カエサルといえば、「賽は投げられた」という言葉が有名です。けれども、彼の人物像や実際に行ったことについて正確に知っている人は少ないのではないでしょうか。今回はそんなカエサルについて知ることができる本をご紹介いたします。
ユリウス・カエサルはローマ帝国の礎を築いた人物です。彼が活躍した時代、ローマは共和制でした。しかし版図が広がるにつれ、それまでの統治システムでは、山積する問題に対応することができなくなってきます。そのため、様々な改革が行われましたが、いずれも失敗。やがて、ローマは内乱状態に陥ります。そんななかで卓越した軍事能力によって内乱を平定し、実権を握ったのがカエサルだったのです。
彼はローマの繁栄という点に目標を定め、様々な改革を実施していきます。具体的には、都市国家ローマの象徴だった首都を囲む城壁の破壊、征服地へのローマ人の入植の奨励、征服地の住民に対してローマ人と同じ権利を認めるローマ市民権付与の促進、首都ローマと地方とを結ぶ街道の整備などがあります。
彼はこのような政策によって、拡大した征服地を支配の対象とするのではなく、ローマ人と共に生きていく人々が暮らす場所に変えようとしたのです。征服地に住む人々にローマ人としての一体感を持たせ、将来の国家建設の礎を作ろうとしたのでした。
しかし彼は改革の道半ばにして、暗殺者の凶刃に倒れてしまいました。
カエサルの改革は、彼の後を継いだアウグストゥスによって進められ、ローマは比類ない強大な国に生まれ変わります。パクス=ローマ(ローマの平和)は、彼の存在なくしてはありえなかったのです。
1:海賊に捕まって、身代金を払わせられた
彼はローマ国内での権力闘争から逃れ、ロードス島への航海中に海賊に捕まり、身代金を要求されます。金額を聞いたカエサルは、「この俺にそんな安い値段をつけるのか」と喚き散らしたとのこと。結局、自由になるために身代金を支払いましたが、海賊の束縛を逃れるやいなや、すぐに軍隊を率いてその海賊を追討。全員を捕らえ、処刑しました。支払った身代金を取り戻したのは言うまでもありません。
2:男色の噂をたてられた
ローマ属州で軍人として勤めていたころ、ビテュニアのニコメデス4世と男色関係にあったのではないかという噂をたてられました。真偽はともかく、この噂は終生、彼についてまわりました。
3:酒はまったく飲まなかった
彼と同時代の政治家、マルクス・カトは次のような言葉を残しています。
「あとにも先にも、カエサルただ一人だ、白面(しらふ)で国家転覆をはかった奴は」(スエトニウス『ローマ皇帝伝』より引用)
4:はげに悩んでいた
若い時からはげていたカエサルは、そのことについてとても悩んでいました。少しでもはげを目立たなくするために、後ろ髪を伸ばし、それを額にまでたらしていたという逸話が残っています。
5:気に入った女性を何人も愛人にした
気に入った女性であれば、相手がどのような立場であれ愛人にしていました。そのことによって敵を作ることもあったようです。たとえばマルクス・カトの義理の姉を愛人にしたことで、彼から終生の敵とみなされてしまいました。
6:おしゃれな家やインテリア、宝石、絵画などに目がなかった
彼は身の回りを飾り立てることが好きでした。珍しい宝石や絵画を買いあさるだけではなく、真珠目当てにブリタンニア(現在のイギリス)を攻撃したとまで言われています。さらには別荘を作った時に、その一部が気に入らないからと、土台から壊して建て直させたという逸話さえ残っています。
7:「皇帝」ではなかった
カエサルと言いますと、一般的にローマ帝国の初代皇帝というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。しかし「皇帝」という名称は彼が生きていた時代にはありませんでした。当時は「元首」と呼ばれていたのです。ちなみにカエサルの役職名は「終身独裁官」。誰も彼の言うことには逆らえない、事実上の最高権力者という意味ですね。
様々な思惑が乱れる共和制末期のローマ。政権内の権力闘争、利害を異にする勢力との暗闘といった状況下で、グラックス兄弟、マリウス、スラなど多くの有能なリーダーたちが改革の途中で倒れていきました。
そのようななかで、なぜカエサルだけが民衆を味方にし、敵対勢力を滅ぼして国政の改革を行うことができたのでしょうか。
- 著者
- エイドリアン ゴールズワーシー
- 出版日
- 2012-08-24
作者のゴールズワーシーは、カエサルの行動を丹念に追うことでその疑問に答えていきます。
彼に興味のある人はもとより、乱世を勝ち抜いていく生き方を参考にしたいと思っている人は必読です。
本作は、元老院への戦闘報告としてカエサル自身が書いたものをまとめたものです。また戦闘の経緯だけではなく、当時のガリアやゲルマニアを知るうえでの1級資料となっています。
さらに、ただの歴史資料ではありません。カエサルの簡潔で流麗な文体は、文学的にも高い評価を受けているのです。
- 著者
- カエサル
- 出版日
- 1994-04-28
日本でも、様々な出版社から訳が出ているほど、資料というよりはひとつの文学作品として人気を誇っている作品です。
歴史に興味のある人は一読の価値ありです。
『ガリア戦記』に続く、カエサル自身による戦闘記録です。彼が困難な戦いの果てにポンペイウスを倒した後、エジプトに向かい、宰相ポティヌスを殺すまでが描かれています。
ローマの覇権をかけたカエサルとポンペイウスの戦いは、スペイン、バルカン半島、アルプス、エジプトと世界を巻き込んで行われ、最終的には「ファルサルスの戦い」によって勝負がつきました。
- 著者
- カエサル
- 出版日
- 1996-06-10
敗れたポンペイウスは、戦場を逃れアフリカに向かい、態勢を立て直そうとします。しかしエジプトに到着した時に暗殺され、この死によってカエサルは勝利者となったのでした。
本作の記述は実質的にはここまでで終わっています。しかし、内乱自体は終結したわけではありません。その後のカエサルの戦いについては『カエサル戦記集』に書かれているので、興味のある方はそちらも併せて読んでみてください。
ポンペイウスを倒した後も、ローマ世界の内乱は収まりません。エジプト、アフリカ、スペインとカエサルの戦いは続きます。
スペインでポンペイウスの残党を滅ぼして、最終的にローマ世界におけるカエサルの覇権が確立するのです。
- 著者
- カエサル
- 出版日
- 2016-07-15
『ガリア戦記』『内乱記』に続くカエサルの戦いの集大成です。
ここから次は帝政ローマ誕生へと、歴史はつながっていきます。本書でぜひ大きな時代のうねりを感じてください。
イメージだけが先行して、実際に何をしたのかよくわからないという歴史上の人物は多いのではないでしょうか。ユリウス・カエサルはその代表ともいえる人でしょう。
パクス=ローマの礎を築き、その後の歴史に大きな役割を果たしたカエサルについて、単なるイメージではなく、具体的な人物像を知ることは有益です。今回ご紹介した本は、いずれもそんな彼を知るために最適な作品だと思います。
1度手に取ってごらんになりませんか。