袴田事件の真相を探る。司法・冤罪・死刑制度の考察

袴田事件の真相を探る。司法・冤罪・死刑制度の考察

更新:2021.11.9

袴田事件をご存知でしょうか?元プロボクサーの袴田巌は、2004年に死刑執行が停止され48年ぶりに釈放されました。彼は「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス世界記録にも認定されています。私たちの味方であるはずの司法制度は、なぜこのようなミスを犯したのでしょうか。ここでは袴田事件に焦点を当て、司法の問題点・冤罪・死刑制度について考えていきます。

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袴田事件とは

1966年6月30日、静岡県の味噌製造会社「有限会社王こがね味噌橋本藤作商店」の専務の一家4人が惨殺されました。死体はメッタ刺しにされ、家は放火されるという残虐な事件でした。

事件から2ヶ月後、その味噌製造会社の従業員で元プロボクサーの袴田巌が逮捕されます。袴田は、当初は否認していましたが最終的に自白し、そのことが大きな決め手となって有罪となりました。

無実を主張していたにも関わらず、なぜ彼は自白してしまったのでしょうか?これは、1日平均12時間にわたる拷問まがいの取り調べを毎日毎日受け続け、追い詰められてしまったからです。罵詈雑言を浴びせられながら己を否定され、トイレにも行かせてもらえなかったそうです。

ひたすら脅され、恐怖をたっぷり味わった後に囁かれる、「罪を認めさえすれば楽になれる。あとから裁判で否定すればいいのだから」という甘い誘い。

連日の取り調べで精神的にまいっていた袴田が自白をしてしまうのも、無理はありません。有罪確定後、彼は無実を訴え続けるのですが、死刑判決が出されてしまいます。そこから彼は長い歳月を刑務所の中で過ごします。

逮捕からおよそ45年が経った2011年、犯行着衣のDNA再鑑定が行われ、2014年に再審開始と死刑・拘置の執行停止が決定されました。しかし検察が即時抗告したため、2017年現在も再審無罪は先延ばしにされたままで、袴田はいまだ死刑囚のままとなっています。

裁判官と弁護士と検察で三者協議が開かれているようですが、いっこうに進まず、引き延ばしているだけではないかという意見もあります。彼はもう80歳を超えているので、一刻も早い再審無罪を願うばかりです。

袴田事件の真相は。不自然な証拠と、元裁判官の衝撃告白

袴田事件は、袴田本人の自白が大きな決め手となって有罪が確定されており、挙げられた証拠の数々には多くの疑問点があります。ここでは「衣類」、「凶器」、「逃走経路」について見ていきます。

まず衣類について。事件から1年後、突然工場の味噌タンクから大量の血液が付着した5点の衣類が発見されました。事件の後、警察が何度も入念に工場を調べているにも関わらずです。ズボンはサイズが小さすぎて袴田は履くことができませんでした。

さらに、この衣類が入っていた麻袋は、1年以上タンクに入っていたとは考えられない程度の味噌の染まり具合でした。まるで袴田の有罪を後押しするために誰かが後から作り出したかのようにみえます。

次に凶器について。犯人はクリ小刀で4人の被害者を44回刺したとされています。クリ小刀には鍔がついていないため、それだけ何回も刺せば犯人の手が傷だらけになるはずです。しかし袴田の手にはまったく傷がありませんでした。

最後に逃走経路について。犯人は家の裏戸から逃走したとされています。しかし消化に駆けつけた住民は、当時裏戸には内側からカンヌキがかかっていたと証言しています。裏戸から出たとすると、カンヌキを外からかけ直すことはできません。

2007年にテレビ朝日で放送されている「報道ステーション」で、袴田事件を担当した元裁判官の熊本典道の証言が放送されました。「自分は無罪を主張したが、他の裁判官2人が有罪を主張したため多数決で死刑が決まった。判決を聞いてガクッと肩を落とした袴田さんの顔が忘れられない。」と告白しました。

裁判官には守秘義務があるため、このような裁判の裏側を語ることはあってはならないことです。そのため彼のこの告白は、日本にとどまらず世界にも衝撃を与えました。熊本はこの裁判の半年後に裁判官を辞めています。

