20世紀の美術界の巨人は、ピカソとアンディ・ウォーホルだと言っても過言ではないでしょう。奇想天外な活動で時代を駆け抜けた天才の足跡をたどる本をご紹介します。
アンディ・ウォーホルは1960年代を中心にアメリカで活躍したアーティストです。彼のシルクスクリーンという版画の技法を使った作品、たとえば「キャンベルのスープ缶」や「マリリン・モンローの肖像」などは、あまりにも有名で、誰でも1度は見たことがあるのではないでしょうか。
そんなアンディ・ウォーホルですが彼は絵画、映画、音楽などのジャンルを横断するポップアートを体現した、マルチアーティストの先駆けのひとりとして、燦然と光り輝く経歴を残しています。
1928年に生まれ、大学卒業後ニューヨークに出て商業イラストレーターとして成功を収めていました。そのころすでに「ブロッテド・ライン」という製版プロセスを発明し、独特な世界を展開しています。
1950年代は商業デザイナーとしての活動が主でしたが、すでにレコードのデザインも手がけるなど後のマルチメディア展開も見えていました。またこのころから自作の発表もはじめ、ファインアートからポップアートに転換するのが1960年代の初頭です。
アメリカのシンボリックなオブジェクト、たとえばマリリン・モンローやコカコーラの瓶、ドル紙幣などをテーマにし、徹底した表層重視の姿勢を打ち出しています。また電気椅子やきのこ雲などのモチーフも扱っています。
彼はニューヨークに「ファクトリー」というスタジオを作り、プロダクション制を敷き作品を作るという画期的な手法も取り入れています。このファクトリーはさながらサロンとなり、さまざまなセレブリティやアーティストが訪れていました。
その流れで彼は、アメリカのロックバンド、ヴェルベット・アンダーグラウンドのファーストアルバムのプロデュースをおこなっており、現代でも名盤の誉れ高い作品となっています。また映画の制作も多数おこないました。
1970年代は社交界での活動が多く、さまざまなセレブの肖像を制作しています。80年代に入っても彼の創作意欲は衰えず、1960年生まれの画家であるバスキアとの交流など、若手とも積極的に関わっていきました。
1987年、胆嚢手術の術後が悪く、この世を去ります。お墓は故郷のピッツバーグに建てられ、遺体にはカシミアのスーツとペイズリー柄のネクタイとサングラス、銅の棺は白いバラで覆われ、エスティ・ローダーの香水を入れるという、最後までクールでスタイリッシュな人物でした。
このようにアンディ・ウォーホルは強烈な個性を武器にして、亡くなるまで第一線で活躍した稀有なアーティストです。その芸術の本質は、表層を重視し内容は軽視するというもので、まさにポップアートの申し子と呼べるもの。大量に生産できるシルクスクリーン作品がそれを物語っていますが、その背後にある彼の考えをぜひとも理解したいと思わせる人物でしょう。
1:「キャンベルのスープ缶」のアイデアは50ドルだった
有名な「キャンベルのスープ缶」の作品のアイディアは、デザイナーのミュリエル・ラトウが発案したもので、ウォーホルはそれに対して50ドルの小切手を切っています。このうちのひとつは、2007年にサザビーで740万ドルで落札されました。
2:1番最初のポップアート作品は、デパートのディスプレイだった
1961年にウォーホルの最初のポップアート作品が披露されましたが、それはニューヨークのデパートのディスプレイでした。ショウウィンドウのバックドロップ(垂れ幕)としての展示でした。
3:BMWに直接ペイントをした
BMWのアートカープロジェクトで、彼は他のアーティストとは違い、直接車にペイントしました。彼がハケで直接車に色を塗っている写真が残っています。すべてのペイントに要した時間は23分でした。
4:制作映画は60作品以上
