楊貴妃について知るべき逸話5選!世界三大美女のひとり、その生涯とは

更新:2021.11.9

世界三大美女のひとり、楊貴妃。名前は聞いたことあるけれど、実際はどんな人?という方も多いでしょう。知名度とは裏腹に、あまり知られていない彼女のさまざまな姿を描いた本をご紹介します。

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中国史上、最も愛されて憎まれた美女、楊貴妃

楊貴妃は西暦719年に蜀の楊家に生まれ、玉環と名付けられました。幼くして父母と死別した彼女は叔父である楊玄璬に育てられました。しかし一説によると、生まれた時のあまりの美しさに家族が驚き、これは高値がつくため売られたとも言われています。

彼女は16歳の時、玄宗皇帝の18番目の息子の妃となりました。その後、その美しさを見初められて玄宗の後宮に入り、妃と同等の扱いを受け、皇帝の妻の位である貴妃となります。玄宗は彼女をとても愛し、それは異常とも言える寵愛ぶりでした。現代のライチにあたる果実が好物だった彼女のために、遠方からわざわざ運ばせるほどです。

その反面で、彼女はたびたび玄宗の意にそぐわない行いをして怒りを買います。しかしその都度平伏して謝る楊貴妃の姿に、玄宗はますます愛情を深めていくのでした。

彼女が玄宗の寵愛を受けるなかで、楊一族も深く政権に入り込み絶大な権力を得ます。しかし政策の失敗や、戦での大敗で多くの死者を出し、楊一族への風当たりは厳しくなっていきました。庶民からも恨みや怒りを集める結果となり、「楊貴妃に子どもが生まれても男であろうと女であろうと喜ぶな」といった内容の歌が流行るほどでした。

その後、楊一族は国に対する謀反人として扱われ、次々と処罰されていき、それは楊貴妃も例外ではありませんでした。彼女は首を吊り、その生涯を終えることになります。彼女の死後には、玄宗が彼女を偲ぶ植物や小物などを身の回りに置き、時折それを眺めている姿が記されています。

楊貴妃について知るべき5つの事実

1:理想とされた容姿を兼ね備え、音楽などで優れた才能を発揮した

中国に伝わる一般的な文献は、耳たぶが大きいなど人物の特徴がしっかりと記される特徴があり、楊貴妃もその対象の例外ではありませんでした。艶やかで美しい髪、きめの細かい肌、物腰の柔らかい女性であったと伝えられています。

また、玄宗の作曲した曲を琵琶や打楽器などを用いて演奏し、誰もかなわぬほどの腕だったと伝えられていて、彼女の教養の深さを伺えます。

2:皇帝の息子の妃から、皇帝の妃になった

楊貴妃は玄宗の息子の妃になりましたが、当時妻を亡くしていた玄宗は彼女に一目ぼれ。しかしさすがに息子の妻を奪うわけにはいきません。そこで玄宗は彼女を女冠という位に付かせ、側に置くようになります。

その後、後宮に入り皇后と同等の扱いを受けはじめ、楊貴妃と呼ばれるようになりました。

3:彼女に珍しい贈り物をした地方官は昇進した

彼女は美しいものや珍しいものに目が無かったと言われており、実際に1000人以上の職人たちが専属として仕えていました。

また、玄宗がさまざまな場所に遊幸する際は、いないときがないと言われるくらい毎回同伴しています。そこで各土地の地方官は、これこそはという逸品を献上し、彼女のお眼鏡にかなったものを献上できた地方官は昇進しました。

4:彼女が安史の乱から逃れて日本に逃亡したという説がある

実際に楊貴妃のお墓とされるものが日本の山口県に存在しています。長門市油谷町にあるお寺、二尊院には彼女の墓とされる五輪塔があり、県指定の有形文化財になっています。

中国には蓬莱と呼ばれる天国があるとされ、それは日本のことなのではないかという説もありました。

5:玄宗に命じられた自殺であった

彼女の扱いが高くなればなるほど、彼女の親族も様々な要職に就くようになりました。 楊貴妃と縁戚になること自体が出世で有利となるため、楊一族は権力者との縁戚を重ねて権力を大きくしていきます。

国の中枢にまで入った楊一族は、失政や戦での大敗で多くの死者を出し、ついには国に対する逆賊という扱いにまで没落してしまいます。楊貴妃も一族の者としてその例外にはならず、楊一族の断罪をせまられた玄宗によって自殺を命じられました。

