【第6回】愛すべき、大嫌いなマヨネーズ

そもそもネガティブって悪いもの?

そもそもネガティブって悪いもの?

とにかくマヨネーズが苦手なのだ。だからたこ焼きにもお好み焼きにも、マヨネーズは一切かけない。誰かにそれを伝えると「おいしいのにもったいない」と言われたりする。

ところが最近私の舌も年をとったのか寛容になってきているようで、マヨネーズのことを毛嫌いしなくなってきてしまった。

マヨネーズもりもりのマカロニサラダも、一瞬「むっ」とするだけで、食べられるようになった。好き嫌いがないのは良いことのはずなのに、なんともいえない寂しさと悲しさがある。

“嫌い”というのはいつ何時でもネガティブなものとして捉えられる。好きなことは良いこと、嫌いなことは悪いこと。

誰かを好きになるのは素晴らしく、嫌いになるのは卑しい。ポジティブのみが推奨される社会で皆、夜に理由もなく泣いたことなどないという顔をして生きなければならない。

え? 無いの? 本当にないの? ……いや、ある人もいるでしょう。そもそも、ネガティブってそんな悪いものだろうか? 少なくとも私は、嫌いなものが減ってしまうのがとても悲しい。

なんだか自分の形が少しぼやけてしまう感じがするのだ。特徴が減った感じがする。マヨネーズ嫌いのチョーヒカルから、ただのチョーヒカルになってしまうのだ。

少し前からもうどうしようもなく嫌いな女がいる。面と向かって罵られたわけでも殴られたわけでもなく、男を取られたわけでもない、でもどうしようもなく嫌いな女がいる。

見た目も言動も、作るものも全て嫌いだ。彼女が自分に対して持っている(ように見える)過多な自信と、それを隠そうとする浅ましさが嫌いだ。

とまあ、いろいろな理由をつけてはいるが、本当は何もない。なんとなく嫌いなのだと思う。自分のできないことをしているとか、結局そういう嫉妬が大きい理由なんだろう。

でも、とにかく耐えられないくらい嫌いなのだ。日常的には視界に入れないのでどうだっていいのだけど、向こうから視界に入ってくる時や、偶然彼女の何かをインターネットで目にしてしまった時は、歯が全部擦り切れるんじゃないかってくらい歯ぎしりをしてしまう。

嫌いな女が、私のモチベーションになる

SNSに、本人が誰か分からないような批判を書いて、どうにか心を諌めたりする。あまりに精神が摩耗するので、ヤフー知恵袋様にお聞きしたところ「嫌うことはあなたにとってのマイナスです、無関心になることが、その人との関係に終止符を打ちポジティブな心理状況になる術なのです」とかいう菩薩のような返答がきた。

悟りを開きすぎではないか。「宇宙から見たら大したことないよ」とも返ってきた。いやいや、私は宇宙じゃなくて都内の小さいアパートに住んでいるんだよ。

人を嫌うのは確かに骨が折れる。時間も取られるし、精神衛生上本当に良くない。こんなに嫌いなのだから何か理由があるはずだ、と脳内で相手を悪役に脚色し始める。

そうするともう悪いのはこっちだ。全世界の人間を好きでいられたら、他人からの評価云々抜きに、最高に穏やかな人生になると思う。でもまあ私は僧侶でもなんでもない。

嫌いなものは嫌い。どんなに非合理的でも、実際にその感情はあるわけで。みなさん非合理的な愛に関しては諸手を挙げて賞賛するのに、嫌いに関しては恥ずかしい恥ずかしいと存在を否定する。

もちろん、謂れのないヘイトによって誰かに被害を与えたらそれはもうお縄ですけれど、その感情を直視しないことには何も始まらないのではないか。

おっと、これはいいことを言ってしまったな……。その気持ちを正しいとするわけでもなく間違っているとするわけでもなく、ただ“あるんだ”と自分で認めるべきだと思う。

嫌いという感情は、多分眠いとかと同じように存在する体のメカニズムのひとつだから、無視していたら病気になる。

溜め込んだままにしておいたら、便秘どころの話じゃないよ。そうやって偽って生き続けたら、いつか自己啓発本に涙を流す人間になってしまう。時と場所を選んで、大声で懺悔する夜が必要だ。

結局のところ、単純に私は嫌いなものがあることが好きなのだ。嫌いなものの話をするのが好きだ。そういう時は、心の弱いところを打ち明けあっているようで嬉しい。

こういう人間が嫌い、という意識によって今の自分の行動をしっかり制御できているし、嫌いがあることで私の人格も行動も形作られている。

私の嫌いなその女は、作るものがダサいので、作品にこだわる良いモチベーションになってくれる。彼女が嫌いなことが、すでに私のアイデンティティなのだ。ネガティブがあってこそのポジティブだろうが! 嫌いは人生に絶対絶対必要なのだ! 

物事の本質に目を向けるための本

著者
森 達也
出版日
2006-07-01

少し古いですが、中学生のときに脳みそをぶち抜かれた一冊です。好き嫌いなんて単純な話ではないけど、当時の時事問題に対する様々な視点を提示してくれる。

メディアで目にする「一般論」とはかけ離れたことばかり書いてあるにもかかわらず、目から鱗が止まらなくなります。

私達はすぐに無力さを言い訳にしたり、「一般論」に隠れたりして、思考を停止してしまう。そんな自分の怠慢に気付かせてくれる、警笛を鳴らしてくれる最高の本です。

著者
中島 義道
出版日
2008-11-22

死の話題というのはどうしても避けられがちですが、そんな中で死への「憧れ」にも言及した一冊。人生が無意味であること、生きていなくてはいけない理由なんて、突き詰めてしまえば無いこと。

誰もがその絶望にどこかで足を捕われたはずなのに、いつの間にか目を背けてしまっていたものを、正面から「それは当然の悩みである」と認められ、突きつけられることで、なぜか少し救われる。

この記事が含まれる特集

  • チョーヒカル

    ボディペイントアーティスト「チョーヒカル」によるコラム。および本の紹介。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、日本国内だけでなく海外でも話題になったチョーヒカルの綴る文章をお楽しみください。

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