えば自然や人間関係など。有名な第一段の「春はあけぼの」も、このカテゴリーに入るといえましょう。

著者
["清少納言", "石田 穣二"]
出版日
1979-08-01

この本は『枕草子』の伝本の中でも「三巻本」を底本にし、国文学者の石田穣二が現代語に翻訳し詳しい注釈を付けたものです。現代語訳が秀逸で、原文を読まずとも『枕草子』が堪能できます。

まず詳しい脚注付きの原文があり、次に補注があります。その後に現代文訳のセクションが来て、最後に資料と、段ごとに原文・現代文と交互になっていないため、通読するには非常によい構成です。ボリューム的には現代語訳の方がやや多めとなっています。

「台風の翌日」「虫」「猫」などの描写から、ドライな「人間観察」などがすべて「をかし」をテーマにダイナミックに綴られています。驚くほどに豊富なバリエーションです。一方、日記的章段はやはり中宮定子不遇の時期において、彼女の栄華の回想という意味合いが深いのかきらびやかなものが多く、不遇時代のものですら楽しそうに描かれています。

『枕草子』がなぜ執筆されたかは分かっていません。しかしそれを抜きにしても、宮中ナンバーワンの才能を持った女流作家の鮮明な色彩感覚と皮膚感覚、そして丹念な観察眼に裏打ちされた文章、それを石田穣二が繊細にかつ大胆に翻訳した本書を、清少納言の入門としておすすめします。

90歳の清少納言が人生を振り返る小説

何歳になったかすらどうでもよくなった「生き飽きた」清少納言の回想録、という体をとった瀬戸内寂聴の書き下ろし小説です。90歳になっても精神の炎を消さない清少納言が、自身の人生を反芻します。

器量が悪いことに対するコンプレックス、紫式部の人となりについて、美しかった中宮定子のことなどを鮮明に思い出し、細部に至るまで書き記しています。それは執念というよりも未だ自分は健在なのだ、という証明をしようとしているかのようです。死にゆく人が自分の容姿について考えるでしょうか?まだまだ枯れていない清少納言がそこにいます。

死ぬ間際、その人の人生が回り燈籠のように駆け抜けて見えるという話などありえない、と彼女は言います。死ぬときは呆けてしまい何もわからないはずであると。まだ呆けていない彼女の回想は、時系列を超えてフラッシュバックします。まさにその回り燈籠が彼女の人生をぼうっと浮かび上がらせるのです。

著者
瀬戸内 寂聴
出版日
2015-10-15

本作品は瀬戸内寂聴が90歳のときの書き下ろし小説で、清少納言の回想という形で、彼女が考えている仏教感・死生観が表現されている作品です。歴史的事実の羅列にとどまらず、非常に重厚で迫り来る力を持っています。

自分の定命を知らされないのは仏の慈悲か、それとも罰か。瀬戸内寂聴は悟っているのか、それともまだ悟っていないのか。そういう彼女のシンプルな心情が清少納言に仮託されて語られていきます。「生も死も一回きりですましたい。なむあみだぶ」

瀬戸内寂聴と清少納言が合体したかのようなこの作品、フィクションをフィクションと思わせない感動の一遍となっています。

平安時代は顔を見ずに恋に落ちた?

中古文学を読む際、当時の習慣・風習などを知らないと内容が理解できないことが多いです。例えば何を食べていたのか、服装はどうだったのか、そもそもどういう社会だったのか、など……。

桜の花びらがはらはらと散り、金糸銀糸がきらめくイメージの平安王朝の貴族たちは全体何をやっていたのか、という疑問がこの本を読むと一気に解決します。900年代にすでにかき氷のようなものを食べていたとは!驚きです。

清少納言の人となりから始まり宮廷人の恋、宮廷人の暮らし、ファッションとメイク、彼らの社会生活などが6章に分けられ、それぞれトピックとして並んでいます。現代とまったく違うところもあればそれほど変わっていないところもあり、興味深く読める一冊です。

著者
出版日
2013-11-27

「清少納言は髪の毛コンプレックスがあったのでつけ毛をしていた」とか、「恋の発端は「垣間見」という名ののぞき見であった」とか、「筆跡を示すのがいやだから恋文は代筆してもらっていた」など。当時の宮廷人の丁寧さや神経質さが分かりやすく解説されており、その内容は驚きの連続です。

図版もふんだんに使われており、当時の屋敷の大きさから照明器具、移動手段の車や、当時のシャンプーを入れておく容器など、仰天するようなものが満載で、文章だけだとまったく湧かないイメージを補完してくれる良き資料となっています。もちろん当時の食事に関しても言及されており、武士の時代になる前の日本の食生活に関しても勉強できます。