この時彼女は、「私たちは国に逆らったのですから、こうなるのも仕方が無く、恨みはしません」と言い、それを聞いた玄宗はひどく嘆いたと言われています。

楊貴妃の基本を抑えた教科書ともいえる一冊

楊貴妃という人物像は様々な形で伝えられています。本作は彼女の出生からの歩み、貴妃となって繁栄を極め、その後どのように生涯を終えたのかが、余分な脚色をされずにシンプルに描かれています。
 

著者
井上 靖
出版日
2004-08-10

本作での彼女は、妖艶で美しく周りの人を虜にしたという、多くの人がイメージする姿で描かれています。 歴史小説ですが、専門用語も少ないため大変読みやすく、読んでいて迷子になることもありません。楊貴妃という人物がどのように生き、どのように死んだのかが非常にわかりやすく描かれているのがポイントです。

彼女の人物像を知りたいならうってつけの作品で、要素を押さえた教科書ともいえる一冊です。

楊貴妃が生きた時代の息づかい、そして真の姿に迫った一冊

楊貴妃を記した史記をはじめとした文献や言い伝えなどをもとに、彼女の生きた時代と彼女の真の姿はどのようなものだったのかに迫った作品です。

当時の風俗風習にも目を向け、リアルな情景のなかで楊貴妃の姿が映し出されています。

著者
村山 吉広
出版日

資料として採用されているものは、1級のものから眉唾ものまで様々。それらをそのまま真に受けるのではなく、どのような背景でその説に行き着いたのかがしっかり考察されています。

信憑性のあるなしに関わらず、彼女の持つ側面から生まれた諸説の考察に重きを置いた作品といえるでしょう。様々な説が多方向から語られており、彼女に関係する本をさらに読み比べしたくなります。

数奇な人生を真直ぐに、そして魅力的に描いた1冊

名作シリーズとして知られる「マンガ中国の歴史」シリーズの第4巻は、玄宗と楊貴妃をメインに据えたものです。

興味があるけど小説や検証本は難しそうで……という方におすすめです。
 

著者
陳 舜臣
出版日
2006-07-01

もちろん楊貴妃についてすでに知っている方も楽しめる内容です。「あの場面はどんな風に描かれているのだろう」「こういう解釈がされているのか」と、新しい発見ができるでしょう。

歴史解説を目的としているためわかりやすく、マンガとしての面白さもあるため、彼女の人生に一喜一憂しているうちに読み終えてしまいます。

近くにいた宦官が見た、もうひとつの姿

玄宗皇帝の腹心として知られる高力士の目線から楊貴妃を描いた作品です。高力士は玄宗を側で支えた宦官で、楊貴妃の最期も彼の側にいました。

彼女を最も近くで見つめていた人物のひとりが描く、「もうひとつの楊貴妃伝」です。

著者
中路 啓太
出版日
2011-08-05

実は、高力士は楊貴妃を自殺させるべきだと玄宗皇帝に進言した張本人なのです。一体彼には彼女がどのように映り、なぜ自殺をさせるに至ったのでしょうか。

サスペンスの謎解きのような展開が止まらない作品です。第3者目線ならではの、ときに稚拙で、ときに妖しい不思議な存在感を出す楊貴妃の魅力が描かれています。

キャッチコピーは愛と死という文学の本質。楊貴妃が持つ甘美と毒を描いた一冊

楊貴妃には2つの面があるといえます。1つは愛し愛される深い愛情の面、もう1つは愛した者を虜にし狂わせてしまう毒の面です。

「長恨歌」は中国の白居易が作った漢詩で、楊貴妃と玄宗皇帝のエピソードが歌われています。本書はその長恨歌を徹底的に読み解いた一冊です。

著者
下定雅弘
出版日
2011-03-25

玄宗が彼女の愛と毒に狂っていく様は見どころです。愛し合っていた2人がなぜこうなってしまったのか、恋愛の絶頂から静かに崩壊していく様子には、思わずため息が出てしまうでしょう。

難しい言葉も使われていますが、それが作品の重厚感を演出しています。皇帝とその妃という重い責務を背負った2人と、その背景を描くにはぴったりの演出です。

楊貴妃と玄宗を題材とした物語と、その世界観に浸りたい方におすすめの一冊です。

様々なアプローチで描かれる楊貴妃、いかがでしたでしょうか。美女ゆえ悪女といわれたのか、悪女ゆえ美女なのか、彼女が持つ妖しい魅力は今後も衰えることはないでしょう。

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