鑑真の知っておくべき5つのエピソード!失明しても来日し、唐招提寺を建立!

更新:2021.11.9

奈良時代、日本に律宗を持ってきた高僧、鑑真。教科書で彼の肖像彫刻の写真を見たことがある人も多いのではないでしょうか。この記事では、学校では教えてくれなかった彼の波乱の人生と、意外と知らないエピソード、さらにその信念を堪能できるおすすめの関連本をご紹介していきます。

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鑑真に来日を要請した経緯とは。奈良時代の日本の状況

 

彼の人生を紹介する前に、奈良時代の日本における仏教がどのようなものだったのか、その状況を確認しておきましょう。

仏教は飛鳥時代にすでに政治の道具として利用されていて、「飛鳥寺」や「法隆寺」をはじめ国家をあげて寺院を建設するまでになっていました。

奈良時代になると律令制度のもと僧侶が官僚化していくのですが、このあたりから勝手に僧侶になる人が現れるなどの弊害が出てきます。ある種のルールが必要だとして、「授戒」(仏教徒が守るべき教えを出家者に授けること)をしなければ僧になれないとする制度の整備が急がれました。

そこで聖武天皇は、栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)という2人の僧を唐に派遣し、授戒をできる人物を日本に連れてくるよう命じます。長期間さまざまな人に打診した結果、来日を承諾してくれたのが鑑真だったのです。

 

鑑真の生涯とは。失明しても執念で来日!東大寺に住み、唐招提寺を建立した男。

 

688年に唐の揚州で生まれた鑑真。14歳の頃出家して律宗を学び、おびただしい数の僧侶に授戒しました。

栄叡と普照に来日を要請されたのは742年のことです。ここから、彼の波乱万丈な人生が始まります。

この出会いから実際に来日が叶うまで実に10年以上かかってしまうのです。渡航は5回失敗し、6回目で命からがら成功しました。

彼は唐にとっても重要人物で、日本行きを阻止するための妨害工作が幾度となくくり返されたのです。失敗した5回のうち3回は唐の人物によるもので、残りの2回は暴風雨にとるものでした。

日本よりも南に位置する海南島に漂着して、陸路で揚州に戻るという難行となっています。有名なエピソードでもある鑑真が両目を失明したといわれているのも、この時のことでした。

6回目でやっと成功した際も、薄氷を踏むような状況。唐の意向を受けて、遣唐使の藤原清河(ふじわらのきよかわ)が乗船を拒否しましたが、彼はこっそり船に乗りこんだのです。

遂に日本に向けて出発したものの、この旅もやはり天候の影響で多難を極めました。それでもなんとか沖縄に到着し、そこから九州を目指してようやく積年の想いが叶ったのです。

待望の鑑真の来日を、日本は歓迎しました。まず九州の太宰府で授戒をおこない、その後は奈良に上ります。出家していた聖武上皇らの熱烈な歓迎を受け、東大寺に本拠地を置きました。この時点で官僚となり、その後政治体制が代わって任を解かれると、唐招提寺(とうしょうだいじ)を建立しそこで活動を続けます。

日本に来て10年たらずの763年に、その生涯を閉じました。

 

鑑真について知っておくべき5つのエピソード!日本最古の肖像彫刻!

 

1:社会福祉の先駆者でもあった

彼は日本に来て僧尼を管理する役職に就いていましたが、その目は政治だけではなく一般市民にも向いていました。

当時の平民の記録はほとんど残っていませんが、鑑真は興福寺に「悲田院」を設立しました。中国から導入された概念で貧民救済の収容型施設でした。こんなところにも彼のぶれない人間性が見られます。

2:日本最古の彫刻による肖像となった

763年に亡くなった際、弟子の忍基(にんき)が鑑真の彫刻を作らせました。これが日本で1番古い人物の肖像彫刻となりますが、現在も唐招提寺にあり国宝に指定されています。皆さんがよく知っている彼の肖像は、この彫刻です。

3:最先端の医学を日本に導入した

遣隋使や遣唐使によって進んでいる中国の技術を導入していた日本ですが、医学・薬学に関してはまだ遅れていました。鑑真は渡航に際し最初から医学を日本に持ち込もうとしていたようで、実際に漢方医学を伝えています。

書物や伝聞ではなく、医学に精通している人が実際に日本に現れたのは彼が最初だと考えられています。

4:「続日本紀」にも登場する

「続日本紀」は「日本書紀」に続く奈良時代の状況を記した書物です。鑑真は主に20巻に登場し、25巻では唐招提寺の建立や死去について記されています。「続日本紀」に載っているということは、日本にとって相当な重要人物であった証拠でしょう。

5:栄叡と普照の努力

来日するまでおよそ10年かかった鑑真。ものすごい執念ですが、それと同時に彼を日本に連れてくるまでけっして諦めなかった栄叡と普照の2人もまた強靭な精神力をもっていたといえるでしょう。

彼らは唐に渡って鑑真に出会うまでも約10年かかっているので、その執念ともいえる想いもまた賞賛されるべきものなのです。

 

まずは伝記で鑑真を読もう。日本行きを決めた彼が考えたこととは。

筆者による綿密な調査と冷徹な視線からなる鑑真の伝記です。ともすれば彼は、日本に渡る際の苦難を拡大して語られることが多いです。しかし本書では、彼は何者だったのか、そしてどんな目的があったのかについてにページを割き、彼の人となりを露わにする試みがなされています。