ウォーホルは1960年代、約5年のあいだに60を超える映画を制作しました。その内容は、きのこを食べる人を延々撮影したもの、寝ている詩人を映したもの、夕暮れ時のエンパイアステートビルを撮影したものなど非常にスタティックなものとなっています。まさに物事の表面を切り取ることに執心した彼ならではの作品です。
その後彼は映画界から手を引きますが、ウォーホルブランドの映画は続き、B級エクスプロイテーション映画としてカルト的な人気を誇っています。
5:自画像の値段が天文学的
彼の自画像についた値段は3840万ドル、日本円にすると40億円を超えています。
6:日本のテレビCMに出ていた
バブル直前の1980年代半ばにウォーホルは日本のテレビCMに出ています。TDKのビデオカセットテープのCMで、テストパターンが映るブラウン管を持って「アカ、ミドリ…」とセリフを言っていたものですが、相当な衝撃を持って茶の間に迎え入れられました。
1975年に出版されたアンディ・ウォーホルの自伝的作品。一時代を築いた彼が振り返る自分の半生ですが、それが見事に戦後のアメリカ、ニューヨークとリンクしていて、当時の状況が臨場感がたっぷりに伝わってきます。
本作品は「愛(思春期)」「愛(初恋)」「愛(老いる)」「美」「有名」「働く」「時」「死」「経済」「雰囲気」「成功」「芸術」「肩書」「ピッカピカ」「下着パワー」という章に分けられており、時系列的というよりはトピックごとの彼の考えが記されています。
移民の子で病弱で友だちもいなかった寂しい少年時代、きらめくようなアーティスト時代、彼と関わった人たちについてなど興味深い話が満載で、彼の人となりがよく理解できるものとなっています。
- 著者
- アンディ ウォーホル
- 出版日
- 1998-08-01
彼の考え方が一人称の平易な文体で淀みなく語られていき、我々がまさに彼の同伴者のような気分にさせられます。ポップアート全盛のニューヨークにいるというのはこういうことか、ということが疑似体験できるでしょう。
アンディ・ウォーホルはその空間感覚において特異なイメージを持っていることが、この作品からわかります。彼は常に空の空間を追求しており、その反面で、空間を埋めるものを作っている、というくだりを日本の押入れをモチーフに語っているところなどは、芸術を捨てたと言い切るウォーホルの考えを端的に表しているといえます。
芸術と経済に関しての彼の感覚もまた興味深く、極端な現金主義であるということを吐露していて、店の開いていない日曜日は嫌いだと言い切り、宵越しの金は持ちたくないよねと微笑む彼のフィロソフィーもまた、我々をはっとさせるのです。
さまざまなことについて断言する彼の優しくも鋭い言葉の数々を堪能できる本作は、アンディ・ウォーホル入門に最適な作品といえます。
ファクトリーでタイピストのバイトをしていたパット・ハケットの編集による、アンディ・ウォーホルの日記をまとめたものが本作品です。アンディは日課を大切にする人だったようで、本書には1976年11月24日から彼が亡くなる約1週間前の1987年2月17日までの日記が収録されています。
10年以上の日記を収録しているので非常に膨大で、重厚です。内容は、日常のこと、仕事のことにはじまり、政治的なことに関しての記述もあって、彼の多面的な部分が読み取れます。
- 著者
- アンディ・ウォーホル
- 出版日
意外と毎日長い文章を書いており、読み応え抜群の本書ですが、驚くのは彼が毎日どこかに出向いている、という点です。誘いがあると断らず、活動的で元気な人だったことがわかります。
また写真もたくさん掲載されており、エリザベス・テイラーやキャロライン・ケネディなどのセレブから、マドンナやバスキア、キース・へリングといった当時オルタナティブであった人たちまで、さまざまな人と写真に収まっており、多彩な交友関係に驚かされます。
じっくり読んでいくと彼の日常が理解でき、端々に彼が大切にしていた哲学も垣間見られ、興味深いものがあります。