もちろん当時の『枕草子』『源氏物語』をはじめとした作品が裏付けとして引用されていますので、中古文学を理解する上でも非常に有用な書籍です。本書を読んで、平安時代の生活に思いをはせるのもいいでしょう。

枕草子をマンガにしてみました

約300段ある『枕草子』から、作者・小迎裕美子がシンパシーを感じた部分をマンガ化した作品です。マンガ化によるデフォルメが、もともと備わっていたダイナミズムをさらに強烈なものにしています。 

「図にのるガキが」「めんどくさい女」「気まずさリフレイン」「うれしい…のちがっかり」など各段がワクワク感を醸し出します。『枕草子』にはこんなことが書かれていたのか!と驚くこと請け合いです。 

作者は清少納言にシンパシーを感じてこの作品を手がけたと語っています。「平安時代も平成時代も、人間は同じようなことを考えている」と感じられることが、古典文学を読む楽しみの一つと言えるでしょう。その切り口で攻めた本書は『枕草子』入門編として、分かりやすさでは最高と言えます。 

著者
小迎 裕美子
出版日
2014-04-18

さすがに脚色しすぎでしょう……と思ったエピソードのコマ外に、「※脚色ではなくナゴン本人がそうかいています」の注釈があります!恐ろしや、清少納言の率直さ。ゲスと同じ感想を持った自分が情けない、元夫はカンが鈍い、紫式部に関しても彼女の旦那を下品だ、などとずけずけと言及している内容は、ハラハラの連続です。

面白い試みとして著者による『枕草子』的なマンガエッセイが巻末に収録されていますが、これも平安時代と現代の人間の考えは似ているという著者の主張と言えます。『枕草子』は現代人も共感できるわけですが、そう考えると鎌倉~江戸時代の人もやはり「ああ、これあるある!」と感じていたのではないでしょうか?

本作品は『歴史読み 枕草子』の著者、赤間恵都子氏が監修しているので歴史的考証もきちんとしており、作者の清少納言愛の強さと相まって非常に楽しい作品となっています。この楽しさは元の『枕草子』自体にあることは言うまでもありません。

歴史の流れにそって『枕草子』を再構築

『枕草子』は基本的に藤原定子礼賛の部分が非常に多いため、彼女が没落した部分の記述がなかったり、回想録的な側面がある作品のため、時系列的に記されていなかったりする作品です。そこで著者の赤間恵都子は、こ本書で中宮定子の栄枯盛衰を軸にすえて『枕草子』を再編成しました。これにより『枕草子』が書かれた理由をあぶり出そうという試みです。

本書は大きく分けて2つのセクションからなっており、第一部が歴史の流れに沿って『枕草子』を再編成し解説を加えているセクション、第二部が時代背景と清少納言の行動・経験をリンクさせた年表・『枕草子』の登場人物一覧、その他の参考資料となっています。 

メインは第一部で、時間軸に沿って段の原文・現代語訳・解説という流れになっており、このアプローチだと「後宮女房日記」としての色彩が強くなるのが分かります。歴史ものとしての『枕草子』が浮かび上がらせる大胆な試みといえるでしょう。

著者
赤間 恵都子
出版日
2013-04-01

本書から改めて分かることとして、清少納言は藤原定子にとって都合の悪いことはかなり曖昧に表現せざるを得なかった点が挙げられます。悲しい時代のことも楽しげに書き、大問題は時期をぼかしている、そんな彼女がなぜ『枕草子』を執筆したかの理由について、本書は大きなヒントを与えてくれています。

第七段が清少納言の宮仕えのほぼ最後の時期の話であるなど、意外な事実を提示してくれる本書は、紫式部との関係から定子崩御後の清少納言の動向の示唆、中関白家の栄枯盛衰を裏付ける「栄花物語」の引用、多種多彩な図版など隙のない構成となっており、歴史書として手元にあると心強い一冊といえます。

本書を読むと、涙ぐましいまでの定子に対する彼女の一途さが感じられ、政争に巻き込まれざるを得ない当時の藤原氏周辺の人々の苦労も、しのばれるのがあります。


清少納言は男勝りのデキる女としてだけではなく、女性的な繊細さも持ち合わせており、さらに性格は明るく冗談好きの楽しい人だったようです。そんな彼女が体験して感じたことを1000年経った今でも共有できるなんて何とも楽しいことなのであります。ぜひぜひ読んでみてください。

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