辞めてもなお、死刑判決を受けた袴田の顔を思い出さない日は1日もないと語っています。後に彼は弁護士へと転身するのですが、罪悪感から自暴自棄となり、酒に溺れ、家庭を崩壊させてしまいました。

冤罪はなぜ起きるのか

冤罪が起きる理由のひとつとして、警察における検挙率至上主義が挙げられます。一般企業の営業目標のように、警察内には検挙数の目標数値があり、この数値は出世にも関わってくるようです。

また日本の有罪率は99.9%といわれているように、刑事裁判のほとんどで被告人が罪を認めています。そのため、否認していても有罪であるという先入観に基づいて裁判官が判断してしまうことがあるのではないでしょうか。

日本では被疑者を起訴するかどうかが検察官の裁量に委ねられているため、検察官は有罪だと確信できる事件しか起訴しないことがあるようです。また、検察官と裁判官は起訴前に秘密裏に口裏を合わせているという話もあり、裁判官が無罪判決を出しにくいという背景も考えられます。公平で市民の味方であるはずの司法制度には、さまざまな思惑が渦巻いているのです。

日本の死刑制度

2017年現在、先進国のなかで死刑制度が残っているのは、日本とアメリカのみです。死刑執行を10年以上停止している国や、死刑制度そのものを廃止している国は多い一方で、日本はほぼ毎年死刑が執行されています。

2014年に内閣がおこなった世論調査では、80.3%の人が「死刑もやむを得ない」と解答しており、日本人の多くは死刑制度に肯定的といえます。これは、日本には考えるまでもなく死刑制度が当たり前のように存在しており、疑問を呈す機会そのものが少ないからではないでしょうか。

死刑制度を語る際には、冤罪、被害者の心情、合憲性、犯罪抑止などさまざまな論点があります。なんでもかんでも他国に合わせる必要はありませんが、多くの国が死刑廃止に向かっているなかで、死刑制度を続けるにしろ止めるにしろ、1度立ち止まって考える必要があるでしょう。

現在の袴田は

釈放後の袴田は、拘禁反応(自由を拘束された状態が長く続いた場合に精神が不安定になってしまうこと)を示していて、空想の世界に生きています。

事件についての記憶があるかどうかは定かではないのですが、以前講演で「人間が人間を殺すことはあってはならないことだ」と語りました。

刑務所から出てきた直後は無表情でしたが、時間が経つにつれ少しずつ笑うようになっているとのこと。無実でありながら投獄され、いつ死刑執行の日がくるのかわからず、怯えながら過ごす地獄のような48年間を彼はどのような思いで生きていたのでしょうか。その思いを知ることができる一冊が、『主よ、いつまでですか』です。

著者
袴田 巌
出版日
1992-08-15

この本は「袴田さんを救う会」の皆さんが、有罪判決直後の1967年から1989年までの間におこなわれた袴田との獄中書簡をまとめたものです。そのほとんどが家族に向けられたもので、そのほか獄中の状況などが語られています。

この書簡を読んで1番驚かされることは、過酷な状況にありながらいつでも家族を思いやり、決して弱音を吐かず、希望を捨てない袴田の強さです。彼は息子に向けた文章のなかでこう記しています。

「(前略)そして必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前のいる所に帰っていくよ。」(『主よ、いつまでですか』より引用)

この本には、獄中で真摯に自分の人生と向き合い、最後まで権力に立ち向かい続けた彼だからこそ書ける人生の教訓がたくさん詰め込まれています。私たちには、無実の罪で何十年も刑務所に入れられ、自由を奪われることの辛さを具体的に想像することは到底できませんが、辛いときやくじけそうなとき、本書に書かれている言葉がきっと背中を押してくれるはずです。

袴田事件や元裁判官の熊本典道をテーマにした本は多くありますが、本書がもっとも彼の思いに迫り、冤罪の悲劇を生々しく伝えているといえるでしょう。袴田事件について詳しく知りたい方、司法の問題点や死刑制度に関心のある方は必読の一冊です。

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