商業デザイナー時代のアンディ・ウォーホルが、皮革会社Fleming-Joffe用に制作したのがこの絵本です。かわいいヘビが、クレオパトラやエリザベス・テイラーなどのセレブリティの衣装やアクセサリーになっていきます。
ウォーホルによるヴィヴィッドな色彩の絵がキッチュで楽しい内容で、絵本ですが大人が楽しめる、彼の芸歴の幅の広さを堪能するのに良い作品となっています。
- 著者
- アンディ ウォーホル
- 出版日
- 2017-05-08
キャンベルのスープ缶やコカコーラの瓶などの絵をつくっていた彼とは真反対のフル手描きで、イラストレーターとしてのウォーホルを堪能できる素晴らしい内容です。
主人公のヘビが常に楽しそうで、読んでいるこちら側もウキウキするような内容となっています。贈り物にもおすすめですよ。
美術史家、宮下規久朗によるウォーホル論です。無個性の機械的作者たろうとしていたアンディ・ウォーホルが、結果的に神格化されたイコンとして存在せざるを得ない状況下で、いかに彼の作品が変化していったかを追ったのが本作です。
全部で7章あり「キャンベルのスープ缶」から始まり、晩年の「最後の晩餐」までの流れが図版を交えて解説されています。ウォーホルは当初から、個性主義の先にある芸術を見据えていたことがわかるでしょう。
1962年にスタートする「死」をモチーフにした作品群に筆者は着目し、この一連の作品がなければウォーホルはただのポップアーティストで終わったであろうと語っています。
- 著者
- 宮下規久朗
- 出版日
- 2010-04-16
筆者も記していますが、アンディ・ウォーホルはオリジナリティを排除する哲学を持っている一方で、自分自身がポップイコンとなってしまうという背反した性質を持つアーティストでした。普通はそれが問題になると想像できますが、彼はそれをも飲み込んでしまうメタアーティスト的な部分があったようです。
「死と惨禍」の一連のシリーズは、有名人から無名の人の死まで扱っていますが、ウォーホルはインタビューで、「ただのデザインだ」と言い切っていて、一筋縄ではいかない彼の性格が浮き彫りになります。
筆者は、彼のピークは1960年代であり、70年代以降力を落としたのは静止画から動画への転換がその要因であると指摘。静止画の威力がなくなったのではなく、情報速度の面でテレビが紙媒体を凌いだ、という点がポイントなのだそうです。
そういう意味でまさに晩年の作品群は、ウォーホルの芸術回帰が感じられて迫力があります。彼の足跡を手軽に見せて解説してくれる本書は、ウォーホル研究の入り口としておすすめです。
『とらわれない言葉 アンディ・ウォーホル』は、彼の言葉を集めたいわゆる名言集です。ポップアートの旗手としてアメリカン・ドリームを体現した男の語る言葉、というと陳腐ですが、そこはウォーホルだけあって一筋縄ではいかないものがあります。
彼は一貫して「ポップとはなにか」ということを語っています。また、自分がよく知っているものを描いているだけだと断言し、その言葉の裏からは抽象芸術家が黙殺するものを拾いあげよう、という彼の哲学が感じられるのです。
- 著者
- アンディウォーホル美術財団
- 出版日
- 2010-03-11
自分はうわべだけの人間だ、変化はいいことだ、プラスチックが好きだと言い切るウォーホルのひと言ひと言が格好良く、本心なのだなと思わせられます。
不世出の天才の頭のなかを覗いてみたければ、本書を手に取るべきです。そして最後の言葉、ここまでスタイリッシュに攻められたら誰もが彼のファンになってしまうでしょう。
20世紀後半はウォーホルの時代でした。ではいまは誰の時代なのでしょうか。ヒーロー(Hero)不在の現代において(アンディはゼロ(Zero)と自分では言っていましたが)、もう1度彼の功績を確認して、次世代のヒーロー像を考えるのも面白いかもしれません。