なぜ日本行きを決めたのか、日本に行ってから彼は何をしようとしていたのかが語られますが、興味深いのは朝廷と鑑真の考え方に開きがあることです。日本は鎮護国家としてのツールとして仏教を考え、彼は仏教を仏教そのものとして考えていました。

日本と唐、日本と鑑真という立体的な関係のなか、彼がどういう目的で唐招提寺を建立したか、そのコストはどうまかなわれたのかなど、単なる歴史の勉強ではあっさりと通り過ぎてしまう部分に光を当てています。

著者
東野 治之
出版日
2009-11-21

結局のところ、戒律という考え方においては鑑真の思惑は日本に定着することはありませんでした。しかし後年にもたらした影響は非常に大きかったことを本書は語っています。

中央政権の国でどうやって仏教の独立性を維持するか、そこに戒律という考え方は導入せざるをえないわけですが、そういった意味において彼と当時の政府の間でくい違いが生まれているさまは、非常にやるせないものがあります。

本書に出てくる戒律は、シンプルですが厳しいものです。またそれを守ることを釈迦の前で誓うというシンプルですが大変なことを、誰が認識していて、誰がしていなかったのか。それを中立的な視点から解き明かしています。

2人の僧を主人公にした歴史小説

本書は、授戒可能な高僧を日本に招聘するという国からの要請を受け唐に渡った若き僧たちが、鑑真を日本に連れてくる物語を井上靖が鮮やかに描いた作品です。

当時の遣唐使は命がけであり、命を賭してまで日本に鑑真を連れてくると決めた彼らの情熱と、次から次へと襲い掛かってくる恐るべき運命が、読者の心を締めつけます。

内容は「今の日本にここまで志が高い人物がいるのか」とおもわず考えてしまうようなもので、読者にも「1度決めたら徹底的にやる」という気概を持ちたいと思わせてくれるでしょう。

著者
井上 靖
出版日
1964-03-20

結局鑑真と共に日本に戻れたのはひとりでしたが、登場人物はみな個性的で、さまざまな人生を生きています。自分なら誰のような生き方をするかな、とも考えさせられるでしょう。

井上靖の筆さばきは熱くなることなく淡々と事柄を描いていますが、その筆致が逆に登場人物の内面の熱さを増幅しており、読み手まで熱くさせます。航海シーンは手に汗握る展開で涙なくしては読めません。

鑑真は日本に来て何を思ったか

女流文学賞を受賞した永井路子の代表作のひとつ。鑑真とその若き碧眼の弟子「如宝」を軸に当時の彼らにまとわりつく政治的な駆け引きを描いた小説です。

言うなれば、先に紹介した『天平の甍』の後の話。彼に対する日本の扱いは、来日後徐々に変わっていきますが、日本古代史・奈良時代の政争について小説の形態を取りつつ分かりやすく記しています。

聖武天皇・孝謙天皇をはじめとして、藤原仲麻呂と道鏡など当時の政治の中心にいた人物の姿に、いりくんだ人間模様、東大寺を追い出された鑑真による唐招提寺の建立のわけなどが、女性らしい美しい筆致で描き出されています。

著者
永井 路子
出版日
1984-10-10

筆者が前面に登場するという古き良きヨーロッパの作品の手法を用いており、単なる小説というよりも歴史書の趣がある作品です。日本に連れてきておきながら自力で寺を建てさせる、という状況に対する筆者の意見がここにあります。

これを読むと、彼は日本に来るまでも大変でしたが、日本に来てからもまた多難な道程を歩んでいたことがわかるでしょう。如宝が馬で歩く美しい奈良の情景からはじまるこの作品が、一層その悲哀を増幅します。

招かれた日本に来て結局梯子を外されることになった鑑真が、東大寺を追放され公職から解かれ、一般の僧として活動せざるを得なかった当時の日本の内部的事情、そして唐招提寺を完成させた彼の弟子たちについて思いを馳せられる一冊です。

唐招提寺から学ぶ鑑真の功績

奈良という都市は、正倉院もあれば古墳も平城京跡もあるというように少し道行けばあらゆるところに古代日本の面影が残っている都市です。

本書は古寺を扱うシリーズのひとつで、唐招提寺を取り上げたものです。目を引くのは美しい青空の下の唐招提寺の表紙で、これだけで満足した気分になります。

そもそも唐招提寺とはなにかという基礎知識から、内部の解説、唐招提寺をめぐる僧たちの話、行事、周辺の地図などが美麗な写真と共に掲載されています。

著者
出版日
2010-06-01

包括的に解説されており写真もついているので、唐招提寺について知りたいのならばこの本がうってつけでしょう。

もちろん鑑真についての記述も多く、「東征伝絵巻」についても詳しく解説されています。純粋に唐招提寺を勉強したい人はもちろん、これから行こうと思っている人は必読の内容となっています。 

1300年前、ひとりの高僧が唐から日本にやってきて寺を建立し、そこで亡くなった。言葉にすればそれだけですが、そこにある様々なできごとのイメージをかきたてられる、美しい写真が満載の一冊です。

鑑真といえば唐からやってきて日本に律宗をもたらした人、で教科書は終わりますが、その裏には様々人の活躍、涙、志、美意識、欲望などが密接にからみ合っていたのです。彼の一生について、ご紹介した書籍から考えてみるのも楽しいと思います。

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