小学校の教科書から一般書まで広く親しまれている小林一茶ですが、その人生を知ったうえで読むことで彼の俳句は一層深みを増します。一茶の人生とともに、彼に関する名著をご紹介させていただきます。
現在の長野県にあたる信濃町柏原の農家に生まれた小林一茶。生没年は1763年から1827年で、江戸時代中期から後期を生きた人物です。
彼の生きた時代は、「化政文化」と呼ばれた江戸庶民文化が栄えた時期になります。この頃は「粋な江戸っ子」がもてはやされる空気がありました。
ただ化政文化は享楽的な一面があり、皮肉・駄洒落・色気などが好かれる享楽的な風潮が生まれます。そして一茶の人生と俳句は、このような空気とは完全に一線を画していました。
彼は生涯で2万句以上の俳句を残しましたが、その多くは、絵に書いたような彼の不幸の人生に基づいて歌われたものです。
名作と呼ばれる数々の俳句を残した俳人として語り継がれる一茶ですが、「不幸のかたまり」などという不名誉な呼び名がついてしまうほどの「不幸体質」として有名でした。
ここでは、彼の身を襲った不幸話を時期ごとに紹介します。
1:14歳で家を出されてしまった
小林一茶は3歳の時に実母を亡くします。その後、8歳の時に父の弥五兵衛が後妻を得ます。彼は父の再婚相手とそりが合いませんでした。
再婚の翌年には弟が生まれ、幼い一茶は一層疎んじられます。彼は暴力も振るわれ
「杖のうきめあてらるること日に百度……(中略)……目のはれざるもなかりし」(『父の終焉日記』から引用)
という有様でした。そんな一茶は、14歳で信濃町柏原から江戸へ、丁稚奉公に出されます。3歳で実母をなくし、15歳にして事実上家から追い出されてしまったのです。
「我と来て 遊べや親の ない雀」
小学校の教科書にも掲載されているこの句は、子供時代の彼の寂しさと辛さが雀に投影されていると理解することができます。
2:江戸で10年ものあいだ苦学をした
江戸に出た後、彼の消息は10年ほど絶たれます。20代後半までの一茶の消息を示す直接の資料はほとんどありません。後年の俳諧師としての人生から、おそらくこの10年間は丁稚奉公をしながら俳諧を必死で学んだのだろうと考えられています。
後年の彼の覚書には
「そこの軒下で露をしのぎ、むこうの家の陰で霜をしのぎ、あちらこちらさまよい歩き、苦しい月日を送るうちに、ふと田舎風の俳諧を覚えた」(『文政句帖』から引用)
とあります。少なくとも、一茶の20代の生活は楽なものではなかったということでしょう。
3:継母と長いあいだ相続争いをした
一茶が39歳の時、父の弥五兵衛が死去します。弥五兵衛は、「平等に遺産を分けるように」と遺言をのこしていました。
しかしこの遺言に、継母と弟は納得しません。以後12年にわたり彼は相続争いを続けることとなります。最終的には明専寺の住職の調停により、屋敷の半分と11両の金銭、そして田畑の一部を得ることで決着がつきました。
4:結婚し、父となっても悲劇が起こった
彼は50歳で故郷に帰り、屋敷の半分を得て地元の柏原に骨を埋めることを決めます。下記は、雪が5尺(約1.5メートル)も積もる厳しいその地に、死ぬまで住むことを決心した時の句です。
「これがまあ つひのすみかか 雪五尺」
地元で一生を暮らすことを決めた以上は、相続人の責任として妻を娶り家を継がなくてはならないのが江戸時代の常識です。彼は「きく」という女性と結婚します。一茶52歳、きく28歳でした。そして2人の間には4人の子供が生まれます。
幸せな家庭を築けたかと思いきや、それで終わらないのが彼の人生です。
一茶ときくの間に生まれた4人の子は、全員2歳にもならないうちに死んでしまいます。さらにはきくも病死してしまうのです。彼は60歳をこえて、またひとりになってしまいました。
その後、一茶は2度の再婚をします。3人目の妻「やを」との間には、元気な女の子である「やた」が生まれました。しかし、やたが生まれたのは一茶が死去した後。そのため彼は娘の顔を見ることも、抱くこともできなかったのです。
5:50代半ばで「中風」になった
さらに一茶の不幸はとどまるところを知りません。50代後半に「中風」となります。中風とは、現代でいう脳出血による麻痺のこと。
つまり彼は、健康に天寿をまっとうすることはできず、亡くなるまでの数年は体に障がいを抱えて暮らしていました。
6:不運は晩年まで続いた
彼の不幸は最晩年まで続きます。64歳の時、相続争いの結果やっと手に入れた屋敷が家事で焼失してしまいます。土蔵がなんとか残り、人生最期はその中で過ごしてこの世を去りました。
田辺聖子による小林一茶の長編小説です。
彼の句をふんだんに用いながら、「ひねくれ」という人間くささを描いています。
- 著者
- 田辺 聖子
- 出版日
一茶の人生を田辺というフィルターを通して見ると、ここまで生き生きしてくるのかと驚嘆させられます。
長編小説ですのでじっくりとお読みください。
彼の俳句と人生について、絵本スタイルで書かれたものです。
イラストは大人気絵本作家、ニューヨーク暮らしのカズコ・G・ストーンです。
- 著者
- マシュー・ゴラブ
- 出版日
- 2014-08-28
絵本ということで、とても気楽に読むことができ、内容も子供向けの優しいものになっています。特徴的なのはやはりイラストでしょう。漫画やアニメを連想させる発色のよいイラストがとても新鮮です。
一茶の人生と俳句を気楽に見ることができるとともに、読書感想文などにもおすすめします。
藤沢周平による作品で、一茶の生涯を描いた小説のなかで代表的なもののひとつです。
彼の人生とともに、内面もよく描かれている名作です。
- 著者
- 藤沢 周平
- 出版日
- 2009-04-10
一茶を描いた小説は少なくありませんが、本書の特徴は内面描写が優れている点にあります。彼が生活のなかで苦しむ姿とその心が、藤沢周平の描写によって深く想像させられるのです。
たとえば、欲深であることを自認していた一茶が、生前にその才能を認められなかったことがどれほど悔しかっただろうか……と想像せずにはいられません。
彼を通して人生を深く考えさせてくれる一冊です。
本書は、一茶がつくった俳句のなかからおよそ2000句を選別し、年代順にまとめたものです。
彼の詠んだ句がそのまま掲載されており、読者それぞれの解釈で読むことができます。
- 著者
- ["小林 一茶", "丸山 一彦"]
- 出版日
- 1990-05-01
脚注がついているので、知識がない方でも意味を確認しながら楽しめる作品になっています。
ありのままの彼があらわれている言葉に、ぜひ触れていただきたいです。
絵本作家として活躍したいわさきちひろのイラストと、小林一茶の俳句をコラボレーションさせた、一風変わった趣向の作品です。
- 著者
- ["松本 猛", "ちひろ美術館", "いわさきちひろ絵本美術館="]
- 出版日
- 2009-03-01
俳句との内容にマッチした水彩画が、読者の心を惹きつけます。
色鮮やかな絵と俳句という組み合わせが、心にあたたかい気持ちを生みださせてくれるでしょう。
小林一茶の俳句は、世間と戦い続けた彼の人生に根ざしています。その人生を知っていただくことで彼の俳句がなぜ優しいのか、また、どうしてそのような俳句が生まれたのかがよくわかるでしょう。この記事が、彼の俳句にに深く触れていただくきっかけとなれば幸いです。